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誘拐犯は暗殺者かもしれない

 ミルドレットはシハイルとの約束通り、毎日墓碑を訪れた。時間帯もバラバラであったため、シハイルに再び会う事は無かったものの、『存在無き王の墓』に足を運んで祈るくらい大した負担にも思わなかったし、花の香りを楽しみながら小道を歩くのはいい気分転換にもなった。


「お供もつけず、毎日どちらへ向かわれているのですか?」


 侍女がミルドレットの髪の手入れをしながら不思議そうに言った。


「そのハンカチの持ち主と関係が?」


棚の上に畳まれたヴィンセントのハンカチを指して言い、ミルドレットは慌てて首を左右に振った。


「違うよ! だって、ハンカチは返そうと思ってたし!」

「とてもじゃありませんが返せる状態ではありませんけれど……」


 見るも無残にボロキレと化したハンカチから視線を外すと、ミルドレットは大きなため息をついた。


「いや、まさかあんなに(もろ)いとは思わなかったんだもん。ちょっと洗濯しただけなのにさ」

「あのような洗い方をすればボロボロにもなりますよ」


 侍女の言葉にミルドレットは苦笑いを浮かべた。

 光り輝く銀髪が丁寧に手入れされ、良い香りがふんわりと香る。


「ねぇ、エレンは?」


 ここ暫くエレンの顔を見ていない。と、心配したミルドレットは侍女に問いかけた。少し困った様に「ご心配には及びません」と言うだけで、それ以上の事を話してはくれない事に不満を覚える。


「ミルドレット様。ニール・マクレイです。宜しいでしょうか」


 扉がノックされ返事をすると、ニールがいつもの笑みを浮かべた顔で部屋へと入って来た。ミルドレットが嬉しそうに勢い良く立ち上がったので、ニールは抱き着くなと言わんばかりに顔を背けて、コホンと咳払いをした。


「久しぶりじゃないか! 心配してたんだ。怪我なんかしてないよね!?」


 三日間どころか、ニールは一週間程留守にしていた。ミルドレットはニールの身に何かあったのではと不安になったが、侍女達の手前気丈なフリをしていたのだ。


 素っ気ないニールの態度に悲しくなって瞳にじんわりと涙を浮かべたミルドレットに、侍女達は気を利かせて部屋から出て行き、パタリと扉を閉じた。


「お待たせして申し訳ございませんでした。少々トラブルが発生しまして苦労しました」

「トラブルって?」

「……ええ、座っても?」

「あ、そうだね。ゴメン」


 部屋の奥にある応接セットのソファに二人は向かい合う形で腰をかけた。ミルドレットは落ち着かなそうにそわそわとしながらニールが話し出すのを待った。

 いつもと同じニコニコと笑顔の仮面を貼り付けているものの、ニールの雰囲気は神妙に感じられた。赤みがかった栗色の前髪をさらりとかき上げて、僅かにため息を吐いた。


「ねぇ、疲れてるんじゃないの? 大丈夫?」

「え? ええ、問題ありません」

「ならいいんだけど……」

「それより、少し太りましたか?」


 ニールの指摘にミルドレットは顔を真っ赤にすると、「だって食べ物が美味しいんだもん……」と唇を尖らせて言った。


「まあ、痩せすぎでしたから良いでしょう」

「師匠の家では海藻と魚介類ばかり食べてたから。味付けも全部塩だったし……偶に果物を差しいれてくれるお客が居て、大喜びだったけど」

「それより、その棚の上にあるボロキレは何です?」


ヴィンセントのハンカチを見てニールが眉を寄せたので、ミルドレットは更に顔を真っ赤にした。


「その、えーと、洗って返そうって思ったらあんなんなっちゃった……」

「洗って返すとは? 誰の物です?」

「ヴィンスのハンカチだよ。落っことして行っちゃってさ。だから洗って返そうって思ってたんだけど、その……。あんな上等な生地を洗ったの初めてでさ。そしたらあんな……」


 ミルドレットが恥ずかしそうに俯いて言う様子を見つめながら、ニールはピクリと眉を動かした。


「突っ込みどころがあり過ぎますが、まず一ついいですか?」

「はい、どぞ……」

「どうやって洗ったのです?」

「石で擦った」


 ミルドレットの答えにニールは「ふむ……」と、頷いた。


「それで、『ヴィンス』とは?」

「アレッサのお兄さんだよ。ホラ、王太子妃候補のお披露目パーティーでアレッサのシャペロンだった人……」

「何故愛称で?」

「うん? 友達だから??」

「ミルドレット様もヴィンセント様も国は違えど王族でしょう。恋人同士でもあるまいに、愛称で呼ぶ様な真似をなさってはなりません」

「え? でも、ヴィンスもミリーって呼んでくれたけど……」

「はい!?」


 ニールのニコニコ仮面にピシリと皹が入った様に思え、ミルドレットは動揺した。


 愛称くらいなんだというのだろう。師であるグォドレイも自分を『ミリー』と呼んでいたし、『お前の名は長くて面倒だ』という単純な理由だった。

 それでも家族ですらそんな風に呼んで貰った事が無かったのだから、愛情に飢えたミルドレットからすれば、愛称で呼ばれる事は『嬉しい事』という認識でしかなかったのだ。


「全く、貴方ときたら簡単に騙され過ぎです。ユジェイの第三王子ヴィンセント様の策略でしょう」

「策略?」

「ミルドレット様との仲を疑われれば、ヴィンセント様にとっては好都合だからです」

「どうして?」

「ミルドレット様の評判が落ちるからです。貴方は王太子妃候補なのですよ? それだというのに、他の男と仲睦まじい様子を周囲に晒せば、どのようなことになるかお判りでしょう。ヴィンセント様はそれを狙ったのですよ」


 ニールの言葉にミルドレットは愕然とした。愛称で呼んで欲しくて軽々しく言った事で、ニールからヴィンセントを悪く言われるとは思ってもみなかったからだ。


「違う! あたしがそう呼んでって言ったんだ! ヴィンスは悪くない!! 策略なんてないよ!」

「皆がミルドレット様の様に純粋ではないのです。特に今のこの状況は、王太子妃候補同士の争いの真っ最中なのです」

「でも、ヴィンスは悪くないったら!」

「ドレスにワインを掛けられた事をお忘れですか?」

「どういう意味?」

「誰の策略だとお思いですか?」

「……ヴィンスがやったって言うの?」


 ニールが頷く様を見つめ、ミルドレットの心がズキリと痛んだ。


「そっか……」


——あたしってば、やっぱりバカだ。

 唇を噛みしめて瞳に涙をじわりと浮かべるミルドレットを見て、ニールはやれやれと肩を竦めた。


「あのハンカチは、返さずとも良いでしょう」


 ポツリと言ったニールの言葉を聞いて、ミルドレットは首を左右に振った。


「ううん。ちゃんと返すよ」


 あの状態の物をか? と、ニールは思ったが、突っ込まずに「そうですか」と流した。


 シン……と間が空いた。


 ニールはミルドレットにもう一つ重大な報告があった。

 王太子妃候補選抜の方針が決定したということだ。それは、政に係わる全ての貴族、そして王城で仕える全ての者達からの『投票制』だった。

 勿論、身分によって票のポイント数は異なる為、同じ一票でもポイントの高いヒュリムトンの王族や高位貴族からの票を集めるのが有効だろう。投票は今から半年後の収穫を祝う感謝祭で執り行われる予定だ。

 ニールがそれをミルドレットに伝える事に難色を示すのは、ミルドレットの性格上、そういった票集めの行動が不得意だからだ。そもそも彼女は誰かと競うということ自体が向いていない。

 もしも他の候補者含め全員が、王太子妃に選ばれなかったとしても候補となった時点で、この国のいずれかの貴族へ輿入れする運命なのだと知ったなら、ミルドレットは殊更に部屋に閉じこもり、票集めどころか塞ぎこんでしまうに違いない。

 ニールは、まさかミルドレットがヴィンセントからその事実を聞かされているとはつゆ知らず、言葉を発する事ができずにただただ深いため息を洩らした。


 そして更に困った事態がニールの帰りを遅らせた。

 ニールはミルドレットの前にこそ姿を現さなかったものの、時折彼女の様子を見守る事を怠ってはいなかった。その過程で気づいた事がある。


 ミルドレットを陥れようとしている者は、その全てを調べ尽くせない程に居るということだ。


 ミルドレットは数々の嫌がらせを受けていた。散歩に出かけた先で閉じ込められたり、階段で突き落とされたり、料理に毒を盛られたり、衣類を汚されたり、湯の水に毒が混ぜ込まれたりと、嫌がらせの度を越える物も多かった。

 ところが当の本人がそれに対して全く動じておらず、いとも簡単に自らの魔術でどうにかしてしまうのだから、報告しようにも頭を悩まされた。嫌がらせととらえていないのであれば、わざわざそれを伝えて余計な心労をかけさせない方が賢明だろう。

 しかし、エレンがそのせいで怪我をし、暫くミルドレットの世話ができなくなってしまったという事については、どう伝えるべきかと考えあぐねてしまうのだ。


「あのさ、相談があるんだけど……」


 ソファに腰かけたまま押し黙っていたニールに、ミルドレットが申し訳なさそうに言ったので、ニールは「どんな事です?」と、小首を傾げた。

 彼女はソファから立ち上がると、そそくさとクローゼットの方へと向かって行ったので、ニールは不思議に思いながら彼女の様子を目で追った。


「これなんだけど……」


 そう言ってミルドレットは大事そうにボロキレと化したマントをニールに見せた。

 それは、シハイルから借りたマントだった。ヴィンセントのハンカチ同様洗って返そうとし、ボロキレと化してしまったのだ。


「あの、それは一体……?」

「王太子殿下のマント」

「ええ、そうでしょう。襟元の紋章を見ればわかりますよ。まさかそれも……」

「石で洗った」

「なんてことを……」

「どうしよう!! 雨が降ってきて借りたんだけど、これ、即効国に帰れって言われる奴!? それとも死刑!?」


ブフッ!! と、ニールは堪らず噴き出した。肩を揺らしながら笑い、ミルドレットはその様子をポカンとして見つめた。いつもニコニコ笑顔のニールだが、こんな風に爆笑をする姿は初めて見たからだ。


「ちょっと、何笑ってるの!?」

「失礼、いや……ハハハハ!!」


 こっちは笑いごとじゃないんだけど、と、ミルドレットはムッとして頬を膨らませた。


 ヴィンセントのハンカチは棚の上に置いていたというのに、シハイルのマントは流石にクローゼットの中に隠したか、と、ニールはミルドレットの行動が可笑しくて大笑いした。


「ねぇ! ニール!!」


 ぷりぷりと怒るミルドレットの背後の開け放たれたクローゼットの中に、王太子妃候補のお披露目パーティーの時にニールが贈った、サファイアのネックレスが収められた宝石箱が見えた。

 ニールの視線を追ったミルドレットは、「あっ」と小さく声を発して、照れた様に頬を染めた。


「あの、ネックレスとイヤリング、ありがとう。お礼を言いそびれちゃってごめん。すごく嬉しかった」


 一応大切にしてくれているのか、と、ニールは嫌に上機嫌になった。


「手に入れるのに少々苦労しましたが、お気に召して頂けたようで何よりです」

「あたしには勿体なくて! いや、ほんと。有難う。大事にするね。いや、大事にしてるよ、とっても。あたしの宝物だよ。唯一のさ」


 やたらと照れる自分に驚きながら、ミルドレットは両手の中でボロキレと化しているシハイルのマントを見下ろした。


「そうだ! 新しいマントをプレゼントしたらどうかな? プレゼントって嬉しいし!」

「……まあ、その状態ではお返しできませんし。それしか方法は無さそうですが。しかし、ミルドレット様はまだ賓客の身です。王城に仕立て屋を呼ぶには許可が必要かと思いますが」

「城下に買い付けに行けばいいじゃない。ニール、つきあってよ」

「……は?」

「あんたなら、ヒュリムトンの城下町にだって詳しいでしょ? お金なら、魔法薬を売って稼いだのが結構貯まってるんだ。使い道が無かっただけだけど」


 シハイルがミルドレットから贈られたマントを羽織っていれば、票集めにも有力だな、と、ニールは考えた。


「まあ、いいでしょう。付き合いますよ。ついでにヴィンセント様のハンカチも新調して返してしまえば良いのでは?」


 そしてさっさと縁を切ってしまえばいいと思いながら、ニールはふと疑問が沸いた。


「ミルドレット様、失礼ですが何故ヴィンセント様のハンカチをお持ちだったのです?」


 ニールの問いかけにミルドレットは照れた様に頭を掻いた。折角侍女の手で綺麗に整えられた銀髪がわしゃわしゃと乱される。


「雨に濡れたあたしを拭いてくれたんだ。びっくりしたけど、紳士ってのは皆ああなんだね。優しくされるのは慣れてないからなんだか照れ臭いや」

「触れたのですか?」

「へ? うん。だって、頭を拭いてくれたんだもん。なんで?」

「……」


 ニールのニコニコ仮面に再び皹が入った様な気がして、ミルドレットは青ざめた。表情は変わっていないはずなのに、何故か今日のニールはやたらと表情豊かに感じるのは気のせいだろうか?


「……ニール? なんか、怒ってる?」

「怒ってはいませんが、不愉快です」

「怒ってるじゃない!!」


——ヴィンセント・ハメス・ユジェイ。これ以上ミルドレットに係わるのなら、例え他国の王族と言えど消しますよ……?


 ニコニコ仮面を顔に貼り付けたまま殺気立つニールに恐れ慄きながら、彼の怒りのツボがいまいち分からない、と、ミルドレットは涙目になった。

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