誘拐犯が来ました
「は? 今、何て言ったの?」
ミルドレットは細い眉を顰めてそう言い放った。
そこは満潮になると海水で閉じてしまう洞窟の入口を潜り抜け、真っ暗闇が延々と続くじめじめとした穴の中を奥へ奥へと向かった先に、ポツンと建てられた粗末な小屋の中だった。
サファイアの様な瞳を怪訝そうに瞬いて、ミルドレットは更に続けた。
「めちゃくちゃアホな事言われた気がするんだけど、キノセイ?」
彼女の目の前には白銀の鎧を着こんだ青年が、ニコニコと笑みを浮かべて座って居り、ミルドレットの口の悪さにも全く動じていない様子だ。
青年の名はニール・マクレイ。この国の王が信頼を寄せる最も腕の立つ騎士だが、裏方の嫌な仕事ばかりを押し付けられる為か、いつの間にか感情を表に出さない処世術を体得してしまった哀れな男だ。
「おや、聞き取れませんでしたか? ではもう一度。洞窟の魔女ミルドレット・レイラ・ルーデンベルン様に依頼をしに参りました」
「いや、そこじゃない。依頼内容の最後のとこ!!」
「結婚してください」
「端折り過ぎだってばっ! あんたとじゃないよね!?」
顔を真っ赤にして怒鳴りつけたミルドレットに「失礼」と、コホンとニールは咳払いを一つついた後、「隣国ヒュリムトンの王子と」と、おまけの様に言葉をくっつけた。
洞窟内に建てられた小屋ではあるが、洞の天井部分がぽっかりと空洞になっている為、太陽が高い位置にある時は光も射す。
チラリと窓の外に視線を反らしたミルドレットに、ニールはすかさず「現実逃避しても無駄です」と言い放った。
「い・や・だ! なんであたしが結婚なんかっ!」
「これは王命です」
「知るかっ! あたしは結婚なんかしない。一生ここで暮らすって決めたんだもん! 隣国の王子とだなんて、そんな息苦しい生活する位なら、死んだ方がマシだよ!」
ドン!! と、ニールはテーブルの上に拳を叩きつけた。が、表情はニコニコと笑みを崩さないままなので異様な不気味さがあり、ミルドレットは思わずびくりと身を退いた。
「ミルドレット様。このような所で隠居生活をしていらっしゃるとはいえ、貴方はルーデンベルン王国の第二王女であらせられます。お忘れですか?」
「忘れてないけど……」
——いや、ちょっと忘れてた。
と、ミルドレットは心の中で思った後、チラリとニールを見つめた。
ニールの言う通り、ミルドレットはルーデンベルン王国の第二王女だ。幼少期から一風変わった娘であったミルドレットは、あまりの天真爛漫さに修道院に入れられるも十歳で脱走。空腹で行き倒れになっている所を魔導士に拾われ、そのまま強引に居座りながらも魔術を習得し、一七歳となった今は王都にまで名が知れる一流の魔法使いとなった。
ミルドレットにとって失敗だったのは、偽名を使わなかったことだ。お陰でこうしてニールが目の前に居て、隣国の王子と政略結婚だなんだと言い出している訳なのだから。
「あのさ、あたしじゃなきゃダメなの? お姉さまがいるじゃない」
「ええそうですとも。姉君のアリテミラ第一王女様を、他国に嫁がせない為の身代わりがミルドレット様です」
「うわ……身代わりって、ハッキリ言った!」
ミルドレットの上には三人の兄と一人の姉が居る。兄も姉も王族として完璧な教養と気品を身に着けており、また見目麗しく、その噂は他国にまで広まる程だ。その中でも第一王女アリテミラは、国王が過保護で親バカとも言える程に可愛がっているので有名だった。あまりの溺愛ぶりに、隣国に嫁がせる事に難色を示したに違いない。
そこに飛び込んできた第二王女の居場所という情報に、王はこれ幸いと早速ニールを派遣したということだ。
「だったら結婚なんか断ったらいいじゃない」
ふくれっ面で抗議するミルドレットに、ニールは首を左右に振った。
「隣国ヒュリムトンは大国。それに比べ、ルーデンベルンは小国でありながらヒュリムトンの後ろ盾があるからこそ、周辺の国にも攻め入られずにこうして平和でいられるのです。縁談を断るなどできません。……全く、お小さい頃とはいえ、叩き込まれた教養を全て無くしておいでですか」
「ああそうだよ。さっぱりすっかり忘れちゃったね! 教養もなんにもないあたしなんかが嫁いだ方が、よっぽど戦争に発展するんじゃないの!?」
「そうなれば、王はアリテミラ第一王女様を隣国に嫁がせることになり、嘸かし嘆き悲しむ事でしょう。ミルドレット様をただでは済まされますまい」
——詰んだ……。あの父王ならやりかねない。
ミルドレットは頬をヒク付かせた。
父であるルーデンベルン国王は厳格で、罪人に対しては冷酷なまでに厳罰に処するとして有名だ。厳格な故に天真爛漫過ぎるミルドレットは王にとって目の上のたん瘤で、修道院から脱走した時も放っておいたのは、他の子供達に比べてミルドレットに対しての愛情が希薄だったからだろう。
つまりは、何が何でも隣国の王子に気にいられなければならないということだ。失敗してアリテミラが嫁ぐ事になろうものなら、下手をすれば殺されるかもしれない。
「ミルドレット様の置かれた状況を正確に説明致しますと、結婚は決定ではありません」
「え? そうなの? なんだ、びっくりさせないでよね」
ミルドレットはホッとして胸を撫でおろした。そもそも隣国の王子に気にいられるとは限らないのだ。自慢では無いが生まれてこの方、自分を女性だと意識して、お洒落の一つもしたことがないのだから。
「あくまでも、王太子妃候補です。つまりは、複数の候補の中から選ばれる必要があるということです」
「は!? 難易度上がってるじゃないっ! ライバルと競えって事!?」
「ヒュリムトンの国王がアリテミラ様をいたく気に入っており、是非王太子妃として迎えたいとの要望なのです。その代わりとしてミルドレット様を隣国に送るのですから、先方としても顔も見た事がない姫君の輿入れに慎重になるのは当然でございましょう」
つまりは詰んだうえに石まで落ちて来た状況であるわけだ、と、ミルドレットは頭を抱えたくなった。
「そんなぁ……。あたしがライバル相手に勝てるはずないし、そもそも勝ちたくもない勝負に挑めだなんて酷すぎる」
「止む無しです」
笑顔を全く崩す事もなく淡々と話しを進めていくニールを憎らしく思った。
ニールはミルドレットの四つ程年上で、幼少期は偶に遊び相手になって貰ったものだ。血の繋がった実の兄以上に慕っていたし、子供ながらに淡い恋心を抱いていた。それが、今や笑顔の仮面を被った王の遣いとして、顔も知らない隣国の王子へ嫁ぐようにとミルドレットに『依頼』という嘘をついてまで、こうして目の前に居るのだから。
再会に喜ぶ隙も見せず、淡々と任務を遂行しているニールの様子に、ミルドレットは密かに心を痛めていた。
「ああ、腹立たしい……色々ピンとこないしさ」
「しっかりと自覚を持っていただかなくては。ヒュリムトンは後継者となる王子がお一人ですから、立派なお世継ぎを産んで頂かなくてはなりません」
——よ……世継ぎってっっ!!
「ちょっと! 更にピンと来ない事言わないでくれる!? 大体選ばれる自信だって無いのにっ」
「幸いにもミルドレット様は魔術の素質がおありの様ですから、その点についてはヒュリムトンの国王も関心を示しているとのことです」
「国王と結婚する訳じゃないし……」
ミルドレットはむぅっと唇を尖らせてニールを見つめた。ニールは相変わらずニコニコと笑顔をぶつけてくる。恐らくこの男は人を殺す時でさえニコニコとしているに違いないと考えて、ミルドレットは苦笑いを浮かべた。
「ヒュリムトンの王子にそもそも決定権など無いのですよ。全ては王とその王妃が実権を握っているのですから、彼らの心を懐柔しなくてはなりません」
「はぁ、王子様も大変だね。自分の嫁も満足に選べないだなんて……」
「王族なんてものはどこもそんなものですよ。この依頼は拒否できません。宜しいですね?」
拒否できないと言われたうえでの確認に何の意味があるのだろう、と、思いながら俯いた。
ミルドレットが強引に弟子入りした魔導士である師は、客の依頼を受けて外出中だ。恐らくそれすら見越してニールはここに来たのだろう。
堅苦しい王城での生活や修道院の煩わしいシスター達から解放されて、やっと悠々自適な生活を手に入れ、更には固定客も出来る程に魔術も上達したというのに、ミルドレットは明るい未来が暗雲に閉ざされた様な気分になった。
「ミルドレット様。宜しいですね?」
返事の代わりに大きなため息を吐いてテーブルに突っ伏す。ミルドレットの美しい銀髪が、窓から射し込む光に照らされてさらりと輝いた。
テーブルに突っ伏したまま、ミルドレットは鼻を啜り上げる音を響かせた。
「言っておきますが、ウソ泣きは通用しません」
——くそ! やる前からバレたっ! かくなる上はニールを魔術で眠らせて逃亡するしか!? 折角手に入れた自由への切符を手放すだなんて、そんな事はできない。魔術を習得した今なら、この掘っ立て小屋に留まる理由もない。どこか遠くの小さな村にでも逃亡して、そこで魔法薬を作りながら細々と生きればいいのだ。
さよならニール。私の初恋!!
ミルドレットはそっと睡眠の魔術を唱えた。




