無自覚って怖い
「うんうん、それでさ、ニールってばもうそんな中でもニコニコ仮面でさー」
「ミリー、大変な目に遭っていたのだな。今度はそのような目に遭わせない様に私もそなたを護るとしよう」
「大丈夫だよヴィンス。あたし魔術使えるし!」
「遠慮はいらぬ。男は女性を護る為にいるものだ」
ニールは目の前でいちゃつくミルドレットとヴィンセントの様子をひきつった笑顔で見つめていた。
ミルドレットの部屋に訪れたニールに気づきもせず、先ほどからずっとこんな調子だ。
——てめぇ、暗殺するぞゴルァ。
と、考えながら、ニールはニコニコ仮面にピシリと皹を入れて大きく咳払いを発した。
「あ、ニール!」
ミルドレットがニールの存在に気づき、嬉しそうに満面の笑みを浮かべて駆け寄って来た。サラサラと輝く銀髪を靡かせて、サファイアの様な瞳を真っ直ぐ向ける様子が愛くるしい。
「見て! ヴィンスがくれたんだ」
そう言って、ミルドレットはニールに琥珀色の髪留めを見せつけた。細かい小花の細工を施した、ヴィンセントの瞳と同じ色の髪留めだった。
「ハンカチのお礼だって。ユジェイ王国の特産品の琥珀なんだってさ。初めて見たけど、とっても綺麗だね」
「ミリーの美しさには遠く及ばぬがな」
ヴィンセントが頬を染めながら照れた様に言う姿を見つめ、ニールはその髪留めを奪い取って空の彼方に放り投げてしまいたい衝動に駆られたのを押えつつ、微笑みながら「素敵ですね」と、まるで自動再生マシンの様に棒読みで言った。
「それよりも、折角ヴィンセント様がいらしているのですから、もっと有益な会話をしては如何です?」
「有益な会話?」
小首を傾げたミルドレットに、ニールは「ええ」と頷いた。
「アレッサ様が票集めにどのような行動に出ているのか伺っては如何でしょう」
「票集め?」
「ええ。左様です」
ニールの言葉にヴィンセントはギクリと顔を引きつらせた。
「そ、それはできぬ!」
「ヴィンセント様」
ニールはニコニコ仮面を貼り付けたままツカツカと室内へと進み、ヴィンセントが座るソファの前へと立った。
「昨日私は弁える様にと申し上げたはずですが、もうお忘れに?」
「そうではない! だが……私とて小国といえどユジェイの第三王子だ。礼を返すのは何もおかしなことではないだろう」
ハンカチのお返しにしては豪華過ぎやしないかと考えたが、それは尤もだとニールは頷いた。少し警戒し過ぎたかもしれない。ミルドレットはヴィンセントの好意に全く気付いていないし、ヴィンセントもミルドレットを手に入れようなどとは思っていないだろう。
「ミリー、そなたの護衛は過保護過ぎぬか!?」
助けを求める様にミルドレットに声を放ったヴィンセントに、ミルドレットは大笑いして首を左右に振った。
「まさか! ニールは過保護どころか冷血サド男だよ!」
ミルドレットはケラケラと笑ってそう言った。
「ええ、冷血だろうとサドだろうと何でも結構です。さあ、勉強の時間ですから準備してください」
「あ、そうだった!」
ニールがやれやれと肩を竦めた後、テーブルの上に置かれているカップを片づけようと手に持った時、ミルドレットがさらりと言葉を続けた。
「ま、その冷血サド男があたしの初恋の人なんだからびっくりだけどね」
ガチャン!!
ニールの手から滑り落ちたカップがテーブルの上に落ち砕け散った。
「貴様! 危ないではないか!」
「失礼。お怪我はございませんか?」
笑顔を浮かべたまま、ニールは素早くカップの破片を拾い集めた。その様をヴィンセントはじっと見つめており、『この男、ミルドレットに気があるのか?』と、同じ想いを寄せる者同士通じるものがあるかの如くピンと来たようだ。
しかしヴィンセントはそんなニールを哀れに思った。第三王子である自分ならばまだしも、一介の騎士であるニールが、ルーデンベルンの第二王女であるミルドレットにいくら想いを寄せたとしても叶わないのは明らかだからだ。
「そなたも苦労するな……」
「は?」
「いや、そなたも辛いのだろう。よく分かる」
「何の事です?」
「いや、何でもない。邪魔をした。ではな、ミリー」
心底お人よしなヴィンセントは席を立つと、にこやかに微笑んだ。
すっと通った鼻筋に浅黒い肌。琥珀色の瞳という容姿で性格も良いのだから、さぞかし女性にもてるだろうに、よりによってミルドレットに想いを寄せたという不運により、彼の人生は大きく狂ってしまったに違いない。
「そうだ! ヴィンス、ルルネイアからお茶会に誘われてるんだ。アレッサも招待されてるし、ヴィンスも一緒に行くんでしょ?」
「ああ、付き添いだがな。貴族の令嬢達の中、男の私は居心地が悪いと断ったのだが、アレッサがどうしてもと言うので無碍にもできん」
「そっか、良かった!」
何が『良かった!』のだろうかと不思議に思って見つめたヴィンセントに、ミルドレットは微笑んだ。
「あたし、すぐ失敗しちゃうしさ。味方がいてくれたら心強いもん」
ヴィンセントはにこやかな笑みを浮かべて頷くと、「私もフォローできるよう気を配ろう」と、約束してくれた。お人よしにも程がある。
「ふむ。気乗りしない会だったが、ミリーのお陰で楽しみになった。礼を言おう」
「なんで?」
「いや、いい。ではな、あまり時間を取るとそなたの護衛殿に悪い」
ヴィンセントは軽く会釈をして部屋から出て行き、ミルドレットは不思議そうに小首を傾げた。
「ま、いっか。ヴィンスも楽しみになったんならそれに越したことはないもんね」
ミルドレットは席につくと、ニールを見上げた。赤毛がかった栗色の髪を見つめていると、どうにも幼少期の思い出が蘇る。——それと同時に嫌な思い出も、だ。
あの頃は、本当に辛かった……と、唇を噛み、ミルドレットはため息を洩らした。
——思い出したくないけど、でも、あんたの事だけは思い出したい。良い思い出だったって浸りたいのに、辛過ぎる思い出がそうさせてはくれない。嫌なジレンマだ。
「ミルドレット様、そうため息をつかれても勉強はして貰いますよ」
「わ、分かってるよ!」
ニールは本をペラペラと捲り、今日は何を教えようかと思案し、本をパタリと閉じた。
ルルネイアのお茶会向けのマナー講座が良いだろうと思ったからだ。それならば自分よりも女性が講師を務めた方が確実だろう。エレンの怪我はまだ癒えていないので、侍女の誰かに講師になって貰うのがいいだろう。
上手くすればルルネイアの票集めとして開催する予定の会が、ミルドレットに票が集まる可能性もある。そうともなれば、流行の話題などの情報集めが必要だ。令嬢達はとかく流行りに煩い。マナー講座は侍女に任せて、ニールは城下で情報収集をするのが良いだろう。
「ニールってさ、恋人とか居ないの?」
ミルドレットの突然の質問に、ニールは眉を寄せた。
「突然何です?」
「だって、モテるんじゃないかと思ってさ。ひょっとして婚約者とかいたりして」
「婚約者ですか。候補なら居ます」
——ミルドレットだけど。
「え!? そうなの!? いつ結婚するの!?」
「さて、まだわかりません」
「どんな人?」
「さあ」
「教えてくれたっていいじゃないか」
「プライベートな事ですから」
「気になるもん、ニールの婚約者候補。可愛いの? ニールは面食いそうだよね、美女以外目もくれなそうだもん。きっと頭も良いいんだろうなぁ。それで気品もあってさ。会ってみたいなぁ」
ニールにとっては触れて欲しくない話題だ。それを楽しそうに根掘り葉掘り訊こうとするなと諫めようとしてミルドレットを見ると、ミルドレットは楽しそうどころか少し不満気な顔をしていた。
「羨ましいなぁ。あたしも好きな人と結婚できたら良かったのに」
「……王太子殿下は気にいらないのですか?」
「そうじゃないけど」
——そうじゃないけど、なんだかちょっと面白く無い。
と、ミルドレットは唇を尖らせた。
「あたしは、どうせ色恋とかわかんないしさ。だから、ニールも一緒なんだと思ってた。あんたっていつだって飄々としてて感情を表に出さないじゃない? それなのに、ちゃんと好きな人が居るんだって思ったら、なんだかちょっと寂しいなって思っただけ」
「寂しい?」
「だって、さっきも言ったけど、あんたはあたしの『初恋の人』だもん。初恋は実らないって言うけど、ホントだよね。なんだか寂しいなぁ」
「……雑談はここまでです。時間が惜しいですから」
「あんたってホント冷たい男だよね!?」
——可愛すぎるからもう止めてくれ……。
ニールはニコニコ仮面を割らないように、必死になって平常心を装った。
ニール・マクレイは死んだのだ。兄の代わりとして生きると決めた瞬間から、自分は『シハイル』となった。ニールとしての想いは捨てるべきだ。
ニールがミルドレットに対して突然冷たい態度をとるのは、そうやって自分を戒めた時の心の切替時だった。馬車の中でミルドレットを支えようとして伸ばした手をひっこめた時も、『彼女は兄の婚約者だ』という考えがチラついた。
とはいえ、ずっと想っていた彼女が目の前に居るというのに、無感情でいられるはずがない。感情を押し殺し、闇の世界で生きていたはずのニールは、自分でも気づかないうちにちぐはぐな行動を取っているのだ。
「ま、いいや。別にいいもん、ニールの婚約者のことなんて」
「興味を無くしていただいて大助かりですね」
部屋から出て行こうとするニールに、ミルドレットは大慌てで引き留めた。
「ちょ、ちょっと! 気を悪くしたんなら謝るけど、いきなり出てくことないじゃないか!」
「本日の講師は別の者に頼むとします。私は用事がありますので」
「急に何なのさ!?」
ニールの服の裾を掴み、ミルドレットはサファイアの様な瞳で見上げた。
「ねえ、ゴメン。謝るから。あたし、失礼な事言っちゃったんでしょ? ニールと喧嘩なんてしたくないのに」
「何も怒ってなどいませんが」
——強いて言えば、ミルドレットが可愛すぎるから耐えられない。
ミルドレットは白い手で掴んだニールの服をぎゅっと握った。
「それなら、ニールに講師をして欲しい。昨日、馬車が襲われたりしたしさ、他の誰かが巻き込まれたりしたら嫌だ。ニールなら強いから大丈夫だろうし。ね、そうでしょう?」
「……確かにそうですね」
ミルドレットはパッと顔を明るくすると、ニールに抱き着いた。
「ありがとう!」
「離れてください。むやみやたらとそうやって抱き着くものではありません」
「ニール相手なんだから別にいいじゃないか」
「だめです」
ぐいっとミルドレットを自分の身体から引きはがし、ニールはやれやれとため息を吐いた。
——全く、人の気も知らないで。
と、両膝を抱えて蹲りたくなるのをニールは必死に耐えた。




