ランセンの天使
ヒュリムトンとルーデンベルンの関係は思わしく無かった。
国境に近いランセンは緊迫した空気に包まれ、兵士が街へと押し寄せて戒厳令が敷かれた。
「戦が起こりそうだなぁ」
グォドレイが魔法薬の調合の仕方をオーレリアに教えながら、ぽつりと言った。
ランセンの街から僅かばかり離れた森の奥に、グォドレイは居を構えた。
大木を利用したツリーハウスである為、夜間も魔獣が襲って来る心配がない。尤も、周囲には魔法障壁を張り巡らせている為、何者の侵入も赦さないわけだが。
「どうした、リア?」
調合瓶を手に持ったまま考え事をしているオーレリアを訝しく思って、グォドレイは声を掛けた。
「……戦争が始まってしまったら、一体どうなってしまうのかしら」
不安気に言ったオーレリアに、グォドレイは小さくため息を漏らした。
「俺達には関係のないこった」
「そうはいかないわ。ユーリがルーデンベルン王太子の婚約者なのですもの」
グォドレイは少し考えて、「ああ、あの魔獣に襲われた時に一緒に居たお嬢さんか」と興味無さげに言った。
「ルーデンベルンの王太子から山ほど贈り物を貰ったんだろ? 街中の噂になってたっけなぁ。本人だって、満更じゃなかったんだろう?」
煌びやかなドレスに身を包み、ユーリが幸せそうに微笑んでいた様子がオーレリアの脳裏に浮かんだ。
「なんにせよ、リアには関係のないことだろ? それとも、お前さんも王太子妃になって、着飾りたいのか?」
「親友の事ですもの。関係ないはずがないわ!」
オーレリアは調合瓶をテーブルの上へと置くと、グォドレイを見つめた。だが、彼は椅子へと腰かけてつまらなそうにオーレリアを見つめ返した。
「……なんで怒ってんだ?」
「分からないのかしら。私の家族だってこのランセンに住んでいるのに! 魔導士の価値観は、私には分からないわ」
「そいつはお互い様だなぁ。俺様も人間の考えることなんかわかりゃしねぇからな」
オーレリアはムッとしてグォドレイに一瞥すると、くるりと踵を返した。
「おい、何処へ行くんだ?」
「帰るのよ。私は人間ですもの。人間の住処へ帰るべきだわ!」
家の入口付近に掛けてあるコートを手に取ると、オーレリアは素早く羽織って扉へと手を掛けた。
だが、彼女の肩をグォドレイが掴んで引き留めた。
「行くな」
「どうして? 貴方には関係のない事でしょう?」
「俺が嫌だからだ」
オーレリアの肩を引き寄せると、グォドレイは彼女を背中から抱きしめた。
「悪かった。謝るから行かないでくれ。人間の寿命は短い。だから、少しでも長く俺の側に居てくれ」
グォドレイはそう言って、縋る様にオーレリアの後頭部に額をつけた。
「……グォドレイ様。謝って貰いたいわけじゃないのよ」
グォドレイの腕の中で、オーレリアが呟く様に言葉を放った。
「貴方は今まで、子を儲けたりしたことはあるのかしら?」
ガタン! と、オーレリアの背後で音が鳴り響いた。
オーレリアの発言に驚いて飛びのいたグォドレイが、その背後にあったテーブルに腰を打ちつけ床に転んだのだ。
「ってて……! お前さん、急に何て事言い出すんだ!?」
床に座り込んだまま、グォドレイは腰を擦りなががら喚いた。そんなグォドレイにオーレリアは真剣な眼差しを向けて、その傍らにしゃがみ込んだ。
「質問に答えてくださいな」
詰め寄る様にそう言われて、グォドレイは困った様に片眉を下げた。
「……無ぇよ」
ボソリとそう言った後、グォドレイは寂しげにアメジストの様な瞳を伏せた。
オーレリアは溜息を吐くと、グォドレイを見つめたまま責める様に言葉を吐いた。
「親になった事も無く、家族も持たずにずっとお一人で過ごしていたから。貴方は寂しい寂しいと言いながら、結局は他人に興味を持とうとして来なかったから、人の気持ちが分からないのですわ!」
俯いたまま押し黙るグォドレイを残し、オーレリアは立ち上がるとツリーハウスの扉に手を掛けた。
「……そうやって、皆離れて行っちまうんだ。俺が、人間じゃないから」
オーレリアの背にグォドレイは言葉を放った。
「どうせ寂しい思いをするだけだって解ってるのに、これ以上関わって悲しい思いをするくらいなら、一人の方がいい」
オーレリアは、扉に掛けた手を下ろした。
『自分がずっと側に居る』と言ったところで、人間の寿命は魔導士に比べると僅かなものだ。必ず訪れる孤独を思えば、軽々しく口に出来る言葉ではない。
ゆっくりと振り返ると、グォドレイの側へと赴いて膝をついた。
「今までとは違う関わり方をしてみたらどうかしら?」
気遣う様に笑みを向けて言うオーレリアに、グォドレイは眉を寄せた。
「違う関わり方?」
「魔法薬で人助けをするの。どうかしら?」
グォドレイの作った魔法薬で人々を救う事が出来れば、救われた人の輪が広まり、その子孫達もまたグォドレイを頼る事だろう。
必ず別れが訪れはするが、出会いも続くのであれば少しは寂しさが薄れるかもしれない。
真剣なオーレリアの様子に、グォドレイは観念した様に頷いた。
「……ああ。ちょっとばかしやってみるか」
そして肩を竦めると、「でも、魔法薬っつっても、今までだって売ろうとしても胡散臭がられてそんなに売れなかったじゃねぇか」とため息交じりに言った。
「ユーリに相談してみましょう。彼女はランセンの領主の娘ですもの」
自信あり気に言うオーレリアにグォドレイは僅かに俯いた。
グォドレイは大勢の人間と関わりたいと思っているわけではない。ただオーレリアに、自分の側に居て欲しいだけだった。
それでも、彼女が望む事を受け入れれば側に居てくれるのなら、それでいい。
「……分かった、お前さんに任せるぜ」
ため息交じりに言ったグォドレイの手を握ると、オーレリアは「私も一緒に頑張るわ!」と微笑んだ。
◇◇
揺れる馬車の中から、ユーリは緊迫した状態の街並みを見つめていた。ルーデンベルンの兵達はお世辞にも素行が良いとは言えず、特にヒュリムトン側から訪れた商人達には容赦なく暴行を加える為、街からは人影が減り寂れていった。
ユーリはランセンの地を統べる領主、マクレイ家の令嬢として、そんな街の様子に心を痛めていた。怪我人の手当をする簡易的な施設を作り、自らも通っては、皆を勇気づけていた。
そこへ、オーレリアとグォドレイの依頼により魔法薬を持ち込み、ユーリ自ら怪我人の治療にあたることとなった。
その魔法薬は驚く程に良く効いた。
見目麗しさも相成り、いつしか彼女は『ランセンの天使』と呼ばれる様になった。
マクレイ家の紋章がついた馬車が通れば皆称え、加護を求めて群がる程に絶大な信頼と崇拝を受けた。
ユーリは馬車が到着するや否や適格な指示を出し、公爵家の令嬢らしからぬ程にテキパキと熟す。
少しでも、愛するルーデンベルン王アーヴィングの力になれれば本望であると、全力で労力を注いでいたのだ。
彼女の指に輝く婚約指輪は、アーヴィングが直接手渡したものだった。二人は互いに一目惚れし、愛し合う婚約者同士となったのだ。
その日、怪我人の手当をするユーリの元へ妙な一行が訪れた。
視察団であると名乗っていたが、その様な一行が来るとは予め伝えられていなかったので、不審に思った。しかも、どこか緊迫した様子で、僅かなりとも無礼を働こうものならすぐさま斬り殺されてしまいそうな程の、殺伐とした雰囲気を醸し出しているのだ。
「『ランセンの天使』とは、お前か?」
視察団の一人に問われ、ユーリは品よく頭を下げた。
「恐れ多いことですが、私をそう呼ぶ方がいらっしゃいますわ」
ユーリが答えると、問いかけた男がすっと下がり、後方の者へと耳打ちした。彼は報告を受けて小さく頷くと、ユーリの前へと進み出た。
「成程。噂にたがわぬ美しさよ」
ダークグリーンの瞳をユーリに向け、品定めするかのように言うと、傍らの椅子へと腰を下ろした。
「古傷が痛むのだ。手当を頼めるか?」
威圧感のある男の言葉に、ユーリは眉を寄せた。
——どうしよう。オーレリアとグォドレイ様が作ってくれた魔法薬は、古傷に効果が無いけれど、言ったところで通じそうにないわ。
戸惑いながらも、震える声でユーリは反論した。
「閣下、こちらは今必要としている方達に使用する為の物です。古傷の治療であれば、どうか医師をお尋ねくださいませ」
視察団の一人が「貴様!」と、剣を抜こうとし、ダークグリーンの瞳の男に「止めよ」と制された。
ユーリは恐怖に震え、じんわりと瞳に涙を浮かべた。気の強いオーレリアとは違い、ユーリは男性相手に口答えをしたことなど一度も無いのだ。
怯えるユーリの様子を見つめ、男は視察団にこの場から出て控えている様にと指示を出した。有無を言わさぬ男の態度に、一行は渋々施設の外へと出て行き、ユーリはホッとしてへたりとその場に座り込んだ。
「怖がらせてしまった様ですまなかった。貴方を脅す気は無かったのだ。どうか許してくれ」
「いいえ。ですが……はい。少し、いえ、とても怖かったですわ」
「名は何と言う?」
「ユーリ・ザティア・マクレイです」
「良く効く薬の様だな」
「ええ。とても重宝しております」
「何処から手に入れているのだ?」
矢継ぎ早に質問を繰り返す男に、ユーリは困った様に笑みを浮かべた。
どこぞの何者かも知れない者に、魔法薬の出どころを伝える訳にはいかない。
「閣下、それはお答えできませんわ」
「何故だ?」
「大切な薬ですもの」
「……ふむ。では、もう一つだけ質問を許してくれないか?」
男はそう前置きをすると、じっとユーリを見つめた。
「その薬は、お前でなければ手に入れる事ができぬのか?」
ユーリはふと考えた。この緊迫した状況下では、尚更にグォドレイはオーレリア以外の人間の前に姿を晒そうとはしないし、オーレリアはユーリにのみ魔法薬を譲ってくれるのだ。
つまり、ユーリ以外この魔法薬を手に入れる事ができないといえばそうかもしれない。
「……恐らく、そうでしょう」
二人の名を出す訳にはいかないと、ユーリはそう答えた。
「成程」
男はダークグリーンの瞳を細めて微笑むと、椅子から立ち上がり、ユーリへと手を差し伸べた。
「自己紹介が遅れてすまない。私の名はドワイトだ」
「ご親切に、感謝いたしますわ、ドワイト様」
ドワイトの手を取って立ち上がったユーリを、彼はそのまま手を引き強引に抱き寄せた。
ユーリは驚いて悲鳴を上げた。
「お止めください! 私は、ルーデンベルン王太子の婚約者なのです。私にむやみに触れたりなどなさらないでください!」
「お嬢様!!」
ユーリの悲鳴を聞き、控えていたマクレイ公爵家の侍女や従者が駆け付けて来るや否や、視察団の者達がどっと室内へと押し入った。
そして、ユーリの目の前で公爵家の者達を斬り殺してしまったのだ。
ユーリは気が狂わんばかりの悲鳴を上げた。
「やれやれ、お前達は隠密行動というものができぬらしいな。これではヒュリムトンが侵略したのだと勘違いされかねぬぞ」
ドワイトはため息交じりにそう言ったものの、冷たいダークグリーンの瞳をぎらつかせていた。
「ヒュリムトンですって……?」
ユーリは背筋を凍り付かせた。
「私はヒュリムトンの王太子、ドワイト・ネイサン・ベルンリッヒ・ヒュリムトンだ。お見知りおきを、ユーリ殿」
紳士的に自己紹介をしたドワイトの言葉聞き、ユーリは戦慄が走った。
紫焔の魔導士グォドレイはおとぎ話か何かの登場人物の様に言われており、オーレリアと出会うまで魔法薬を人間に譲る事も無かった。
つまりこの戦争の発端も、全ては魔法薬を手に入れる為、狡猾と恐れられるヒュリムトン王太子ドワイトが指示したことなのだ。
ユーリは、渾身の力を込めて彼を突き飛ばした。
「公爵家の令嬢にしては腕力があるな」
胸を擦りながら嘲笑う様に言ったドワイトの目の前で、ユーリは自らの首に刃を当てがった。
ドワイトが眉を寄せて腰の短剣に触れると、そこにあったはずの短剣はユーリの手に握られているものであると理解した。
「私に指一本でもふれようものなら、この場で自害いたします!!」
このままではヒュリムトンに利用され、ルーデンベルンの足枷になりかねないと察し、ユーリは死を覚悟したのだ。
愛するルーデンベルン王太子、アーヴィングの為に……。
「お前が傷付く事を望んでなどいない」
ドワイトは静かにそう言うと、さっと手を挙げ、視察団に扮した自国の兵達に、手出しをしないようにと指示を出した。
「勘違いをするな。生憎私には奪う趣味はない」
そう言って、ドワイトはユーリに背を向けると、去り際に一言残した。
「献上されるのは好きだがな」
————その日。ランセンの街は戦火に包まれた。




