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ミルドレットの従順な下僕達

 バン!! と、けたたましい音を立てて扉が開け放たれて、ニールが室内へと足を踏み入れると、今まさにミルドレットと口づけするすんでのグォドレイに向かって怒鳴りつけた。


「貴様、性懲りもなく王城に忍び込むとは!!」


グォドレイはパッと両手を上げてミルドレットから離れると、苦笑いを浮かべた。


「お前さー、もうちょっとだけ待てねぇの? あとちょっとでむちゅうっと……」


——待って堪るか!!


「紫焔の魔導士グォドレイ! 私は貴方を客人とは認めません。即刻退去頂きたい!!」


ミルドレットは困惑した顔を浮かべてニールを見つめた後、グォドレイを見上げた。グォドレイはやれやれと肩を竦めると、何食わぬ顔をしてゆっくりと歩を進め、ソファの上にどっかりと腰を下ろした。


「なんとふてぶてしい男ですかっ!!」


いきり立つニールの前で、グォドレイは広い袖口から煙管を取り出し、炎を灯した。


「なんで俺様が一介の護衛騎士如きに指図されなきゃならねーんだ? お前、自分の立場忘れてねぇか?」


 ぷかぷかと煙管をふかし、グォドレイがふぅっと煙を吐いた。


「……!」


 しんと間が空き、ニールは笑みを浮かべたままその背にだらだらと汗を垂らした。


——しまった。私は今、ミルドレット付きの護衛騎士ニール・マクレイだ。それだというのに、グォドレイの言う通りヒュリムトン王太子としての振る舞いをしてしまった……。


 ミルドレットとグォドレイがキスせんという瞬間を見て、冷酷なまでに冷静沈着なニールが動揺してしまったのだ。


 ミルドレットはグォドレイの言った意味が分からず小首を傾げた。


「お師匠様。ニールは一応ヒュリムトンの貴族らしいよ?」


ミルドレットのフォローに、グォドレイがブハ!! っと噴き出した。


「そうか、貴族。貴族なぁ……ぶ、ククククク!!」

「……なにか可笑しいですか?」


苛立った様に言ったニールに、グォドレイはニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら言った。


「いやぁ? ミリーが結婚した後、どうすんのかなーって思ってよ」

「お師匠様、あたしが結婚しようとニールには関係無いよ」

「ほぉ? なんでだ?」

「お父様のご命令を全うできさえすればいいんだもの。ニールには婚約者候補が居るみたいだし」


ミルドレットの言葉に、グォドレイはイタチ目をニールへと向け、ニールはプイと顔を背けた。


「ああ、婚約者候補なぁ。ぶひゃひゃひゃひゃ!!」


整った顔に似合わずに、グォドレイはわざとらしく品の無い笑いを放ち、ニールの神経を逆なでした。ニールはニコニコ仮面に罅を入れながらも必至に笑顔を崩さずに、ミルドレットに手を差し伸べた。


「ミルドレット様。ルルネイア様の魔物討伐の件をご報告差し上げます。少々込み入った報告となりますので、場所を移しましょう」

「……うん? あたしに報告されても困るよ。難しい事よくわかんないし」


——何でもいいからその腹立たしい紫爺から引き離したいっ!


 焦り出すニールを指さしてグォドレイは「やーい、ふられてやんの!」と大笑いし、ミルドレットは一体この妙な空気感は何なのだろうと渋い顔を浮かべた。


「喧嘩禁止っ! お師匠様はニールを殺しかけたし、ニールはお師匠様に大怪我させたし、お相子なんだから仲直りしてよね!?」


——無茶言うな!?


思いきり眉を寄せたニールに、グォドレイは「俺様は構わねぇぜ?」と、余裕綽々に答え、ニールは苛立ってピキリとこめかみに青筋を立てた。


——そりゃあ、お前はわざと怪我をしたわけだしな!? こっちは本気で殺されかけたのに!!


 ソファから立ち上がり、握手の手を差し伸べたグォドレイに躊躇していると、ミルドレットが「ほら、仲直りして!」と、促した。


 ニールは渋々手を出すと、ここぞとばかりにグォドレイの手を思いきり握りつぶした。


「だっ!?」


悲鳴を上げたグォドレイにお構いなしに、ミルドレットは嬉しそうに微笑んだ。


「良かった、二人が喧嘩してるなんて嫌だからさ。あたしの大好きな二人だからね!」


あまりにも純粋な瞳を向けて言うので、二人はまんざらでも無さそうに嬉しく思ったが、額の隅に浮かべた青筋はどうしようも無かった。


 ニールはコホンと咳払いをすると、ミルドレットの側へと赴き、グォドレイから庇う様に自らの身体で壁を作った。


「ところでミルドレット様。私が入室の際、この男と何をされておりましたか?」

「……ふえっ!?」


ミルドレットは顔を真っ赤にすると、恥ずかしそうに俯き、両手の指を落ち着かない様子で動かした。


「えっと、その……」


——お師匠様とキスしようとしたなんて言えない!!


もごもごと言い淀んでいると、グォドレイが鼻を鳴らした。


「俺様は誰かさんと違って無理矢理キスだなんてこたぁしないぜ? ちゃんと同意を得ての行為だ。他人の恋路の邪魔なんかしやがって、お邪魔虫野郎めっ」


——何故私がミルドレットに強引にキスをしたことをグォドレイが知っている!? いや、待て!! 合意だと!?


 ニールは無意識のうちに殺気を放ち、笑顔のままミルドレットを見つめ、ミルドレットは身体をビクリとさせた。


「どういうことですか? ミルドレット様」

「に、ニール。えっと……」


——そんなこと言われても、流れというか……。お師匠様と離れるのは嫌だったし、酷い事言っちゃったから申し訳無くて断れなかったし……。


「まさかこの男を想っているだなどと言うわけではありませんよね!?」


詰め寄るニールにミルドレットは動揺し、しどろもどろに答えた。


「え? あれ……? そうなのかな? えーっと……」

「貴方は王太子妃候補なのですよ!? それだというのに他の男にうつつを抜かすなどと!!」

「そ、そうなんだけど、うーん……」


 ニールに詰め寄られて戸惑うミルドレットを見ながら、グォドレイは勝ち誇った様に鼻を鳴らした。


「俺様は大事なミリー相手に強引な事なんかしない主義だからな! 愛情の深さってモンが違う」

「……ちょっと待って? お師匠様、王城に乗り込んで来た時あたしに強引にキスしなかったっけ?」


ミルドレットの突っ込みに、グォドレイは「あっ!!」と声を上げた。契約の魔術を解く為に口づけしたことをすっかり忘れていたのだ。


「いや、あれはだなぁ!! 理由があって、えーと、その……」


 たじろぐグォドレイの様子に、ニールは妙に思った。何故グォドレイは、ミルドレットの契約の魔術を解いた事を本人に伝えないのだろうか、と。


 グォドレイがシハイルとすり替わる気であれば、契約の魔術が解けた事をミルドレットが知らない方が都合が良いと考えるからだろうか。勿論、ニールとしてもミルドレットを逃がさない為には、契約の魔術が解かれた事を話す気は無い。


「あの後気絶するし、ひょっとして変な魔術でも使ったの?」


ミルドレットの突っ込みにドキリとし、グォドレイは困った様に眉を寄せた。


「えーと、いや、だから……」

「突然キスするからびっくりしたし、いつも色気のないちんちくりんってばかにしてたくせに、一体どうして?」


キョトキョトと落ち着かないように瞳を動かしながら、グォドレイは困った様に口ごもり、ミルドレットは更に詰め寄った。


「今まで一度だってあたしを異性としてなんか見て無かったよね? それなのにどうしちゃったの?」

「……うん、久しぶりにお前に会ったら、なんかムラムラきた……?」


 咄嗟に言ったグォドレイの言葉に、ミルドレットが一体どんな反応をするだろうとニールが興味津々に見つめていると、渋い顔を浮かべたので、思わず吹き出しそうになった。


「なんか、変。あたし、お師匠様と子供の頃からお風呂に一緒に入ってたし、真っ裸だって見慣れてるし」

「お前なぁ、そういうこと言うかぁ!?」


 顔を真っ赤にして慌てふためくグォドレイの様子があまりにおかしく、ニールは堪らず噴き出した。


「つーかだ、ミリーは別に誰と風呂入ろうと気にしねぇだろうが。恥じらいもへったくれもねぇくせに!」

「ん? まあ、確かに気にしないかも……」

「ヴィンスとだって平気で風呂入るだろう!?」

「うん。別に気にしない」


あっさりと頷いたミルドレットに、ニールは『後でお説教が必要ですね』と考えた。


「だってお師匠様はあたしとお風呂入る時は、嫌々でぐったりしてるじゃないか!」


——それは性欲抑制剤の副作用だっ!!


「真っ裸で元気な俺様を見ると退くだろうがっ!!」

「は!? 言ってる意味わかんないしっ!!」

「お前なぁ!? 俺様を見くびり過ぎじゃねぇか!? 俺様だって元気になるんだぞ!?」

「だから、言ってる意味わかんないしっ!!」


涙目になっているグォドレイに憐れみの視線を向け、ニールはやれやれと肩を竦めた。


「相手にすらなりませんね」


小ばかにしたその言葉がサクリとグォドレイの心に突き刺さった。


「お前なんかより俺様の方がずっといい体してるはずなんだけどな!? お前、今すぐここで脱げ! すっぽんぽんになって勝負しやがれ!! 魔導士の凄さってモンを見せつけてやる!!」

「絶対に嫌です」


喚き散らすグォドレイに、ニールはいつも通りの穏やかな笑みを浮かべてきっぱりと拒否した。グォドレイは暫くいがいがと指を動かして怒りを露わにしていたが、舌打ちし、ぷいと顔を背けた。


「あーあ、やってられねぇや。なんで俺様が人間相手に真剣になってんだか」

「お師匠様、あたしも人間だけど」

「お前はいいんだっ!」


部屋の扉がノックされた。

 はちみつ色の髪をさらりと肩に零し、ルルネイアが顔を出し、礼儀正しくお辞儀した。その後ろには艶やかな黒髪のヴィンセントが立ち、彼もまた軽く会釈をした。


「紫焔の魔導士グォドレイ様。こちらにおいででございましたか」

「おう、リッケンハイアンドのお姫さんと、ユジェイの王子」

「グォドレイ殿、傷の様子は如何ですか?」


グォドレイはへらへらと笑うと、「おかげさんで」と肩を動かしてみせた。


「アレッサを呼びたいところですが、生憎王太子殿下と庭園に向かった様で……」


ヴィンセントの言葉にニールは眉を寄せた。自分は当然ながらここに居る。ということは……。


——兄上の影武者の『D』が、アレッサと会っている……? 一体どういうつもりだ。


「俺様の傷は大丈夫だ。気にかけてくれてありがとよ」

「国王陛下への魔物討伐の報告を致します故、ニール様とグォドレイ様お二方にもご同席頂きたく存じます」


 ルルネイアの申し出に面倒そうにニールとグォドレイは顔を見合わせて、お前が行けと互いにけん制し合った。ニールは一刻も早く『D』を問い詰めたいと考えており、グォドレイはあからさまに面倒そうに顔を顰めている。


「俺様、ドワイトに会いたくねぇなぁ……あいつ嫌いなんだもんよぉ。お前が行けよ、ニコニコ仮面」

「魔物討伐に勝手に手を出したのですから、魔導士とはいえ陛下への報告義務が生じます。貴方が行ってください、紫爺」


 ニールの言葉にグォドレイはソファから立ち上がって地団駄を踏んだ。


「はぁ!? 爺だと!? 紫はともかく、爺呼ばわりは聞き捨てならねぇぞ!?」

「何百年と生きているのですから、爺どころかミイラでしょう」

「生きてるしピンピンしてるし、お前さんより元気ハツラツだっ!!」

「ヨレヨレの間違いでは?」

「なにを~~~~!?」


 言い争う二人を前に、困ったようにルルネイアとヴィンセントが顔を見合わせて、ミルドレットが腰に両手を当てて声を放った。


「ニール、お師匠様。ルルネイアが困ってるじゃないか。協力してあげてよ!」

「はい」

「おっけー」


ミルドレットの鶴の一声で二人は素直に頷くと、我先へとルルネイアを連れて部屋から出て行った。去り際にルルネイアは深々とミルドレットに頭を下げ、ミルドレットは謙遜しながら自分も頭を下げた。


——なんだか妙な事になっちゃったけど、とりあえずは一件落着かな?


「ミリー、そなたは大丈夫か? 心労でさぞ消耗したことだろう」


ヴィンセントが心配そうに琥珀色の瞳でミルドレットを見つめた。


「ありがとう、ヴィンス。ちゃんとお礼を言えてなくてゴメン。二人を無事に連れ帰ってくれて感謝してるよ。本当に有難う」


ミルドレットは深々と頭を下げて、ヴィンセントに心からお礼を言った。


「いや、あれくらいの事しかできぬのが悔しいくらいだ。今日はダンスの稽古をしている場合でも無いからな、ゆっくりと身体を休めるといい」

「ありがと。ホントは結構へとへとなんだ」


ミルドレットは困った様に微笑むと、溜息を洩らした。俯き、落ち着かない様にチラチラとヴィンセントに視線を向ける。


「ヴィンス、アレッサはシハイル王太子殿下と会ってるの?」

「……ああ。殿下はアレッサの治癒魔法の噂を耳にし、いたく喜んでいる風だった」


ミルドレットがヴィンセントにソファへと座る様に促し、二人はテーブルを挟んで向かい合う形で腰かけた。テーブルの上にはエレンが用意してくれた冷めきったお茶が置かれている。気が利かない自分にうんざりし、お茶を淹れなおそうとすると、ヴィンセントは「喉は乾いていない」と声を掛けたので、それに甘える事にした。


 ヴィンセントの気遣いは洗練されている。思えば、ルルネイア主催のお茶会の一件でも庇って貰ったというのに、お礼の一つも言っていない事にミルドレットは今更ながらに気づいた。


「ヴィンスって、凄いな……。アレッサだってそう。いつもあたしを気遣ってくれて優しくしてくれる。ホントにいつも有難う。二人を見てると、あたしもそうなりたいなって思うんだ」


——殿下があたしじゃなくアレッサを選ぶのも当然だよ。アレッサは綺麗で優しくて素敵な人だもん。


「あたしにも、ヴィンスみたいな兄弟が居たら良かったのに」


ヴィンセントはニコリと笑みを浮かべると、「私を兄と思って貰って構わぬぞ」と言い、ミルドレットはサファイアの様な瞳を嬉しそうにキラキラと輝かせた。


「本当に!? こんな素敵な『兄様』が出来るだなんて、嬉し過ぎて、それだけでヒュリムトンに来た甲斐があったよ!」


——『兄様』……悪く無い!! いや、でも愛称で呼ばれる事も捨てがたい……。

 ヴィンセントはコホンと咳払いをし、チラリとミルドレットを見つめた。


「ミリー、その……できれば『ヴィンス兄様』と呼んでくれるとこの上なく嬉しいのだが……」


ヴィンセントの申し出に、ミルドレットは満面の笑みを浮かべた。


「わかった。ヴィンス兄様!」


——生きてて良かった!!


 ヴィンセントの中で、根っからのシスコン魂に更に上乗せされた愛称の相乗効果が膨れ上がり、感動が沸き起こった。

 琥珀色の瞳を潤ませるヴィンセントに、ミルドレットは不思議そうに小首を傾げた。

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