糸。
「嘘だ…。」
「なぁそれ見間違えじゃねーの?」
「ちがくない!絶対にキスしてた!」
「あいつ付き合ってないのに手出すかね。」
「ちょっかいみたいな感じで!ほらいつもの…!」
「キスはまた違うだろ…」
今大慌てで旭が俺に報告している内容は、弟と幼馴染のキス現場を目撃してしまったかもしれないということ。それも今。
付き合うまで絶対に手は出さないって言ってたし。必死に耐えてるし大丈夫だと思うけど。
「さっきから部長副部長がキスキスって何言ってんだよやらしー。」
「うるせー。」
来たのは同級のバスケ部二人。
「あれだろ?キスしたって噂の…。」
「えなにそんなのあんの?知りたい教えろ!」
「誰誰!?」
「やたら食いつくな。」
「てかお前ら知らないの?」
「なにが?」
「まぁ言えねぇよなぁ。」
「んなー。橋本くん嫉妬しちゃうしー。」
なぜか二人はニヤニヤしている。
俺が嫉妬する?なんで?
首を傾げてもんもんとしていると体育館のドアが開いた。
「すみません、今休憩中ですか?」
「聖くん!」
菊池が小さめのタッパーを持ってきた。甘いはちみつの匂いがする。
すぐに差し入れだと勘づいた。
タッパーを持って走ってくる菊池はまるで女マネのよう。女マネなんていないむさくるしい俺たちバスケ部にひとときのオアシス。
「何そのタッパー。」
「今調理部と茶華道部の合同でお茶菓子を作っているんです!それでこれよかったら…。」
「レモンのはちみつ漬けのどこがお茶菓子なんだよ。」
「紅茶に合うかなぁって!」
「お前ら抹茶だろ!」
「くれるの?」
「うん!是非皆さんで食べてほしいなぁって持ってきたの!」
相変わらず天使のような微笑み。前はこんなのに勝てるわけないって思ってたけど俺も負けてらんねぇんだよな。
タッパーを開けるととろっとしたはちみつがレモンによく絡んでいるのがわかる。
もうお茶菓子とか完全無視だけどこれはもらうしかない。めっちゃうまそうだし。
「…うん!おいしい!」
「ほんと!?よかったぁ…!」
生きててよかった。うますぎる。
俺も料理勉強するか…。過ごした時間はといえど生徒会が一緒で現在過ごしている時間が向こうのが長いことには変わりないわけだし。
「ねぇねぇそれ杉崎んとこに持ってかなくていいん?」
「演劇部大会前でしょ?」
「はっ!?お前ら何聞いて…っ。」
二人はいきなり杉崎の質問を菊池に投げかけた。
はちみつは喉にもいいって言うし、演劇部で声を出す杉崎にはベストな差し入れだ。きっと持って行く。
「渡しに行きたいですけど空良さんきっと食べられるほど余裕ないと思うので…。」
「余裕ないってどういうこと?」
「空良さん、次の演劇の大会で主役じゃないですか。それが結構アクロバティックな動きをする演出が入るらしくて…。」
「…え。」
主役…、アクロバティック…。
「運動苦手なの自分でもわかってるみたいで一秒も無駄にしたくないって言っていたんです。無理はダメだって私もわかってるんですけどね…。」
心配そうな顔で話す菊池。
対して俺は初めて聞いたことだらけで少しびっくりしていた。演劇の大会で主役をやることも、アクロバティックな動きに運動音痴の杉崎が挑戦することも。
びっくりというか…なんだこれ。
「…あの、もしかして今初めて知りました…?」
「……っ!」
「わぁ菊池くん策士だね。」
「結構やるんだね。男じゃぁん。」
「私なんのことかさっぱりなんですけど…。」
「噂話聞こえてきたよ。」
「菊池、杉崎とキスしたんでしょ?」
「…は?」
「え…っ。」
その場が一瞬で凍りついた。
俺はその一言で頭が真っ白になった。
キス?
杉崎と菊池が?
「ち、ちょっとストップ!それ誰から聞いたの!?」
「隣のクラスのやつが菊池と杉崎が二人で生徒会室に残ってるの見たんだって。そしたら…キスしてたんだって!な!?」
でも前も似たような話が出て結局違ったしどうせ今回もどうせまた…。
「しかもまさかの杉崎から!いやぁそんな自分からいくタイプには見えなかったのにな!」
止めに入ってくれた旭が俺のことをちらっと見る。
今の自分の顔がどうなっているかはわからないが、視界が霞み、頬を水が伝っていき、体育着の首周りが濡れる。
「そ、そんなことないです!何かの間違いです!」
「えーだって角度から雰囲気からして絶対にキスだって言ってたよ。」
「ちが…っ!」
菊池が俺のことを見た。
「ご、ごめ…ちが…っ。」
「違うならなんで謝んの。」
「それ…は…っ。」
腹が立った。だから強めに言ってやった。
人畜無害そうな顔して…正々堂々勝負するって二人で言ってたのにありえねぇ。
そもそもこんなことになるのなら好き同士なんだし信用なんかしなきゃよかった。してた時点でおかしかったんだ。
余計なこと言ったこいつらにも、菊池にもムカついてるけど一番腹が立つのは…。
「…あの、今いい?」
「空良…さん。」
この変な空気の中、杉崎がドアを開けて入ってきた。
「またまた噂をすれば…。」
「ちょっと…!」
「なんでバスケ部に聖いんの?何新入部員?うける。」
全員が明らかに気まずそうな空気を出している。
俺は壁に寄りかかって無視をすることにした。
「ねぇ橋本、今から体育館のステージ使いたいんだけどいい?」
「……。」
「ちょっとー聞いてんの?」
聞きたくない。
喋るな。
今杉崎の声なんか聞きたくない。
「ねぇ、俺なにか…。」
「うるせぇなぁ!他のやつに聞けばいいだろ!?」
「は…はぁ!?お前が部長だからこっち聞いてんだけど!」
杉崎の手を払い、まるで威圧するように言ってしまった。
言ってすぐ、やってしまったと後悔した。でもそれは遅くて、杉崎はめんどくさそうな顔をして別のやつに聞いた。
…かっこわる。
「今日バド部いないから右半分全部使っていいよ。」
「アクロバットやるならステージ上だけじゃ足りなくない?」
「…聖、言ったでしょ。」
「し…知ってるかなって思って…。」
「…まぁいいや。…お前機嫌悪くなるの勝手だけどさ大会前なのに周りに迷惑かけんなよ。」
「…お前に何がわかんだよ!俺の気も知らないで!」
反射で杉崎のことをドンッと前に押して転ばせてしまった。子供っぽく、恥ずかしくて俺は体育館から逃げるように走って出た。
俺悪くねぇし。
ムカつくんだよ。
今まで部活の役の報告してくれてたのにいきなり言わなくなって、でも菊池にはしっかり言ってるし。かと思えば、杉崎は菊池とキスをした。
俺には何も相談してくれなかった。
親友だったのに。俺は親友以上だと思っていたのに。
全部菊池にとられた。
俺のほうがずっと仲良かったのに高校ではじめて会ったやつにとられた。
なんで、俺が頼りないから?うるさいから?気を使えないから?ウザいから?口が悪いから?
菊池と比べることで自分の嫌なところがどんどん見えてくる。
菊池といることで…好きな人がかぶることで自分がどんどんすり減っていく。俺と菊池じゃ正反対すぎる。
もう嫌だ。
「いった…。は…俺が悪いの…?んだよそれ…。…聖この後大丈夫?」
「は、はい!」
「演劇部に伝えて。『ステージで練習しとけ』って。」
「わかりました。」
「ちょっと言ってくる。」
「空良さん!」
「ん?」
「…ごめんなさい!でも私全然状況が理解できていなくて…っ。」
「…気にすんな。なんとかする。」