[一]の四
四
唐突なようだが、餅田くんは受験を諦めた。と言うよりも、これまでの心構えを諦めたのだ。
餅田くんは、もう大学に行けんでも良いと考えた。『宇宙の本』さえ手元にあれば、あとはどうでも良いのだ。考えてもみろ、もし大学に入ったとして、それから何をする? 四年を過ごして、また訳の分からない内に就職活動に奔走して、仕事をして、それで何一体何を成す? 餅田くんはそのくらい先までを見据え出した。
そんなに宇宙が好きなら、大学に入って研究をすれば良いと言う者がいる。餅田くんに言わせれば、研究とは何だ? である。どんなことを、何を研究すればいい? 今の餅田くんには、この『宇宙の本』こそが全てなのである。その先で研究の必要性に迫られるかもしれない、はたまた全く宇宙への興味を失うかもしれない、今度は恋にでもうつつを抜かすかもしれない。が、今の彼には『宇宙の本』ばかりなのである。
餅田くんは、見境無く大学へ行き、就職をし、一生を終えようとする者に告げたい。一同、刮目せよ! 君らは一向に開眼していない。君にとって向かうべき場所とはどこだ? まさしく、生きがいと呼べるものは何だ? 見つからないなら仕方無い。今しばらく漂っていれば良い。が、それを知る者はいい加減レールから逸れようと試みよ! 道を選ぶ勇気を持て!
餅田くんはこう説くが、実際は他人がどのような道を歩もうがちっとも構わない。餅田くんはただ、餅田くんであるべきだと自分で考えている。最近の思考の結果、彼は諦める事の重大な意義を見出したのである。
餅田くんにとっての諦める、これはつまり、我が道を行くである。通常の道から外れて、全くもって新たを開拓するのである。『通常』の道とは、既に敷かれ、整備された舗道の事である。——考え出すときりがない。
餅田くんのやり方は、両親の猛烈な反対と失望を受け、堀くんの不興をかい、Mの嘲弄を被るであろう。が、それらの罵詈は、餅田くんにとって何らの意義をも持たぬ。野球好きが野球に熱誠を注ぐのが悪いか? 虫好きが昼夜問わず網を携えて出かけて、支障があるか? 人はそもそも、衝動で物事の半分以上のことを決定する動物である。衝動を抑えるのに理性や分析はあろう。餅田くんの場合、『宇宙の本』を最優先にしながら、家庭事情、社会事情諸々を考慮に入れる方針である。彼にとって大学入学は一つの便宜に過ぎない。事情とやらが許す限り、『宇宙の本』をやるのである。
母はそんな餅田くんにがっかりした。父はあんまり頓着せず、好きなことをやれば良いと呑気に言う。堀くんには会わない。が、浪人したらしいことは耳にした。餅田くんは、彼に一度再会したいと思う。そうして、この『宇宙の本』をきっかけとした諦めの悟りを、伝言してやりたい。まず、君は何か成したい事が無いのかと聞くのだ。それが有名大合格なら何も止めはしない。通常を死ぬまで遂げたいのだと主張するなら、一向に構わない。ただ、ただもし彼が、他の道を夢想するならば、その可能性を示唆してやりたいとの心意気である。
世間は、諦めた餅田くんを腰抜けだと評するかもしれない。悲しいことだが、構ってはいられまい。彼は、直向きに『宇宙の本』にのみ、没頭する。




