326 捏ねると、燃費
こんにちは。
うーん。作業をし過ぎてしまった。いつもよりも、もうちょっと、もうちょっとと延長に延長を重ね、もうすぐ四時。
小説でもそうだと思うのだけれどハンドメイドもそうで、作り始めるまでに、頭の中で案を捏ねて捏ねて、捏ねまくる時間が必要なのです。
コンセプトをまず捏ね、そこからデザインを引っ張り出して捏ね、どうしたら出来るのか、又はもっといいデザインは無いのか、他のモチーフは無いのか。そのモチーフはコンセプトから外れていないのか。そう言う事を捏ねまくる。
この時間は最短で完璧に近い作品を仕上げるのにとても重要なのだけど、人から見たら何もしていないダラダラしている時間だし、自分でもタイムリミットが刻々と迫っているのに、手を動かせないもどかしさで焦ってしまう。
だけれど、ここで捏ね損ねて間違った判断から作業に入ってしまうと、1からのやり直しを余儀なくされ、痛すぎるタイムロスを食らってしまう。
今日も一つは仕上げたけれど、同じコンセプトの別デザインがなかなか思い浮かばず、行き詰まってしまって暗中模索。色々と案は出てくるのだけど、私の技術で作れるのか?と思うと完成度の低いものになってしまう可能性が高かったり、それでもどうにか出来ないだろうかと長い時間立ち止まって作り方を考えていた案は、よくよく考えたら当初のコンセプトから外れているという事に気が付いて没にせざるえなかったり。
原点に立ち戻ってコンセプトから考えをスタートさせ、二つの案を何とか絞り出し、そこから一度はA案を作り始めたけれど、途中、まだ痛手が少なくて済む時点でB案に変更。
なんとか今日中に作り上げてしまいたかったので、ラストスパートをかけたのだけど出来ませんでした。しかし、後は仕上げを残すのみ。
作品って、これまた何でもそうだと思うのだけれど、作ってすこし寝かさないと悪い所や完成度の低い所は見えてこない。だから出来るだけ早く作って寝かせたいのです。
今のところ、なかなかにかわいく仕上がったのでは?と、満足しています。渡すのが楽しみだなぁ~。要らないものだなぁ~と思われる可能性もあるけれど(笑)
それでも手渡しをして反応を確かめられるのは、作り手としてはとても楽しみな事で、どう転んでも「良い事」なのは違いないのです。
こんな事を言うと、かまってちゃんみたいですが……、このエッセイもどきの文章は、はっきり言って何にも反応が無くても書き続ける自信があるのです。そりゃ、反応が有るに越した事かないですよ。有るととてもうれしい。しかし、ぶっちゃけると、ここは読まれなくても良いと思って好き勝手に書いているし、独り言をつぶやくように書いているので低燃費なんです。
しかし小説は違う。あれは書くための燃料を自家発電で用意するのはとても大変な燃費の悪い作業で。必要なエネルギーが膨大過ぎて、外からの燃料供給が無いとなかなか続けられるもの出来ない。
連載をストップしてから、ずっと続きを書きたいと思っているのです……一日たりとも続きを書く事を諦めた日はないのですが、心の燃料が空っぽで動き出せないのです。
それと同じ。ハンドメイドで何かを作る行為は、プラスでもマイナスでも反応がそれなりにあるから作る事が出来る。前に書いたように作りたいという衝動もあるだけれど、それは小説も同じなんです。小説を書くも衝動。
さぁ、今日は早くお風呂に入って寝てしまおう。明日は今日の続きを仕上げて、早く仕事に戻らないと。




