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ルルネイアのお茶会

 色とりどりの花々が咲き乱れる城の中庭で、ピンと張ったテーブルクロスが敷かれた長テーブルの上には高価な食器類が並び、中央にはテーブルフラワーが飾られている。華やかな軽食やスイーツが使用人達の手によりいそいそと運ばれ、ミルドレットはわくわくしながらその様子を眺めていた。


 今日はルルネイア主催のお茶会の日だ。しかし、招待客の中にはヒュリムトンの王妃も含まれており、実質上王妃の後ろ盾を得たアフタヌーンパーティーなのだと言えるだろう。

 そうでもなければルルネイアが賓客の立場で王妃の庭を借りる事などできないのだから。


 招待された貴族の令嬢達も、その華やかで豪華な会場の様子に、ルルネイアが王太子妃候補として有力であると囁くのも当然の事だった。


「こんにちは、ミルドレット姫」


 声を掛けて来たのはアレッサだった。浅黒い肌に艶やかな黒髪の彼女は、黒曜石の様な瞳を細めて愛嬌のある笑みを向けた。

 すぐ隣にはヴィンセントが品のいい笑みを向けて控えている。


「アレッサ、久しぶり! あたし、お茶会なんて初めてだから緊張しちゃって」

「あら、付き添いの方はいらっしゃらないの?」


 エレンはまだ怪我が完治していない。そしてニールは急用があるとヒュリムトンの王城を留守にしていた。


「うん。今日はあたし一人だけ」


 ヴィンセントはニールから、ミルドレットをくれぐれも宜しく頼むと言われていた。人の良いヴィンセントなら、そんな風に頼まれたら無碍(むげ)にはできないと分かってのことだ。


(さぞ)かし心もとないことだろう。何かあれば私を頼って貰って構わぬ」


 ヴィンセントの言葉にアレッサが驚いて、思わず兄を見上げた。彼は整った顔立ちの頬を僅かに染め、ミルドレットを優しい眼差しで見つめていた。すぐにミルドレットに気があるのだと察知し、アレッサは困った兄を小さく肘で小突いた。


「心配ないわ。私達は王族ですもの、堂々としていればいいのよ」

「その通りだ。それに今日は人数も多く立食形式なのだから、身構えずともよい」

「そ、そうね。ヒュリムトン王妃様がいらっしゃるので、ご挨拶は忘れずに」

「不安ならば私が付き添ってやっても良いぞ」


 アレッサの言葉にいちいち重ねてくる兄に苛立って、彼女はヴィンセントの肘をぎゅっとつねった。


「いっ!!」

「あら、お兄様。虫にでも刺されてしまったかしら?」


ミルドレットはハッとして心配そうにヴィンセントを見つめた。


「虫!? あたし、いい薬持ってるよ」

「大丈夫です。お兄様には免疫がありますから。すこし洗面所で頭を冷やしてきてくださいな」


 アレッサは強引に兄を中庭から追い出すと、これでゆっくりミルドレットと話が出来ると考えた。何気なく歩を進め、他の貴族令嬢達ができるだけ多く居る場所へと移動する。


「素晴らしい庭園ですわね。この花はヒュリムトン王が王妃様の為にと贈ったそうですわ」

「へぇー。そうなんだ? よく手入れされてて綺麗だね。アレッサは物知りで凄いなぁ」

「この間、王太子殿下に王城を案内して頂いた時に教わりましたの」


 貴族令嬢達がアレッサとミルドレットの会話に聞き耳を立てる。わざと会話を聞かせ、票集めに貢献させようという魂胆なのだ。


「王太子殿下は大変お優しく私をエスコートしてくださったわ。二人きりで王城内をくまなく見て回りましたの。とても有意義で素晴らしい時間でした」

「いいなぁ。あたしはいつも一人で探検してるもん」


 アレッサの思惑も露知らず、ミルドレットはアレッサの話に耳を傾けて素直に応答していた。


『まあ、王太子殿下とお二人で?』

『アレッサ姫は王太子殿下のお気に入りなのかしら』

『だとしたら、王太子妃はアレッサ様で決定なのではないかしら?』


 周囲でそんな風に囁かれているとは思わず、ミルドレットはのほほんとしながらテーブルの上に置かれているお茶菓子を見つめた。


——美味しそうだなぁ。

 と、考えて、ニールのマナー講座がふと頭の中に浮かんできた。

 サンドイッチを先に食べる事。スコーンは手で割り過ぎてボロボロにしないこと。お茶は自分では注がず、主催者に注いでもらう事。


 そう思い出して、手元にお茶が無い事に気づいた。


「ねぇ、アレッサ。お茶ってどうするの?」


 ミルドレットの一言に、アレッサ含め、周囲に居た令嬢達も絶句した。


「ルルネイアのところにカップを持って貰いに行けばいいのかな?」


周囲の令嬢達から失笑が漏れ聞こえてくる。アレッサはミルドレットに恥をかかせる気など無かったので、慌ててフォローしようと口を開きかけた時、すぐ側に立っていた令嬢が聞こえる様にわざとらしく声を上げた。


「ルーデンベルンの王族は変わっていますわね。主催者へのご挨拶も無くお茶を召し上がろうとなさるだなんて」


 ミルドレットはまだここに来たばかりだというのに、なんて失礼なもの言いだろう、と、アレッサが腹を立て、どこの令嬢か家紋を問いただしてやろうと見つめた時、ミルドレットがあっけらかんと「そっか! 教えてくれてありがと!」と言ったので、開いた口が塞がらなくなった。


「そうだよね、ルルネイアに挨拶してこなくちゃ。アレッサ、また後でね! お洒落なお姉さん、教えてくれてありがと!」


 ドレスの裾を持ち、ミルドレットはニールからの教えを守り、一生懸命に品良くいそいそとルルネイアの方へと向かって行き、その様子を令嬢達はクスクスと笑い声を上げて見つめていた。


 アレッサは兄のヴィンセントがどうしてミルドレットに心を寄せたのか分かった気がした。

 ユジェイ国の民はその肌の色から虐げられる事も度々あった。だからこそ王族とはいえ他国へ赴く事には難色を示し、まして今回の事の様に他国に嫁ごうとするとなると、王宮内でも相当に揉めた事だった。

 常に敵意むき出しの目に晒される事も覚悟の上だったものの、ヒュリムトンでは思いのほかそういった差別には遭わなかった。


 それだというのに、今目の前で王族の姫君が嘲笑われている。


 素直で心の清らかな姫君が、だ。何一つ彼女は周囲を不快にさせるような事などしていないというのに。


 ヴィンセントは、恐らくミルドレットのひたむきな純粋さと、飾らない姿に惹かれたのだろう。心に壁を作り、虚勢を張って訪れたこの国で、彼女の様な女性に出会えるとは思いもしなかったからだ。

 まるで、自分達も本来のまま、肩肘張る必要も無いのだと言われている様な、そんな風に思ったのだろう。


「ルルネイア姫!」


 ミルドレットはルルネイアの側へと赴くと、ニールに教わった通りに優雅に膝を折った。


「お招きくださりありがとうございます。ご挨拶が遅れて申し訳ございません」


 ミルドレットのその様子を貴族令嬢達もアレッサも皆で注目していた。ルルネイアの態度一つでミルドレットの立場が決まる。

 受け入れたのなら貴族女性達も皆ミルドレットを受け入れるだろう。しかし小ばかにしたのなら……。


「まあ、ミルドレット姫。貴方とお会いするのを楽しみにしておりましたのよ」


 ルルネイアが満面の笑みでミルドレットの両手を持った。


「本日はヒュリムトンの王妃様もいらしてくださっています。私達同じ王太子妃候補同士、仲良くしましょう」


 アレッサはルルネイアの言葉を聞いて唇を噛みしめた。ルルネイアの言葉は、『同じ王太子妃候補とはいえ、ミルドレットとは格が違うが、それでも仲良くしてあげよう』という、完全にマウントを取った言葉だった。

 上手いものだ。決して自分を悪者に見せる事無く、周囲の票を全て(かす)めとる事に成功したのだから。


「わたくしは認めておりませんよ」


 パタパタと扇で仰ぎながらその言葉を放ったのは、ユーリ・ザティア・べルンリッヒ・ヒュリムトン。ヒュリムトンの王妃だった。


「ミルドレット姫。貴方は姉のアリテミラ姫の身代わりではありませんか。ルルネイア姫と同じ王太子妃候補ではありません。部を弁えなさい」


 王妃の言葉で一瞬のうちにその場が凍り付いた。温かい庭園であるはずが、咲き乱れる花々すら粉々に砕け散ってしまうのではと思う程に冷たい空気に包まれた。


 ルルネイアも王妃の言葉は意外だったのだろう。驚いて深緑色の瞳を見開き、強張った表情を浮かべていた。


「……どうした? 何かあったのか?」


ヴィンセントがアレッサの側へと戻って来ると、ただならぬ雰囲気に眉を寄せた。


「ご、ごめんなさい。あたし……」


ミルドレットは困惑しながら慌てて王妃に頭を下げた。もしかしたら、主催者よりも先に王妃に挨拶をすべきだったのかもしれない。だから怒っているのだろうと思ったからだ。


「ご挨拶が遅れて……」

「貴方がこの場に居る事すら汚らわしいことです」


王妃の言葉にミルドレットは困惑した。


——どうしよう。失敗しちゃった。ニールに申し訳ない……。折角一生懸命色々教えてくれたのに。こんな場合にどうしたらいいのか、あたしには全く以て見当もつかない。


 ヴィンセントが状況を理解し、ミルドレットの元へと向かおうとすると、服の裾をアレッサが慌てて掴んだ。


「いけません、お兄様」

「何故だ? あれではミルドレット姫があまりにも不憫だ」


アレッサに捕まれた服の裾を払おうとするヴィンセントに、アレッサは首を左右に振った。


「ですが、お兄様は彼女を想っているのでしょう? 彼女が王太子妃に選ばれなければ、お兄様としては喜ばしいのではないのですか? ヒュリムトンはユジェイの民にも差別をしません。望めば爵位も授かりましょう。彼女と共に過ごす事も夢ではありませんわ」


 ミルドレットが欲しければ、彼女が王太子妃にならない方がいい。


「ミルドレット姫が王太子妃になることが幸せだと思いますか? このように皆から奇異の目で見られ、悪意に晒されるのです。それならばいっそ、お兄様と自由な暮らしをしている方がずっと幸せでしょう」


 ミルドレットにとって、この王城は牢獄のようなものだ。天真爛漫な彼女の良さが全て否定され、非難される。


 ヴィンセントは必死に兄を説き伏せようとする妹を見つめた後、その視線を困り果てて俯いている銀髪の女性へと向けた。


「王妃様は、彼女を王太子妃候補とすら認めていらっしゃらないのですね」


 招待された令嬢の口からそんな声が漏れ、次第にミルドレットを非難する言葉が庭園中を渦巻いた。


「……アレッサ。私にはそのような卑劣な事はできぬ。ニール殿とも約束した。今日この場は、私がミルドレットの騎士なのだ」

「お兄様」

「私は彼女を心から愛している。愛する人の目を後ろめたさで真っ直ぐ見る事ができぬなどご免だ」


 颯爽とミルドレットの側へと向かうと、ヴィンセントはミルドレットの隣で品よくお辞儀をし、ヒュリムトン王妃に挨拶をした。


「お話し中失礼する。まずは無作法を詫びたいところだが、先ほどから聞き及ぶに陛下もミルドレット姫に対して随分な非礼かとお見受けする。我々は皆ヒュリムトン王国に於いての賓客であると思っておりましたが、思い違いでしょうか」

「ユジェイの第三王子ですか」


 王妃が穏やかに笑みを浮かべ、ヴィンセントを見つめた。


「ヴィンセント・ハメス・ユジェイと申します」


 ヴィンセントの美しい容姿と、ミルドレットを護らんとする紳士的な様子に、周囲の令嬢達は皆うっとりとして見つめた。

 彼女達にとってヴィンセントのステータスはこの上ない理想の結婚相手だ。その上見目麗しいともなれば、何としても気にいられたいと思うのは当然だろう。

 恐らくその場に居たほとんどの令嬢達は、王太子妃候補の選抜の事よりもわが身を思い、熱い視線をヴィンセントに向けていたことだろう。


「ヴィンセント王子の仰る通り、皆賓客ですよ」


 王妃は柔らかい口調でそう言った後、閉じた扇子をスッとミルドレットに向けた。


「但し、彼女は違います」

「何故ですか? ミルドレット姫もルーデンベルン第二王女。そして王太子妃候補としてこの城へ招かれた賓客ではございませんか」

「そもそも招かれたという言葉に語弊があります。その娘は姉の身代わりにと送りつけられただけの、言わば侵入者です」

「陛下! それは亡状(ぼうじょう)の極みに存じます!!」


 ヴィンセントの言葉に周囲がざわついた。王太子妃候補のシャペロンとして訪れた彼が、王妃に向かって諫めるとは、立場が危うくなるどころか、アレッサ諸共罰せられる恐れすらあるのだから。

 ミルドレットはこのままではヴィンセントに迷惑がかかってしまうと、慌てて叫ぶ様に声を発した。


「あ、あた……私の事で不快にさせたのでしたらこの場を去ります。ですから、どうか……」

「良い機会ですから、皆に分からせて差し上げましょう。この娘が王太子妃候補として相応しくないという証拠を」


 ミルドレットの発言を遮ると、王妃が何やら傍らに控えていた使用人に指示をした。ヴィンセントがその様子に眉を寄せていると、数人の兵士が突如ミルドレットを取り押さえた。驚いて兵士を止めようとしたヴィンセントの目の前で、ミルドレットのドレスの背が引き裂かれた。


 彼女の透き通る様な白い肌に、何度も鞭を打ち付け、肉が剥がれ落ちて抉れた痛々しい痕が露わとなり、その場に居た者達全員が絶句した。


「彼女は罪人です」


 シンと静まり返る中、王妃の言葉が辛辣に庭園に響いた。

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