336 ギャップ苦
こんにちは。
昨日「お坊さんの格好のキャラクターが物語の中心いただけで、不安に襲われた」と書いたけれど、説明も無く突飛な事を書きすぎたなぁと、あの後お風呂に入りながら反省をしまして。
これは私の悪い癖です。ダメだと思いながら、思った時にはもう考えてしまっている損な性格。書き手側の思惑ばかりを考えてしまうのです。素直に物語を楽しめばいいのに。
物語を読んでいたらあるあるパターンの一つ、ターニングポイントで闇落ちするキャラクターを作る流れ。物語を純粋に読み進めていても、あれ?と普通に怪しむ事ってありますよね。闇落ちしないまでも、物語根幹にかかわりそうな隠された事実で、ターニングポイントの中心になるキャラクター。そういうキャラクターが配置されやすい役があるのです。
それが聖職者、警察官、教育者です。なぜかと言うと、簡単にギャップを付けやすいから。(他にも親友・兄貴・仲のいい先輩なども状況により有りますが)
特に私が今回見たお話は、和風の世界観では無い中で、わざわざ日本の仏教のお坊さんの格好だったし「先生」と呼ばれていたので、登場と同時くらいのタイミングで「かなりの確率で何かある」と思ってしまった。そして、敵が仏の姿で蓮がモチーフだったし私の中では確定しました。……とは言っても、私はアニメ化以降の話を全く知らないですよ?大外れているしている可能性もある。だけれど「お坊さんは悪い人ではないけれど、もともと敵側の人で、生徒たちだか世界の在り方を憂いて別行動をとっている……そして、世界に何も救いが無いから偽りの平和を生徒たちに与えている」みたいな?と勝手に想像……。ほんと読んでないから違う可能性大ですよ?知っている人がこれを読んでいたら大笑いしてください(笑)
ただ、私が言いたいのは、本当のストーリーがその通りだったとしても、間違っていても同じことで、そういう風に思う事が苦しいのです。
いい感じでうっすら色んな方向にミスリードしてくれていたら、わくわくしながら読むのだけれど。斜め上の可能性とか、真逆の可能性とかがちりばめられていない状態だと、書いている方にごめんなさい!っという気持ちが膨れ上がり過ぎて、続きを見られなくなってしまうのです。
逆に自分が書いていても、バレてはいけない段階でアレコレがばれていないだろうか?と思うと気が気では無いし、そろそろバラしていかないといけない段階に突入しても、わかりやすくし過ぎると読み手に失礼だと思って、わかりにくくしてしまって伏線の意味が無くなったりする。
これもさじ加減なんですよね……もう性格とセンスですよ……。これが人の作品を読んでいる時にも恐怖症が出てきてしまうから、努力で克服とか、勉強して分かるようになるとか、そういう話では無いんです……。
勘の良い読者にかなり早い段階でばれている事を恐れないで書く事は、とても大切な物書きの才能だと思います。それって、物語が面白いと自信があるという事なんだろうな。物語が面白いという自信があるから、トリックや伏線の行く先を、意図しないところで気が付かれてもどっしりと構えて入られる。
そして意図して勘ぐって欲しい所で、読者に優越感をもって勘ぐらせてあげる技量と度量。これも自信満々だから、出来るんですよねぇ。これが出来る人がお釈迦様の手のひらというか……優越感を持たせつつ、牛耳っている作者というか。憧れますけどねぇ、えぇ……。世の中の作家さんはすごいですねぇ……
そう言えば、ハリーポッターのスネイプ先生のギャップしは本当に凄いですよね。突然、職業ギャップの話の戻りますが。
先生→怪しい先生→怪しく見せているだけの先生?→やっぱり悪……からのアレですかね。ギャップに翻弄されました。超一流は正統派と見せかけて、斜め上を行きますねぇ。スネイプ先生大好きです。
来年は、続きを書けるといいな……ちゃんと向き合えといいな……どうしたら燃料が入手できるだろう。自家発電しかないから、自分で燃え上がらないといけないんだよなぁ。




