ニール・マクレイの仕事
『彼』は、コツリコツリと靴音を立てながら廊下を歩き、護衛達にその場に残る様に指示を出して、王太子の私室へと入った。
コートを脱ぎ、椅子の背もたれへと無造作に掛けて、白銀の仮面を外そうと手をかけた瞬間、首筋に冷たい感触を感じて動きを止めた。
ゾワリと鳥肌が立つ殺気が彼を襲い、息を呑む。
「一体どういうつもりですか? D」
シハイル王太子の衣服を身に纏ったデュアイン・オールストンの首筋に短剣の刃をつきつけながら、ニールは静かに背後から声を放った。
全く人の気配がしなかった所に突然の恐怖を味わい、デュアインの額にじっとりと脂汗が浮き出る。それほどにニールの暗殺者としての能力が常軌を逸しているということなのだ。
「どういうつもりとは? 僕はただ、王命により行動をしているに過ぎないのだけれど?」
デュアインは己の恐怖を鎮めながら、冷静さを保ってそう言った。
「……王命? 父上がお前にアレッサと会う様に指示したとでもいうのですか?」
ニールの言葉にデュアインは素直に頷いた。
「当然だろう? 僕の意思で行動したんだと思ったのかい?」
そう前置きをつけた後、デュアインはギラリとした光を反射させる短剣に視線を向け、鼻で笑った。
「全く、恐ろしい男が王太子になったものだ。シハイル殿下は素晴らしいお方だったというのに、お亡くなりになったのが本当に悔やまれるよ。この国の行く末を思うと心配事だらけだね」
「『影』に意見など求めてはいません。私の問いかけにのみ答えてください。本当に、父上が貴方に指示したのですか?」
「ああそうさ。僕の主はあんたではなく、ヒュリムトン国王陛下だからね。わざわざ嘘をつくメリットがあると思うかい? それよりそんな危ない物を僕に突きつけるのは止め給え」
ニールは舌打ちしてデュアインから身を退いた。
この男を殺すのは得策ではない。二役を演じているニールにとって、影武者の存在は必須だからだ。
「聞き分けが良くて助かるよ」
デュアインは乱れた襟を整えながら言い、ニールは暗闇の中から睨みつけながら静かに問いかけた。
「父上はアレッサを王太子妃にとお考えなのですか?」
「僕に聞くなよ。本人に直接聞けばいいだろう? ああ、親子仲が良くないんだっけ? まあ、僕の知った事じゃないけれどね」
——食えない奴だ。
と、ニールが舌打ちすると、デュアインは声を上げて笑った。
「それにしても驚きさ。あんたにも人間らしい要素が幾分か残っていたんだね」
「何がです?」
ジロリと睨みつけたニールに、デュアインはサッと両手を上げた。
「おお怖い。あのミルドレットとかいうルーデンベルンの王女様に、随分と入れ込んでいるようじゃないか。確かに極上の美人だし、子供の様な純粋無垢さときた。あんな娘を無理矢理ものにするのは嘸かし快感だろうね。だって、そうだろう? あの子が暗殺者なんかに惚れるはずは無いんだからね。自分の正体を隠して、シハイル王太子の仮面を被り、あんたは無理矢理にあの子と結婚するんだ」
「……」
「そう怒るなよ。僕を殺す事なんかできやしないと分かっているから、こうして余裕ぶっていられるけれど、あんたは殺人マシンだ。感情も無ければ、人を殺す事に一切の躊躇もしない、機械仕掛けの人形だ。あの子があんたに惚れる事なんか絶対にあり得ないって、自分だって解っているだろ……」
ニールは素早くデュアインの襟首を掴み、壁に押し付けてその首筋にスローングナイフを当てた。チクリとした痛みを感じ、デュアインは顔を恐怖で引きつらせる。
「何をするんだ!」
「貴方の言う通り、私は人を殺す事などなんとも思わずに行えます。それは、D。貴方も例外ではありません。アレッサを妃に迎える気はありませんので、今すぐ死んでください」
デュアインは震える身体を無理矢理に抑えて、引き攣った笑みを浮かべてみせた。
「……良く言うよ。いつものあんたなら脅したりしないじゃないか。その暇で僕を殺していたはずだぞ。つまりは、まだ僕を殺すわけにはいかない。そうだろう? ニール・マクレイ君」
ニールはダークグリーンの瞳を細め、デュアインを見つめた。
「解っていない様ですね。一瞬で殺さず、延々と苦しませる行為すら、私にとっては何の躊躇もしないという事を」
デュアインが悲鳴を上げた。
ニールが細く長いニードルをゆっくりと腹部に差し込んだのだ。
「どうすれば一瞬で息の根を止めるかを熟知しているのですから、その逆も然りです。味わってみますか?」
ルーデンベルンのアーヴィングの元で、拷問役もやらされた。すっかりと手慣れているニールには、どれほどに他人が苦しもうが、何とも思わないのだ。
「止めろ!! 痛いっ!! 抜いてくれっ!!」
悲鳴を上げるデュアインを眉一つ動かさずに見据え、「ご自分で抜けば良いでしょう」と、パッと手を離した。
デュアインは床に崩れる様に膝を付き、あまりの激痛と恐怖に震えながら、自らの腹部を貫通しているニードルを見つめた。
そんなデュアインの傍らにニールは屈んで覗き込むと、いつもの笑みを浮かべた顔を向けた。
「ああ、気を付けて抜かないと、内臓を傷つけて死にますよ?」
そう言ってデュアインの手を取り、その手の平にもう一本のニードルをゆっくりと差し込んだ。悲鳴を上げるデュアインを押さえつけ、「シー。静かに」と、小さく言う。
「暴れては腱を傷つけて使い物にならなくなりますから、じっとしてください。おや、困りましたね、これでは片手で腹部のニードルを抜かねばなりません。慎重に頼みますよ」
「貴様、こんなことをしてただで済むとは思うなよ!! 陛下に報告するからなっ!!」
「ほう?」
ニールは仮面をつけたままのデュアインの頭を押さえつけ、ニードルの先を瞳に向けた。
「どうせシハイルは常に仮面をつけているのですから、目が片方無くなろうとも誰にも分かりはしませんね。つまり、『不要』です。不要な物は無くなっても、誰も何も困りません」
それは暗に、父であるドワイトの言いなりとなって行動をするデュアインを、ニールは『不要』であると判断したと言っているのだ。
デュアインは恐怖と痛みに震え、首を左右に振った。
「分かった!! あんたの言う事を聞く!! これ以上止めてくれっ!!」
デュアインが泣き崩れ、蹲った。ニールは鼻で笑うと、「無駄な手間を取らせるからそうなるのです」と悪態をついた。
「今後、父上の命令ではなく私の命令のみを聞く様にして頂ければ、これ以上の苦痛を味わう事もありません」
「だが、それでは、僕は陛下に消されてしまう!!」
「私の知った事ではありませんね」
さらりと冷たく言い放ち、ニールはくるりと踵を返すと、激痛に悶えるデュアインを部屋に残し、廊下へと出た。
廊下に控えていた王太子の護衛達は、シハイルの指示として予め払っておいた為、人の気配がまるでない。当然ながら、影武者であるデュアインには、医師を呼ぶ事など許されていないのだ。
ニールの耳に、身体に突き刺されたニードルを自ら引き抜くデュアインの苦痛の声が響いたが、彼はいつもの笑顔を顔に貼り付けたまま、背筋を伸ばして品良く廊下を歩いた。
窓から射し込む月明かりに脚を止め、ふと見上げる。
——静かな夜をやっと取り戻した気分だ。今日はミルドレットも、ゆっくりと眠っていることだろう。
そう考えて、グォドレイの憎たらしい顔を思い出し、キリリと口の中で歯を食いしばった。
——最も厄介なあの男を消すまでは、私にとっての静かな夜は訪れない。
自分の人生とは、デュアインの言う通り、機械仕掛けの人形の様にただ命令に従うのみの殺人マシンでしかなかった。この先は兄であるシハイルの身代わりとしての人生が待ち受けている。
だからこそ、唯一の光であるミルドレットだけは、誰にも渡さない……。
もはや彼女が不幸になろうとも構わない。自分と共に、等しく暗く深い穴に落ちて行くのだ。




