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背中の傷は心の傷

 白亜の壁に真紅のカーテンが垂れ下がり、灰色の大理石の床には真紅のカーペットが敷かれ、奥に据えられた玉座にはこの国の王、アーヴィング・ガブレビノ・ルーデンベルンが鎮座していた。

 ニールは威風堂々とカーペットの上を歩き、王の前で跪いた。窓から射し込む日差しが彼の赤みがかった栗色の髪を茜色に染め上げる。


 アーヴィングはうんざりしたように一度ため息をついた後、わざとらしくニールの機嫌を取る様な声色を上げた。


「久しいな。またここへ戻って来るとは思わなかったが、何用か? 随分と急いでいるようだが」


 ニールのマントの裾は泥で汚れていた。


「ミルドレット姫の事でお伺いしたく、馳せ参じました」


 馬車では休み休み七日程かかるところを、ニールは馬を乗り継ぎながら寝ずに走らせ、たったの二日でヒュリムトンからルーデンベルンの王城へとたどり着いた。


「余に何を聞きたいというのだ。()()とはもう永らく顔を合わせておらぬというのに」

「何故ご自分の娘をそのような呼び方をなさるのです?」


 ミルドレットを『あれ』と呼んだアーヴィングに、ニールは間髪入れず怒りを露わに声を放った。


 ニールが調べた限り、ミルドレットはルーデンベルン王と王妃の血を受け継いだ正真正銘の娘で、他の兄姉達となんら変わりは無く、不貞で他の血が混じったということも無かった。


「理由などない」


アーヴィングの言葉に、ニールはぎゅっと拳を握りしめた。


「……理由もなく、彼女に(むご)い仕打ちをなさったというのですか?」

「余を責めるのか?」


 アーヴィングの傍らに立っていた騎士達が剣の柄に手を添えた。

 ニールはニコニコと笑みを作ったまま、動じずにアーヴィングを見据えた。


「陛下こそ、私を相手に戦うおつもりですか?」


 ニールから発せられるただならぬ殺気に、剣の柄に手を当てていた騎士達は思わずゾクリと背筋を凍らせた。恐怖に震える身体が甲冑を振動させ、カタカタという音がアーヴィングの耳に届いた。


 アーヴィングは、フト想像した。『ニールを捕らえよ』と号令を出した途端、彼が瞬時に騎士の背後に現れ、甲冑の隙間へと難なく短剣を滑り込ませて命を刈り取る姿を……。


「……やれやれ、お前の有能ぶりは余の最も知る所よ。騎士団総出でもお前に適うかどうか。そのような負け戦をあれの為にするほど浅はかではない」


 ミルドレットと同じ銀髪をかき上げて、アーヴィングは大きくため息を吐いた。


「皆席を外せ。この者と二人で会話したい」


 アーヴィングの指示で騎士や執務官達が足早に謁見の間から出て行き、扉を閉じた。


「ご理解頂き感謝いたします」

「化け物め」


 アーヴィングはすっと玉座から立ち上がると、僅かに顎を動かしてニールについてくるようにと指示した。立ち上がり、素直に応じてアーヴィングの一歩後ろをニールがついていくと、謁見の間の後方にある扉から廊下へと出た。

 廊下を進んで奥にある扉を開けると、地下へと続く暗い階段が目に入った。アーヴィングは燭台を手に取ると、その階段をゆっくりと下りて行き、ニールもそれに続いた。


 暗く日の光が届かないジメジメとした階段を下りて行くと、薄汚れた木製の扉が燭台の灯りに照らし出された。アーヴィングはそれを押し開き、室内で燭台を掲げて照らした。


 カビの匂いが酷い室内には粗末なベッドが隅に置かれ、悪臭を放つ木桶が置かれているだけだ。壁はごつごつとした石造りの分厚い壁で、窓もないこの部屋は地下牢であると容易に想像できた。


——私に適わないと思い、閉じ込める気か?


 そう考えたが、すぐにそれは無いだろうと考え直した。ニールにとってアーヴィング一人をこの場で殺す事など造作も無いことだし、アーヴィング自身それが分からない程無能ではない。この男の強かさは嫌になる程理解している。

 では、なぜわざわざこんなところに案内したのか、と、ニールはアーヴィングをじっと見つめた。


 不愉快でならなかった。この陰気な場所に一秒たりとも長く身を置きたくはないと思ったのだ。


「……あれは兄姉達とは別に、ここで四年程生活していた」


——ミルドレットが、この部屋で四年……?

 ニールは体中の血液が凍り付いた様な感覚に陥った。


「偶にこうして訪れては鞭を打った。あれの上げる悲鳴が余には心地が良くてな。ぐったりと力を失い気絶したあれの背を更に叩き、身体が痙攣する様を見ると余は堪らなく高揚するのだ」


 小さな身体で、ミルドレットは無抵抗のまま……。


「妃が見かねてあれを修道院に入れたのだが、余はあの快感を忘れる事ができなかった」


 修道院にまでアーヴィングは行き、ミルドレットを……。


「一体何故です……?」


 目の前に居る異常な男を見つめながら、ニールは問いかけた。アーヴィングはほんの少しだけ首を傾げ、「さて」と言うと、溜息を吐いた。


「理由など無い」


——理由が無いとは何だ……?


「余も考えた。しかしいくら考えても分からぬ。理由などないのだよ」


——それほど残酷な理由があるものか!


「ニールよ。いや、今はシハイルと呼ぶべきか? 親は子を愛するのが普通であり、それに理由などないのだろうが、憎むことにもまた理由が無いのだよ。余が異常であることは自覚しているが、どうしようもないことだ。誰かに理解して貰おうとも思わぬ。余も自分がわからぬのだ、お前にも分かるまい。しかしヒュリムトンの王はどうだ? お前にも通じるものがあるのではないか? 理由もなく憎まれる側の気持ちがな。人は肌の色や顔の造形など、様々な理由をこじつけて他を蔑み踏みにじろうとするだろう。そう、()()()()なのだ。己を正義と信じ疑わぬからこそ、『理由』が必要なのだよ。そう思わぬか?」


 ニールは固く握りしめた拳を震わせながら、黙ってアーヴィングの言葉を聞いていた。


 シハイルの代わりとして課された仮面をつけた生活も、その『妃となるものに求められた酷な未来』も、国の掟という名目はあったとしても、理由が無いとは言えないだろうか。

 世の中のほとんどの事はこじつけであり、理由が無いものが多いのかもしれない。


——それ故に残酷だ。


 どれほどに必死になってその深い闇から這い上がろうとしたところで、『理由』が無いが故に出口もまた無いのだ。


「あれを妻として(めと)る気か? さすれば余はヒュリムトンの後ろ盾を手に入れる事になるだろう。余を憎むお前はそれを望まぬだろうがな。世の中はなんとも皮肉だとは思わぬか?」


 ニールはミルドレットをヒュリムトンに連れて行った事を激しく後悔した。彼女を想うのならば、あのまま放っておいてやれば良かったのだ。


——いや、今からでも遅くは無い。王太子妃候補から除名し、紫焔の魔導士グォドレイの住処に戻してやればいい。あの場所ならば、訪れる者もほとんど居ない、絶好の隠れ場所なのだから。例え王であろうとも、手出しすることができない唯一の場所であるとも言えるだろう。


「貴方の思惑通りとはならないでしょう」

「アリテミラを娶ってもまた同じことだ」


 ニールは答えずに踵を返し、地上へと続く階段を一人上って行った。

 急ぎヒュリムトンに戻り、ミルドレットを少しでも早くあの場所から解放してやらなければならない。

 乗り継いできた馬はもう使い物にならないだろう。厩舎で最も上等な馬を拝借するくらい、アーヴィングも咎めないはずだ。


「ニール!」


 廊下を急ぐニールを呼び止めて、ふわりとドレスの裾を揺らしながら、艶めく銀髪を風に靡かせて紺碧の瞳を嬉しそうに細めた。

 アリテミラ・グレイス・ルーデンベルン。ミルドレットの姉であり、ルーデンベルンの第一王女だ。


「いらしていたのですね。お会いしたかったわ。今はシハイル王太子殿下とお呼びするべきだったかしら」


 ニールは彼女を無視してしまいたい衝動を必死に抑え、足を止めた。ニコニコと笑みを浮かべ、優雅に礼をする。


「アリテミラ様。お久しゅうございます」

「他人行儀な振る舞いはお止しになって。私は貴方の妻となることをずっと望んでいるというのに」


 ミルドレットを逃がせば、今度はアリテミラがシハイルの妃候補として送られることだろう。しかし、票集めはすでに開始されている。そうそうすぐに他の候補者達を貴族達にあてがう真似はしないだろう。

 ただ、ヒュリムトン王や王妃がアリテミラをシハイルの妃として求めている事は事実だ。結果、彼女は何の苦労もなくシハイルの妻として、ゆくゆくはヒュリムトンの王妃として、祝福されながら迎えられるのだ。


「アリテミラ様。兄の死にさぞかし心を痛めたことでしょう。まさか私がヒュリムトンの王位を継ぐ事になるとは思いもよりませんでした故、貴方には心苦しいばかりです」


 アリテミラの発言を難なくかわしてそう言うと、ニールは差し出されたアリテミラの手をとり、その甲にキスをした。


「王太子妃候補の選抜はどのような状況なのかしら。ミルドレットは全然ダメでしょう? あの子は昔から要領も悪くて、何一つまともになんかできないのだもの。私はいつ呼ばれるのかと待っていますのよ」


 シハイルとして生きる。自分に課せられた牢獄に、ミルドレットを巻き込むことは諦めよう。ニールはそう考えて、笑みを浮かべたまま僅かに頷いてみせた。


「ミルドレット姫も努力しておいでですが、まだまだ不足はあるかと」

「貴方がこの王城に身を寄せている間も、私は貴方をずっと想っていたのだもの。望みが叶ってどれほど嬉しいか。お父様に何度もお願いしたのですよ」


 恥ずかしそうに頬を染め、アリテミラが言った言葉に、ニールは全身の鳥肌が立った。


——アリテミラが、私との婚姻を望んでいた……?


「ヒュリムトンの王城に行く準備は整っていますわ。もう、待ち焦がれて気が変になってしまいそうよ」


——もしや、兄シハイルを暗殺したのは……

 アリテミラと私が婚姻を結ぶ様にと、アーヴィングが図った……?


 ゾクリと背筋を凍り付かせながら、いいや、違うだろうとその考えを否定した。


——アーヴィングは自分の利益にならない事をする男ではない。

 アリテミラが兄上の元に嫁入りとなった方が、私という武器を手放さずに済んだはずなのだから。では、一体……?


 ニールは居てもたっても居られずにパッと駆けた。

 こんなところで油を売っている暇はない。急ぎヒュリムトンに戻り、ミルドレットを逃がさなくては。

 一刻も早く、暗躍渦巻くあの城から彼女を解放しなければならない……。

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