二人目③
直前までスマホでライブ報道を確認していたから、対峙する欲望鬼がこれまでにはなかったタイプだとは知っている。
振り返った。
「貴女、大丈夫?」
やっとできたお仲間であったが、同年代に見える。
――うわぁ、綺麗な人……。黒髪、さらっさら。
同じ魔法少女同士なら、素顔もそのまま分かった。
「え、ええ……、うう、怖かったぁ!」
解かる。一瞬で仲良くなれると思った。
『七原さん。彼女はフェチ・アッス。魔力をかなり消費しているようなので、一旦、撤退してもらいます。いいですね』
「ええ、その方が……いいわね」
ほぼ全裸。乳首と股間を辛うじて死守している様子である。
ここは先輩として、格好をつけたいところだ。
「さあ、ここは私に任せて」
「は、はい」
跳躍して、去っていくフェチ・アッスの背中に哀愁を感じた。
改めて欲望鬼に向き直る。
先程、封印の手前まできて、自分の出番はないかと安心したが、その後の変貌には驚かされた。
どう戦うか、イメージはしてきた。
――あの突進力は脅威ね。上手く躱して、背後に回り、それから、攻撃。うん、これを繰り返していけば、体を削っていけるはず。
来なさい、と挑発するように、ステッキの先端を欲望鬼に向けた。
「クワ……セロ……」
「ん?」
これまでの欲望鬼はもっと流暢に話していた気がする。一度、形態が変化したせいだろうか。
「オ、オ、オ、オマエ……、クワセロ」
「え、えーと、何が食べたいのかな?」
これまでの欲望鬼はほぼ変態しかいなかった。聞いてみれば、満たせない欲望って、性的に、特に歪んだものが多いから、そのせいではないか、との事。
――食欲ベースの欲求なら、今回はまともね。
「クイタイ……、オマエノ……ワキゲ!」
「やっぱり、変態だった!」
それもかなりの上級者だ。
――え、なに? 腋毛が食べたい? 腋毛って食べられるの? 美味しいの?
雪花、混乱する。
その隙に牛のような形をした欲望鬼が突っ込んできた。
「やばっ――」
もう逃げ切れない距離まで迫られている。
『七原さん、眉間を狙って!』
高田川の声に、咄嗟にステッキで欲望鬼の頭部を突いた。
グサッとモロに刺さって、しかし、突進の勢いは止まらず、後退させられる。
建造物が背後に迫り、その前でどうにか踏ん張り、留めた。
「うぐぅ……、って、グロ!」
欲望鬼の造詣がリアルになったせいで、牛の眉間に棒が突き刺さっている状態が目の前にある。
「ヒイぃ……、こわっ! 動物虐待じゃないですからぁ!」
『七原さん、そのまま魔法を』
「う、うん。け、けど……」
魔法で武器を顕現させる場所が、欲望鬼の頭の中にあるのだ。
このまま発動させたら、どうなっちゃうの?
イメージしたら、何もできない気がする。
「ああん、もう……、マジカル安全カミソリ!」
魔法が発動した感覚はあった。
牛頭の中で、切り刻んでいく音がして、顔から刃が出現してく。
「あ……、ああ……」
欲望鬼の頭の中で、無数の刃が回転し、ブシャっと破裂するようになって、撒き散らされる真っ黒な何か。真っ黒だけど、まるで肉片や血のように見えて、更にそれが雪花の全身に降りかかった。
「…………」
よく気絶しなかったよ、私。
「もう、やだ……」
『はは、頭を下げてきた欲望鬼を殴って、頭部を破裂させた貴女が、今更……』
「だって、あの時は、こんなリアルじゃなかったもの!」
ともあれ、頭部を失った欲望鬼はドスンと道路に倒れ込み、一度、動きを完全に止めたのである。
もう封印の儀に入ってもいい?
『もう少し、削りましょうか』
「分かったわ。ハァ、面倒……でも、もうちょっとか」
倒れた動物的な何かを鈍器(魔法のステッキ)で叩いていく自分の姿って、世間一般にはどう見せるのか。
――ま、まあ、精肉と思えば……、ん?
先程、コスチュームに付着した黒い欲望鬼を構成していた物が、蠢きだした。
「な、なにこれ!?」
振り払おうとすると、黒いそれは手のような形状に変化して、体を擽ってくるのである。
「へ……? あっ、ちょ、ちょっと……、やぁん……」
手状のそれを掴んで離そうとするのだが、しっかりコスチュームにしがみ付いていた。
で、他のが、擽ってくるから、笑い悶えてしまうのだ。
「ぷぐ……、ぶは……、ちょ、ちょっと止めて……、ひゃっ! ど、何処に入って……」
コスチュームの中に潜り込んでくる真っ黒な手状。複数あるそいつらは、ぴっちりしている生地にも負けず、縁から入り込んで、胸の谷間を進んできたり、太股を進んで、股座へと侵入してきた。
「そ、そこはダメ――ぇ! あ……、ああ……」
この手、テクニシャン。
股間の奴が、これ以上、悪さをしないように、前屈みになって押さえるのだが、肉裂を割って一番敏感な部分に触れてきた。
「ああん、ヤダ……、ダメ、ダメなの……、こんな場所で……」
ぬちゃっと聞こえてしまう。
「い、いい加減に――、ヒっ……」
他の奴らが、腋の下へと入り込んで、プチッと音がして、微かな痛みがあった。
――抜かれた! わ、腋に生やしてたの……、抜かれた。
今度こそ、絶対に剃ろうと誓った。
ついでに下の毛も抜かれた。
「ぁヒぃん!」
土産に腋の下が擽られ、どさっと前のめりに倒れて、雪花は悶絶する。
「ぶははは、ヒイ、や、やめぇ――、あ……、あへ……」
涎を垂らし、黒目が上向いてしまった。
『七原さん!』
高田川が自分を呼ぶ声に、ハッとする。
「うう……、よくも……、こ、こんな恥辱……、初めて……、でもないけど、もう許さない」
体から離れていった真っ黒な手が、欲望鬼の本体に合流する。
そして、頭部が再生してしまった。
手の一つが持っていた腋毛を本体が食べる。
グオオオ――ッ! 歓喜の咆哮が発せられた。
雪花、ドン引き。
「こ、こんなヤバ過ぎる欲望鬼が発生するなんて……」
続けて欲望鬼は他の毛も食べた。
シュンとなった。どうやら陰毛だったようだ。
「うわ……」
『うーん、どうやら、陰毛を食べると、奴は元気を失くすようです。七原さん、奴にもっと陰毛を食べさせるんです』
「嫌よ!」
と、拒絶したが、爛々と輝く瞳で欲望鬼は雪花の腋毛を狙っている。
どうする魔法少女フェチ・ティッツ。
――――
路地裏、ビルとビルの合間で、恵は隠れていた。幸い、この界隈は封鎖され、近付く人の気配はほぼなかった。
そこに、綺羅が合流してきる。
「メグ叔母さん。だいじょう……ぶ」
彼は真っ赤になって、顔を横に向けた。
「う、うん、まあ……」
少しはコスチュームの生地が戻ってきたが、とても甥っ子に見せられる姿ではない。
――けど、綺羅ちゃん、あんなに真っ赤になって……。やん、ズボンの前が……。
いけないと思いつつ、ちょっと揶揄ってみたくなってしまった。
やっぱり、駄目。そんな事をしたら、一線を越えてしまいそうな予感がした。
「え、えーと、今の状況は……」
スマホを取り出して、報道の中継を確認していく綺羅だ。
「私にも見せて」
意識なく近付いてしまって、顔を寄せると乳房も甥っ子に触れてしまった。
「んっ!!」
ピクッと綺羅の体が震えるから、その振動が乳房に伝わり、恵も気付く。
――あんっ。こ、これまずいかも。けど……、綺羅ちゃんが嫌がっていないなら、ちょっとサービスしてもいいか。
互いの体温が伝わり合って、ドキドキと鼓動が高鳴っていく。
「え、えーと、フェチ・ティッツのマスコットさんと連絡はできるんでしょ?」
「う、うん。マスコット同士なら、頭の中で会話ができるんだ。僕とメグ叔母さんみたいに」
会話に集中して、これ以上は意識しないようにした。
「それで、何か分かった?」
「うん、どうやら、あの欲望鬼の狙いは、女性の腋毛だったみたい」
「はい?」
「それともう一つ。陰毛を食べさせると元気がなくなるみたいなんだ」
「…………」
真面目に考えたら、馬鹿になると思った。
「奴の弱点さえ分かれば、こっちのもの。メグ叔母さん、リベンジだ」
「ちょ、ちょっと待って。え、ええと、あの欲望鬼の弱点って……。うん、言わなくていい」
そういえば、綺羅はもう生えているのだろうか?
「そう。それを大量に奴に食べさせる事ができれば……」
そんな真剣な顔で、真面目に考えないで。
「フェ、フェチ・ティッツも分かっているのよね?」
「向こうのマスコットさんから聞いていると思うけど……、ほら、しつこく、欲望鬼が攻撃してくるから、攻めあぐねているみたいだね」
「き、きっと大丈夫よ。これまでだって、フェチ・ティッツは――」
突進してきた欲望鬼の頭がモロにフェチ・ティッツの腹に当たり、そこから突き上げられる。高く舞い上がった彼女の体が、道路に叩き付けられた。
「あっ! く……。フェチ・ティッツのマスコットさんもかなり焦ってる」
「ん……」
フェチ・ティッツは自分のピンチに駆けつけて、助けてくれた。
今は、彼女が窮地に追い込まれている。
それでもフェチ・ティッツは逃げない。
きっと、ここで止めなければ、腋毛を狙われる数少ない女性が被害に遭わないように、自分を犠牲にしても戦っているのだ。
「メグ叔母さん!」
「ああん、もう! 綺羅ちゃん、ちょっとこっちを見ないでいてくれる」
フェチ・ティッツの為に。腋毛の処理を怠ったずぼらな女子の為に。
フェチ・アッスは再び戦いの場へ。
――――
思えば、最初の欲望鬼の時も狙われたっけ。
胸のポッチで、欲望鬼を噴き出させたり、自分の存在が巨乳への憧れと憎しみを増幅させたケースもあった。
で、今回だ。
あれ、ひょっとして欲望鬼を育てた人物って、私の腋を見たから?
もし、そうならこれは自分の責任だ。
ごめんなさい、皆さん、だいたい私のせいです。生きていてすみません。
『七原さん!』
「は……」
欲望鬼が迫る中、どうにか飛び起きて、距離を取った。
ハァ、ハァ、と息があがる。
――やっばい。クラクラしてきた。
もう一撃を食らったら、今度はきっと立てない。
そうなったら最後。コスチュームが破られ、剥き出しになった腋の下に奴の口が迫って、むしゃむしゃと食べられるのだ。
「じゃ、なんで、牛なの? ねえ、山羊じゃないの?」
『今、その疑問を口にしている場合ですか!』
お叱り、ごもっともです。
『まあ、山羊なら、腋じゃなくて、頭髪を食べられていますかね。カミだけに』
「高田川さんだって、考えているじゃないですか」
『それより、来ますよ』
力を溜めて、今度こそ、こちらを動けなくするようなダメージを与えてくるつもりだ。
マタドールのように華麗に避ける事ができれば――できるならもうやっている。
雪花は構えた。
「避けられないなら、打つ!」
『そ、それは……振り子打法!』
相手は百マイル超えの豪速球のようなもの。強振するのではなく、敵の力を利用して、打ち返す。
九回裏、ツーアウト満塁。得点はゼロ対三で負けている。そんな気分で、緊張感が高まっていく。
――うう、更にツーストライクで追い込まれている感じ。ん?
脇道から走ってくる人影があった。
「うわぁあああ――、こ、これでも、食らいなさい!」
もう一人の魔法少女。
不意に現れた彼女が、拳に握っていた物を欲望鬼の口に押し込んだ。
「グガア――ッ!」
暴れた欲望鬼に吹き飛ばされるフェチ・アッス。
だが、直後、欲望鬼の迫力が減少し、その足が震えだす。
「まさか――」
仰向けに倒れたフェチ・アッスは、コスチュームの半分までが戻っていたが、スカートまでは再生していなくて、下半身はGストリングスの小さなショーツのみ。そこから微かに赤くなった肉土手が覗けていた。
「自分の陰毛を抜いたのね。大量に……」
後輩の覚悟を見せられ、もう迷いは消えた。
「ううう、私も……やってやる!」
ハイレグの脇から手を股座に潜り込ませ、ブチッと引き抜いた。
涙目になりながら、まだ消沈したままの欲望鬼に向かって駆け、
「おかわりをあげるわ!」
陰毛(ちょっと濡れている)を欲望鬼の口に押し込んだ。
「ぐぎぃ……」
泡を吹きだしてきた牛頭目掛け、間髪入れずに、ステッキを打ち込んだ。
バシッ! ジャストミート。陰毛の効果か、奴の体は脆くなっていて、頭を消失させ、体まで罅が広がる。
『今です。封印を!』
本当の少女ではできなかった。
生えている大人であったからこそ、今回は勝てたのだ。
――――
街に平穏が戻り、雪花は自宅に直帰した。
会社に置いてある必要な物は、高田川が気を利かせて、持ってきてくれるそうだ。
フェチ・アッスの姿は封印の義の後に探したが見えなかった。
まあ、あの姿のまま、長く現場にはいたくないよね。また、会えるだろう。彼女がこりごりになって魔法少女を止めない限りは。
「よし、剃るわ」
高田川が帰ってくるまで、まだ時間はかかる。
なので、風呂に入りつつ、剃る事にした。
バスチェアに座りながら、ジョリジョリと音を立て、股を開いて。
そう、剃ったのは陰毛の方である。
無造作に引っこ抜いたから、とても他人には見せられない――見せていい相手もいないのだが――汚い生え方の状態になっていた。
つるつるに剃った。
そして、それで満足して、腋の下は忘れた。
どんどんマニアックになっていくぞ、七原雪花。
――――
雨の休日、部屋の中にいてもする事はなかった。
高田川は、後輩ちゃんに教えてもらったゲームをしていて、それなりに楽しんでいる様子である。
なので、雪花は一人で外に出た。
しとしと降る雨の中、遠出をするつもりもなく、歩いていける距離にあった書店に入る。
退屈しのぎに文庫本。あるいは、こんな時間に新しい知識を得てもいい。
ネットのダウンロード通販もいいが、書店では意外な発見ができたり、新しい出会いもあるものだ。
それは、どうも本だけには限らないようだ。
「あ……」
「え……」
フェチ・アッスがいた。勿論、普通の人の姿である。
無言で、そっと隣へ。一冊を手にしながら、聞いた。
「あの……、下の処理……されました?」
「…………はい。あの……、貴女の方は?」
「しました」
この時、二人は解りあった。
世界中で二人にしか分からないものを共有したのだ。
この後、喫茶店でお茶をして、連絡先を交換して別れた。