フェチ・ティッツ②
卓袱台を挟んで、雪花と高田川が向かいあっていた。テレビでは夜のニュースが流れている。
『本日、午後六時過ぎ、○○線車内に欲望鬼が出現しましたが、魔法少女フェチ・ティッツの素早い対応により……』
聞こえてはいたが、そちらに意識はなく、神妙な面持ちの二人だ。
「本当に、辞めてしまうのですか?」
「……はい」
自分が魔法少女でいる事で、欲望鬼の出現が増えるのなら、この選択が正しいはずだ。
「仕方ありません。私には七原さんを止める事はできませんから」
「いいの? せっかく、フェチ・ティッツネタで再生回数増やしてきたのに」
「いずれ、飽きられますから」
それ、ちょっと複雑な気分。
「じゃあ、これ、返すわ」
魔法少女のステッキを卓袱台に置いた。
「では、契約は解除という事で……、解約にはキャンセル料が必要になりますが?」
「え?」
「最初に契約書を見せたじゃないですか?」
「いやいや、あの時はじっくり読んでいる余裕なんてなかったし。詐欺?」
新手過ぎる。
「最近の魔法少女のマスコットには、詐欺師みたいのもいるようですが、違いますって」
「うう、幾ら払えって言うの?」
「支払っていただくのは、若さです。なに、一年分ですから」
「若さ……」
微妙に嫌な条件である。
解約申込書なる物が出された。
――こ、これにサインしたら魔法少女を辞められる。けど、一歳、歳をとるなんて。
三十路OLにとって、若さ一年分の価値は計り知れない。
泣きながら、震える手で名前を書いた。
「こ、こ、こ、これで……」
「はい、確かに…。七原さん、今なら、まだ……」
「い、いいの。普通の女に戻るわ。明日、社長にも言うから」
「そうですか。では……」
高田川が立ち上がる。
そして、バッグに自分の衣服等を詰めていくのだ。
「なに……してるんです?」
「七原さんのマスコットでなくなったからには、ここにはいられませんから」
失念していた。
「そんな、慌てなくても。何処に行くの? 前に住んでいたアパートはもう解約しているんでしょ」
「ホテルにでも泊まって、考えます」
「決まるまで、ここにいたらいいじゃないですか」
「もう、私と七原さんを繋ぐ物はないんです。こんな壮年の冴えない男が若い美人OLさんの家にいる事が元々おかしいんです」
確かに高田川の言う通りだ。だけど――。
「じゃあ……、セ……」
――今、私、何を言おうとしたの?
セックスです。
――嫌ぁ! か、体まで使って、高田川さんに、ここにいてもらおうとする理由ってなに?
そういう対象として、見た事はなかった。
「どうかしましたか?」
「な、何でもないです」
真っ赤になって、俯いている間に、高田川が離れ、扉が開け閉めされる音が聞こえた。
――――
魔法少女フェチ・ティッツ引退の情報はまず、他のマスコットらに通達され、そこから恵、佳弥も聞かされるのだった。
「えっ!? 七原さんが、魔法少女を辞める?」
学校の昼休みに、こっそりと寧々亜に呼び出され、何かと思えばこの報告だった。
「そっ。ネオ魔法ランドから連絡があって、もう、ホームページにも載ってるはず」
佳弥はスマホで確認してみる。
トップページに重大発表として、掲載されていたのだ。
「まさか……」
「これ、公式だからねぇ。マスコミも騒ぎだしているみたい」
ネオ魔法ランドからマスコットの寧々亜に直接連絡があったなら、事実なのだろう。
――七原さん、何故? 相談してくれれば……。
特に連絡先を交換しているわけでもなく、学生時代も単にクラスメイトであっただけで、特別な関係ではなかった。
相談されるはずはない。
「え? 記者会見ってあるが……」
「ああ、ホテルでネオ魔法ランドとして、記者会見を開くみたい。社会的影響? っての。大きいじゃん」
「確かにそうなんだろうけど……、え? 誰が出るんだ。まさか、七原さん?」
怪しいサイトの出した情報にいったいどれだけのマスコミが集まるのか。
「えーと、確か……、ネオ魔法ランドの総帥と高田川のおじさんは出るみたいだけど……」
魔法少女フェチ・ティッツの正体は謎のまま、静かに引退するのだろうか?
しかし、このまま彼女が引退したら、
「もう、七原さんと会う機会もないのか……」
むすっとする寧々亜だ。
「むう……、あんなにアピールしてるのに、この男は……」
呟きが聞こえていないわけでもない。
狭い六畳間のアパートに、寧々亜は入り浸って、完全に同棲状態にはある。正直、ドキドキしないはずもなかった。
下着は平気で目に付くところに干してくるし、風呂上がりにバスタオル一枚だけの時もある。
始終、一緒にいるものだから、溜まった性欲を発散させる事もできなくて、万が一、夢精でもしたら何を言われるか。
それでも生徒に手を出すわけにはいかない。
「ど、どんな会見をするんだろうな?」
「さあ? でも、動画サイトでは生配信があるみたい」
時間は十九時。これなら見る事ができそうだ。もしかしたら、ニュースでも流すかもしれない。
――――
記者会見場には多くの記者が集まって、正面のテーブルには幾つものマイクが設置された。後方には生配信用のカメラだけでなく、テレビ局のクルーも待ち構えている。
扉が開かれ、三人が入ってきたが、真っ先に目に止まったのは、謎の存在だ。
ずんぐりした着ぐるみのような姿で、顔は小動物のようであるが、犬とも猫とも言えて、あるいは栗鼠ではないかと囁く記者もいる。着込んでいたのは灰色のスーツであった。
テーブルに立って、三人が最初に頭を下げた。
第一声は壮年と思われる男性から発せられる。
「えー、まずはネオ魔法ランドの記者会見に大勢の方にお集まりいただき、ありがとうございます。真ん中におりますのが、ネオ魔法ランド総帥、キュラッチョでございます」
会釈がされた。
「それでは、私、魔法少女フェチ・ティッツのマスコットをしておりました、高田川順三より、この度、皆様をお騒がせした経緯を説明させていただきます」
マスコットという言葉に騒然となったが、小学生のようにも見える女性、副総裁とされる彼女の咳払いに静かになる。
「まずは、魔法少女フェチ・ティッツですが、彼女が引退を申し出てきたのが、昨晩の事です。少し、悩んでいた様子ではあったのですが、その辺りを汲んであげられなかった私の責任を痛感しております」
疑問は色々とあるだろうが、まずは高田川の説明を一通り聞いてからだ。
「本人、あー、仮にYさんとしておきます。Yさんと話し合ったのですが、その意思は硬く、私に止める事はできませんでした。解約の書類にサインと頂き、これは、今、私の手元にありますが、これをネオ魔法ランドで正式に受理されると、Yさんは、もう魔法少女になる事はできなくなります」
記者らは真剣にメモをしている。
「えー、申し上げた通りに、実はまだ正式に引退が決定してはおりません。ホームページにて、先走った情報が流れた事をここにお詫びして、本日、会見を開いたというのが経緯になります」
三人が立ちあがり、また頭を下げるのだった。
記者から質問が飛んでくる。
「週刊マジカルの者です。そのYさんは、どのような方で? どのような経緯で、魔法少女になったのですか?」
「Yさんが最初に魔法少女になったのは、最初に欲望鬼が現われた時でした。あの巨大な欲望鬼に対抗するには、魔法少女が必要だったのですが、当時はまだ一人も魔法少女がいなくて、現場で、私が才能を見付け、スカウトしたのです」
次の記者。
「朝起新聞の者です。あの、高田川さんは、マスコットと仰いましたが、どのような活動をなされているのですか?」
「魔法少女のスカウトから、その後のフォローです。欲望鬼との戦いのアドバイスもありますが、日常生活での面倒もみさせて頂いておりました」
「日常の面倒ですか」
「はい。Yは比較的に朝が弱いので、起こしたり、あと、炊事、洗濯などのお手伝いもしておりました」
「洗濯という事は、下着も……」
「勿論です」
高田川に恥ずかしがる様子はない。
続いての質問。
「月刊アダルトライフの者です。引退するフェチ・ティッツに、多くのAVプロダクションが、出演のオファーを検討しているようですが、可能なのでしょうか?」
「フェチ・ティッツではなく、Yさんになら可能でしょうが、個人情報なので、何処の誰とか教えるわけにはまいりません」
「では、写真集の企画を持ちかけられたら如何ですか?」
高田川が総帥と副総帥を見る。頷かれた。
「着エロまでならOKです」
おお、と唸る声が会場に響く。
「週刊文冬です。マスコットさんは、フェチ・ティッツの事をよくご存じかと思いますが、プライベートではどのようなご関係で?」
「お聞きしたい事の意味は解ります。そっちに関しては、オカズと視姦者までです」
「で、では、フェチ・ティッツは独身。彼氏はいるのでしょうか?」
「いません。でなければ、腋の処理をしています」
「フェチ・ティッツのオナニーは週に何回ですか?」
「全ては把握しておりませんが、三日に一度くらい。ストレスが溜まっている時には、おそらくもっと……」
「み、見たんですね?」
「いえ、具体的な現場は見ておりません。ですが、まあ、分かるじゃないですか」
うん、うん、と記者らが頷く。
そろそろ真面目な質問をしないと不味いぞ、諸君。
もう手遅れだろうが、ネット内では炎上している。
「テレビ新宿です。ネオ魔法ランドの総帥にお聞きします。その体は本物ですか?」
総帥が初めて声を発した。
「本物です」
渋かった。
「では、中の人はいない、と?」
「勿論」
月刊アダルトライフが手をあげる。
「フェチ・ティッツが本当に引退した場合、フェチ・アッスになら、写真集のオファーはできるのですか? あと、最近、現われた新人の魔法少女についてもお聞きしたいのですが」
再び高田川が答えた。
「オファーに関しては、ネオ魔法ランドのホームページからお願い致します。えー、ん?」
総帥が高田川に耳打ちをする。
「えー、お幾らくらいを用意していただけるのかな、と」
「金次第では、写真集もOKという事ですね」
「こちらから、フェチ・アッスに打診する時に、具体的な話ができない、というそれだけの事です」
記者会見は続いていく。
――――
部屋の灯りも付けずに、雪花は毛布を被るようにしながら、生配信を見ていた。
「…………殺す」
彼氏がいないところまではギリギリ許せるが、オナニーの回数とか答える?
しかも当たっているだけに、羞恥で死にそうだ。
「ぅぅ、高田川さんを殺して、私も死ぬ」
スマホの画面では会見が続いている。
『先程、解約とのお話がありましたが、契約の際にも何かの書面を交わされたのですか?』
『はい。このように、契約を交わす事で、Yさんは魔法少女になる事ができたのです』
契約書が披露されたが、名前の欄には、自分のサインがしっかりと残っている。
「ちょ、ちょっと!」
一瞬であったが、きっともうネットの向こうでは特定班が動き出しているはずだ。
「き、きっと魔法の力で、なんとかしてくれる……よね?」
不安しかない。
別の記者が質問する。
『月刊キューティポップです。あの、Yさんて、年齢は御幾つなのですか? 少女と呼ばれる事に、違和感はなかったのでしょうか?』
その質問はやめて。
『当初、本人もその点に関しては、気にしておりました。ですが、もう職業名という事で割り切ったようですね』
『二次元では魔法少女は皆、十代以下の若い女の子がなるものですが、現実では大人ばかりですが、これはやはり、子供に戦場に立たせるわけにはいかない、という事で宜しいのでしょうか?』
『そこは関係ありません。たまたま見付けた才能のある者が、大人ばかりであっただけです』
『では、今後、子供の……本当の魔法少女が現われる可能性はあるのですか?』
その質問は失礼なんじゃない。
『現在、スカウト活動を行っていますが、その可能性もあります』
モヤッとする嫌な気持ちを覚えてしまった。
『どのようにスカウトされるのですか?』
『犯罪に利用される可能性があるので、そこは発表しません』
魔法少女のスカウトに見せかけた痴漢が大量発生しそうだ。
『詐欺を警戒されているのですか?』
『それもあります。尚、魔法少女のスカウトで、メールを送りつけたり、金銭の要求をする事はありませんので、お気をつけください。それから、魔法少女が特定の企業や商品をお勧めする事はありません』
大陸の人口のやたら多い国では、既に魔法少女の偽物が玩具を宣伝しているらしい。
明日のワイドショーの主役は間違いなくこの会見になるだろう。
―――――
高層ビルの屋上に彼は立っていた。黒いマントが風に揺れ、足はガクガクと震えていたが、恐れているわけではない。ただ、ちょっと足腰が弱ってきただけだ。
欲望大帝。自らを彼はそう呼んでいる。
「準備は整った。だが、フェチ・ティッツが引退だと?」
許せるはずはない。
彼女こそが生きる希望。そして、己の欲望をここまで膨らませてくれた女神なのだ。
「尻派は早々にフェチ・アッスを崇めだしたようだが、やはり最高なのはフェチ・ティッツ」
正義と羞恥の狭間で戦い続ける彼女の姿に、十数年ぶりに勃ったあの時の感動を忘れない。
「そうであろう、お前達も」
夜景を眼下に望みながら、両手を広げた。
「さあ、今こそ、今しかないのだ。フェチ・ティッツよ、引退などさせぬ。この場に引き摺りだしてくれる」
瞳を瞑り、黒い欲望の波動を送る。
キャッチできる者は限られていた。
だが、その限られた者らこそ、選ばれし者。
街から咆哮が聞こえてくる。
ドカンッと衝撃が響き、巨体が立ちあがってくるのだ。
「グオオオオ―――ッ! フェチ・ティッツを拘束したいぃいいいい!」
それは一つではなかった。
「はっはぁあああっ、フェチ・ティッツのアヘ顔が見たいっ!」
二つ、三つ、四つ――巨大な欲望鬼が一斉に街に出現する。
「フェチ・ティッツを全裸にしたい!」
「フェチ・ティッツの股間に、異物をぶち込みたい!」
「フェチ・ティッツを泣かせたい!」
「フェチ・ティッツを……石化したい!」
欲望大帝は笑った。
「いいぞ、我が同胞よ。そして、我は、フェチ・ティッツを十字架に磔にしたいんじゃぁ!」
歪み切った奴らの宴が始まる。