愛情の量り
謁見の間へと向かい、ヒュリムトン国王ドワイトの前で優雅に品良く頭を垂れると、ルルネイアは「ご報告申し上げます、陛下」と、良く通る声を放った。
ドワイトは足を組んで玉座に座り、見るからに傲慢な態度でルルネイアの話に耳を傾けていた。謁見の間には数十名の騎士が居るだけで、宰相などの士官の姿が無く、ニールはふと眉を寄せた。グォドレイもまたそれに気づいた様ではあったものの、飄々とした態度を変える事無く、壇上のドワイトを見つめていた。
ルルネイアからの報告をつまらなそうに聞き終えた後、ドワイトは顎で騎士達に指示を出した。騎士達は突如ルルネイアに向けて剣先をつきつけ、まるで罪人の様に彼女を取り囲んだ。
「一体、これはどういうことでしょう。私はリッケンハイアンド王国の第三王女です。このような扱いを受ける謂れはございません!」
抗議するルルネイアに、ドワイトは僅かに身を乗り出した。ルルネイアを舐めるように見つめ、フンとバカにした様に鼻を鳴らした。
「王太子妃候補である姫君が、男と二人きりで夜を共にしたと余には聞こえたが?」
ヒヤリと冷たい何かがルルネイアの身体を通り抜けた様な感覚に陥り、彼女は必死になって反論を試みた。
「ですが、それは!!」
「王太子妃候補としての条件が破られていないか検める必要があろう?」
有無を言わさぬと言った態でドワイトはルルネイアの言葉を打ち消すと、小ばかにした様に鼻を鳴らした。
「さて、当然ながら我が国には女性の医師が居らぬ。ともなれば、検めようにもそなたの身は王族以外の男の目に晒される事になろうな」
ドワイトはそう言って、ニールとグォドレイへと視線を向けた。
二人はドワイトへと視線を返したまま、言葉を発する事をせずに押し黙っていた。ルルネイアを庇えば、庇った方がリスクを負う事になる。
——汚い男だ。
と、ニールは頭の中で考えていた。
父上は、私とグォドレイがルルネイアを庇うかどうかを試しているのだ。一体何が目的だ? 私に人としての感情が残っているのかを見て楽しみたいのか……? 生憎だが、私にとってルルネイアはどうでもいい存在だ。寧ろ、消えて貰った方が好都合だ。
——楽しんでやがる。
と、グォドレイはドワイトを見つめながらそう思った。
ミリーの為なら、俺様が何でもすると思っているんだろう。ルルネイアが酷い目に遭えば、ばかみてぇにお人好しのミリーは悲しむからな。
……ああ、悲しむだろう。あいつはそういう奴だ。落ち込んで、慰めようにも泣きじゃくって聞く耳持たなくなっちまう程に悲しむ。痛みを知っている人間ってのは、他人の痛みまで自分の事の様に思っちまうんだから、困ったもんだ。
グォドレイは深いため息を吐いた後、ジロリとアメジストの様な瞳でドワイトを見つめた。
「おかしな話だな。契約の魔術を結んでいるなら、わざわざ医者を使って検める必要が無いはずじゃねぇか」
ドワイトはすぐさま「無論だとも」と声高らかに返した。
「だが紫焔の魔導士と謳われるグォドレイ殿ならば、その『契約の魔術』も容易に解除することも、改変することも可能なのではないかな?」
——成程、容易とはいかねぇが、尤もだ。
グォドレイは心の中で舌打ちしながら、何食わぬ顔でドワイトを見つめた。恐らくミルドレットへの契約の魔術解除に対して、ドワイトは疑っているのだろう。
そして、それよりもなによりも、ドワイトの思惑は……。
「やれやれ。お前さん、そんなに『俺様が欲しい』のか?」
リッケンハイアンド王国の王族が持つ力、騎士達の能力を最大限に引き出す魔術。それに比べ、魔物達を瞬時に殲滅したグォドレイの魔術は比にすらならない程に強力で、リッケンハイアンド王国と敵対してでも手に入れたいと望むのは、野心を持つ一国の王としては当然の事なのだろう。
ドワイトは小さくため息を洩らしてグォドレイを見つめた。その瞳は穏やかそうに見えて、野心の炎が燃え上がっているとグォドレイには感じた。
「紫焔の魔導士グォドレイ殿。普段は人の世に干渉せぬ存在のその方が、こうして軽々しくも姿を現した事で舞い込んだ疑念だ。自らが責を取るのが道理ではないか?」
ドワイトの言葉にグォドレイはへっと小ばかにした様に笑った。
「都合が良い時は金を使って俺様を雇っておいて、偉そうな事言ってんじゃねぇぞ、ドワイト」
「それはあくまでも金という『契約』の上での事。今我が国は、王太子妃を決める大事な岐路に直面している。そこへその方が乱入してくるのは、人間の道理にも魔導士の道理にも反する行為ではないのか?」
二人のやり取りを聞きながら、ニールは改めてドワイトの狡猾さを思い知った。使える者ならばなんでも利用する強かさは、王族らしからぬとはいえ、そうまでしてでもグォドレイを手に入れたいのだろう。
明らかにグォドレイにはそれだけの価値がある。
とはいえ、どうせこれは茶番だ。ドワイトとグォドレイは何かしらの密約を立てているに違いないのだ。
ニールはそう考えて、押し黙ったままいつもの笑顔を崩す事無く静観していた。
グォドレイはため息を吐くと、「横暴にも程があるな、めんどくせぇ」と肩を竦めながら言った。その言葉にドワイトがピクリと眉を動かし、面白いものを見るような目でグォドレイを見下ろした。
「俺様としては、お前らのやることに興味なんざねぇ。リッケンハイアンドのお姫さんがどうなろうと関係もねぇさ。ま、胸糞悪い事は確かだけどな」
そう前置きをした後、グォドレイは「だがな」と、言葉を続けた。
「人間の国王風情が、俺様をコケにして無事でいられると思ってやがる事が何より腹立たしい。ドワイト、何か勘違いしてねぇか? 確かにお前さんは金払いの良い上客だったが、ただそれだけの関係だ」
グォドレイの話を聞き、ニールはすぅっと首を動かして、隣に立つ紫色の髪の男を見つめた。
——何をする気だ、グォドレイ。父上を殺す気ならば、私も黙ってはいない。ミルドレットを我が妃にするには、このヒュリムトンが消えて貰っては困る。
自分の後方で繰り広げられているやり取りに成す術もなく、ルルネイアは唇を噛みしめて俯いた。ドワイトは唇の端を持ち上げて笑みを浮かべ、動きを見せるグォドレイと、殺気を放つニールの様子を楽しそうに見下ろした。
「紫焔の魔導士グォドレイよ」
ドワイトは上機嫌な声色でグォドレイの名を呼ぶと、ニールと同じダークグリーンの瞳をグォドレイへと向けた。
「そう怒りを露わにするものではない。貴様の大事なミルドレット姫は余の手の内にあるのだからな」
『貴様の弱点はとっくに気づいている。鞭打ちの痕がある姫君の背を、公然の前で晒されたく無ければ、大人しく従うことだ』
ドワイトの意を読み取って、グォドレイはチラリとルルネイアの背を見つめた。はちみつのような艶やかな金髪が零れ、項垂れた項は白く透き通る様な美しい肌が覗いている。彼女の背には、当然ながらミルドレットの様な痛ましい痕は一つも無く、滑らかで美しい背なのだろう。
——ミリーは、他人に対して嫌悪感を抱く事ができない。ただただ純粋で、世の中に悪意なんざ存在しないと思っている赤子の様な心を持っている。だからこそ、脆く傷つき易い。この先もしもこのヒュリムトンで生きていく事になるのならば、誰かが傷つくような場所という認識を持たせる訳には行かない……。
もう、あの掘っ立て小屋での童話のような生活は終わったんだ。
グォドレイは「ああ、そうだな」と言って頷き、ゆっくりと歩を進めた。ルルネイアに剣先をつきつける騎士達の前へと赴くと、彼女を庇うように背筋を伸ばして立った。
「良いだろう。俺様がリッケンハイアンドのお姫さんの後見人になってやる」
ルルネイアが「グォドレイ様……」と、小さく声を発し、グォドレイは片手を上げて任せておけと言わんばかりに小さく頷いた。
「ミリーから、リッケンハイアンドのお姫さんの事を宜しく頼むと言われている。お前さんを泣かせる訳にはいかねぇ。なに、悪いようにはしねぇさ」
ニールはその様子を不愉快な思いで見つめていた。
——紫焔の魔導士グォドレイ。ミルドレットの為にそこまでするのか……? ルルネイアが傷つくことで涙を流すミルドレットを見たく無い。ただそれだけの理由で……?
「おい、ニコニコ仮面。俺様の愛情の深さが分かったか?」
グォドレイはドワイトを睨みつけたままニールへと声を発した。
「お前ぇさんの押しつけがましい狂気の愛情は、あいつを傷つけるだけなんだぜ?」
ニールはチラリとドワイトへと視線を向けた。彼もまたニールへと視線を向けており、ニールは何やらドワイトとグォドレイの二人に説教でも受けている気分になり、沸々と沸き起こる殺意を止める為、いつもの笑顔を顔面に貼り付けながらも、口の中で僅かに歯を食いしばった。




