315 ライブレポート
こんにちは。
まぁ、ライブに行って来たわけです。先日から気を揉んでいるやつです。それの備忘録を書いていたらもう力尽きたので、そのままコピペで今日は逃げます……スミマセン、
とにかく、もう一日中活動して音楽も浴びて、帰宅してインコに謝りまくって疲れ果てています。
以下、Coccoの大阪(ゼップ・なんば)ライブで私が感じた事を書き記したものです。興味のある方はどうぞ。
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私が勝手に感じた事なので、違う!と思う方もいると思いますが、一応の自分自身のための記録です。
今日のライブが始まるまでは、漏れ聞こえてくる本ツアーの前回の公演の感想にネガティブな印象を持ったという報告を何件か聞いていた事や、後悔された最新曲の歌詞や、ライブ後のツイートが春のプロムツアーの時とは天と地で、空っぽのステージの画像に定型文のお礼だけという状況だったので、過度に活動しすぎているのじゃないか?とか、やりたい事が出来なくて苦しい状態なんじゃないか?と勘ぐってしまう部分もあり、覚悟して向かったライブでしたが。
ふたを開けてみれば、本人が開演前のアナウンスを滑舌よく明るい声で、出来るだけ訛を出さないように放送し、最後にフェーダーを下げ忘れたまま「五分前って言わんでよかった?」と誰かに確認している声が会場内に響いて笑いも取っていたし、何より、バンドメンバーが板付になった時の和やかな空気と、こっこが登場した時の感じが柔らかくて。すごく身構えていたから肩透かしを食らった。あまりにも意外過ぎたから、まだそこでは信じ切れなかったのだけれど。
歌い出すといつもの調子。スロースターターだからなのか心の余裕なのか、いい意味で落ち着いて淡々と歌う。ちゃんとプロとして平常心を保ちながら淡々と。
序盤は昔の曲が多く、歌い慣れた様子で。いや、昔以上に上手くなっているのは疑いようがない。リズムを昔よりも細かく感じながら歌っている感じがする。息も長い。何も衰えていない。まだエンジンはかかっていないけれど、それでも進化しか感じない。
衣装は珍しくパンツスタイル。白の透け感のるガウチョパンツの中に、黒のホットパンツを履いている。ズボンの内腿側は一枚布を多くしているのか、透け感が少なくなっている。そのガウチョパンツに黒|(?)の太めのベルト。トップスは黒。前面はアメリカンスリーブというのだろうか?ノースリーブスタイルで背中は素肌丸出しだった。長いアームカバーをして肩と二の腕が露わになっている。髪は一つ括りでポニーテールと言うには低めの位置。前髪も全部縛って“ひっつめ”。とても珍しいスタイルだった。
中盤、「やわらかな傷跡」の時、昔の痛みを詰め込んだアレコレに対して吹っ切れたような、昔の自分を遠くに想いながら歌うような、そんな「今の大人の余裕」と「少女だった頃の自分に郷愁を感じる」ような、今までにない色の、気持ちのいい歌になっていると感じた。
ここまでの淡々として歌は、過去の歌を歌う事や、それを望まれている事や、仕事として歌っている事、自分を削って発信している事、それによって自分の歌が自分の手を離れ、それぞれの中で成長してしまう事、アーティストとしてのコントロールし切れない深層意識や、きっと理解している恵まれている境遇、パブリックイメージや求められることに対する苦痛など、様々な事と折り合いが取れるくらいの場所まで歩いてくれたという、そういう落ち着きだったのではないのかな?と思った。
そして次の曲、「有終の美」から本格的にエンジンがかかり始める。
今までの曲で起こした種火をおが屑に落とし、燃え上がらせようと心をくべる。
有終の美は、それまでのセットリストの中では新しい方の曲。少女が残る頃の遠い自分と向き合う歌から、今の自分と近い思いがリアルな歌になってホールを満たし始める。それが次曲「Beautiful days」で一気に燃え上がる。身体と言う器に収まり切らずに魂が歌になってドバドバと溢れだす。まるでホールの隅と言う隅までも、まるで水槽の中に水が満ちるように全てを飲み込み充満して、会場内が今の彼女一色になる。今の気持ちだから。そして雪崩れこむように新曲「お望み通り」。言うまでもない。表現したい事があり過ぎて、聞かせたくて仕方がない。身体だって踊り出しちゃう。
歌詞だけを読んでいる時は、痛くて苦しいくてどうしようもないかな?と、ネガティブに捉えていたけれど「そういう自分を観察して飼う事の出来る私」もちゃんと理解して生きているという事なんだろう、と思った。
なんというか……表現しずらいけれど「赦し」の質が変わった瞬間のように思う。頭でわかっていた赦しが心に落ちて、赦せるようになったというか。
この辺りから、感じていた「今までとは違う違和感」が何かという事に気が付いた。こっこのバンドに対する役割が変わったんだと。
私はずっとこっこのバンドが凄いと思っていた。本当に凄すぎて。何が凄いかと言うと、サポートバンドの枠に収まらない異様な一体感。だから、なぜ正式なバンドになっていないのか不思議だった。というか、実際に「サポート」なんかではなく「こっこというボーカルのいるバンド」だった。
それはきっと、こっこがバンドメンバーを自分の分身くらいに位置づけをして、高いシンクロを求めている部分があって「なんで分かってくれないの?」と精神的な共有を求めていた部分があったのではないだろうか。無意識なのか意識的なのか分からないけれど。バンドは自分の絶対的な居場所であり、言わなくても伝わる理解者でいて欲しかったのでは……と、わかったような口をきいていますが。これは勝手に想像して言っているだけ。だけれど、同じように痛い感覚をわずかにでも心に抱きつつバンドを経験したことのある私には、自分のことも含めてそう感じてしまうのだ。
今日の演奏は違った。みんなそれぞれがプロのミュージシャンとして「音楽」をサポートしている感じがした。だから、ちょっとのミスくらいはある。それでも平気。こっこの心を具現化している音では無いから。こっこの失敗でも無い。それは、いい意味で「ただの音楽」、「純粋な音楽」。
だからこそ、フラットなテンションでプロとして人前で気持ちよく歌えている。バンドのメンバーが、サポートメンバーとして頼ってもいい「心のより所」になったんだと思う。だから昔のようなくじ箱から引いた曲をやります!みたいな事は、メンバーに負担が大きすぎてなかなか出来ないだろうけれど。それはそれで楽しかったんだろうけれど、違うライブスタイルと向き合えたんだろう。本当に異様なくらい昔は、サポートじゃなくバンドだった。今は誰も縛られず、自分も縛ることはなく。自由。
エンジンがかかり切った後半は、押せ押せ!燃え上がれ!のすごい状態。
MCは一度も無いものの「お望み通り」から本当に楽しそうだし、コミュニケーションをとるのにメンバーと喋ったりしていたし。
「藍に深し」のAメロのテンションからラストまで最高潮に持って行くすばらしさ、そこからラストまで息を突かせてもらえず、あっという間の五曲。
ラストの曲の後奏で、お辞儀をブロックごとにしていく合間に、柔らかい顔で小さく手を振っていた。「歌い手として望まれる歌をきちんと歌う」ライブ。気持ちを緩めず、丁寧に、熱く冷静に、平常心のまま魅了できるように。もしかしたら前回の横浜では、極度に緊張していたのではないだろうか?そんな事をふと思った。今日は手を振れるライブになってよかったな、と心底思った。
そして、色んな意味でミュージシャンとしての彼女は大人になったんだなぁとも。アーティストの牙が剥きだして自分をボロボロにしてしまう時代も、人を魅了してやまなかったけれど、今は自分の事もある程度理解しつつ自分を輝かせる事ができる人になったんだなぁと。
まぁ全ては私の勝手な妄想。本人が読んだら、爆笑するかもしれないし、激怒するかもしれない。真実は分からない。けれど何かが変わって、見え方・聞こえ方が変わったのは現実です。
ライブに居合わせた人、一人一人に真実があっていい。それが自分の手を離れて作品が成長してしまう、と言うとなんでしょうね。
ライブ後にある画像がSNSに公開された。彼女がタコ焼きを持っている画像。
あぁ、ライブ後に美味しいもの食べるんだ。なんてご機嫌な夜。どれだけのファンが安心しただろう。
とても良いライブでした。




