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ユジェイの国秘

「……ミリー?」


 ダンスの稽古をしようとミルドレットの部屋へと訪れたヴィンセントは、その部屋の様子に驚き、震える声でミルドレットの名を呼んだ。


 カーテンを閉め切った室内で、ベッドの上に血塗れで横たわるニールの傍らで、ミルドレットが泣きじゃくっている。


「ヴィンス……ニールが……」


 ミルドレットは声すらまともに出せない程に、よっぽど長い間泣き続けていたのか、憔悴しきっていた。顔色も白く、唇の色も血の気が無い。


「一体何があったというのだ? ニール殿のその傷は」

「お師匠様が……」


——お師匠様が、ニールはあたしにとって危険だから殺すって……。


 ミルドレットは言葉にすることが出来ず呻いて涙を零した。

 もう枯れ果ててしまう程に涙を出したというのに、それでも流れ出る涙は、まるでミルドレットの命を削っているかの様だった。


 余りにも痛々しいその様子は見るに絶えず、ニールから流れ出る鮮血がミルドレットの衣服にもつき、辺りは血なまぐさい匂いが充満していた。





————ニールが深手を負った後、ミルドレットはグォドレイを責め立てた。


「お師匠様っ!! 酷いっ!! なんてことをっ!!」


 グォドレイは冷静に長いため息を洩らした。胸を稲妻で貫かれたニールの姿を見下ろしながら整った眉を僅かに寄せる。先ほどの激しい戦闘のせいで肩で呼吸をし、そんな自分は随分と久方ぶりだとみっともなく思いながらも、ニールの鬼神の様な戦闘能力に畏怖した。


「こいつは危険だ。こんな化け物はこの世に居たらダメだ。均衡が崩れる」


——まして、人間の王族として君臨するなど以ての外だ。


「即死するような一撃だったはずだってのに、こいつはまだ生きてやがる。普通じゃねぇよ」


ニールの左耳につけられたピアスが砕け散っている。恐らくミルドレットがかけた守りの魔術が、辛うじてグォドレイの放った稲妻からニールの身を護ったのだろう。


「普通じゃなくてもなんでもいいっ! 早くニールを助けてよ、お師匠様っ!」

「ミリー、いくら俺様の薬が強力だったとはいえ、お前は殺されかけたんだぞ? わかってんのか?」

「別にいい!! ニールに殺されるなら、ニールがあたしを愛してくれて、それで殺されるなら構わない!!」

「お前……愛されるなら何だっていいってのか!?」

「お父様はあたしに憎しみしかくれなかった!!」


——こいつも相当歪んでやがる……。


「お願い、お師匠様。この願いを叶えてくれるなら、お師匠様の言う事なんだって聞くよ」

「おい……」

「あたしの命と引き換えにしたって構わない」

「待て、そんなことは望んじゃいない」

「あたしには、価値が無いから……?」

「違う。そうじゃねぇ、落ち着け」


 グォドレイはパッと両手を上げてミルドレットの側から離れた。ミルドレットは眉を寄せ、「お師匠様?」と震える声を放った。


ニールの胸からドクドクと血が流れ出ている。


「お前に価値が無いわけじゃない。けど、そいつの治療をする気はねぇよ」

「どうして!!」

「止めを刺させてくれねぇなら、そいつはそのまま放っておかれて死ぬしかねぇ」

「そんな……!! あたしの魔法薬じゃ間に合わないのにっ!!」


グォドレイは悲し気にアメジストの様な瞳を細めた。


「すまねぇ、ミリー。これだけは叶えてやれねぇ」


——薬の効力が切れたとしても、この男は駄目だ。王太子妃にミリーが選ばれたとしても破滅しか見えねぇし、もしも選ばれなければ……。

 ……こいつは絶対、誰の物にもならないようにとミリーを殺すだろう。あの薬は確かに強力ではあるが、ニールにはその()()()()()ということだ。


「嫌だっ!! どうしてっ!! お願い、お師匠様。もうこの他には二度とお師匠様にお願いなんてしないから、ニールだけは助けて。お願い!!」


グォドレイは首を左右に振った。その姿を見て、ミルドレットは震える身体を必死になって抑えた。


——お師匠様だけは、あたしの味方でいてくれるんじゃないの……?

 だって、ニールはあたしの大切な人なのに……


 首を左右に振るグォドレイを見て、ミルドレットはすぅっと青ざめた。


——ニールが、死んじゃう……


「……お師匠様なんか、大嫌いだ」


ミルドレットは泣き喚く様に声を放った。グォドレイの心に、まるで刃を突き立てられたかのような痛みが走った。


「ミリー……」

「あたしの大切な人を奪ったっ!! 酷い……!」

「これは仕方の無いことだ。そうじゃなきゃこいつはお前を……」


「あんたはお父様よりもずっと酷いっ!! お父様はあたしを傷つけたけど、ニールの事は大事にしてた!!」


グォドレイは両手を上げたまま、何度かゆっくりと頷いた。そして、小さく消え入りそうな声で歌を噤む様に詠唱をすると、すっと姿を消した。


「ニール……! しっかりしてよ、ニール! あたしを一人にしないで……」


血塗れのニールの身体に縋りつく様にミルドレットは触れると、涙を零しながら必死になって詠唱をした。

 海岸からミルドレットに与えられた王城の部屋へと移動し、目を開ける事のないニールの傍らで泣き続けた。


「居なくなんかならないで。ニールが居てくれたから、あたしは生きて来れたのに……! 苦しみに耐えられなくなって死のうとしたあたしを止めたのはあんたじゃないか……」


ふ……と、苦しい呼吸に耐えながら、ミルドレットは叫んだ。


「今更あたしを一人にするだなんて、そんなのは残酷すぎるじゃないか!!」





————泣き続けて声を枯らしてしまったミルドレットをヴィンセントは見つめていた。


 彼女のそんな姿を見て居るだけで胸が押しつぶされそうな程に痛む。


——ミリー、そなたはどこまで私の心を痛めつければ気が済むというのだ?


 ヴィンセントは何か決心したように頷くと、廊下で心配そうにしているエレンに「アレッサを呼んで来てくれ」と声を掛け、室内へと足を踏み入れた。

 黒い皮製の手袋を外し、指輪やブレスレットも外してテーブルの上へと置くと、上着を脱いでシャツの袖を捲り上げ、血塗れのニールが横たわるベッドの傍らへと膝をついた。


 光を失ったサファイアの様な瞳を向けるミルドレットに微笑んで見せた後、優しくミルドレットの肩に触れた。


「案ずるな。ユジェイの王族は、傷を癒す魔術が使えるのだ。私よりもアレッサの方が腕は確かだがな」


そう言うと、ヴィンセントはすっと両手をニールへと向けて翳した。ふわりと温かい風が沸き起こり、柔らかな光が発せられた。


「お兄様! 一体何があったのです!?」


息を切らせながら駆け付けたアレッサは、ニールの様子に小さく悲鳴を洩らした。ヴィンセントはニールに癒しの魔術を施しながら、アレッサへと呼びかけた。


「アレッサ。そなたの力をここで晒すのは、王太子妃候補選抜には不利になるとは思うが……」

「そんなことを言っている場合ではありません!!」


アレッサは室内へと駆け込むと、必死の思いで両手を翳した。ヴィンセントが放つ光よりも強い光が発せられ、ニールの胸の傷口がみるみるうちに塞がっていった。


「……ニール」


ミルドレットが呟く様に言葉を発すると、ニールがカッと瞳を開いた。ダークグリーンの瞳をジロリとミルドレットに向ける。

 その表情にはいつもの笑顔が消え失せていた。ただただ不気味に感じるのは、心を読み取ろうとする事が一切不可能な程に、感情が欠落した表情だったからだ。


——化け物か……?


 余りにも凄まじい殺気に、ヴィンセントはゾクリと背筋を凍り付かせながら、瞬間的にそう思った。


「アレッサ!」


ヴィンセントがアレッサを庇う様に側から引き離した途端、ニールは飛び起きた。


「待て! そなた、傷は塞がったが……」

「ニール!!」


ミルドレットが伸ばした手をニールは振り払うと、素早くベッドから降りてテラスへと向かい、そのまま飛び降りてどこかへと行ってしまった。


 唖然とするヴィンセントとアレッサの横で、ミルドレットはハッとした。


——ニール……。まさかお師匠様を殺しに向かったんじゃ……?


「追わなきゃ!!」

「待て、ミリー!!」


ミルドレットを行かせてはならない、と、ヴィンセントは必死になって彼女を引き留めた。


「ニール殿は正気ではない!! そなたの身も危うい。行かせられぬ!!」

「でも、このままじゃ! ニールは今度こそお師匠様に殺されちゃう!!」


ミルドレットの言葉にヴィンセントは絶句した。


——ニール殿をあのような状態に貶めたのは、グォドレイ殿なのか……? 一体何故?

 ……いや、であれば尚更だ。


「……ミリー、グォドレイ殿はそなたを思っての行動であったのではないのか?」

「あたしを思ってくれるなら、ニールを殺したりなんかすると思う!?」


ヴィンセントの脳裏に、ミルドレットが先日口にした『あたし、ニールに振られちゃったんだ!!』という言葉が浮かんだ。


——ミリーは、ニール殿を想っている。グォドレイ殿はそれを知っていてニール殿を殺そうとした。あれほどにミリーを大切にしている氏のことだ、何かよっぽどの事があったに違いない。


「ミリー、そなたの身体が心配だ。その状態で外に出ようものならば、ニール殿を見つける前に倒れてしまうぞ」

「倒れたってなんだって、ここで黙ってなんかいられないよ!」

「グォドレイ殿がそなたを傷つけるような行動を敢えて取るとは思えぬ」

「でも!! お師匠様がニールを!!」

「ミルドレット姫、お兄様の言う事に従ってください。私達は貴方の願いを叶える為に、ユジェイ国の国秘である術を使ったのです」


アレッサの冷静な言葉に、ミルドレットはボロボロと涙を零した。


「でも、アレッサ!! 一体どうしたら……!!」


ヴィンセントは唇を噛み、アレッサとミルドレットを見つめた。ヴィンセントにとって二人は大切な人だ。ニールのあの様子は尋常では無かったし、アレッサの力を知られた以上、王太子妃候補としてアレッサを危険視する恐れもある。そして、ミルドレットの心配を放置するわけにもいかない。


「……ミリー、私が彼らの様子を見て来よう」

「お兄様!?」


驚いて声を発したアレッサを手で制すると、ヴィンセントは困った様に微笑んだ。


「これでもユジェイでは剣の腕が立つと言われてきたのだ。とはいえ、あの二人には到底適わぬとは思うが、様子を見て来るくらいの事ならばできるだろう」


ヴィンセントはミルドレットの肩に優しく触れると、力強く頷いた。


「私に任せてくれるか?」

「でも、ヴィンス。あの二人が戦う様子を見てたけど、ホントに……」

「案ずるな。私とて命は惜しい。間に入る様な真似はせぬとも」


ふっと微笑むと、ヴィンセントは従者を呼び、馬を手配するようにと言いつけた。

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