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お勉強は嫌いだよ

「謁見が却下された?」


 ニールの言葉に、ヒュリムトンの王に仕える執務官が澄ました顔で僅かに頭を下げた。


()()()()の話にございます」

「理由は何です?」


 食い下がるニールに、執務官は面倒そうに眉を寄せた。


「……陛下はどの王太子妃候補にも公平であろうとされているのです」

「他の候補者達とは個別での謁見をしたと伺いましたが?」

「ですから、公平性を考慮されたのです」


 ——ヒュリムトンの国王が、ルーデンベルンの第一王女アリテミラを王太子妃にと望んでいたということは公の事実だ。それ故に、第二王女ミルドレットといえど、王太子妃候補とはただの名目上で、今回の王太子妃選抜も、裏では出来レースとなっているのではという疑惑を持たせない為というわけか。

 と、ニールは僅かにため息をついた。


 これは、ミルドレットは随分と不利だ。恐らくこの先も事あるごとに王はミルドレットを拒み、望み通りアルテミラを迎える様に仕向けるに違いない。


「ニール、どうかしたの?」


 謁見用のドレスに身を包んだミルドレットが、使用人に連れられて現れた。


 純白のシンプルなラインのドレスは清楚で気品に満ち溢れ、高く結い上げた銀髪に飾られた白い花が良く似合う、どこから見ても可憐で美しい女性に仕上がっていた。

 思わず一瞬見惚れてしまった自分を誤魔化す様に視線を反らし、咳払いを一つついた後にミルドレットへと視線を戻した。


 王もミルドレットを見れば気にいるだろうにと、ニールは残念でならなかった。


「ミルドレット様。国王との謁見は中止となりました」

「へ?」


 あからさまにホッとして嬉しそうな表情を浮かべたミルドレットに、ニールはやれやれと肩を竦めた。


「やった。めんどくさいの無くなった。ラッキー!」

「安直な考えは感心しません。他の候補者達に遅れをとったと思わないのですか?」

「でもさぁ、ずっと馬車に揺られて来てケツも痛いし、めちゃんこ疲れてるし」

「言葉遣い!!」


 ニールに諭されて、ミルドレットは「はい!」と、思わず声を上げ、ピシリと身体を硬直させた。


「では、お伝えする事は以上です」


 執務官が会釈をして去って行き、それを横目で見送った後、ミルドレットは再びダラリと背筋をだらしなくさせてへらへらと笑った。折角の美しい装いが台無しだ。


「三週間後に王太子妃候補者のお披露目パーティーが催されます。それまでにどうにかにわか仕込みでも淑女に仕立て上げなければなりませんね」

「……まじ?」

「ええ。マジです」


 上手い事魔術でどうにかならないかな、と、ミルドレットが考えていると、ニールがニコニコといつも通りの笑顔のまま「誤魔化しは効きませんからね?」と釘を刺して来た。


「しっかりと気品を身に着けておかなければ、王太子妃に選ばれた後に困るのはミルドレット様なのですからね」

「うー、めんどくさい」

「講師は私が務めさせて頂きます」

「へ!?」

「そうでもなければ、魔術で逃れようとするのでは?」

「あんたに女性の指導ができるとは思えないけど……」


 下着を脱ごうとした時に、逃げる様に部屋から出て行ったくせに、と、ミルドレットは鼻で笑った。


「ほう? 私にコルセットを締めて貰いたいのですか?」


ニールの言葉にミルドレットはさっと青くなった。

 改めてニールを見つめると、踵の高い靴を履いているミルドレットよりも頭一つ分も背が高く、縛り上げられたミルドレットを軽々と運んだことと言い、相当な腕力を持っているに違いない。


「冗談! あばらが砕け散るまで締めそうだもん! 手加減しなそうだし!」


 大慌てで首を左右に振りながら全力拒否をしたミルドレットに、ニールは笑顔のままサラリと答えた。


「そうですか。それは残念ですね」

「あんたさ、あたしを殺したいの?」

「めっそうもございません。身の回りの世話は専属の侍女がつきますからご心配無く」

「それはそれでめんどくさいなぁ」

「さあ、善は急げです。一秒たりとも無駄にはできません」


 ニールはサッと手を差し出してミルドレットをエスコートすると、早速城の図書室へと向かった。


 扉の前に控えていた兵士達に通行証を見せ、大きな木製の扉を潜り抜けると、ドーム型の室内にずらりと本が並べられた、身の丈を優に超える書棚がいくつも立ち並び、それは二階部分にまで続き、手の届かない高所の本を取る為の梯子がいくつも設置されている様子に圧倒された。

 読書の為の木製のテーブルが中央に設置されており、管理人らしき数人の男が本を手に談笑している様子が伺い知れた。


「ルーデンベルンの図書室の十倍はありそう……」

「まさか。二十倍ですよ」


 ニールは木製のテーブルへとミルドレットを掛けさせると、「役立ちそうな本を持って来ます」と言って離れようとしたので、ミルドレットは思わずニールの服の裾を掴んだ。


「待って。あたしも一緒に行く。本は大好きなんだ」

「……そう言えば、そうでしたね」


 幼少の頃、悲しい物語を読んで泣きべそをかいていたミルドレットの様子を思い出し、ニールはふっと笑った。


「でも、なんでニールが講師なんか? 教育係くらいいくらでも居るんじゃないの?」

「元々王太子妃候補選抜などする予定ではありませんでしたし、ミルドレット様以外は皆淑女としての教養を既にお持ちの方々ばかりですから」


 ニールは本棚から次々に本を抜き取り、自らの手の上に重ねていった。


「悪かったね、教養が無くて」

「脱走犯ですから仕方無いですが」

「その言い方止めてくれる!?」

「王太子妃候補者は皆ミルドレット様と同じく他国の姫君ですから、教養があるのも当然なのですよ」

「え!? でも、あたしが選ばれなかったらお姉さまが嫁入りするんじゃないの?」


 素っ頓狂な声を上げたミルドレットに、ニールは頷いた。


「王はそのつもりでしょうが、他国もあわよくば大国ヒュリムトンの後ろ盾を得たいと躍起になっているのです。今回は正に千載一遇のチャンスと言えましょう」


 ニールの手からミルドレットは本を取った。


「持つよ。それ以上持ち切れないでしょ? 次はどっち?」

「……あちらです」


 普通の姫君ならば、自ら持つ物といえばナイフとフォークくらいのものだろう。淑女としての教養を身に着けさせる事で、ミルドレット本来の優しさが損なわれるのは寂しい気もするな、と、ニールは残念に思った。


「ニール様」


 図書室の管理人の男がニールに声を掛け、「あの者がお呼びです」と、図書室の入り口付近で頭を下げる使用人の女性を指した。

 ニールはミルドレットをテーブルで待たせ、一人で図書室の入り口へと向かうと、使用人の女性が申し訳なさそうに再び頭を下げた。

 年齢は三十代前半といったところで、背筋がピンと伸び、きびきびとした印象を受ける。


「申し訳ございません、お伺いしたい事がございまして。ですが、貴方様が適役か判断つかず」

「どういった内容ですか?」

「ミルドレット様の事です。ルーデンベルンから連れて来た従者が貴方様以外皆帰郷されてしまいましたので」


 ——ルーデンベルンの国王は、よっぽどミルドレットが気にいらないらしい。実の娘の嫁入りに専属侍女すらつけてやらないとは……。


 ニールは笑顔を崩さないまま頷くと、使用人の女性に「私が一任されております故、問題ございません」と答えた。


「ですが、その……」


 使用人の女性は尚も躊躇ったが、笑顔を向け続けるニールに少しだけ安心した様にゆっくりと話した。


「先ほど、私共はミルドレット様の入浴やお召し変えのお手伝いをさせて頂きました。その時に、その……」


 女性が言葉を止めた。唇が震えている。


「ミルドレット様のお背中と言うより……ドレスをお召しになっても見えない程度の所に、鞭を打った痕が」


 思いもよらない報告にニールは眉を顰めた。しかし、ミルドレットは随分なお転婆娘だった。木から落ちたりと怪我の一つや二つあっても不思議は無い。それが鞭打ちの痕に見えたのではと思い直した。

 ところが、女性の次の言葉でその考えは消し飛んだ。


「それも、一度や二度ではございません。古傷の様でしたから最近のものでは無いご様子でしたが、あの痕から想像しますに、何十回と執拗に打たれ、肉も切り刻まれ剥がれた痕すらございました。お小さい頃にそのような目に遭ったのだと思い、皆目を逸らしたい気持ちを押えながら、必死になって笑顔を作りお世話致しましたが。あれは一体、どういう事なのでしょうか……」


 ニールは思わず振り返り、テーブルに掛けて本を読んでいるミルドレットを見つめた。難しい顔をしながらパラパラとページを捲る様子からは、そんな壮絶な過去があったようにはとても思えない。


 ——一体、いつだ? ルーデンベルンの王城に居た時か、修道院に居た時か……。

 そう考えて、ニールは自分の愚かさを恥じた。

 どちらにせよ、ミルドレットが辛い目に遭った事に変わりは無いのだ。『脱走犯』だなどと言ってしまった事を申し訳なく思って唇を噛みしめる。あの明るい性格のままでいてくれた事が、彼女の努力と強さの結晶なのだろう。


 ニールは金の入った巾着を使用人の女性へと差し出した。


「申し訳ないのですが、これからもミルドレット様のお世話を頼めませんか? これを、先ほど世話をした者達で分け、他言無用でお願いしたいのですが」


 ヒュリムトンの国王に、ミルドレットの背に鞭打ちの痕があると知れたら、王太子妃として選ばれる確率が下がるどころか、すぐさまルーデンベルンへ返還されても不思議は無い。

 ミルドレット本人はそんな事を全く想像だにしなかったに違いない。それなのに、罪人だのキズモノだのとミルドレットが罵られる様子を想像して、ニールは背筋が凍り付く思いだった。

 それは、他人に対して全く興味を抱かないニールとしては意外な気分だった。まだ自分の中で人間らしい心が残っていたのかと、自嘲する。


「……受け取れません」


 使用人の女性が、手を隠す様に後ろへと持って行き、ニールが差し出した巾着を拒絶した。


 その瞬間、ニールは笑顔のまま考えた。


 ——ではこの女と、あの場に居た使用人全員の口を封じるしか無いな。

 私は一度見た顔を忘れはしない。彼女らの顔は皆鮮明に覚えている。他に言いふらされる前に始末しなくては……。


 ニールがそう考えた前で、女性は瞳に涙を浮かべた。


「ミルドレット様は、高貴な身分の方でありながら、お世話をする間私を気遣ってくださいました」

「……気遣う?」


ニールは眉を吊り上げて使用人の女性を見つめた。彼女は潤んだ瞳をニールに向け、温かい思い出にでも触れるかのように穏やかに話を続けた。


「はい。私は足を悪くしておりまして、それを隠して働いていたのです。この仕事を解雇されては子供を養えませんから。それを、ミルドレット様がお気づきになられて、魔法薬を調合してくださると。私の様な庶民では魔法薬は高価過ぎて手に入りません」

「魔法薬欲しさに口外しないと?」


 ニールの言葉に使用人の女性は腹を立てたのか、眉をキッと吊り上げた。


「私は今までそのような優しさを高貴な身分の方から頂いた事等ございません。それが普通でございましょう? ですから、出来る限りお仕えしたいのです。皆同じ気持ちです。ミルドレット様の様な方に王太子妃に、ゆくゆくはこの国の王妃様になって頂きたいと願うのは民としておかしい事でしょうか?」

「……つまり、自分をミルドレット様専属侍女頭に据えろというわけですか?」

「そこまでは申し上げません。ただ、私の名はエレンですとだけお伝えいたします」


 エレンは得意げに言うと、すっと頭を下げた。


 確かにエレンの言う通り、ミルドレットは王太子妃候補としてヒュリムトンに訪れたのだ。国の未来は自分達の生活に直結するのだから、使用人にとっては自分がお仕えしたいと思う者が、妃となることを望むのは当然だろう。

 ニールは久々に本当の笑顔を顔に浮かべた。


「解りました。エレン、ヒュリムトンの侍従長に許可を得ておきます」

「ありがとうございます」


 ——流石です、ミルドレット。ヒュリムトンに到着して一日と経っていないのに、もう人の心を捉えるとは。


 ニールは誇らしげに思いながら、図書室のテーブルで待つミルドレットの元へと戻った。


挿絵(By みてみん)

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