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ヴィンスの恋路は波乱

「うむ。順調に上達しているな」


 ダンスのレッスンを終えたミルドレットに、ヴィンセントは満足気に微笑んで言った。傍らで見守っていたエレンが「大変素敵でございました、ミルドレット様」と感激したように声をあげ、ミルドレットは照れながら頭を掻いた。


「ニールとも約束したし、頑張らなきゃね」

「目覚ましい上達ぶりで、このエレン舌を巻きました」

「大げさだよエレン」


ヴィンセントは手を打つと、「いや、彼女の言うとおりだ」と賛同した。


「ステップを外す事もなく、私のアドリブにも難なく付いてくる。誰と踊っても問題ないだろう」

「いきなりアドリブされるとびっくりするけれど、踊るのが楽しくなったのはヴィンスのお陰だよ!」

「ヴィンセント様は本当に、優秀な先生でございますね。さあ、お茶が入りましたのでお召し上がりくださいませ」


エレンに促されてソファへと腰かけると、ミルドレットはティーカップを優雅に持った。気を抜かずに所作も素晴らしいとエレンは心の中で百点をつけて、満足気に微笑んで壁際へと下がった。




「ミルドレット様の力になって頂きたい」


怪我で療養中だったエレンの元にニールが訪ねて来ると、ミルドレットが調合した魔法薬を差し出しながらそう言った。

 エレンは俯くと、「私にはその資格がございません」と涙を零しながら言った。


「分かっています。王妃にミルドレット様の背中の傷について情報を流したのが、貴方だということは」


ニールの言葉にエレンは素直に頷いた。


「弁明の余地もございません」


どんな罰も覚悟していると、エレンは反論一つせずにニールを見つめた。


 取り繕う事もせず、自分の行動に自信を持っているからこそ、罰も甘んじて受けるという姿勢。ただの使用人にしておくには惜しい、と、ニールは思った。無論、だからこそ王妃付の侍女の任を担っていたのだろうが……。


「弁明していただかなければ困ります。ミルドレット様には貴方が必要なのです。今早急にしなくてはならないことは、貴方を罰するよりも、ミルドレット様のお側に貴方を置くことです」


——ルルネイアにつきあって私が魔物討伐へと行く前に、どうにかエレンをミルドレットの側に戻さなくてはならない。

 ニールはいつもの笑顔を浮かべながらも、内心焦りを感じていた。グォドレイでは侍女や使用人達の統制や牽制を取る事はできない。ヴィンセントならばある程度ミルドレットを護る様に動いてはくれるだろうが、四六時中ミルドレットの側を離れないというわけではない。そうなると、エレンの存在が必要不可欠なのだ。


 エレンは僅かに微笑んだ。


「卿は、本当にミルドレット様を大切に思っておいでなのですね」


エレンの言葉に、ニールは何も答えず、いつも通りの笑顔を向けた。エレンは頷くと、ハッキリとした口調で話し始めた。


「王妃陛下は、皆の幸せを望むお優しい方です。だからこそ、この暗雲渦巻くヒュリムトンに、ミルドレット様の様な可憐でお優しい方を巻き込みたくはないのでしょう。例え、ご自分が悪者になろうとも」


エレンの言葉に、ニールは静かに怒りが込み上げた。


「ミルドレット様の傷を晒す事が、彼女を巻き込まない方法であるとでも言うおつもりですか? 既に彼女の心は傷付けられました。それだというのに……」

「王妃陛下は、国王陛下を怨んでおいでです」


ニールの言葉を遮るようにエレンが言葉を発し、ニールは驚いて眉を寄せた。


——『母上』が、『父上』を怨んでいる……だと?

 一体何故……? そして、それが何故ミルドレットを護るということに繋がるのだろうか……?


 ニールが笑顔を浮かべたまま脳内で考えていると、エレンは小さくため息をついた。


「尤も、このような事を卿にお話したところで、なんのことやら存ぜぬことでしょうが」


ニールがまさか裏でシハイルと入れ替わっているとは知らないエレンは、そう前置きを言った上で、言葉を続けた。


「私は、シハイル王太子殿下とミルドレット様のご婚姻を、素直に応援することは出来かねます。ですが、ミルドレット様の事を心より大切に思っております。そのような考えで宜しければ、私を王城へお戻しください」


——今は何より、ミルドレットの安全を思うならば、この女を側に置くしかない。

 なにかあればすぐにでも私が……。


 ニールは頷くと、受け取ろうとしないエレンにミルドレットの調薬した魔法薬を強引に手渡した。


「結構です。エレン。どうか、ミルドレット様のお側で仕えてください」




————エレンはニールとのやりとりを思い出し、ふぅとため息を吐いた。

 目の前でヴィンセントとお茶を飲むミルドレットの姿が微笑ましい。一国民としては、ミルドレットが王太子妃に。そして、ゆくゆくはこのヒュリムトンの国母になってくれたらと望むが、それが彼女にとって不幸であるというのならば、ミルドレットを娘の様に愛おしく思うエレンは、ただただ見守る事しかできないと思った。


「その……ミリー、この後少しばかり時間はあるだろうか……」


遠慮がちに問いかけたヴィンセントに、ミルドレットは少し考えて頷いた。


「今日はニールも居ないから勉強は無いし、お師匠様は仕事で出かけてるから、特に何もないかな」

「ならば、私と散歩にでも出かけぬか?」


パッと顔を明るくして言ったヴィンセントに、侍女達がワッと沸き、エレンの咳払いに慌てて口を噤んだ。ミルドレット付きの侍女達の間では、ミルドレットを誰が射止めるかで盛り上がっているのだ。

 シハイルからミルドレットは二度もコートを借りているし、今も部屋に借りたコートが一着残っている。

 紫焔の魔導士グォドレイはミルドレットにプロポーズしたのだと噂が広まっているし、部屋にもしょっちゅう訪れる。

 そしてアレッサ姫のシャペロンでありながら、ユジェイ王国の第三王子であるヴィンセントは、ミルドレットに対して紳士的でダンスの講師も担う上に、お茶会では身を呈して庇う様子まであった。

三名のうち誰がミルドレットの心を射止めるのかと、注目するのも無理は無い。


 その中にニールの名が無いのは、彼はミルドレットにとって忠実な騎士であると思われているからだ。どんな時でも冷静沈着に笑顔を崩す事なく、そもそもミルドレットをこの国の王太子妃候補として連れて来た時点で、ニールがミルドレットに持つ感情は、恋愛感情ではなく、強い忠誠心であると考えられていた。

 現に、ミルドレットがニールに甘えようとしても、侍女達の前で彼はクールにそれを拒絶していた。

 更に言えば、ニールがヒュリムトンの貴族であるとはいえ、騎士と王女では身分差があり過ぎる。万が一恋愛に発展するような事があったとしても、それは悲劇にしかならない。ミルドレットの幸せを祈る侍女達にとっては、ミルドレットの恋人候補から外されるのは当然の事なのだ。


「ミルドレット様、是非お出かけくださいな!」

「そうですとも! 毎日勉強や魔法薬の調合ばかりなさっていたのですから、息抜きも必要です」


 侍女達が我慢できずに全力で勧め、エレンに睨みつけられて慌てて口を噤んだ。


「なんですか、皆で寄ってたかって押し付ける様な真似をして。ミルドレット様は王太子妃候補なのですよ!?」


エレンに窘められて、侍女達は不満気に唇を尖らせた。


「ですが、エレンさん。私達はミルドレット様にとっての一番の幸せを願っています。だからこそ、ミルドレット様のお心を応援したくなるのです」


侍女の言葉にエレンは頷いた。


「ミルドレット様の幸せを願い、お心を応援するという気持ちは私も同感です。息抜きも必要であるという点にもそうですね」


エレンはミルドレットに優しく微笑んだ。


「ミルドレット様、お誘いをお受けなさってもよろしいのでは無いですか?」


エレンの勧めにミルドレットは戸惑いながらも頷いた。


「うん。分かった。気を使ってくれてありがとう、皆」


 キャア!! と、侍女達がはしゃいだ声を上げ、ミルドレットはどうして彼女達が楽しそうなのかさっぱり分からずに小首を傾げた。

 ヴィンセントは嬉しそうに頬を染め、ミルドレットに手を差し出した。


「承諾してくれてありがとう、ミリー」

「どうしたの? 改まっちゃって……」

「ニール殿から、あまりミリーと馴れ馴れしくするなと言われているのでな。まあ、彼の言い分は正しい。そなたは王太子妃候補なのだから」


 ヴィンセントのエスコートで二人が部屋から出て行く様を、侍女達はきゃいきゃい言いながら見送った。


 二人は廊下を歩きながら、王城の従者達からもチラチラと突き刺さる視線を浴びる羽目になった。それもそのはず、ミルドレットとヴィンセントの十数歩程後を二人の騎士が付いて歩くからだ。ヒュリムトン王ドワイトの指示による、ミルドレットの監視役だ。

 彼女がこっそり逃げ出さないようにと常に目を光らせているのだ。それ程に、ドワイトにとって紫焔の魔導士グォドレイが欲しいという事なのだ。恐らくヴィンセントとこうして出歩いた事も報告に上がる事だろう。こればかりはエレンの口封じの技も通用しない。


「やれやれ、厄介だな」


 ヴィンセントが漏らした言葉に、ミルドレットは「何が?」と、小首を傾げた。


「あの者らのことだ」


と、後ろをついて歩く騎士を視線で指した後、溜息をついた。


「四六時中監視され、ミリーの自由が無い」

「あたしはあんまり気にしたことないけど、大変そうだなってだけで。ヴィンスは気になる?」

「そうだな、折角ミリーと二人で出かけるというのに、邪魔者であることは確かだ」

「じゃあ、撒こう!!」


 ミルドレットはヴィンセントの手を引くと、ドレスの裾を掴み、駆け出した。駆けながらも歌の様な詠唱を数音口ずさむ。騎士達が慌てて後を追いかけて来たが、廊下の角を曲がって直ぐ、ミルドレットは立ち止まって壁際に依り、パチンと指を鳴らした。

 騎士達が二人の前を素通りして、「何処へ行った!?」「向こうか!?」と、言い合いながら駆けていく。

 唖然としているヴィンセントに、ミルドレットはニッと悪戯っぽく笑って見せた。


「姿隠しの魔術だよ。これくらいならあたしにだってできるから」


 騎士達どころか、廊下を歩く従者達でさえ、二人の存在に気づかずに素通りしていく。誰からも視線を向けられないという状態は、第三王子として生まれたヴィンセントにとって初めての経験だった。

 唖然としながら周囲を見回した後、ミルドレットを見つめた。


「ミリー、そなたは本当に面白い」

「そうかな? あたし、このくらい皆できるんだと思ってたから……」


 ヴィンセントはミルドレットの手の甲にキスをすると、ニコリと微笑んだ。


「そなたは特別だ」


 人目を気にせず二人は廊下を歩いた。小声程度ならば周囲に気づかれない魔術もかけて、ヴィンセントは童心に返った様な気分になった。


 これほど心躍る事はあるだろうか。思いを寄せる相手と共に、誰の目を気にする事無く二人だけの時間を満喫できるのだから。ミルドレットの笑顔も、話す声もすべて、今はヴィンセントが独り占めできるのだ。

 幸せを噛みしめて、それと同時にこの時間がすぐに終わってしまう事に寂しさを覚えた。


——もしもミリーも私とこうして過ごす事に喜びを持ってくれたのならば、どれほどに幸せな事か知れない。叶ってはいけない願いであるとは思いながらも、望んでしまう私は罪深いな。


「ねぇ、ヴィンス」


ミルドレットがニコリと微笑んだ。


「なんだか楽しいね! あたし、誰かとこんな風にかくれんぼするのは初めてだ」

「……私もだ」


——願わくば、一秒でも長く、この時間が続けばいい……。


「ヴィンス、ユジェイはどんな国なの?」


 ミルドレットの質問に、ヴィンセントは「ふむ」と、頷いた。


「美しい海とサトウキビ畑が広がる諸島だ。柑橘類の生産も豊富だし、コーヒーは絶品だな。質の良い鉱石も良く取れるし、最近では葉巻が高値で取引されている」


 ミルドレットは笑うと、「そういうんじゃなくて」と、ヴィンセントを見上げた。


「皆仲良しなの? ヒュリムトンやルーデンベルンはさ、王族の仲がギスギスしてるっていうか……」


ヴィンセントは頷くと得意気に微笑んだ。


「成程。そういうことならば、ユジェイは家族愛が深い国だ。私の二人の兄は面倒見も良く、私とアレッサが年子だったので、二人揃って可愛がって貰ったものだ。父上も母上も仲睦まじい夫婦なのでな、私もいつかそんな家庭を築きたいと思う」


 ミルドレットと夫婦になったのなら、必ず幸せな家庭が築けるだろうと思った。天真爛漫な彼女を見ているだけで癒される。きっと良い夫婦になり、良い父母になることだろう。

 ヴィンセントはそう考えて、ハッとした。


——彼女の背中の傷は、確か彼女の父が……。


「ミリー、すまぬ。私は……」

「ヴィンスがアレッサに対してシスコンなのって、兄弟全員がそうなの?」


 慌てて謝ろうとしたヴィンセントの言葉に重ねる様にミルドレットが言った。ヴィンセントは少し困った様に苦笑いを浮かべ、頬を掻いた。


「……まあ、そうだな。そんなにシスコンだろうか?」

「うん。あ、でも全然悪い意味じゃないよ。すごく大切にしてて羨ましいって思うかな。あたしも、ヴィンスみたいな兄様が居たら良かったのにって思うもん」


——あたしは、兄姉からいつも厄介そうに見られていたから。

 けれど、余計な事を言ってヴィンスを心配させたくない。これはあたしの問題であって、ヴィンスが気を病む必要なんて無いんだから。


「アレッサからは鬱陶しがられる事も多いがな」

「やっぱりシスコンだ」

「そうか。確かにそうだな」


 二人で笑っていると、ふと、ヴィンセントが足を止めた。廊下から中庭の方を見つめたまま、眉を寄せている。ミルドレットもその視線を追い、ハッとした。


 艶やかな黒髪に浅黒い肌の女性が、黒曜石の様な瞳を輝かせて楽しそうに中庭を歩く様子が見えた。その傍らには白銀の仮面をつけた長身の男が寄り添い、品の良い足取りで彼女をエスコートしている。


「アレッサと、シハイル王太子殿下……」


 二人の楽しそうな姿を見つめながら、ミルドレットは呟いた。チラリとヴィンセントへと視線を向けると、彼は二人を見つめたまま身動き一つせずに呆然としていた。


「ヴィンス?」


ミルドレットが声を掛けると、ヴィンセントはハッとした様に瞬きした。


「……いや、すまぬ。妙だと思ったのだ。シャペロンの私に何の報告も無かったのでな。以前王城内を案内する約束を取り付けた時は、私を通していたのだが」


——王太子殿下は、アレッサがお気に入りなのかな。

 そう考えて、ミルドレットはズキリと心が痛んだ。そしてその痛みがなんなのかが分からずに困惑した。慌てて心臓のあたりを擦り、深呼吸をした。


——あはは……ニールからはきっぱり振られちゃうし、王太子殿下はアレッサがお気に入りだし。じゃあ、あのキスは一体何だったの?


「……ミリー?」


突然怯えた様に身体を震わせたミルドレットの様子を心配し、ヴィンセントが声を掛けた。


——あたし、これは完全に行き場を失っちゃったかな……。


 ————どうしよう。()()()()()()()()……


 激しく鋭い痛みがミルドレットの背を襲った。それは記憶によるものだったが、ミルドレットは悲鳴を上げて蹲った。


「い……嫌だ、痛い。止めてっ!! ごめんなさい!! ごめんなさいっ!!」


恐怖に怯え、ミルドレットは必死になって震える声を放った。ヴィンセントは眉を寄せ、手を触れようと伸ばしたが、その手をミルドレットはパチリと弾いた。


「どうした、ミリー。何もまだ王太子妃がアレッサに決まったわけでは……いや、何にそれほどに怯えているのだ?」

「悪い子でごめんなさい!! 生まれて来てごめんなさい!!」

「ミリー! 何を言っているのだ!?」

「嫌だ。助けて……師匠、お師匠様っ!!」

「落ち着け、ミリー!」


ヴィンセントは困惑した。どう宥めて良いのかわからず、触れるのも無礼だろうと考えた。先ほどミルドレットに弾かれた手がジリジリと痛む。彼女に対して自分は全くの無力なのだと哀しくなった。


「お師匠様ぁっ!!」

「ミリー、グォドレイ殿は出かけていると……」

「あいよ」


 パッとグォドレイが現れた。深い紫色の髪にアメジストの様な瞳を向け、その手には煙管を持ち、どうやらそれをいつもの様にふかしている最中であったようだ。口調とは異なり嫌に品の良い顔立ちで色気を伴うその男は、長い睫毛を揺らしながらゆっくりと瞬きをした。


 ミルドレットは迷子の子犬が親を発見したかの様に一直線に駆けて、グォドレイの胸へと飛び込んだ。


「おっと。どうした?」


 何も答えず、グォドレイにしがみ付きながら震えるミルドレットの背を撫でて、グォドレイはヴィンセントへと視線を向けた。


「こいつに何かしたのか?」

「いや……そうではないが……」


チラリと中庭の方へと視線を向けたヴィンセントを見て、グォドレイも中庭へと視線を向けた。しかし、アレッサとシハイルの姿はすでにそこには無く、グォドレイは自分に抱き着いて震えるミルドレットへと視線を戻した。


「俺様、仕事中だったんだが……ま、いっか。で? ニコニコ仮面はどこ行った?」

「ニール殿なら、ルルネイア姫と共に魔物討伐へと向かいましたが」

「あー、もうレンタルしたのか。バカだなぁ、ミリーは」

「だって、あたし、ニールに振られちゃったんだもんっ!!」


 ミルドレットの発言にヴィンセントは大岩が頭の上に落ちた気分を味わった。

——今、ミリーは何と言った!? ニール殿に振られた!? ということは、ミリーはニール殿を想っているというのか!?


「あー……ここでそいつを言ったらダメだなぁ」


ショックを受けて真っ白になっているヴィンセントを見て、グォドレイは苦笑いを浮かべた。


「で、俺様を呼んだのは何でだ?」

「シハイル王太子殿下はあたしの事なんとも思ってないんだって分かったから。あのキスは何の意味も無かったんだ!!」

「キスだと!?」


ヴィンセントの突っ込みに反応を見せず、ミルドレットは混乱したまま更に言葉を続けた。


「あたしがいくら努力してもアレッサやルルネイアに適うはずなんか無い。あたし、きっとお父様に殺されちゃうっ! 怖いよ、お師匠様っ!! またあの地下室に閉じ込められちゃう。そんなの嫌だ。嫌だっ!!」

「殺されるだと!?」


ヴィンセントが素っ頓狂な声を上げた。グォドレイは再び苦笑いを浮かべると、「それもここで言ったらダメだなぁ」と、肩を竦めた。


「何だ!? 一体どういうことなのだ!? ミリー、そなたは一体……」


困惑するヴィンセントに、グォドレイはふわりと人差し指を唇に押し当てて片目を閉じてみせた。

 混乱しているミルドレットに、今あれこれ質問を投げかけても答える事は難しいと言っているのだろう。ヴィンセントは頷き、自分の疑問を全て飲み込んで、ミルドレットの身を案じる事に専念した。


 グォドレイがふぅとため息を吐く。


「……めんどくせーなー。この国、ぶっ壊しちまうか?」


そう言うと、ぶつぶつとなにやら計算でもしているような言葉を発した。


「残りの魔力量でも全然余裕だな。お代わりだっていけるぜ。よし、ミリー。俺様に任せろ。お前が嫌がるもの全部ぶっ壊してやる。そうだな、それが一番手っ取り早いよな」


グォドレイの発言にヴィンセントはひゅっと青ざめると、大慌てで首を左右に振った。


「ぐ……グォドレイ殿!! それはいくらなんでも!!」

「え? だって、なんかもうめんどくせぇし。気にするこたぁないさ、王族が崩壊しても、人間は(うじ)虫みてぇにすぐに沸き上がって別の奴が王に据えられる。歴史っつーもんはそうやっていつも繰り返しているのを、俺様はこの目で見て来たんだ。どうせ何も変わらねぇよ、ただの繰り返しだ」

「いや、しかし!! 我々はその繰り返しも無く一度きりの人生でしかないのです。どうかお聞きいただきたいっ!! 大国ヒュリムトンが滅びれば、他国への影響が……」

「俺様にとっちゃあどうでもいいことだなぁ」


必死になってヴィンセントは今、この大国ヒュリムトンの命運をかけて一人戦う羽目になった。

 脳内をフル回転させ、脂汗を垂らしながらグォドレイに弁明する。アメジストの様な瞳でジロリと見据えられ、垂らした汗が一瞬で凍り付きそうな程に恐怖を感じた。


——グォドレイ殿は、本気でここを破壊しようとしている……。

 言葉を間違えたのなら、私の命も、そしてアレッサの命もここで潰える事になるだろう。


「おい、ヴィンス。俺様が知りてぇのは、なんでミリーがこんなにもショックを受けてるのかって事だ。こいつを傷つける奴は誰だろうと赦さねぇ」

「誰にも罪はございません。シハイル王太子殿下がいくらアレッサとデートをしたとはいえ、まだ王太子妃が決定した訳でもありますまい。それに殿下には決定権が無いではありませんか。全ては票集めにかかっているのですから、一旦落ち着き願いたい!」

「ん? あいつ、お前の妹とデートしてたのか?」

「え……ええ。今さっき」

「どうやって?」

「ど、どう……!?」


——どうやってとは!?

 完全にパニック状態となったヴィンセントはオロオロしながら、「中庭で、仲睦まじそうに……」とだけしか言えず、何やら自分が情けなくなってきた。


「ふぅーむ、どっちが本物だろうなー」

「本物とは一体!?」

「ま、いいや。なんか分かったし」


——分かったのか!?


「確かに、ヴィンスの言う通りミリーが傷つく要素は無さそうだ。じゃあ俺様、仕事に戻るとするぜ。今ちょっとばかし厄介な案件に巻き込まれてんだ」


——その割にはその手に持った煙管はなんだろうか……。


「やだっ! お師匠様、それならあたしも一緒に行くっ!」

「うーん……構わねぇが、人の首ばんばん飛んでるぜ? きったねぇけど、いいのか?」


——一体どんな案件!?


「それは嫌だ」

「だろ? だから、ここで大人しくしてろ。大丈夫だって、俺様がついてんだ。またピンチになったらこうやって飛んできてやっからよ」

「絶対来てくれる?」

「ああ。当然だろ? つーか、お前が俺様を召喚したんじゃねぇか」


 ミルドレットは混乱のうち、無意識にグォドレイを召喚していたのだ。それを聞いてヴィンセントは苦笑いを浮かべた。


——魔王召喚よりも性質が悪い……。


「あんまり軽々しく師匠を呼ぶんじゃねぇよ。う〇こ中だったら困るだろ?」

「ねぇ、お師匠様。返還したい時の魔術を教えて?」

「失礼な弟子だな、お前……」


——いや、尻を出した男が召喚されたら誰でも返還したくなると思うが……。


「ヴィンス、ちょっとこっちへ来いよ」


 グォドレイはヴィンセントを手招きした。不思議そうに小首を傾げ、警戒しつつもヴィンセントが手招きに応じると、グォドレイがパチンと指を鳴らした。

 その瞬間、グォドレイとヴィンセントの立ち位置が入れ替わり、ミルドレットがヴィンセントに抱き着いている状態となった。


「!!!!!!」

「ヴィンス、ミリーの事は任せたぜ? なに、夜には戻る」


顔を真っ赤にしながらヴィンセントは頷くと、遠慮がちにミルドレットを抱きしめた。グォドレイはその様子を見つめると、「()()()よりヴィンスの方が合ってそうだなぁ」と、言葉を残し、歌う様な詠唱をしてすっと姿を消した。

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