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それは食べたらいけません

 ようやくハーピーの疲労が極限に達した様だ。徐々に高度が落ちて行き、着地にも支障が無い程の高さになったのを見計らって、ニールは素早く剣を振り上げた。ハーピーの首が落ちるのと共にニールは着地し、パッと剣を払った。

 ルルネイアがニールの馬を引き連れてその場へと駆けつけると、ニールの無事な様子を見てホッとした様に笑みを向けた。


「ご無事で何よりです」

「ご心配には及びません」


 ニールは馬へと跨ると、「しかし、馬を連れてきたことにはお礼を申し上げます」と言った。


——とはいえ面倒だ。彼女は、やはりここで始末しよう……。


 馬にまたがる時に腿のベルトから引き抜いておいたスローイングナイフを素早くルルネイア目掛けて投げつけた。

 その様子は全く躊躇(ちゅうちょ)の無い動きで、殺気すら出すことなく、まるで小石でも拾うかのような日常的な動きだった。ニールの暗殺者としての技量が、生活の一部となる程の天性のものであると納得せざるを得ない。


 突如、青白い稲妻の様な光が走り、ニールが放ったスローイングナイフを弾き飛ばした。ピリピリと僅かに痛みが左耳を襲う。


——ミルドレットから貰ったピアスが、ルルネイアを守ったのか……? 一体何故?


「まあ、驚きましたわ。今の光は一体……?」


 驚いて振り向いたルルネイアに、ニールは笑顔のまま「何でしょうか。私も驚きました」とサラリと言った。


「他にも魔物が潜んでいるのかもしれませんね。周囲を散策して参りますから、ニール様は休憩なさっていてくださいな」


 ルルネイアはそう言うと、馬の腹を蹴り勇ましく走り去った。


 ニールはそっと左耳に触れた。まだ少しばかりピリピリとした痛みが残っている。

 ミルドレットは確か、『特別な護りの魔術』をかけたのだと言っていた。それは一体何だろうか……と、考えて、唇を噛みしめた。


——私を護る為とは……? 外傷ではないとするならば、私の()に傷がつかない様に護ると言う意味だろうか? バカな。あの女を殺したところで、今更私の心に傷などつくものか。どうせならあのハーピーから守って貰った方がよっぽど役立った。


 ニールは小さく舌打ちをした。外してしまおうと動かした手をピタリと止め、ため息を吐く。


——いいでしょう。今はミルドレットの願い通りにしてやるとしますか。


 手綱を握ると馬の腹を蹴り、ニールはルルネイアを追った。日が暮れ初め、太陽の光が朱色を放ち、影が長く伸びる(さま)を見つめ、ニールは何故ルルネイアが自分を追ってきたのかをようやく理解した。

 もしも魔物討伐に向かったのが、ルルネイアと共にではなく、ミルドレットと共にであったのならば、ニールは片時も彼女の側を離れなかっただろう……。


「ルルネイア様!」


 前方を駆けるルルネイアへと追いつき声を掛けると、彼女は馬の速度を緩めた。少し驚いた様な面持ちでニールを見つめ、「何か?」と、小首を傾げた。


「休憩は十分です。日が落ち始めましたので、野宿の準備をしなければなりません」


 ニールの言葉に、ルルネイアはホッとしたように頷いた。


「……ありがとうございます。ニール様」


 二人は湖畔へと馬を走らせると、大きな岩の影を見つけ、そこで野宿をすることにした。ニールは巻木を拾いながら水を汲み、火を起こして簡単な食事の準備に取り掛かった。


「配慮が足りずすみませんでした」


テキパキと作業をしながらニールがぽつりと言った。ルルネイアは慌てて首を左右に振り、はちみつ色の髪がふわりと揺れた。


「私はルルネイア様の供として貸し出された身であるにもかかわらず、単独行動をしようとしました。(さぞ)かし不安であったことでしょう」

「……こういったところで私が女性である事を主張するのも(はばか)りましたので」


 食事を器に盛り、ニールはルルネイアへと手渡した。


「荒くれ者の騎士達の中に居たのでは、貴方の身も危うい。だからといって、一人で野宿をする術を持たないが故に、貴方は私を頼るしか無かった。ヒュリムトンの騎士達は品行方正だとはいいがたいのは確かですね」


 ルルネイアは僅かに笑うと、深緑色の瞳でニールを見つめて頷いた。


「ニール様。私はヒュリムトンの騎士達を心から信頼することなどできません。今は王太子妃選抜の最中ですから尚更です。私を疎ましく思う者も中には居るでしょう。契約の魔術で取り決めた、『生娘であること』というものは、簡単に汚されるものでしょうから」


 ヒュリムトン王ドワイトの取り決めた契約の魔術は、王太子妃候補を護るという考えが微塵も反映されていない酷いものだと、今更ながらに思う。『生娘であること』は、ヒュリムトン王家の血筋を正しく継承する為の大義名分の様に聞こえるが、それは同時に彼女達の身を脅かす絶好の的とも言えるのだ。

 もしもニールがシハイルとして生きるという使命がなければ、その契約の魔術を利用してルルネイアを襲う事も抵抗なくやってのけたことだろう。

 暗殺を得意とするニールにとっては、ルルネイアの命を奪う事の方が容易い為、そんな考えには至らなかったのだ。


「騎士達はともかく、私を信用されて良かったのですか? ミルドレット様の為に貴方を汚す行動を取る可能性は考えなかったのですか?」


ニールが食事を口に運びながらそう尋ねると、ルルネイアは僅かに照れた様に頬を染めた。


「……ニール様の妻になるのでしたら、それも良いかと」


その発言に思わずむせて、ニールはゲホゲホと咳き込んだ。ルルネイアは驚いて慌ててニールの背を擦り、「ごめんなさい、はしたない事を!」と言いながらオロオロとした。


「ルルネイア様は、王太子妃になるおつもりは無いとおっしゃるのですか?」


呼吸を整えてニールが問いかけると、ルルネイアは曖昧に頷いた。


「元々、ヒュリムトンの王太子妃の座はルーデンベルンのアリテミラ様で確定していたのですから、我がリッケンハイアンドとしては、私をこうしてヒュリムトンに送る事さえできれば、国交が成立し、目的は達成されたと考えても良い程の利益なのです。既に商人達の出入りも始まり、近隣への騎士の派遣も行われていますわ。勿論、王太子妃候補選抜に参加した以上、全力で挑む気持ちはありますが、シハイル王太子殿下は私に興味を示されませんし」


——驚いた。ルルネイアは野心の塊なのかと思っていたが……。

 ニールはそう考えて、手に持つ食事の器へと視線を落とした。


 父であるヒュリムトン王ドワイトは本当に強かだと今更ながらに思った。契約の魔術による条件が余りにもヒュリムトンにとって利益が大きすぎるからだ。


 ルルネイアはヒュリムトンの騎士よりも遥かに剣の実力が上回る。そんな彼女を手に入れたのならば、国力が更に上がることは目に見えている。彼女が言うように、リッケンハイアンド王国に近いヒュリムトンの領地には、騎士達の派遣も行われるようになった。それにより治安維持も勿論の事、金が動くので経済的にも潤う上、他国への牽制にもなる。

 ミルドレットの魔術は希少な能力で、魔法薬一つとっても重宝がられる。その上、結果的に紫焔の魔導士グォドレイという、世界中が注目するような存在を引き寄せる事になった。

 アレッサにどのような秀でた能力があるのかまでは公表されていないものの、恐らく相当な国益となる能力に違いない。

 ヒュリムトンは勢いづいている……。大国が更に力をつけすぎるのは危険な事だが、ここまで来ると最早他国が一丸となったとて、ヒュリムトンを潰す事はできないだろう。


……紫焔の魔導士グォドレイは、そのような状況を見過ごすだろうか?

 力をつけ過ぎた大国を、甘んじて放置するとは思えない。


 考え込んで押し黙ったニールの隣で、ルルネイアは少し困った様に微笑んだ。


「ニール様は、他に想う方がいらっしゃるのですか?」


 まさかニールが国の事について考え込んでいるとは思いもせず、ルルネイアは小さくため息を洩らしながら言葉を吐いた。ニールはハッとしてルルネイアを見つめた後、僅かに首を傾げた。


「いえ。私はそういった事に興味がありません」

「ですが、ニール様はヒュリムトンの貴族であるとお伺いしました。ご年齢的にも、婚約者もいらっしゃらないのですか?」

「ああ、候補なら居ます」

「候補……ですか? ヒュリムトンの貴族は一夫多妻制であるとお伺いしました。その言い方ですと、何名かいらっしゃるのでしょう。ニール様はおモテになりそうですもの」


——貴方もその一人ですが。

 と、ニールは考えてコホンと咳払いをした。父であるヒュリムトン王ドワイトの策略であるとはいえ、少々気まずい事は確かだ。


「あの……この選抜が終わりましたら、良ければ私をその『候補』に加えていただけませんか?」

「え……!?」


——いや、既に加わってますが……。


「何故私なのです?」

「顔も知らぬ方の元へ嫁ぐ不安を抱えているより、ニール様の元へ行けるのならば私も安心ですから」


ヒュリムトンの貴族が一夫多妻制であることで、他国からの印象が(すこぶ)る悪いというのは常々聞いていた。重婚を赦さない他国から貴族達が移籍する例も少なくは無い。勿論、そのどれもがそれほどに裕福な者達である為、大国は潤う。

 ……だが、治安は最悪だ。男女間の縺れでの事件は後を絶たない。そんな状況を踏まえれば、ルルネイアが顔を見知っているニールの元へ身を寄せたいと考えるのは、いたって自然な事だと言えるだろう。


——私が王位を継いだのならば、一夫一婦制にしよう……。


「ご心配には及びません。私が責任をもってマトモな方をご紹介致します」


ニールは取り繕った様にそう言いながら、『居るだろうか……』と、不安になった。ルルネイアがふっと笑うと、「期待しておきます」と言ってスプーンで食事をすくった。

 彼女が食事を口に運ぶ様子を見て、ニールは「あ……」と、小さく声を上げた。


「すみません、少々味が薄いので……」


 いつもならば人の事をあまり気に留めないニールだったが、流石にヒュリムトンの国策があまりにも横暴過ぎると感じ、ルルネイアに対して申し訳なく思った。


 人というものは、こうしたいつもは取らない行動を取った時に思わぬミスをするものだ。


 ニールはポーチから岩塩の入った布袋を出そうとして、同時に小さな小瓶と共にルルネイアへと差し出した。普段料理をすることなどあるはずもないルルネイアは、受け取ったものを素直に自分の器の中へと入れ、更に鍋の中にも振りかけた。


「加減が分かりませんが、このくらいでしょうか」

「お好みで結構ですよ。私が味をみましょう」


 そう言って、ニールは鍋から自分の器へと入れ、一口食べ、飲み込んだ。


「苦っ……!! え!?」


 ニールは塩に何か異物が入って居たのかと勘違いし、ルルネイアに口にしないようにと言った。

 まさか塩と一緒にポーチの中に、ミルドレットから取り上げた『グォドレイ特性惚れ薬』を仕舞っていた事などすっかりと頭の中から抜け落ちていたのだ。


「携帯食を持って来ていますから、ルルネイア様はそちらをお召し上がりください」

「ですが、ニール様。もしや毒を口にされたのでは?」


不安気にニールを見つめるルルネイアに、ニールは顔を背けてそっけなく言い放った。


「私は少し位毒を口にしたところで問題ございません」


 しかしそうは言ったものの、嫌に喉に熱が帯び顔が火照る気がしたので、ニールは思わず額に手を当てた。


——一体何の毒だろうか。苦味はあったが、舌先が痺れるような感覚は無かった。


 ニールはすっと立ち上がると、「薪を拾ってきますから、食事が終わったら眠っていてください」と言い残し、その場を去った。

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