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お帰りなさい愛しい人

「ニール!!」


 ヴィンセントに連れられて王城へと戻ったニールに、ミルドレットが駆けて抱き着こうとした。ニールはさっとそれを手で制すると、「おやめください」といつもの調子で言った。


 ミルドレットはムッとしながらも、畳みかける様に言葉を放った。


「正気に戻った? 怪我は大丈夫なの!? それと……お師匠様は!? お師匠様は何処に行ったの!?」


 半泣きしているミルドレットを見つめながら、ニールは笑顔のまま口を閉ざした。


——グォドレイを仕損じたとは言えないな……。


 顔を背けたニールの横で、ヴィンセントが静かに説明をした。


「グォドレイ殿ならば、怪我を負っていたので私が治療した。完全には癒えていないので王城へ戻る様に伝えたのだが、仕事があると言ってすぐに出かけてしまった」


 ヴィンセントのその言葉を聞き、ミルドレットは愕然とした。


「……お師匠様が怪我!? 一体どうして?」


——お師匠様と暮らしていて、怪我をした姿なんて一度も見た事が無いのに……。

 ミルドレットはそう考えて、グォドレイが不老不死であると勝手に思っていた自分の考えの間違いに、今更ながらに気づいた。


——お師匠様だって怪我もするし、死ぬんだ……。勝手に無敵なんだと思ってたけど、あたし、どうしてそんな大事な事忘れてたんだろ……。


 視線を落としたミルドレットの様子に、ヴィンセントは少し迷ったが正確に伝えた方が良いだろうと判断し、自分の見た状況を伝える事にした。


「ニール殿が投げ放ったスローイングナイフが、グォドレイ殿の肩に刺さったのだ」


 ミルドレットはサァっと顔を青くした。


——今までどんなにか過酷な依頼が来ようと、いつもの飄々とした態度で軽くこなしてきたお師匠様が、傷を負った……?

 身体に傷を負うということは、心にだって傷を負うということだ。その逆もそうだって、散々教えられてきたのに! あたしが、ニールを庇った時、ひょっとしてお師匠様は心を……。


 きっと、本調子じゃなかったんだ。あたしが、お師匠様の心を傷つけちゃったから。酷い事言って、大切な御師匠様を傷つけちゃったから……!


「でも……そんな、それでも一体どうして? ニールがお師匠様を傷つける理由なんて無いはずなのに……」


 ミルドレットがニールへとサファイアの様な瞳を向け、僅かに強張った表情を浮かべた。


——ニール……あんたはお師匠様が言った通り、化け物なの……?


 ニールはミルドレットのその視線に気づいたものの、いつもの笑みを浮かべた表情を崩す事なく無言で見つめ返した。


——ミルドレットは今、私を恐れた……。成程。紫焔の魔導士グォドレイはそれを計算し、わざと私のナイフをその身に受けてヴィンセントに見せたという訳か。小賢しい男だ。なんとしてもミルドレットを私から遠ざける気か。

 だが、残念だったな。私はミルドレットに嫌われ様とも構わない。そういう役目なのだから。


 そう考えて、ニールはズキリと心が痛んだ事を不思議に思った。眉を寄せ、何気なく胸に触れる。グォドレイとの対戦での傷がまだ癒えていないせいだろうかと小首を傾げた。


「ニール様。ご無事で何よりです。心配致しました」


 ルルネイアとアレッサが駆け付けると、ミルドレットは数歩下がり、ニールの側から離れた。


 ニールは表情を崩すことなくいつも通りの声の調子で「ご心配をお掛けして申し訳ございません」と二人に返した。


「ルルネイア様、魔物討伐を途中で放棄してしまい申し訳ございませんでした」

「グォドレイ様が代わりに全てを討伐してくださいました。派遣された騎士達も王城へと戻っているところです。それよりもお身体は大丈夫なのですか? アレッサ姫から瀕死であったと聞き、驚きました」

「おかげ様で何の支障もありません。アレッサ様、世話をかけてしまった様で……」


 ミルドレットはゆっくりと踵を返すと、自室へと戻って行った。

 ニールはミルドレットに視線を向けず、ルルネイアやアレッサと会話を続けていた。


 ヒュリムトン国王ドワイトにつけられた監視役の騎士の視線に晒されながら、ゆっくりと廊下を歩く。震える手で自室の扉を開けて部屋へと戻ると、エレンがお茶の用意をして待っていてくれた。

 その様子を見てミルドレットは僅かにホッとし、サファイアの様な瞳からポロリと涙を零した。


「ミルドレット様? 一体どうなさったのですか、涙なんか零して。ニール様はご無事だったのでございましょう?」

「エレン……どうしよう、あたし、お師匠様に酷い事を言っちゃったんだ」


 そう言った後、ミルドレットは無理やりに笑おうとして顔を強張らせた。


「ごめんね、王太子妃候補なのにこんなに情けなくてみっともなくて……」


 笑顔を浮かべる事が出来ず、ぐすぐすと泣き出すミルドレットを宥めながら、エレンはソファへと座らせた。ハンカチを渡し、優しくミルドレットの手を取った。


「このエレンに吐き出しておしまいなさいな。溜め込んでいては心が疲れてしまいます」

「お師匠様は、あたしに生きる術を教えてくれた人なんだ。それなのに、あたし……!!」


『お師匠様なんか、大嫌いだっ!』

『あたしの大切な人を奪ったっ!! 酷い……。あんたはお父様よりもずっと酷いっ!!』

『あたしの大切な人を殺そうとするお師匠様なんか、大嫌いだっ!!』


「あんなこと、言うつもりじゃなかったのに。どうしてあんなこと言っちゃったんだろ。なんだか勝手にお師匠様の事を傷もつかない無敵な人なんだと思っちゃってた。でもあたし、お師匠様の事だって大事なのに。それなのにあんな酷い事……!! こんな嫌な人間にいつの間になっちゃったんだろ。人を傷つけるような言葉を吐く人になっちゃうなんて、そんなの嫌だっ」


 あの言葉を放った時、グォドレイは僅かに眉を寄せ、傷ついた表情を浮かべていた。ミルドレットの脳裏にその顔が焼き付いて離れない。


——あたしの醜い心が、お師匠様を傷つけたんだ……。


 エレンは頷きながら話しを聞き、優しくミルドレットの肩を撫でた。


「大好きで、安心して心を赦せる相手だからこそ甘えてしまうものでしょう。子が親に遠慮なく逆らえるのも、愛情を信じているからです。ミルドレット様もグォドレイ様の愛情を信じているからこそ、そうして安心して甘える事ができたのですよ。ご自分を嫌う必要などございません。ただし、反省は大切なことです。心を込めて謝罪すれば、きっと赦してくださいますとも」


「けど、お師匠様はきっと、もう二度とあたしと会いたくなんか無いよ。あんな酷い事を言っちゃったんだもの、嫌いになったに決まってる!」


 わぁっと声を上げて泣くミルドレットを宥めようとしたエレンの目に、深い紫色の髪がさらりと揺れる様子が見えた。


 彼が人差し指を唇に押し当てる仕草にエレンは頷き、ミルドレットの肩を優しく叩いた後に静かに部屋から出て行った。


 ミルドレットはエレンにも見捨てられたのだと思い、しくしくと声を上げて泣いた。

 もう二度と、グォドレイは自分と顔を合わそうとはしないだろうと、考えただけでも寂しさが押し寄せて涙が溢れる。


「あたしみたいな嫌な奴なんか、皆嫌いに決まってるよ……」

「俺様は愛してるけどな」


 グォドレイの声が聞こえ、ミルドレットは驚いて顔を上げた。


「……お師匠様?」

「よぉ、ミリー。なんだよ、鼻水ぶったらして汚ぇなぁ」


 アメジストの様な瞳を細め、グォドレイはきりりとした眉を下げてふっと笑った。耳にぶらさげた大きな宝玉のついたピアスが、シャラリと音を発する。


「折角綺麗にして貰ってんのに台無しじゃねぇか。やっぱりおめぇはちんちくりんが似合ってるぜ? 俺様のハンカチ使うか? さっき鼻かんで使用済みだけどな」

「お師匠様、あたし、お師匠様に酷い事言ったのに! それなのに来てくれたの?」


「ああ、言われたなぁ」


 グォドレイは拳で軽く自分の胸を叩き、「ちょいとばかし傷ついた」と、微笑んだ。


「ごめんなさい……」


 ボロボロと瞳から涙を零し、子供の様に泣くミルドレットの頭をグォドレイは優しく撫でた。


「あたし、いつの間にかこんなに嫌な奴になっちゃってた。ごめんなさい、お師匠様。勝手にお師匠様は不老不死で無敵で、何をしても傷つかないんだって思い込んでた」


 グォドレイはフハッ! と笑うと、肩を竦めた。


「そいつは、子供が親の事をそう思うのと一緒じゃねぇか。俺様はお前さんの親なんかじゃねぇぜ?」

「うん。でも違うって分かった。お師匠様はいつだってあたしの側に居てくれるんだって思ってたけど、そうじゃないって分かった。そう考えるとあたし、凄く寂しい。離れて行って欲しくないよ。ずっと側に居て欲しいって思うから」


「ずっと側に、か」


 アメジストの様な優しい瞳で見つめるグォドレイを、潤んだサファイアの様な瞳で見つめ返して、ミルドレットは不安気に口を開いた。


「お師匠様。あたしの事、本当に嫌いになってないの?」


 グォドレイはミルドレットの頬に指先を優しく滑らせて、顎持ち上げた。


「嫌いになんかなるはずねぇよ」


 そう言ったグォドレイの瞳は、傷ついた心を抱えたままに見えた。ミルドレットに『大嫌い!!』と言われた心の傷は、そう簡単に癒えるはずがない。

 それほどに、ミルドレットを愛して止まないのだから。


「なあ、ミリー。親じゃなく、一人の男として俺様をやっと見れるようになった。そいつは喜ばしいことなんだぜ? 俺はお前がどんなにか醜くくたって構わねぇ。俺をどれほどに傷つけたって構やしねぇ。全部受け止めてやる。それだけの器はあるつもりだ」


——俺に恋しろとは言わない。ただ、お前が老いて死ぬその時まで側に居て欲しい。それだけだ。


 ミルドレットはグォドレイの服にしがみ付く様に握りしめた。仄かに香る煙管の匂いが心を落ち着かせていく。


——誰からも必要無いと捨てられたあたしというゴミを、お師匠様だけが拾ってくれた。


「本当にごめんなさい。あたしを拾ってくれたお師匠様に後悔させるような事をしちゃって。拾って貰ったあの瞬間から、あたしはお師匠様のものなのに」

「お前は誰の物でもねぇよ」


 グォドレイは小さくため息を吐いた。


「王太子妃候補に囚われるこたぁねぇ。お前のクソ親父にもな。ミリーはミリーのものだ。勿論、俺に囚われる必要だって無ぇ。お前が何をしようと、誰を想っていようと、俺はずっとお前の味方だ」

「お師匠様に酷い事を言ったのに、赦してくれるの?」


「言っただろ? 全部受け止めてやるって」


 ミルドレットの泣きじゃくった顔をアメジストの様な瞳で見つめ、グォドレイは瞼にやきつけるかのようにゆっくりと瞬きをした。

 長い睫毛が揺れる。


「涙でぐちゃぐちゃの顔だって、その零れ落ちる涙だって愛しくて堪らねぇってのに、嫌いになれるはずなんかねぇよ」


 ミルドレットの頬を惜しみなく零れ落ちる涙に、グォドレイは口づけした。彼女の全てが愛しくて堪らないのだ。発する声も、仕草も、零れ落ちる涙でさえ……。


「お師匠様……」


 安心したように瞳を閉じたミルドレットの様子に、狂おしい程に込み上げた愛しさに耐えかねて、グォドレイはアメジストの様な瞳を細めた。


 桜色の唇を見つめ、彼女を手に入れたいと願う気持ちが抑えきれなくなり、静かに問いかけた。


「……ミリー、キスしてもいいか? お前の嫌がる事を無理強いする気なんかねぇが」


 僅かに頷いたミルドレットを見て、グォドレイは喜びで満ち溢れた。


——俺を傷つけた罪悪感から受け入れてくれているのだとしても、求めずになんかいられねぇ。


「愛してるぜ、ミリー。この胸に溢れちまいそうな気持ちを伝えられる言葉にしちゃ、嫌に陳腐だが。永く生きてるくせに、情けないがこれ以外の言葉を知らねぇんだ」


 頬に触れた指を優しく撫でて、グォドレイは再び言葉を発した。


「お前を、愛してる」


 受け入れる様に瞳を閉じているミルドレットの唇に、グォドレイは自らの唇を近づけた。

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