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[二]の一


[二]ペルソナ



     一


 小型車の後部座席に揺られて、水滴が滴るのを見つけた。上から下へ、ユラユラと自身の跡を塗抹する。が、それは先陣に倣うものが多い。既に先の水滴の開拓した『道』がある。それに沿った途端、水滴は急降下して消えるのだ。開始は別々だったかもしれない。だが、既存のものに合流してからは速い。自分の道を切り拓くものは、ずっと丹念に長生きである。——今彼が拘るのは長い、短いといったことでは無かろう。その念の入り具合である。

 いとも簡単に終えてしまう、そして、それらはちっとも悩まず、気楽に終えていくのである。熱心に霜を溶かしていく、それは消え入る刹那にも、後を頼むと言わんばかりの最期を果たす。気楽はつまらない、ドラマが無い。が、丹念は壮絶な背景を想像して徒にならぬ中身を内に秘めている。

 彼は、後者に少しだけ憧れてみる。けれども、それは『あってはならないこと』だと思い直す。

 後部に寝転んで占領していた彼が身を起こすと、東京十キロの看板を捉えた。いよいよ、祖母の家に辿り着くのだ。

 中学生になったばかりの彼は、母親に「ねえ、まだあ?」とあどけなく聞いてみる。すると、「まだよ」と素っ気ない返答が得られる。

 彼は、親の返答次第でいちいち考え込む。——今の質問の仕方は、正解だろうか。それとも、間違いだろうか。彼の言う正誤の判定をするのは、彼が従い、好かれなければならない主である。今の場合、言うまでもなく主は母親だ。主の候補は多岐にわたる。学校の先生、友達、両親、友達の両親……それから、祖父母もそのうちに当然含まれる。

 彼は密に関わるもの、全てに好かれなくては堪らない。嫌われるのは、酷く辛いことだ。嫌われるとは、すなわち一人ぼっちを強いられる事を意味する。一人ぼっちが間違いなく、この世に生きる限りは、最も寂しく、辛いことである。一人ぼっちでは耐えられぬ。きっと、彼の命は呆気なく絶えてしまうだろう。人間は、どうやっても一人では生きていけない。彼はその事実に気づいている。だから、彼は好かれなくちゃならない。いちいち母の返答が気になるのは、このような危機感に囚われる故である。

 さあ、もう東京まで猶予が無い。彼は、祖父母に会って何か間違いをやらないか心配である。だからと言って、ずっと会わないわけにもいくまい。時々顔を見せて、可愛らしい様子を披露しておく必要がある。

 祖父母が孫を愛するのは、孫が小さくてくすぐったい面影を有するからである。生憎、人の子は心身共に成長する。成長すると、頑丈になって、くすぐったい愛嬌は喪失する。そうしたら、あんまり可愛くなくなる。彼は、好かれているのが月並みに転じてしまうのさえ嫌だ。彼の目指す所は、大変な境地である。世界の全部に好かれなくては気が済まない。少しでも嫌われると、自尊心が壊れてしまう。

 その境地を達成する為に、彼は多種の人格の使い分けを試みる。これには平時から神経をすり減らすから、出来ることなら人に会いたくないとも思う。けれども、引きこもっていては印象が悪いから、ここに深刻な葛藤が生じる。彼は、彼の信条のせいでがんじがらめだ。

「お夕飯は何にしようかしら? たっくん、何が良い?」

 助手席の母が尋ねる。

「カレーライス」

「お父さんは?」

 父は大抵ラーメンだの、ハンバーグだの、適当なことを言う。すると、その意見が採用される。彼に聞くのは、ほんの参考程度なのである。彼は、母親の望む態度をとらねばならない。よって晩飯に関し許容される発言は、『カレーライス』のみである。

 車は高速を脱する。彼はまた寝転ぶ。水滴は相変わらず、世の理を現出している。丸い瞳で彼は粒の奥を覗こうとする。何か見えるかもしれない。気張って瞳孔を開く。

「たっくん、あんまり後ろで横にならないでね」

 飛び起きる。まずかった。

 母が何も言わないからと呑気にしていたが、黙っている内にも悪印象を抱かれる事があるのだ! 彼の顔面は蒼白する。何とか取り返そうと、口をあぐあぐとさせている。気の利いたジョーク一つで誤魔化すが良いか、素直に謝るが良いか——

「ごめんなさい」と謝罪する彼は、一般的には良い子であり、手間のかからない優等生である。彼は、両親や世間から、一定の評価を得ているつもりでいる。果たして、二人の本心は分からない。恐らく、何も深くは考えていないのだろうが。

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