[六]
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少女は慣れない作文をした。何か自分で、書く物事を決めて、それを紙の上に表出しようとするのは、相当難儀な作業だ。けれども、先生が逐一指南してくれたから、ある程度速やかに文章を構築することができた。
作文と言うのは、書き出すまでが億劫だが、一旦一文目を始めてしまうと、それからは連想ゲームのように書き連ねることができる。少女は、『将来の夢』について書くので、医者になりたいと言うことを題材にした。医者になりたいその理由とか、どんな医者になりたいかとか、先生の言う通りに書いてみた。すると、ノートの紙が一杯になって、次のページにまで及んで、大分長いのができたと誇らしかったから、丁寧に文字数まで数えあげて、六百二十三文字であった。できあがったものを先生に見せた。
「村松さん、凄いね!」と褒められた。
「ただもう少し理由を具体的に。お母さんはどんな病気で苦しんでいるの? とか。千文字は書きたいね」と先生はデタラメな具合を突きつける。
「そんなん、無理」
「いける! 村松さんなら」
千文字はともかく、少女は自分の書いたこの作文に手応えを感じていたので、他の先生にも見せてみた。
「村松さん、医者になりたいの?」
「うん」
「本気?」
「いちおー本気やで。あんな、ゆみ約束してん。医者になってお母さんの喘息治してあげるって」
「ふうん、そっか」
その女の先生は、厳しい表情をして、
「村松さん。今のままじゃだめだよ? もっと勉強しなくちゃいけないけど、頑張れる?」
「うん、頑張る」と何とも頼もしい返答が得られた。
「そっ。じゃあね、これから医者を目指す上で、苦しいことや辛いことがたくさんあるかも知れない。けど、絶対に、その夢諦めたらあかんで? 本気で目指すんなら、諦めたり挫折したらだめ」
少女は気圧されて、こくりと頷く。
「私も諦めないで頑張るわ」
「先生は何目指してるん?」
「私は夢、と言うか、色んなこと諦めて凄く後悔してるの。村松さんにはおんなじ思いをして欲しくないから。約束してね、村松さんは諦めないって」
少女は、今度は強く頷いた。
側にいた別の教師が、「諦めたら駄目なんですかね」と、冗談顔をして言う。
「三輪先生、だめですよ」
「いやあ、僕は諦めっぱなしですよ」
少女は、それより成長した今になって思う。あの女の先生は、今思えば、本気で少女を案じるが故に、向き合うが故に、諦めるなと力強い言葉をくれたのだ、と。けれども、諦めるな、と言うのは、実はあまりにも残酷な言いつけでは無かろうか。
彼女は、結局諦めたのだ。医者になることを。それを余儀なくされた。辛うじて、看護師になる道を今進んでいる。母親を実際に救う事はできなくとも、支えてあげることならやれる。それが彼女の夢の、最後の砦である。
けれども、彼女は医者になる夢を断念した自分に対して、嫌悪を未だ抑えられない。当時約束を交わしたあの教師に対し、ただただ申し訳なく思う。二度と、合わせる顔がない。そんな彼女が日々あてにしているのは、実は、あのもう一人の教師の「諦めたら駄目なんですかね」というすっとぼけた容喙なのである。




