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王妃様は誰の味方?

 王城の広間を借り、ミルドレットはヴィンセントをパートナーにエレン指導の下ダンスの練習に励んでいた。

 三曲目を踊り終え、休憩を挟む為にお茶が用意されたテーブルへと着くと、ミルドレットは安堵のため息を吐いた。


「少しテンポの速い曲だったからな、疲れたのではないか?」


ヴィンセントが気遣ってそう言うと、ミルドレットは笑顔で答えた。


「疲れたけれど、楽しい! 当日もヴィンスがパートナーだったら良いのに」


ミルドレットの言葉にヴィンセントは照れて頬を染め、エレンが笑った。


「ミルドレット様、そんなことを仰っては殿下が拗ねますよ」

「そうかなぁ。あたしの事なんか気にしないと思うけれど。殿下はアレッサに首ったけだもの」


 ニールがグォドレイに誘拐された為、留守であることを良いことに、デュアインは王命に従ってアレッサとの逢瀬を繰り返していた。当然ながらその噂はミルドレットの耳にも入り、中庭に居る二人を直接目にする事も度々あった。


『私の本心は、貴方を求めています。誰が何と言おうとも。それだけは、信じてください』


 シハイルにそう言われたものの、仲睦まじい様子を見せつけられては、ただでさえ少ない自信が消失するのは無理もない。


 ヴィンセントが僅かに片眉を吊り上げて、面白く無さそうに言った。


「しかし、妙なのだ。殿下からアレッサへの取次を私はしたことがない。まるでシャペロンの私が留守であることを見計らっているかのようにも思えるのだ」


エレンは不思議そうに小首を傾げた。


「それは、確かに妙でござますね。普通はシャペロンを通して連絡を取り合うものですから」

「え、そうなんだ?」


——あたし、勝手に墓碑に行って殿下と会ってたけれど、それも良く無かったんだ……。


「他国との交流に当たるわけだからな。まして、男女ともなれば尚更見聞が悪い」


そう言いながら、ヴィンセントはチラリとミルドレットに視線を向けた。


「……ミリーは随分と自由な様子だが」


 ミルドレットは元々シャペロンが居らず、護衛騎士としてニールのみが侍従しているというのに留守がちで、その上紫焔の魔導士グォドレイがやたらと自由に出入りしているのだから、ヴィンセントが心配するのは無理もない。


「あたしは似非(えせ)王女だから……」


気まずそうにそう言ってミルドレットがお茶を一口飲むと、咽てケホケホと咳き込んだ。


「ミリー、大丈夫か?」

「あらあらミルドレット様」


エレンが慌ててミルドレットの背を擦ろうと立ち上がったが、ミルドレットは「大丈夫!」と言って手をさっと上げた瞬間、ティーカップに手が当たり、ガチャンと倒れてしまった。


「あ……ごめんなさい!」

「お怪我はございませんか?」

「それは大丈夫だけれど、勿体ないね。ごめんなさい」


 自ら布巾で拭きながらしょんぼりとするミルドレットに、エレンは微笑んだ。


「いいえ、お気になさらず。直ぐもう一枚布巾をお持ち致しますね」


 エレンが急ぎ足で広間から出て行き、ミルドレットはすまなそうに眉を下げた。


「やっちゃった……」

「怪我が無くて良かったではないか」

「生誕祭でも失敗しちゃったらどうしよう。お師匠様からもよく『どんくさい』って言われてたし」


しょぼくれるミルドレットに、ヴィンセントは優しい笑みを向けた。


「失敗しても良いではないか。誰でもミスはするものだ。それに私は、ミリーのそれは愛嬌だと思うが」

「ヴィンスはいつも優しいね。殿下や他の皆もヴィンスみたいに優しいといいけれど、そうじゃないから。気を付けないとあたし、感謝祭の前に王太子妃候補をクビにされちゃうかも」


——そうなったら最悪。お父様は怒り狂うだろうし、ニールにも飽きれられるだろうし。あたし、完全に行き場を失っちゃう……。


「そうはならぬ。だが、もしもそうなってしまったのならば、私がミリーを守ろう」


 ヴィンセントは照れた様にコホンと咳払いをすると、琥珀色の瞳を向けた。


「あたしがクビになっちゃっても、ヴィンスは嫌いにならないの?」

「勿論だ。例え王太子妃候補でなくなったとしても、ミリーはミリーだろう?」


ミルドレットは微笑むと、ヴィンセントの手を握った。


「ここに来て良かったって一つだけ思えることは、ヴィンス兄さまと会えたことだね」


ヴィンセントはカッと顔を赤らめると、ミルドレットの笑顔をじっと見つめた。


「そなたにそう言って貰えるならば、私もこのヒュリムトンに来て良かったと思う。ミリー、私はそなたを……」


広間の扉が開かれて、エレンが慌てて様に駆けこんできた。何事かとミルドレットとヴィンセントが驚いて扉の方へと顔を向けると、「王妃陛下がいらっしゃいました」とエレンが口早に言った。


 ミルドレットとヴィンセントは慌てて席を立つと、頭を垂れて出迎えた。


 数人の侍女を引き連れてヒュリムトン王妃、ユーリ・ザティア・ベルンリッヒ・ヒュリムトンが広間の中へと入って来るなり、チラリとヴィンセントに視線を向け、侍女に何事かを伝えた。

 侍女は会釈をしてエレンへと耳打ちし、エレンはパッと抗議するような視線をユーリへと向けた。だが、ユーリはエレンの方を見向きもせず、仕方なくヴィンセントへと言葉を告げた。


「ヴィンセント様。王妃様がミルドレット様とお話しがあるとの事です」


それはつまり、二人だけで話しをしたいからヴィンセントに退席を命じたということだった。


「……承知致しました」


ヴィンセントは躊躇ったものの、退席することを承諾した。躊躇うのは無理もない。ユーリは以前、ルルネイア主催のお茶会で、ミルドレットの背の傷を皆の前で晒し、あまつさえ罪人扱いしたのだから。


「ヴィンス……」


 不安げにヴィンセントを見送るミルドレットに、ヴィンセントはニコリと微笑んだ。


「後でまた来る」

「……うん。わかった」


ヴィンセントが広間から出る際に、エレンが侍女達も引き連れて出て行き、室内にはユーリとミルドレットの二人だけとなった。


——え!? 二人きり!? ど、どうしよう。気まずい……っていうか怖いっ!


 ミルドレットの手が震えた。


——また、罪人だって罵られるのかな? あたしを王太子妃候補としても認めないって……?


 緊張で心臓が痛い程に強く鼓動し、吐き気がした。必死に恐怖を押し殺そうと唇を噛みしめていると、じんわりと瞳に涙が浮かび上がってきた。


——あたしがどんなに努力しても、鞭打ちの痕を消す事なんかできない。一体どうしたらいいの……?


「ミルドレット姫」


名を呼ばれ、ミルドレットはドキリとして「は、はい!」と、頭を下げたまま上ずった声を上げた。


 ふわり、とユーリのドレスの裾が揺れる音がした。


「椅子に掛けましょう。少し話が長くなりそうですから」


ユーリは膝をついてミルドレットの手を取ると、そう言って優しく微笑んだ。


「え……? あ、はい……」


 面食らいながら、ミルドレットはユーリに促されるままに椅子へと掛けた。テーブルの上は先ほどティーカップを倒した際についたお茶のシミがあり、ミルドレットは気まずそうに俯いた。


「こんな状態で、申し訳ございません」

「私こそ、突然押しかけてごめんなさいね」


 お茶会の時とは打って変わり、ユーリは柔らかく穏やかな印象でミルドレットを見つめた。


「貴方に聞きたい事があって来たのです」


ユーリはそう言うと、すまなそうに笑みを浮かべた。


「貴方の護衛騎士は、随分と長らく留守にしている様ですが、どこへ行ってしまったのかしら?」


 意外な質問に、ミルドレットは目を白黒させながら答えた。


「ニールの事でしたら、私も分からないのです。ここのところ、王太子妃候補としての教養を身に付けようと私はずっと籠っておりましたから」


——王妃陛下が、どうしてニールの行方を知りたいんだろう……?


 不思議に思ってユーリへと視線を向けると、ユーリはニコリと微笑んだ後「そう。貴方も分からないのね」と、がっかりした様にため息を吐いた。


「申し訳ございません。自分の護衛騎士の事なのに、ちゃんと把握していなくて」


ミルドレットもニールが恋しくなり、きゅっと膝の上で手を握り締めた。

 行先や留守にする期間も伝えずに突然姿を消す事など今まで一度も無かったのだ。もしや見捨てられたのだろうかと不安になるのも当然だろう。


「ホント、どこ行っちゃったんだろう。ニール……」


寂しげに言ったミルドレットを、ユーリはまじまじと見つめた。


「貴方、護衛騎士が居なくなって寂しい?」


ユーリの問いかけに、ミルドレットは驚いて瞳を丸くした。


「え! あ……はい。ニールはルーデンベルンで私にとても優しくしてくれた人ですから」


ユーリは「そうなのね!」と、瞳を輝かせると、「あの子、いえ、ニールさんは貴方には優しいのね」と言って微笑んだ。


——あたし、なんか拙い事言っちゃったのかな……。


 ミルドレットはユーリの反応にビクつきながら、チラリと視線を向けた。赤みがかった栗色の髪を結い上げているユーリの笑顔は、どこかニールに似ていると感じた。


「ねぇ、教えて頂戴。ニールさんは、貴方にどんな風に優しいのかしら」


——え!? 王妃陛下は、どうしてそんなにニールの事を知りたいんだろう……? それに、話していい事なのかな。


 戸惑うミルドレットに、ユーリは小さく笑った。


「ご安心なさい、興味本位で聞くだけですもの。他には口外したりしないと誓うわ。だからどうか、教えてくれないかしら?」


 嫌に謙虚な様子のユーリに、ミルドレットは戸惑いながらもニールとの思い出話をした。幼少期の泣き虫の自分に飴玉をよくくれた事。ニールだけが唯一ミルドレットの側に仕えてヒュリムトンに残ってくれた事。傷ついた自分の側に黙って寄り添ってくれていた事。


 話をしながら、ミルドレットの中でニールへの恋しさがどんどん募っていった。


「そう、ニールさんは貴方には本当に優しいのね」


 ユーリはそう言って瞳を潤ませた。アーヴィングの命令に従い、暗殺者まがいの事をさせられていたとは聞いていたが、それ以外のルーデンベルンでの息子の様子を耳にするのは初めてだったのだ。

 ヒュリムトンに戻って来た後も、会話することもままならず、拒絶されていた。冷酷とも言える程に冷たい眼差しをする我が子に、心を痛めないはずがない。

 グォドレイとの戦闘で大怪我を負い、デュアインに対する暴力行為と、伝え聞くのはどれも耳を塞ぎたくなる事ばかりだった。

 だが、こうしてミルドレットを通して聴く息子の話はどれも新鮮で、しかも優しい心が残っているのだと知る事が出来、ユーリは安堵した。


「でも、ニールさんは可哀想ね。貴方はグォドレイ様の恋人なのでしょう?」


少し寂しげに言ったユーリの言葉に、ミルドレットは驚いて首を左右に振った。


「へ!? いえ、お師匠様はお師匠様です!」

「でも、貴方を返せと乗り込んできたのでしょう? きっと貴方の事がとても大切なのね。愛しているのだわ」

「愛……!? いや、まさかそんな……」


そう言って、ふとミルドレットの脳裏にグォドレイの言った言葉が思い浮かんだ。


『俺様は愛してるけどな』


——確かにそう言ってたけど、それはきっと家族愛とかじゃないかな!?


『なあ、ミリー。親じゃなく、一人の男として俺様をやっと見れるようになった。そいつは喜ばしいことなんだぜ?』


——あ……あれ?


『ミリー、キスしてもいいか? お前の嫌がる事を無理強いする気なんかねぇ』


——あれれ!?


 ミルドレットは顔を真っ赤にしながら思わず立ち上がった。ユーリはその様子を楽し気に見つめており、ミルドレットはハッとして慌ててまた椅子へと腰かけた。


 その一連の行動にユーリが肩を震わせて笑い出し、ミルドレットは慌てて謝った。


「す、すみません。なんだか、その。よく分からなくて」

「いいえ、いいのよ。可愛らしいミルドレット」


 ユーリはそう言うと、ミルドレットの手を優しく握った。


「あの方は……グォドレイ様はずっと孤独だったと思うわ。でも、貴方と出会った。本当に喜ばしいことだわ。そして、ニールさんもそうね。二人共、貴方に出会う事で心が救われているのでしょう」

「とんでもない! 救われたのは寧ろあたしの方です!」


ミルドレットの言葉に、ユーリは小さく笑った。


「ミルドレット、貴方はどちらを選ぶの?」

「え!? 選ぶ!?」


——選ぶって、何のこと!?


「ニールさんか、グォドレイ様か」


その言葉に、ミルドレットは慌てて首を左右に振った。


「そんな、選ぶだなんて立場じゃないです! それに、一応王太子妃候補ですし……」


ユーリは残念そうに「ええ、そうよね」と言うと、溜息をついた。


「……あの、王妃陛下はお師匠様とお知り合いなのですか? なんだか良く知っていらっしゃるような口ぶりでしたので」


ミルドレットの問いかけに、ユーリは僅かに肩を竦めた。


「知り合いというほどでもないの。でも、とてもお世話になった方よ。あの方を大切にしてあげてね、ミルドレット姫」


——お師匠様が、他人のお世話するタイプとは思えないけど……。


 複雑そうな表情を浮かべたミルドレットに、ユーリは溜息交じりに言った。


「貴方を『罪人』だなんて言ってしまって本当にごめんなさい。けれど、貴方はこのヒュリムトンになど居てはいけないわ」

「……どういう意味ですか?」

「この国に縛られては駄目よ。ヒュリムトンに身を置けば、皆おかしくなってしまうのだから」


ユーリは寂しげにそう言うと「おしゃべりを沢山してくれて有難う、ミルドレット姫」と言い残し席を立った。


 広間にポツンと一人残されて、ミルドレットはユーリとの会話を脳内で反芻した。

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