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悲劇の王太子シハイル

 煙管をぷかぷかとふかしながら、グォドレイはアメジストの様な瞳を細め、王城の離れを見つめていた。


 暗殺されたと言われている王太子シハイルの身代わりに、今あの中には暗殺者であるニールが居ることだろう。


——なんとも皮肉なものだ……。


 風に乗る様に空を舞い、舌打ちをしながら視線を外すと、「嫌な事思い出しちまうなぁ……」とポツリと言った。


◇◇


 ミルドレットを引き取った頃のグォドレイは、それまで極力人間との関わりを避けていた生活を一変し、高額な報酬を得て人間からの依頼を引き受ける様になった。


 客は当然皆裕福な者ばかりで、時には王族からの依頼を引き受ける事もあった。


 その日、グォドレイは暗殺依頼を引き受けた。


 ヒュリムトン王太子、シハイル・ベルンリッヒ・ヒュリムトン。

 グォドレイにとって、人の命を奪う事など造作もない事だ。わざわざ対象に近づく必要も無く、遠くからでも確実にその命の灯を吹き消す事が出来るのだから。


 全てのものに於いて、創造や修復は困難だが、壊すのは一瞬なのだ。


「言っておくが、殺しは高額だ。大金払ってまで俺様に依頼しなきゃならねぇ事なのか? あんたが直接毒でも盛れば、直ぐに済む話じゃねぇか」


 グォドレイはうんざりした様にそう言い放った。目の前には依頼主であるドワイトの姿があり、ダークグリーンの瞳を細めて笑った。


「無論だ。だが、貴殿に頼む事が因果応報だとは思わぬか?」

「あんたとは何の因果もねぇよ。まあ、金さえ払うなら引き受けてやるさ」


 立ち去ろうとするグォドレイを引き留めて、ドワイトは口元を歪めた。


「そう急ぐ事は無いだろう。少し話につきあわぬか?」


 そう言って、ドワイトはグォドレイの杯に酒を注いだ。どす黒い程に真っ赤なワインだ。ランプの灯りの元、ゆらりと揺れる様を見て、グォドレイは眉を寄せた。


「お前さん、息子をこれから殺そうっていう男と乾杯する気か? 頭イカレてるんじゃねぇのか?」


ドワイトは声を上げて笑うと、自分の盃に自らワインを注ぎ込んで手に持った。


「めでたいとも。今日は余の生誕祭だったのだからな。国を挙げて祝ったというのに、グォドレイ殿の耳には入らなんだか?」

「人間の宴になんか興味ねぇしな。じゃあ、あれか? 自分への誕プレに、息子を殺すってか? うはぁ、人間って意味わかんねぇ」

「あれは余と血が繋がってなどいない」


 盃を手に取ろうとしないグォドレイに構わず、ドワイトは祝杯を挙げるかのように盃を僅かに掲げ、ワインを口に含んだ。


「ヒュリムトン王族の秘密。か? 増々興味ねぇや」


 悪態をついたグォドレイに、ドワイトは肩を揺らして笑った。


「何を言う? グォドレイ殿にも関係のあることだというのに」

「馬鹿言うな。人間の国の事になんか関係ねぇよ」

「ルーデンベルン王アーヴィングへの復讐でも、か?」


「どういう意味だ?」


 興味を示したグォドレイに、ドワイトは勝ち誇った様にニヤリと笑った。だが、グォドレイは小さく舌打ちをすると肩を竦めてみせた。


「やれやれ、俺様を馬鹿にするのもいい加減にしろってんだ。アーヴィングに復讐したかったらとっくにやってらぁ。お前さんの恨みつらみに、俺様を巻き込むんじゃねぇや」

「恋人を奪われて、恨んでいないと?」


ドワイトの言葉に、グォドレイはゆっくりと首を左右に振った。


「……ああ、恨んでなんかねぇよ。その方が()()にとって幸せだっただろうからな。人間は、人間と共に生きるべきだ」


 ドワイトは小ばかにした様に鼻を鳴らすと、「では何故、グォドレイ殿は余の依頼を引き受けるのか」と問いかけた。


「なかなかに痛ぇとこを突くじゃねぇか。お前さん、ヤな奴だな」

「ここ最近、妙に人間に関わりを深く持つようになった様だが? そもそも金など、貴殿には不要だろう?」


グォドレイは何も答えず、アメジストの様な瞳をドワイトに向けた。


「余の事も嫌っているだろうに、こうして依頼を引き受けてくれるのだから有難いが」

「やれやれ。無駄口料も上乗せしておいてくれよ?」


グォドレイは幅の広い袖口から煙管を取り出すと、魔術で火を灯し、ぷかぷかとふかし始めた。


 ドワイトは疲れた様な表情を浮かべ、溜息をついて言った。


「シハイルはな、アーヴィングの子だ」

「知ったことか」


 間髪を入れずにグォドレイはそう言うと、せせら笑った。


「生憎俺様は、お前さんの事も死ぬ程大嫌いなんでな」

「それはむしろ喜ばしいことだ。全く興味を持たれぬよりも、嫌われた方がよっぽど良いというものぞ。余は貴殿を欲しているのだからな」

「うえ。気持ち悪ぃ。変態か?」


 思いきり顔を顰めたグォドレイに構わずに、ドワイトはぐっとワインを飲み干すと、再び盃に注いだ。


「我が妻ユーリめが、とんだ食わせ物だ。余の本当の息子をルーデンベルンに送り、隠していたなどと! シハイルは、このヒュリムトンを乗っ取る為にアーヴィングと画策した駒なのだ!」


 積年の恨みとでもいうかのように、ドワイトが怒り散らしながらワインを飲む様子を、グォドレイは呆れたように見つめながら、煙管を深く吸い込んだ。


「ベラベラしゃべって気が済んだか? さっさと依頼を片づけてぇんだが」

「ああ、頼む」


グォドレイは煙管の灰を落とし、幅の広い袖口へと仕舞い込むと、パチリと指を打ち鳴らした。

 瞬時にその姿をドワイトの目の前から消し、シハイルの住む離れへと移動した。


 白銀の仮面を被り、離れのテラスに置かれた椅子に腰かけるシハイルの姿は寂しげで、グォドレイは上空から見下ろしながらため息をついた。


——俺には関係の無い事だ。依頼を片づけて、金さえ貰えればそれでいい。


 人の命を奪う事は容易いとはいえ、気分の良い物ではない。


 暫くの間シハイルの様子を眺めていると、ふいに白銀の仮面を外し、彼は夜空を見上げた。姿隠しの術を使っているはずだというのに、グォドレイへと真っ直ぐと視線を向けたのだ。


「父の依頼で、私を殺しに来た方ですか?」


 シハイルは、ハッキリとそう言った。艶やかな黒髪に、ダークグリーンの瞳。どう見ても、ドワイトの若い頃の様子と瓜二つに思えた。


 グォドレイは姿隠しの術を解いて姿を現すと、トンとテラスの縁へと降り立った。


「感が良いっつーかなんつーか……。何者だ? お前さん」


 シハイルは品よく笑うと、「存在しない王です」と答えた。


「ご安心を。貴方のお手は煩わせません。先ほど毒をあおりました」

「なんだと……?」


 眉を寄せたグォドレイを見つめ、シハイルはふっと笑った。


「気に止んでいただけるとは。お優しいのですね。お気になさらず、痛みも何も感じぬうちに死ぬ薬です」

「一体、なんだってそんなこと?」


シハイルは手に取った白銀の仮面を見下ろしながら、溜息を洩らした。


「私は、ヒュリムトンの国政に沿って、物心ついたころからずっとこの仮面を被ってきました。自分の一切の意思を許されず、父の言う通りに勉学に励み、剣術にも、馬術にも、ありとあらゆることに長ける様にと尽くして来たのです」


ヒュリムトン王太子シハイルが優秀であるということは、周知の事実だった。美しいルーデンベルンの第一王女アリテミラが婚約者に決まっており、誰もが認める完璧な王位継承者なのだ。


「父の期待に沿える様、誠心誠意努力してきたというのに。父は私に対し、疑心しかお持ちではないようです」

「お前さん、本当にドワイトの子じゃねぇのか? その顔、どうみてもあいつと瓜二つじゃねぇか」


シハイルは小さく笑うと、自分の顔を指先で触れながら言った。


「自分の出生の事を、自分で把握しているとお思いですか?」


シハイルの指摘に、グォドレイは「確かにな」と言って片眉を吊り上げた後、ハッとして息を呑んだ。


——ドワイトも、何が本当なのかが分からなくなっていたんじゃねえか? 疑心暗鬼になって、疑い出したらどこまでも疑いが消えず、俺にシハイルの暗殺を依頼する事で、真偽を確かめさせようとした……?


 ……大馬鹿野郎め。その疑心が、シハイルを追い詰めて自死に至らせることになるだなんてな。


 グォドレイは深いため息をつくと、憐れむ様にシハイルに視線を向けた。


「悪いが、俺様はお前さんの出生を探るつもりなんざねぇ」

「ええ。それで良いと思います。私も望んでいません。それに、今更分かったところで、もう遅いですから。最期まで、私は父の意思を忠実に守り、死するのみです」


ふ、と寂しげに笑うと、シハイルは「父への、誕生祝いになれば良いのですが」と言った。


「……良く分からねぇな。ただでさえ短い寿命だってのに、なんでわざわざそんな事をする必要があるんだ?」


 シハイルは白銀の仮面を被ると、まるでその方が落ち着くのだと言わんばかりに小さくため息を吐いた。


「ヒュリムトンは、男児を一人しか儲けません。後継者争いを嫌ってそうしているのでしょう」

「ああ、聞いた事はあるが……」

「ルーデンベルンに、母の手により秘密裏に送り込まれた弟がいるのです。私が死ねば、この席は弟のものになるでしょう」


それを聞き、グォドレイは愕然とした。


「……弟の為に、死ぬっていうのか?」


 シハイルは毒が効き始めて来た様で、微睡む様に椅子の背もたれに寄りかかった。


「私の婚約者であるアリテミラが……弟を愛しているのです」


 絶句するグォドレイの前で、シハイルの身体からゆっくりと命の灯が消えていく。


「これで良いのです……腹違いの妹やもしれぬアリテミラを……娶らずとも済みます。王族は、恋愛結婚など許されません。ですが、私の死で……彼女が……」


シハイルの腕の力が抜け、するりと椅子の横にぶら下がった。


 グォドレイは命の灯が消えたシハイルを悲し気に見つめ、唇を噛みしめた。

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