お師匠様のスパルタ教育
「ったく、お前は何度言ったら分かるんだ。そうじゃねぇよ、ちゃんと見ろ。こうやってこうだ」
「そんな簡単にできたら誰も苦労しないったら!」
ミルドレットとグォドレイは朝から魔法薬の作成に勤しんでいた。それというのも、ミルドレットがエレンの怪我を治したいが為に、師に調合の仕方を聞いたのが始まりだった。
エレンへの魔法薬は完成したものの、次々に他の魔法薬の作り方を詰め込まれて、ミルドレットの脳内は最早パンク状態だ。
「師匠、もう勘弁して!」
「やれやれ、不出来な弟子だぜ全くよぉ」
そう言いながら煙管をふかすと、グォドレイは出来上がった大量の魔法薬をひょいひょいと集めて風呂敷に包んだ。
「師匠、それどうするの?」
「そりゃあ、売るに決まってんだろ?」
「は!? あたしが一生懸命頑張ったのにっ!!」
「分かってねぇなぁ。だから、城の連中に気持ち安くして売って、票を稼ぐんだろ?」
「……票??」
王太子妃候補の選抜戦が票集め制となったことを知らないミルドレットは、小首を傾げた。
グォドレイは愛弟子の純粋な様子にチッと舌打ちをすると、「あーはいはい、俺が儲かりたいだけだよ、悪かったな」と、悪態をついた。
「ほらやっぱり! 師匠は昔っから金の亡者なんだからさぁ!」
二人がそんなやり取りをしている間、ニールはミルドレットの部屋へと続く廊下を歩きながら物思いに耽っていた。
今朝ヒュリムトン王ドワイトに呼び止められた時の事を思い出して腸が煮えくり返る思いを味わった。
「罪人を娶る気か?」
ミルドレットの背にある鞭打ちの痕の噂を耳にしたのだろう。ニールは白銀の仮面の下から一瞬憎悪を込めて彼女を『罪人』と言った父を睨みつけた後、いつものニコニコとした笑顔を向けた。どちらにせよ仮面に覆われた彼の表情を、ヒュリムトン王ドワイトは知る由もない。
「女共の口を封じる術は無いぞ? 既に噂は広まり、あの娘がお前の妃となる事は無いだろう。選抜など諦めたらどうだ?」
ニールは僅かに間を開けた。怒りを鎮める為に時間を要したのだ。
「さて、紫焔の魔導士グォドレイの愛弟子であるという事実で、陛下もそのようにミルドレットを気にかけたではございませんか。貴族達もまた、彼女を私の妃として推すやもしれません」
ニールの言葉にドワイトはふむ、と頷いた。
「尤もだ。あの娘のおかげでグォドレイを我が国に堂々と招き入れる事ができたのだからな。あの娘の価値はそれだけでも十分と言える」
ドワイトは肩を揺らして笑うと更に続けた。
「とはいえ罪人を娶る事はない。ルーデンベルン王に異議を唱えれば、すぐさまアリテミラを寄越すだろうとも」
「何を仰いますやら。父上の仰る『罪人』と私という『暗殺者』。似合いではありませんか」
ニールの言葉にドワイトは声を上げて笑った後、鋭い視線で睨みつけた。
「お前はシハイルだ。この大国ヒュリムトンの王族に、暗殺者など居ない」
——キリキリと嚙み締めた歯が音を発し、ニールはハッとして口元を緩めた。
目の前にはミルドレットの部屋の扉があり、室内から賑やかな話し声が漏れ聞こえている。
誰か客人でも来ているのだろうかと思いながら扉をノックすると、ミルドレットの元気な返事が聞こえ、昨日の傷ついた様子からは大分回復したようだと、ニールはホッとして扉を開いた。
「ニール!!」
ミルドレットが嬉しそうにサファイアの瞳をキラキラと輝かせると、ニールに向かって駆け寄ってきた。抱き着くなと手で制すると、ミルドレットは少しいじけたように唇を尖らせた。
「お師匠様から魔法薬の作り方を指導して貰ってたんだ。これを使えばエレンの傷もすぐに治ると思うよ!」
大きな風呂敷を背に抱えたグォドレイが、満足げに煙管をスパスパとふかす様子を認め、ニールは僅かに頭を下げた。
「紫焔の魔導士グォドレイ殿。こちらにおいででしたか」
「おう」
——ミルドレットに妙な真似をしてないだろうな?
「朝からずーっと魔法薬を作ってて、もうくたくた……」
ミルドレットがサファイアの様な瞳を潤ませて、ニールに同情を促す様に見つめた。
なるほど、つまりは疲れたから今日の勉強は休みたいと言いたいわけかとニールは察した。
「ダメです」
「えー!?」
「覚えなければならないことが山の様にあるのですから」
「なんの勉強だ?」
煙管をふかしながら問いかけたグォドレイに、「王族としての教養です」とニールが答えると、グォドレイは鼻を鳴らした。
「俺には関係ねぇな。じゃあこいつを売って荒稼ぎでもしてくるか」
グォドレイは背負った大きな風呂敷を顎で指してそう言うと、ニールの横を通って部屋から出て行った。
すれ違いざまに「あんたも複雑な男だな」「お気になさらず」という言葉を交わし合って。
ミルドレットは観念したようにソファの上にちょこんと座ると、数冊の本をテーブルの上に置き、勉強の準備をした。
「……ミルドレット様」
ソファに座るミルドレットの前に跪き、ニールはいつもの笑みを浮かべたままの顔でミルドレットを見つめた。
「もう、大丈夫なのですか?」と、聞こうとしたが、ニールの口からはその言葉が出てこなかった。大丈夫ではないと言われたら、と考えて、ミルドレットを開放する次の手段を思案しようにも、グォドレイの存在があまりにも大きすぎるのだ。
ヒュリムトン王はなにがなんでもグォドレイをこの地に留まらせたいのだろう、監視の目が異常なほどに厳しくなった。たった今、ニールが彼女の部屋に向かう途中にも見張りの騎士達が、まるで罪人を監視するかの如く交代制で、ミルドレットの部屋の扉を睨みつけているのだ。
ミルドレットを逃がすには、皮肉なことにグォドレイが足枷となっている。
「心配かけちゃってごめん」
ニールの気持ちを察してか、ミルドレットはすまなそうに声を発した。
「あたし、逃げずに王太子妃になるようにもっと頑張ってみる。ニールがそう望んで、折角色々教えてくれたのに、無駄にしたくなんかない」
——今ここを離れたら、もう二度とニールとは会えなくなる気がするから……。
「私の事など気にかけて頂かなくても良いのです。ご自分の事を一番に案じてください」
ミルドレットがパッとソファから立ち上がり、跪くニールに抱き着いた。
「ごめん。嫌だろうけど、ちょっとだけ我慢して」
「ミルドレット様……」
「自分のことだけ考えたら……あんたにぎゅっとして貰う事があたしにとって一番落ち着くことなんだ」
ニールはため息をつくと、ミルドレットの背を優しく撫でた。ミルドレットにとって『ニール』とは家族のような存在で、男として全く意識されていないのだろうと寂しく思う。
——それでも……。また生かされた。『ニール』として生きて居られる時間を、与えて貰えた。
ミルドレットの前だけでは、『ニール』は存在できるのだから。シハイルとして婚姻するまでの間だけでも、ニールは存在を赦されるのだ……。
そう考えながらも、ニールは自分という存在が何の価値も無いただの空であるということに虚しさを覚えた。
「何故、私が抱きしめる事で、ミルドレット様を落ち着かせる事ができるのでしょうか。笑顔の仮面を貼り付けた私などが……」
「そんな風に考えるなんて意外だね。ニールはいつだってあたしを慰めてくれてたのに。ニールだけは」
そう言いながら、ミルドレットは少し悲しくなった。
——ニールにとって、ルーデンベルンであたしを慰めてくれた時の事なんか、大したことじゃなかったんだろうなぁ……。
「ねぇ、ニール。これからもあたしのヒーローで居てくれる?」
「……王太子殿下の婚姻までの間は」
——あたしが選ばれ様と選ばれまいと、ニールとはそこでお別れなんだ……。
「あたしは王太子妃候補だからね」
「はい」
ミルドレットはにっこりとほほ笑むと、「落ち着いた、ありがと」と、ニールから離れた。
ニールはミルドレットの為に飴玉を持ち歩いている為、微かに甘い匂いがする。ミルドレットの為を思っての行為なので、ミルドレットの為の香りだ。自分に向けられる優しい思いからの甘い匂いを放つニールに、特別な感情を一層強くするのは当然の事だ。
名残惜しい気持ちを悟られないように照れ笑いを浮かべて、ミルドレットはサファイアの様な瞳を細めた。
「今日はいつもの甲冑をつけてないんだね」
ミルドレットの指摘通り、ニールは白銀の甲冑を身に着けていなかった。おかげで互いの温もりが良くわかり、ニールの逞しい身体の様子にミルドレットは少し恥じらいというものを感じたのだ。
「あれはルーデンベルンに居たときの名残ですから。もう必要が無いので、身に着ける事を止めたのです」
ルーデンベルン王に仕える騎士、ニールとしての役目はもう終わったのだ。尤も、隠密行動にも邪魔となるその鎧は表向き上のもので、裏の仕事を任された時には外していたが。
ニールにとっては首輪の様なものだった。今ではシハイルとしての白銀の仮面という新たな首輪があるのだから、古いものは捨てることにしたというだけだった。
「そのコート、似合ってるよ。その方がずっといい」
ニールは白銀の甲冑を外した代わりに、濃紺のコートを羽織っていた。上質な生地のそれは、兄シハイルが遺した私物だったが、仕立てた後一度も使用されずにクローゼットの奥で眠っていたものだった。
「ありがとうございます」
いつか、ミルドレットが『ニール』の為に選んだ服を身に着けたいと思いながら、それは叶わない願いだと、ニールは小さくため息をついた。
「あんたってさ、結構おしゃれだよね」
「……そうですか?」
「あたしなんか、麻でできたワンピースしか持ってなかったもん」
そういえば、グォドレイはなぜミルドレットにまともな服を与えなかったのだろうかと考えて、石で洗ってすぐダメにしてしまうからか? と、ニールは苦笑いを浮かべた。尤も、あの掘っ立て小屋での生活に煌びやかな衣装では不便極まり無いのは確かだ。
そう考えて、ニールは昨夜の事を思い出してニコニコ仮面にピシリと皹を入れた。
——あの男、ミルドレットと風呂に入って居たと言っていなかったか?
「……ミルドレット様。一つお伺いしても?」
「うん。なに?」
きょとんとしながら小首を傾げる様が妙に愛らしかったので、ニールは一瞬躊躇いつつも咳払いをして落ち着きを取り戻した。
「あの掘っ立て小屋での生活では、グォドレイ殿と入浴をされていたのですか?」
ニールの質問にミルドレットがカッと顔を真っ赤にした。
「な、なんで知ってるの!?」
「グォドレイ殿が仰っておりました」
「うわ! 酷いやお師匠様っ!!」
ミルドレットが涙目になると唇を尖らせて、いじけた様な顔をした。
「だ、だって。あたし、蛇が苦手なんだ」
「……蛇?」
「あの洞窟、蛇が沢山出るんだもん。だから入浴中は魔術で払ってるんだけど、あたしはお師匠様と違って落ちこぼれだからさ、魔力がすぐに枯渇しちゃうんだ。だからお師匠様の魔術でなんとかしてもらってるんだけど、頭を洗ってる時とか目を閉じてておっかないから、一緒に入って貰ってたんだ。ひっついてたら安心なんだもん」
——つまり、師匠を便利道具として入浴につきあわせていた……? 契約の魔術により、彼女が生娘であることは明確だ。
ニールはその話を聞いて、グォドレイはとんでもない紳士なのかもしれない、と、彼に殺意を抱いた事を申し訳なく思った。
しかしそうなると、ミルドレットを妻にしようと考えたグォドレイの行動に疑問が生じる。彼はミルドレットを異性として見ていなかったのではないかと思えるからだ。
「ここのお風呂は快適でいいよね。海水じゃないし、侍女が一緒に居てくれるから怖くない」
「……ええ、まあ」
「今度蛇がいそうなお風呂に入る時は、ニールに守って貰えばいいけどね」
「お断りします」
「ちょっと! あんたあたしの護衛なんじゃないの!?」
「一緒に風呂に入る護衛などいませんよ」
「ケチ!!」
「ケチで結構です」
頼むからもう少し恥じらいを身に着けてくれ、と、ニールは呆れかえってため息をついた。
「そういえばさ、もし王太子殿下と結婚したら、あたしって殿下と一緒にお風呂に入るの?」
「そんなわけないでしょう。もう、風呂の話は止めましょう」
「なにさ。それくらい教えてくれたっていいじゃないか。ケチっ!」
——それほどまでに言うのならば異性交遊についての勉強を始めますよ。
と、ニールはニコニコ仮面に皹を入れながら苛立った。




