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王太子妃抜擢レースからの脱落者

「お師匠様が、ルルネイアの後見人になった!?」


 素っ頓狂な声を上げて、ミルドレットはサファイアの様な瞳をパチパチと瞬きした。ルルネイアはすまなそうにミルドレットに頭を下げると、「このような事になってしまい、ミルドレット姫にはどうお詫びしたら良いか……」と、溜息を洩らした。

 グォドレイはミルドレットの師であり、後見人だ。それを奪う形となってしまい、ルルネイアは申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだ。


 二人はミルドレットの部屋のソファへと腰を下ろしており、ニールは彼女達の様子を見守る様に窓の側に立っていた。


「お詫びって、どうして? 良かったじゃないか、ルルネイアは国から連れて来たシャペロンの叔母さんが居なくなっちゃったんだし、困ってたんでしょ?」


 ミルドレットは屈託のない笑みを浮かべてそう言った。彼女にとって、ルルネイアがライバルであるという認識が全く無いのだ。


「お師匠様ってテキトーな人だから。留守がちだし、役に立たなそうに見えるかもしれないけど、あれでいて結構頼りになるんだ」


ミルドレットのその言葉にルルネイアはキョトンとすると、くすくすと笑いだした。


「ミルドレット姫は、本当に純粋無垢で可愛らしい方ですね」

「へ? どうして?」

「私は王太子妃候補ですよ? 言わば、ライバルですのに、ニール様を貸して頂いたりと協力を惜しまないのは何故なのですか?」


 ミルドレットは不思議そうに小首を傾げると、窓の側に立つニールへと視線を向けた。


「ニール、あたし、また変な事言ってる?」


突然話を振られて、ニールは僅かに戸惑ったが、「ええ、まあ」と、小さく言って口を閉じた。

 ミルドレットは困った様に小首を傾げて唸り声を上げた。


「うーん、わかんないけどさぁ、誰かが困ったりしないのが一番なんじゃないのかな? あたしはルルネイアの事もアレッサの事も大好きだし、ライバルって言われてもいまいちピンと来ないんだよね。お師匠様がルルネイアの後見人になることで、あたしは何も困らないわけだしさ」


 そう言った後、キョロキョロと辺りを見回して眉を寄せた。


「で、そのルルネイアの後見人になったお師匠様はどこに行っちゃったのさ?」

「グォドレイ様は、お仕事があると仰って、謁見の後直ぐに姿を消してしまいました」

「ほら、やっぱり留守がちで役立たずじゃないか。もっといい後見人を探した方が良いんじゃ……?」


呆れた様に言ったミルドレットに、ルルネイアはニコリと微笑んだ。


「いいえ。私はこの王太子妃選抜から降りる事に致しました」


ルルネイアの言葉に、ミルドレットは「え……?」と、小さく口を開き、眉を寄せた。彼女は小さく頷くと、そっとミルドレットの手を両手で包み込むように握った。


「元々、私は大国ヒュリムトンとリッケンハイアンド王国との交易の橋渡しができれば良いと考えてこの国へと訪れたのですから、既に私の役目は終えたのです。少しでも国王陛下や王妃陛下との繋がりを強くしたかったのですが、今回の事で私に対する価値の低さを、身をもって味わいましたから」


 紫焔の魔導士グォドレイに比べれば、リッケンハイアンド王国の第三王女など取るに足りない。彼女は謁見の間でそう言われたも同然なのだ。これ以上しがみ付く行為は、ルルネイアのプライドが赦さない上、そうまでして得るものは汚名でしかない。

 潔く身を退いた方が得策と考えるのは当然だろう。


「感謝祭はおろか、ヒュリムトン国王陛下の生誕祭前に脱落する形となり悔しくはありますが、私のプライドとして即刻身を退く事に致します」


ミルドレットのサファイアの様な瞳がみるみると潤んで来たかと思うと、大粒の涙が彼女の頬を伝った。


「そんな、折角友達になれたのに……」


ぐすぐすと泣き出すミルドレットを見て、ルルネイアは困った様に眉を下げたが、彼女の瞳からも宝石の様な涙が一粒零れ、つっと頬を伝った。


「あら? ミルドレット姫の泣き上戸が、私にも移ってしまったようですわ」

「もう会えない訳じゃないんだよね? あたし、ルルネイアのところに遊びに行ってもいいかな?」


 ルルネイアは、王族として形式ばった別れの挨拶を何度もしてきたが、こうして心から親身になって別れを惜しまれるのは初めてだった。ミルドレットのただただ純粋な情の深さが、心の壁にゆっくりと染みて広がっていく様な感覚を覚えた。


——ミルドレットの様な人が大国の国母となれば、どんな国となるだろうか……。ただ、それには彼女の味方となって支える者が必ず必要となる。国母になるにはあまりにも純粋過ぎるわ。


 だからこそ……。


「私は、ヒュリムトンの貴族の元へと嫁ぐ事となります。ですが、いつでもミルドレット姫の味方であることを忘れないでください。貴方の剣となる為に、いつでも駆け付けます」


 ルルネイアはミルドレットの前で跪き、忠誠を誓う騎士の様に頭を垂れた。


「どうか、ミルドレット姫が王太子妃に選ばれる事を祈っております」

「え!? 顔を上げてよルルネイア! そういうのは何だか……」


戸惑うミルドレットに、ニールは笑顔のまま「ミルドレット様」と、言葉を放った。


「剣の国と言われるリッケンハイアンド王国の姫君が、こうして忠誠を誓っているのです。それに応えぬは溥儀でしょう」


ミルドレットは困惑しながらサファイアの様な瞳をルルネイアへと向けた。ミルドレットの言葉を待ちわびるかのように微動だにしないルルネイアの姿に、観念したかのように小さくため息をつく。


「……分かったよ、ルルネイア。あたし、ルルネイアの期待に応えられる様に精一杯頑張る」

「期待していますよ。お困りの時は、いつでもお側に」


二人のやり取りを見つめながら、ニールは心の中で感嘆の声を上げた。


——血の一滴も流さず強力な力を手に入れるとは。人を虜にするのはミルドレットの才能というべきか、ある種の脅威となるだろう。とはいえ、こうなれば彼女が王太子妃として選出された暁には、リッケンハイアンド王国の援助も期待できるだろう。


 ニールの考えなど知る由もなく、ミルドレットはルルネイアの手を取ると、「それで……」と、言いづらそうに言葉を放った。


「ルルネイアの結婚相手って、どうなるの?」

「既に候補は上がっていたのですが、ニール様がお口添え頂いた様なのです」


 ニールはいつもの笑顔のまま頷くと、コホンと咳払いをした。


——わざわざミルドレットに言う事では無いだろう。面倒な女だ。


「ルルネイア様は、マクレイ公爵家の嫡男へと嫁ぐ事となります」


 『嫡男?』と、ミルドレットは首を傾げ、「ニールって、次男だったの?」と、声を発した。

 ニールが名乗っているマクレイは、母である王妃の実家の家名だ。マクレイ家はニールの伯父が継ぎ、その嫡男である従弟の元へとルルネイアが嫁ぐ事になる為、その辺りをミルドレットに説明する訳にはいかない。


——もとはと言えば、グォドレイが余計な事を言うからだ……。

 と、ニールは心の中でグォドレイをめった刺しにした。


 それというのも、ヒュリムトン国王との謁見の時、ルルネイアが王太子妃候補から降りると宣言した後、グォドレイが嘲笑うかのようにニールを見つめたのだ。


「お前さんは、何もしてやらねぇのか? 俺様はミリーの為なら自分だって売る覚悟なんだぜ? 薄っぺらい愛情だなぁ? ニコニコ仮面よぉ」


 前もって嫁ぎ先として選ばれていた貴族のリストは、どれもあからさまにドワイトが良いように利用できる家門の者ばかりだった。年齢も身分もルルネイアとは全く以て釣り合わず、彼女が幸せになれるとはとてもではないが思えない。


 そうなれば、恐らくミルドレットは哀しみ、泣くだろう。グォドレイはそれを防ぐ為、敢えて後見人として名乗り出たのだ。紫焔の魔導士グォドレイが後見人となれば、ルルネイアの嫁ぎ先の家門が潤う事が目に見えている。多少王族との摩擦が生じようとも、ルルネイアを娶りたいと考える貴族は多いはずだ。


——マクレイ家も然り……。


 ニールはグォドレイにしてやられた不満を覚えながらも、重い足取りで王妃である母の元へと向かった。母は二つ返事でマクレイ家の嫡男へとルルネイアを嫁がせる事と決めたのだ。

 もしかすると、そんなところまでもヒュリムトン国王ドワイトの思惑通りなのかもしれないが……。


 ニールはコホンと咳払いをすると、ミルドレットから視線を外し、サラサラと当たり障りの無い説明を始めた。


「マクレイ家の嫡男は、とにかく堅物で奥手な男です。ヒュリムトンの貴族は一夫多妻制ですが、齢三十にもなるというのに未だに独り身ですから、ルルネイア様に嫁いで頂くことは、マクレイ家にとって願っても無い縁談と言えるでしょう」

「ニールに似てるの?」


ミルドレットの突っ込みに、ニールは戸惑った。マクレイ家の者と面識が無いからだ。ここは嘘をつく必要が無いと判断し、コホンと咳払いをした。


「さて? 私はルーデンベルンに永く在籍していた為、顔を覚えてもおりません。とはいえ、堅物な男との噂ですから、笑みを浮かべる事のない私のようなものではないでしょうか」


——笑わないニール!? めちゃくちゃ怖くない!?

 ミルドレットはアレッサに癒されて飛び起きたニールを思い出し、さぁっと青ざめた。


 あれは本当に怖かった……。


「ミルドレット様、何か?」


青ざめたミルドレットに、ニールは不思議そうに小首を傾げた。


「え!? あ、いや……想像できないなぁって!」


誤魔化す様に上ずった声を発するミルドレットから視線を外すと、ニールはルルネイアを見つめた。


「ルルネイア様。ヒュリムトン国王の生誕祭には顔を会わせる事が出来る様、手配しています故、暫しお待ちください」

「まあ、手配だなどと」


ルルネイアはくすくすと笑うと、深緑色の瞳を細めてニールを見つめた。


「ニール様、感謝していますわ。そのような祝いの場で、一生を添い遂げる殿方と出会う事ができるのですもの」

「そっか、良かったね、ルルネイア! でも、怖い人じゃないといいけど……」

「ご心配には及びませんわ。腕っぷしには自信がありますもの。私の方が怖いくらいではないかしら?」

「そっか! そうかもね!」


 嬉しそうなルルネイアを見つめ、ミルドレットもニッコリと微笑んだ。その笑顔といったら弾けるような笑顔で、まるで天使が微笑んだかのように神々しく美しいとニールは思った。


「では、ミルドレット姫。あまりお時間を取っては申し訳ないですから、私は失礼致しますわ」


 ルルネイアはそう言うと席を立ち、部屋の扉の前で振り返ると、深々と頭を下げた。


「ミルドレット姫には、本当に感謝してもしきれません」

「あたし、何もしてないよ。でも、遊びに行くね!」


ルルネイアは「はい。お待ちしておりますわ」と、微笑んで言うと、部屋を後にした。


「……いいなぁ、ルルネイア」


ルルネイアが去った後、ポツリと言ったミルドレットの言葉に、ニールは瞬時に反応し、「何がですか?」と突っ込みを入れた。


「だって、結婚相手が決まったんでしょ? シハイル王太子殿下はアレッサの事がお気に入りみたいだし。そしたらあたしは誰と結婚するんだろう」


 その言葉を聞き、ニールはドキリとした。

——しまった。ルルネイアの事で気を取られ、『D』の事をすっかりと忘れていた!!


「応援するって言ってくれたのに、殿下は心変わりしちゃったのかな」

「……シハイル王太子殿下は、ミルドレット様を一番気に入っていると思いますが」

「でも、あたしとはデートしてくれないし。王城の案内もしてくれなかったし、嫌われてるのかも」

「そ、そんなことは無いと思いますが……!」


だらだらと背に汗を掻きながらニールが言うと、ミルドレットは「わかんない」と、首を左右に振った。


「だって、今もアレッサとデートしてるし」

「えっ!?」


——あの野郎!!


「いえ、ですが! 殿下はミルドレット様一筋です。アレッサ様とのデートは何か事情があるのでしょう」

「別にいいよ。あたし、ちょっと殿下の事よく分かんないし、なんだか苦手だし」


——だって、突然あんなキスしたんだもん。ちょっと怖かった。流石にこんなこと、ニールには言えないけど……。

 ミルドレットはいじけた様に唇を尖らせた。


 ニールは頭の上に大きな石がガツンと落ちて来たかのような衝撃を感じ、呆然としながらミルドレットを見つめた。

——苦手って言われた……。


「ねぇ、ニール。あたしさ、よくわかんない貴族の誰かのところにお嫁に行く事になったら、きっと逃げだすと思うんだ。そしたら、ニールはあたしを追って来るの……?」


——お父様の命令で、あたしを『殺し』に……。


 ニールの脳裏に、必死に逃げようとするミルドレットの姿が浮かぶ。そしてその手をしっかりとつかみ、無理やりにでも我が身の側へと引き寄せる自分の姿がだ。


「……はい。どこまでも追いかけます。決して、貴方は私から逃れる事などできません」


——ミルドレットが王太子妃に選ばれない事など決して無い。いざとなれば、邪魔者はすべて私が排除すれば良いのだから。グォドレイにもくれてやるものか。


 彼女は誰にも渡さない。私のものなのだから……。


「そっか……」


 ミルドレットはソファから立ち上がると、窓の側に立つニールの側に行き、ぎゅっと抱き着いた。

——好きな人に殺されるなら、悪くない。それに、ニールなら痛みを極力少なくして殺してくれるに違いない。


「あたし、ニールで良かったなぁ……」


——え!? 何が!? どういう意味ですか!?

 ニールが突っ込みを入れようとミルドレットを見下ろすと、彼女は微睡む様にうつらうつらとしながら、瞳を閉じていた。


 昨夜は瀕死のニールを看病し、一睡もできなかったのだ。彼女の疲労が限界となるのも無理は無い。


 ニールはミルドレットを軽々と抱き上げると、ベッドへと運んだ。白銀の甲冑を身に着けるのを止めた為、ミルドレットの温もりがよく伝わる。


——堪らなく愛しい……。暗殺者の私に、このように想われていると知れば、彼女は恐ろしく思うだろう……。


 そっとベッドへと愛しい彼女を寝かせると、銀髪を掻き分けて美しい寝顔を見つめた。ミルドレットの柔らかい唇の感触を思い出し、もう一度口づけをしたいという欲求に駆られたが、ニールの姿では決して赦されない行為であると自分を戒めてその場を去った。

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