第一話 ダーク・インザ・パンダ
初投稿になります。至らないところもあると思いますが、感想等ありましたらぜひ。
皆様のささやかな暇つぶしに役立てたならと思います。
2022年、就活氷河期のこの頃、氷河期にこごえながら8月の酷暑に汗を流し、意識もうろうと都内某所を徘徊する男がいた。名を高橋 三吉。
高橋は慣れないリクルートスーツに身を包み、目玉焼きも作れそうな熱されたアスファルトを踏みしめる。
彼はどこを目指さすのか。
ゆれる蜃気楼のみを映したうつろな瞳と、なめくじのような足取りからは、目指す場所が無いことは明らかだった。
漆黒のリクルートスーツは太陽光を効率良く集光し、その代わり、マイナスのオーラを吐き出す負の光合成に疲れた高橋は、さきほどの就職面接の緊張が忘れさせていた空腹感を思い出した。
そういえば、朝…正確には午後。
「あんた今日面接の日っていってなかった!?」
と、親に叩き起こされ、
「うわああわすれてたあああ」
絶望の覚醒の後に起き抜けで面接を受けたので、まだ今日は何も食べていない。
「腹減った…。いやそのまえに喉乾いた…」
近くに自販機を見つけ、生理的欲求が高橋の足を速める。
太陽のスリップダメージを受けながら、自販機にたどり着き、財布を開くと、140円きっかりが現在の全財産だということを知り、またも絶望した。
帰りの電車賃がないではないか。
日に三度も絶望することになるとは。
二度目は、面接官に質問という名の尋問を受けている時だ。
社会そのものに絶望していた。
就活というシステム。考えたのは誰だ。
そして、就活は3年から始まっているなどと義務教育では習わなかったぞ。
気付けば大学4回生の夏。
義務教育を過ぎてから学ぶことを止めてしまった私の脳に責任があるのだろうか。
いや、そもそも社会そのものが間違っているのだ。
この就活という名の醜い争いの螺旋から降り、自宅警備員の立場からこの社会システムに一石を投じるのもありかもしれない。
もうニートでいいか!
全財産と引き換えに乳酸菌飲料を手に入れた高橋は、日陰を探して、都会の喧騒を切り裂くように駆ける。
すこしだけ吹っ切れた高橋の足取りは、軽やかなものだった。
都心からすこし離れた。
涼しい風が頬をなでる。
そちらを向くと、住宅に挟まれるようにして、風情のある赤い鳥居が建っていた。
隣には小さな石碑があり、神社の名が刻まれている。
石畳の階段が奥に続いており、登るにつれあたりを新緑の木々たちが涼しい風とともに迎えてくれた。
日頃アニメとゲーム漬けの生活が祟り、頂上に近づく頃にはすでにさきほどの勢いを失い、ぜえぜえぶひぶひ肩で息をしていたが、気分は晴れやかなものだった。
頂上に着いた。年輪を重ねた広葉樹たちが、灼熱の太陽光をさえぎり、別世界のように涼しい。
木漏れ日の中心に、立派ではないが、賽銭箱や神社としての機能を最低限確保する控えめな祠が建っていた。何を祀っている神社だろうか。
人の気配はなく、不思議とさきほどまでの忙しい蝉の声もこころなしか静かに響いている。
何やら神秘的な静けさ、安らぎを感じる。まさに都会のオアシス。
祠の裏に周ると、急に視界が開け、切り立った崖からは街を一望できた。
ここから風が入り込み、木々たちに緩やかなさざめきを与えている。
スーツを脱ぎ捨て、乾いた芝生に腰を降ろし街を眺める。
茹だるような暑さにも負けずにせわしなく動く人々、
物体、カラス達。
私がこうして絶望を繰り返し、生産性のない日々をおくるなか、それでも町は廻っているのだ。
殊勝な人々に感心しながら、45°の角度で乳酸菌飲料を飲みあげた。
ひょうしに、青空にくっきりと浮かぶ入道雲が目に入る。カルピスと同化して、入道雲を味わっている感じだ。
極限に枯渇した喉、食道、細胞が清涼的な甘酸っぱい入道雲で潤いを取り戻す。
一瞬で飲み干すと、満足げな溜め息とともに、手を頭の下に置き、寝転んだ。
舗装のされていない野性的な緑草たちが、シャツを貫かんばかりに背中に主張してくるが、今ではこれも心地よい。
乳酸菌、青い空、草原、木漏れ日、蝉の声を乗せたそよ風。もうこれだけで充分。これ以上何を望むというのか。
高い給料も、内定も、可愛い彼女も。そんなもの必要ない。
これらは所詮、この忌まわしき社会が創り出した幻想
に過ぎないのだ。
微風に頬を撫でられながら、反響する蝉の声に耳を傾け、心地よい意識の明暗を繰り返す高橋。
ふと、幼き頃を思い出した。小さな頃は、よくこうして独りで空を眺めていた。
今も昔も、代わり映えのしない青い空。
思い出した。小さい頃の夢は、勇者になって世界を救うことだった。
小学校高学年になっても真剣に憧れていた気がする。
道徳の授業でも真面目にそう答えていた。
確かクラスでドラクエが流行っていた時か。
今思うと気恥ずかしすぎるが、目指すものや、好きなものをきちんと言葉にすることは今ではもう出来ない事だ。
あの頃はまだ、この世界をもっと単純で、素晴らしい世界だと錯覚していたんだと思う。
いつからだろう、空を見上げるのをやめたのは。
ノスタルジックに浸りながら、高橋の意識はまどろみへと溶けていった。
「ミ"ィ"イ"イ"イ"イ"ジジジ!!」
魂にも届くような凶音に驚いて目を開けると、夜空をバックに鳥影が横切る。
傍らの低木で眠りをともにしていた蝉は、短い天寿を全うすることなく、鳥に食われ、鮮やかな断末魔とともに散っていったのだった。
彼の最後の意味すらないダイイング・メッセージは、
当分耳に残るだろう。
やれやれ、随分な目覚ましだった。
身体を起こし、肩を回す。
目が醒めてくると、蚊に刺されがいたる所に感じられた。こんなところで寝れば当たり前か。
天然パーマが緑草を絡め取り、チクチクと痒い。何か髪の中でもそもそとうごめく感触もある。
なかなかに不快な目覚めだ。
野宿の代償、自然の洗礼である。
昔の夢は勇者になることだったが、今では直毛になることである。すこしは現実的になったかもしれない。
くしゃくしゃになったスーツをほろい、立ち上がる。あたりを見回すと、月のみが視界を照らし、目下では都会のネオンが星空を薄めていた。
まさかこんなに寝ていたとは。こんなところでよく寝られたものだ。
さてと、帰るか。
携帯を見ると、母からの生存確認のメール着信が大量に溜まっていた。
まだ8時半。明らかに成人済みの息子に対する心配の仕方ではないが、いつもクーラーの効いた部屋でネットばかりしている息子なのだ。
暑さにやられて、どこがで野垂れ死にかけているかもと心配されてもおかしくはない。
そう、私には帰る場所があるのだ。
高橋には眩しすぎた都会のネオンにきびすを返し、森林の闇に溶け込みながら帰宅の算段を考える。
そうだ、金がない。徒歩で帰らなくてはいけないのか。しわしわスーツ姿の草にまみれた天パ男が、住宅街を闊歩していたら、不審者認定は免れない。どこか銭湯でもないだろうか。いや、だから金がないんだって。
仕方がない、頭にネクタイを巻いて酔っぱらいスタイルでいけば、逆に不審感が軽減されるのでは…ん!?
近くの茂みから気配を感じる。
暗闇のすぐそこで、ざわざわと木々を掻き分ける音。
誰だ?
鼻を突く獣臭。人ではないのか。熊?
都心から離れていると言っても、ここ東京だぞ。
高橋の本能は高純度の危険信号を発信していた。
恐怖により立ちすくむ事しか出来ない高橋。
茂みから、ぬっと影が起き上がった。でかい。
途端、ぬるい風が月をさえぎる木々たちを吹き揺らし、月光により目前の影に色彩を取り戻す。
高橋は、その丸みを帯びた白黒の生物に見覚えがあった。実物は初めて見たが、間違いない。パンダだ。
ぱ、パンダ!?
どうしてここに。
上野から脱走したのだろうか。
動物園のパンダならば、人間にも慣れているはず。落ち着け。
「ぐごおおおお!」
パンダの咆哮。
明らかにパンダは興奮している。
これは落ち着いている場合ではない。
大迫力の唸り声とともに、映像で見るよりも倍はたくましい右前足を振り上げる。
完全に捕食者の目を高橋に向けている。
おまえは笹だけ食ってりゃいいんだよ!
爪が振り下ろされる。倒れるようにして後方に避け、前のめりになりながら、出口の鳥居とは逆方向。崖っぷちを目指し走る。猛獣を前にして、冷静な判断が取れるはずもなかった。
崖縁にたどり着く。一瞬で追いつくパンダ。
丸みを帯びた身体からは考えられない俊敏さだ。
地面に手を付き、崖下を覗く。日中見えた崖底はもう影に包まれ、定かではない。
どうする。この暗い崖底に生存の一手を見出すか。
大人しく稀少動物の糞となるか。
牙を剥き、荒い息とともににじり寄るパンダ。おまえそんな顔も出来たんだな。
もう、やるしかない。
社会不適合者の私だが。おそらくニートになる予定の私だが、帰るべき場所があるのだ。まだ死にたくない!そう、ただ死ぬのが怖い。怖い。ちょっと待て、パンタも怖いが、崖から飛び降りるのも怖いぞ。
どうしよう、腰が抜け…。痛てっ!いででで!
振り返る。よつん這いになった高橋の足に噛みつくパンダの顔面がすぐそこに。
簡単に牙が革靴を貫通する。
引きづられる高橋。
「死んで、たまるかあああ!」
崖のへりに上から掴まり、抵抗するも、パンダはびくともしない。
「帰って、エロゲするんだあああ」
渾身の性欲を籠めて我が身を引く高橋。
なんとか足が革靴からすり抜け、牙から逃れる。
「うおおおおお!」
抜けた反動で、転がり出るようにして崖から飛び降りた。
突然の浮遊感。目の前に広がるネオンの海。
綺麗だ。広い。そして静かだ。近づいたら多分騒がしいだろうけど。
こうして見ると。
きっと、自分が思っているよりもこの世界は、単純で、綺麗で、すばらしいものなのかもしれない。
自分の世界に篭って、視野を狭めていた自分には気付けるはずもない。
夜景は見切れ、闇に視界が包まれる。
刻一刻と地面に近づく感覚はあった。
とうさん、かあさん、先立つ我が子をお許しください。
そして猟友会の皆さん、後のことは頼みました。
最後に、友人A。頼んでいた、私が死んだらPCの検索履歴を消す約束。頼みましたよ。
極限まで圧縮された時の中で、高橋は最後まで、検索履歴の心配をしていた。
アスファルトの放射熱を一瞬感じた気がしたが、そこで高橋の意識は完全に途切れる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
次に高橋が目を開けたときには、すでにすべてが終わった後であった。
つづく
ここまでお読み頂き有難うございます。
ほとんど行き当たりばったりで書いているので、この先どのような展開になるのか、作者にも良くはわかりませんが、頑張りますゆえ、よろしくお願いします。
投稿ペースは数日に一回になるかと。
次回もぜひ読んでね。