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ミルドレット・レイラ・ルーデンベルン

 傷は酷く熱を持つ。お父様に鞭打ちをされた後は、数週間は寝込む。

 地下牢から引きずり出され、馬小屋の隅に転がされているあたしを、馬番の少年がいくらかの駄賃を受け取って世話をしてくれた。


 逃げられては駄賃が貰えなくなるからと、あたしの手足は縄で縛りつけられていた。排泄もままならず、その場で用を足すしかないため酷く匂ったけれど、馬小屋の中であれば誰も気に留めもしない。


 大分熱が退くと、手足の縄を解いて貰えた。


 凍える程に冷え込む日でも、凍り付く様な水で身体を洗い、体中しもやけだらけになりながら着替えをした。そうしなければ、またお父様に地下へと連れて行かれるからだ。ひりひりとした痒みにも我慢しなければならない。人前で身体を掻いたりしたのなら、お父様に地下へ……


「お兄様、こいつ、また身体を掻いてます!」


 三人居る兄のうち、三男はそうやっていつも告げ口をすることを得意としていた。兄の名は、もううろ覚えでしかない。一番上の兄は確か、クロフォードだった気がしたけれど……。


「ごめんなさいっ!」


——また、地下へと連れて行かれる!!

 あたしは恐怖で震えあがり、そうやって脅されるだけで簡単に失禁した。三男はそれを期待し、わざとそうして脅かすのだ。

 長男のクロフォードはそんな私を冷たく見つめ、一族の恥だと言わんばかりに舌打ちをして見て見ぬふりをする。


 そして、こう言うのだ。


「泣く事は赦さぬぞミルドレット。どんな時も王族たるものは笑うのだ。それができぬ弱者は不要だ」


 あたしは、濡れて冷たい服のまま笑った。


 本当は泣きたいのに。泣いて、喚いて、嫌なものは嫌だと伝えたい。そんな全てを押し殺してあたしは笑い続けた。


 当然周囲はあたしを頭のおかしな娘であると烙印を押した。


 人前では泣けないあたしは隠れて泣いた。元々泣き虫なのか、笑っていない時は悲しくもないのに不思議と涙が出て来るのだからどうしようも無い。


 誰にも見つからない様に、こっそりと。


 裏庭はあたしの絶好の隠れ場所だった。中庭ではお茶会だ散歩だとよく家族と出くわすけれど、裏庭には殆ど人が寄り付かないからだ。勿論、泣いたとバレてはいけない。泣いている間は顔を決して拭いてはならない。鼻水もそのままだ。ひとしきり泣いて落ち着いたら、井戸の水で洗い流せば誰にも気づかれずに済む。


——四歳のあたしは、そんな技を習得していた。


 いつもの様に裏庭でこっそりと泣いていると、すぅっと人影が太陽の光を遮ったので、驚いて顔を上げた。足音も無く近づいたその何者かを見つめ、あたしはペタリとその場に座り込んだ。


 それは、見慣れない少年だった。赤みがかった栗色の髪に、穏やかな笑みをその顔に浮かべた少年だ。


「……ごめんなさい!!」


 咄嗟に謝ったあたしに、少年が「なにがですか?」と小首を傾げた。


「だって、な……泣いちゃったから」

「泣くと謝らなければならないのですか?」


 頷くあたしを前に、彼は少し考えた後、小首を傾げた。


「では、私は一生誰かに謝る必要は無さそうですね」

「え……?」


 彼は笑顔のまま表情を変える事なく頷いた。


「私のこれは、最早外す事のできない仮面なので」

「あたしも、欲しい!!」


 もしもその仮面を手に入れる事ができるのなら、あたしは叱られずに済むのだ。正に夢の様な仮面だ。

 思わず叫ぶように言ったあたしに、彼は少し考えた後、小さな包みを取り出した。中を開くと、キラキラと輝く色とりどりの宝石の様な物が入っていた。


「口を開いてください」


 言われるがままに開いたあたしの口に、彼はポンとその宝石を放り込んだ。甘い味がふわりとひろがり、舌の上で転がすと、カラコロと歯に当たって良い音が鳴った。


「ほら、一時的ですが、貴方は笑顔の仮面を手に入れました」


 彼に言われ、自分が笑っている事に気づいた。あたしは嬉しくなって「ホントだ!! 魔法使いみたい!」と、彼に言った。


「魔法使いですか。憧れますね」


——簡単に人を殺せるだろうから。


「あたしも、魔法使いになりたい!」


——簡単に笑顔になれるだろうから。


「貴方が泣けないなら、あたしが代わりに泣いてあげる!」


 笑顔の魔法をかけて貰えたというのに、何もしてあげられないあたしは、せめてこれだけでもという思いから、そんな言葉を言っていた。彼は驚いたのか、言葉を飲み込んだように口を噤んだ。


「あ、あの……そう! どうしてこんなところに居るの? いつもは誰も居ない場所なのに」


 怒らせてしまったのかと心配になり、あたしは話題を変える事にした。彼は頷くと、少年とは思えない大人びた様子で、しかし、笑顔のままため息をふぅっと吐いた。


「私は、生まれてはならない存在です。ですから、居ない者と思っていただければ結構です」

「え? でも、ここに居るのに?」


 小さな掌で、あたしは彼に触れた。


「ほら、触れるし、ここにいるよ? そうでしょ?」


不思議そうに見上げるあたしに、彼は笑みを浮かべたまま寂しげに眉を寄せた。


 さぁっと風が吹いた。彼の赤みがかった栗色の髪がサラリと揺れ、あたしの短く刈られた銀髪も少しだけ揺れた。


「貴方の名は?」

「ミルドレット・レイラ・ルーデンベルン」


 答えたあたしの前で彼は跪いた。


「ミルドレット様のお側のみ、私の居場所です」


 その頃のあたしには、彼の言っている意味が全く理解できなかった。それでも友人になれたのだと思い、初めてできた友人に嬉しくてあたしは満面の笑みを向けた。


「名前は、なんて言うの?」


 彼が答えようとした時、遠くから「ニール!!」と、叫ぶ声が聞こえ、彼は困った様に肩を竦めた。


「名乗る前に知られてしまいました」

「……ニールっていうの?」

「はい」

「苗字や、ミドルネームは?」

「ありません。ただの『ニール』です。私には家族が居ませんから」


 ああ、だから『生まれてはならない』と言っていたのか。


「……家族が居ないなんて、羨ましい」


ポツリとあたしが言った時、再び彼を呼ぶ声が聞こえた。彼は寂しげに微笑んで頷くと、手を振るわけでもなく、物音一つ立てずそのまま足早に去って行った。


 その後、ニールという存在はお父様であるルーデンベルン王のお気に入りなのだと知らされた。


『お気に入り』


 あたしは……?

 お父様にとって、あたしは……何……?


 ニールと逢える事を期待して、あたしは時間さえあれば裏庭へと足を運んだ。お父様のお気に入りである彼に会える事はほとんどなかったけれど、偶に会う時は決まってあたしは泣いている時ばかりだった。ニールはその度にあたしに飴玉を差し出した。


 あたしが七歳になった頃だったと思う。お母さまがあたしを修道院に入れると言い出した。お父様からの罰がひと際酷く、死にかけた事が原因だったみたいだけれど、お母さまは直接あたしとは会話をしてくださらないのでよく分からない。

 あたしはそのことを一番上の兄、クロフォードから聞いたのだ。


『明日には厄介払いが出来て皆喜んでいる』


 複雑な気分だった。お父様からの罰は無くなるけれど、ニールと逢えなくなってしまうからだ。


 けれど、彼の笑顔は会う度に凍り付き、少年の頃の穏やかな印象とはかけ離れてきたようにも思えた。それは恐らく、お父様のお気に入り故に、様々な仕事をさせられているからなのだと噂に聞いた。


 修道院に行く前に、ニールに会いたいと裏庭であたしは待った。


——ニールはなんて言うかな。少しは寂しがってくれるかな?


 そんな期待を胸に抱き、叱られても粘り続け、とうとう引きずられる形であたしは修道院へと送り出された。


 修道院のシスター達も、やはりあたしを落ちこぼれ扱いした。


——それは、『泣く』からだ。


 でも、どんなにか叱られようとも、あたしは泣くことを止めなかった。あの日、ニールの代わりにあたしは泣くのだと約束したからだ。

 シスター達はお父様の様にあたしを鞭打ちするようなことしなかった。だから、どんなにか叱られてもあたしは平気だった。


——あれは……夜、蝋燭の火の元で本を読みふけっていた時のことだった。

 廊下を歩く音がキシリキシリと近づいてくる事に気づき、あたしは慌てて火を吹き消して、布団の中に潜り込んだ。本を遅い時間まで読んでいると叱られるからだ。


 部屋は普通、十名以上の相部屋だったけれど、あたしだけは落ちこぼれだからか、個室だった。と言っても、窓もなく、外側から鍵をかけられるので、独房と言っても良いような部屋だった。まるでルーデンベルン城の地下室をも彷彿させる部屋だ。


「こちらです、陛下」


シスターの声が聞こえた。


「うむ。皆外せ。あれと二人きりで話がしたい」


あたしはその声を聞き、ベッドの上で飛び跳ねんばかりに驚いた。


——お父様だ……。


 心臓が激しく鼓動し、脂汗が体中から吹き出た。吐き気すらしてくる中、カチャリと部屋の鍵が開けられる音を聞き、思わずあたしは悲鳴を上げた。



 それから三年程経っただろうか。あたしは泣く気力もなく、ただ毎日を過ごしていた。何をするにも億劫だった。食べ物を噛む事も、眠る事も、息をすることすら……。


——それでも……。

 夜、カチャリと鍵が開く音が聞こえると、あたしは飛び起きる。無駄だと分かっていても部屋の隅に依り、全身を固くし、小さく縮こまる。ガタガタと恐怖で震え、歯が割れんばかりに口の中でガチガチと音を発する。

 今日は何時間耐えなければならないのだろうか。いいや、あたしが耐えられず気を失おうと、止めはしない。肉が抉れ、骨にまで鞭が響こうとも、決して……。


「ミルドレット様……?」


 戸惑う様な声を掛けられた。


「そのような隅で、何をしているのです?」


 恐る恐る顔を上げた。


「ニールです。もう、お忘れになりましたでしょうか」


 ニコニコとした笑顔をあたしに向ける彼を見上げたまま、暫くじっと動かずにいると、彼はゆっくりと膝をついた。


「長い王命に区切りをつけ、ルーデンベルン城へと戻ってみると貴方のお姿が消えておりましたので、お探しいたしました」


 ニールはそう言うと、僅かにため息を吐いて周囲を見回した。


「こちらはあまり、良い環境とはお世辞にも言えませんね」


「……どうして探していたの?」


呟く様に放ったあたしの言葉に、ニールは「私の居場所ですから」と答えた。あたしは首を左右に振った。


「あたし、もう泣けないの。だから、ニールの居場所を無くしちゃったの……! ごめんなさい!!」


 ニールは笑顔のまま頷くと、あたしの頭を優しく撫でた。


「そのお言葉だけで十分です。ミルドレット様のお優しい心が私の居場所ですから」

「……あたしの、()()()がニールの居場所?」

「はい。そのお優しさが失われない限り、私の居場所もまた失われることはありません」


 すっとニールは立ち上がると、「ですから、優しさを失わずにいてください」と、言って、立ち去ろうとした。


「待って! もう行っちゃうの?」

「……はい」


ニールは頷くと、「ですが、私はこちらの鍵をかけ忘れてしまいます」と言った。


 彼はその言葉通り、部屋の鍵を掛けずに出て行った。


——逃げろっていうこと? あたしが、ニールの唯一の居場所だから。優しさを失わない限り……。


 あたしは、物音を立てないようにそっと静かに修道院を出た。


 そして、一心不乱に全速力で駆けた。ガリガリにやせ細り、体力もほとんど残っていなかったけれど、ニールの居場所を無くしてはいけないと思ったから。


 ニールだけは、あたしの………。


 それなのに、ニール……。一体どうして?


『優しさとは、余裕のある者のする事です』


 ニールはもう、あたしを要らないんだ……。あたしの居場所は、ニールの側じゃないんだね……。

 ヒュリムトンの王太子妃候補として迎えに来たと聞いた時、あたしがどんな気持ちだったかなんて、きっとあんたには分からない。


 お師匠様の所に帰すって言われて、あたしがどんな気持ちだったか、あんたには……一生分からない。

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