305 揉め事
こんにちは。
SNSを見ていて「それは間違っている!」と攻撃している状況をよく見かけるのですが。
確かに印象操作をしようと、わざと悪い情報を流したりしている人もいるのだと思うのだけれど、そうではない人もいるのになぁと。
正反対の真実がそれぞれにあるような事を言い争いをしても、結果はどちらも真実だから、片方だけが正しいという事が言えない。
例えば小学生が「みんながもっているから、同じものを買って!」とねだったとして、親が本当に世間で流行っているのか?とネット検索をして、流行っているという事実が見つからない場合「子供が買って欲しいから、みんながもっていると大げさに言っているだけ」と判断して買わないかもしない。でも子供は小さな限られたコミュニティーの中で生活しているから、クラスや習い事での友達が数人持っているだけでも「みんな」という表現で間違いはないのだ。
実際に、年配の方の集まりの中で周期的に双眼鏡や単眼鏡が流行る事がある。他の地域では流行っていないのに急に流行り出して購入者が増える。理由は簡単で、バードウォッチングが流行る周期があって、仲間内で「○○さんがもっていた」「あのお店に売っていた」という情報が流れたりして急に売れるのだ。他ではそんなに大ブームになっているという事も無いのに。
小さな世界での話題や常識を知らずに、大きく報道されているとか世界の常識のように話す人がいたとしても、その人の周りでは本当にそういう状況かも知れないし、熱量を持ってそれを伝えた人が近くにいたのかもしれない。
しかしマクロで世の中の流れを追っている人や、その道に精通している人にとっては「嘘」になってしまう。「嘘」判定をしてしまうと、正義が牙をむくことがあるから、そこが怖いなぁと。
どっちも嘘をついていないから、どちらも折れる事が出来ないし、炎上する一方。そして結局は数の暴力になり、正義の旗色が強い方が相手をボコボコにしてもいいという空気になる。
お互いにどうして違いが生まれてしまっているかを理解しようとする努力が必要なのに、気持ちが攻撃モードになっているから止まらない。
中には冷静な人もいて問題点をあぶり出していたとしても、ヒートアップしてしまっている状況で間違いを認めて訂正するのは難しくなっていたり、そもそも冷静な人の声が届きにくいし拡散もされにくい。
人は揉め事に自ら寄って行ってしまう性質の人の方が多いみたいだからなぁ。
自分とは違う考えの人を理解することは難しいけれど、その人の真実も一応は認めてあげる努力が必要なのになと、そういう場面に出くわすといつも思う。真っ赤な嘘であるのがどうかを冷静に精査するのはその後の話。勘違いなのか、悪意なのか。
なんだか沸点が低い人が多いよ、ほんと。




