フェチ・ティッツ①
牛以上はありそうな大きなブルドックの形状をした欲望鬼がハイウェイを疾走している。追いかけられているのは、魔法少女フェチ・ティッツだ。
「足、舐めさせてぇ!」
「ヒィっ!」
悲鳴を小さく発し、フェチ・ティッツは逃げる。
最近、欲望鬼の出現が、魔法少女になったばかりの頃のように多くなっていた。
あの頃より、魔法少女の数も増えて、少しは楽になったと思いたいが、実は欲望鬼も強くなってきている。
『七原さん、これ以上進むと、通行規制を越えます』
「それまでに何とかしろって言うの? 無理ぃ!」
だいたいどうして自分だけ追いかけられるのか? 女性の足が舐めたいだけなら、フェチ・アッスでもいいはずなのに。
「フェチ・ティッツの足が舐めたいぃいいぃい!」
「ファン? ねえ、私のファンなの?」
『モテモテですね。いっそ、舐めさせたらどうです?』
振り返る。
ベロンと伸びた舌がヌルヌルとして、粘度の高そうな涎が垂らされていた。
「絶対無理っ!」
雪花と欲望鬼の合間に第三の魔法少女が降り立った。田所佳弥。高校時代の同級生で、男であるが、先日魔法少女フェチ・フェイクとして登録されている。
男なのに、嫉妬する程綺麗なのは、この際どうでもいいから、助けて。
「僕が止める! ウオオ――、七原さんに近付く――」
暴走する欲望鬼に佳弥は撥ねられた。
「うわぁ……」
魔法少女の強化された肉体なら平気だとは思うけど、無事を祈る。
――どうしよう? 逃げてばかりじゃ……。
正面にフェチ・アッスが立っていた。
魔法を放つ構えを取っている。アイコンタクト。同年代の女性の彼女とは、何度か共に戦って、既に相棒とも言える。最近はプライベートの相談も受けていた。
タイミングを合わせて、避ける。
発動時に声を発するはず。それに合わせて、横に逸れれば――。
「って、もう撃ってきた?!」
マジカルガトリング。ファチ・アッスの強力な射撃系の魔法だが、魔力の消費と同時にコスチュームが透けたり、虫食いになっていくのが玉に瑕。
で、それをモロに食らってしまった。
魔法の攻撃が魔法少女に当たると、フェチ・ティッツの魔力も干渉されて、コスチュームが剥がれてしまうのだ。
二人の魔法少女が徐々に肌を露わにしていく姿は、今回もバッチリ、報道のカメラに捉えられている。
仰向けに、ハイウェイに倒れ込んだフェチ・ティッツ。
そこに迫る欲望鬼であったが、勢いがあり過ぎて、雪花の上を通り過ぎようとした。
反射的にフェチ・ティッツは、ステッキを突き立てる。
グサっと生々しい音が聞こえた。欲望鬼の股間から。
腹を狙ったつもりだったのよ。ちょっと、欲望鬼が速かっただけで。
しかし、これがクリティカルヒット。
牡の急所をやられた欲望鬼が動きを鈍らせ、やがて、泡を吹いて、道路に倒れ込む。
「や、やった」
フェチ・アッスと共に二人で欲望鬼を蛸殴り。
見事に封印の儀も完了させたのだった。
――――
会社の屋上に降り立ち、変身を解除すると、雪花は社長室へと戻った。
デスクにいるローリー馬塲社長が、パソコンのモニターを見ているが、こちらには視線を向けずに「ご苦労さん」と一言だけ。
社長秘書として、鬼のようにスケジュールを埋めてやろうと思った。
「めっちゃ、疲れたんですけど」
「ふーん」
「…………」
そっと窓際に行って、後ろからモニターを覗き込んだ。
PC版のソシャゲに信じられない金額を課金していた。
私は怒っていいと思う。
「社長……」
「あ、いや、見てたから、ちゃんと」
ソファに座って、ぐったりしても今日は何も言われまい。
「最近、多くありませんか、欲望鬼の出現?」
「奴らが人間の中で育ってきた時期だからな。まあ、それにしても連続している。うーむ、何か、奴らの欲望を刺激する何かがあるのかもしれないわね」
「何かって?」
「それが分かれば、コントロールできるかもしれないけど……」
この社会の中に潜む欲望の塊が一斉に刺激されるには、大きな出来事があるように思える。社会現象的な、何か。
「ショーヘイ君のMVPとか、なんとかの刃とか……」
「皆、二刀流になりたいとか、言ってないでしょ」
「成程……」
「で、今日の欲望鬼は、何て言っていたんだ」
「フェチ・ティッツの足が舐めたい……」
え?
まさか――ね。
じーと、ローリー馬塲が見てきた。
「そう言えば、以前に、雪花が腋に生やしている物に触発されて、出現した欲望鬼がいたわね。貴女の乳に刺激された欲望鬼もいたし」
「は、はは……、偶然……ですね」
嫌な汗が腋から垂れていくのが感じられた。
「…………そうね、決めつけるには、まだ早いわね」
少し安堵。ネオ魔法ランドの副総裁でもある彼女に断言されたら、自分の存在意義を疑うところだ。
スマホからアラームが鳴る。緊急欲望鬼速報だ。
「うう、またですか」
「いってらっしゃい。まあ、ボーナス、多めに出すから」
「でもぉ……」
「んじゃ、若いイケメン社長で、腋毛フェチを紹介するから」
「腋毛は剃ります! 社長が何と言おうと、今度こそ」
しかし、それで若いイケメン社長を落とせるなら、少し待つか。
今度は、もっと普通の欲望を持つ相手だといいな。そう願う雪花であった。
――――
「フェチ・ティッツの肛門の毛が見たいぃ!」
がっくりと雪花は地面に両手を付けた。
フェチ・アッスとフェチ・フェイクは声をかけられないでいる。
夕闇の迫る公園に出現した欲望鬼。
急行したフェチ・ティッツの前で、そいつは叫んだ。
しかもこいつが気持ち悪い。
「うわぁ、なんか、こう、蛇とか蚯蚓の集合体みたいで、気持ち悪いですね」
アッスが言っている。
「そうですね、あれは、所謂、その……触手というやつでは?」
フェイクは冷静に分析した。
うん、もう二人に任せよう。
立ちあがったティッツは、
「じゃあ、私、逃げ遅れた人がいないか、公園内を見て回るから。あと、宜しく」
「ええ!? 困ります、ティッツ。私、あんな、オチ……の長いような奴と戦えません」
「大丈夫、アッスは既婚者だから」
「いやいや、絶対に、ティッツの方が見慣れているでしょ」
「私、そういうイメージ!?」
最近、フェチ・ティッツとか、魔法少女で検索していないけど、ネットで何て言われているのだろう。
「二人とも、来ますよ!」
向かってくる欲望鬼を押さえる為に、フェイクが魔法を発動させた。
「マジカル・イージス!」
光の大きな盾が出現して、欲望鬼を食い止める。
ステッキを前にして、魔力を込めている様子のフェイクであったが、ちょっと嬉しそうだ。
「やった。僕だって、この位なら」
おお、とティッツとアッスが拍手する。
欲望鬼が唸った。
「グオオオ……、フェチ・ティッツのぉ……、肛門の毛ぇえええええ!」
「ぐ……、そ、そ、そんなもの……、ティッツには生えていない。たぶん」
真っ赤になった顔をティッツは両手で隠した。
――ごめんなさい、田所くん。ちょ、ちょっとだけあるの。ホントにちょっとだけだからぁ!
アッスがステッキを構えた。
「あ、ああいう、欲望鬼は、綺羅ちゃんの教育に良くないわ。直ぐに倒します。あっ、でも、綺羅ちゃんが、私のを見たいって言ったら、どうしよう。ねえ、ティッツ、どうしたらいい?」
「知らないってば!」
よし、今からトイレに行って、抜いてこよう。
周囲を見れば、公衆トイレがあった。
「ちょ、ちょっとトイレに行ってくる」
「え? 待って、私も。念の為」
ティッツとアッス、現場から離脱。
「ええ!」
フェイクが一人残された。
トイレの個室に、ティッツとアッスは入った。
手をお尻に伸ばし、そっとコスチュームの中に指を差し込んでいく。
『何をやっているんですか、七原さん?』
「高田川さん? あ、いや……、その、抜いちゃえば、もう欲望鬼もやる気をなくすかなって……、って、女性がトイレに入っているところに、話しかけないで」
『そ、それは、失礼しました。けど、早くしてください。フェイク一人では、とてもあの欲望鬼を押さえては……』
「わ、分かっているから」
話しながら、指はお尻の谷間を越えて、内側に到達していった。
――もう、こんな事、本当はしている場合じゃないんだけど……。万が一の時、ホントに万が一、晒されちゃったら、生えていない方がいいに決まっているじゃない。
現在進行形で彼氏がいたら、処理していたかな?
「えっと、うっ……、抜けた?」
手を顔の前に持ってくると、短い縮れ毛が一本、あった。
「…………あっ、泣けてきた」
どうして、公衆トイレで、肛門に生えた毛を抜かなきゃならないの?
隣から、アッスの声が聞こえてきた。
「あっ、あっ、あん……」
やけに色っぽい声だ。
「はぁあん、んっ、え? やだ、綺羅ちゃん、聞いちゃ駄目ぇ。あっ、叔母さん、お尻が弱いのぉ!」
彼女は甥っ子に何を求めている?
『大変です! フェイクが――』
「え、なに?」
『早く、戻って!』
「せ、せめて、後一本……、ああん、もう」
トイレからアッスと共に、飛び出していった。
高田川のあれだけの慌てようだ。一人残っていたフェイクは大丈夫なのか?
衝撃的な光景がある。
「く……、この離せ。ああ、よ、よせ、そこは――っ!」
四肢を触手に絡まれ、体が持ち上げられていた。幾つもの触手が彼の体をねっとりと這って、コスチュームの中に潜り込んでいく。
「お、お前の肛門の毛も見てやる」
この後、何が起きるか、何となく想像できてしまって、静観した。
触手が、股間に入り込んでいった。
「や、止めろぉ!」
途端に、欲望鬼の動きが止まった。
フェイクが解放され、触手の全てが萎えた。
あの姿で、男とは気付かなかったのだ。
遠くから、爆笑する声が聞こえる。
「うう……、立浪、笑う事はないだろ!」
ああ、マスコットのJKちゃんが笑っているのか。
しかし、チャンスはやってきた。
「フェイクの体を張った作戦は成功ね」
「ええ、行きましょう、ティッツ」
マスコミも見ているので、そういう事にした。
フェチ・アッスと共に二人で欲望鬼を蛸殴り。
見事に封印の儀も完了させたのだった。
――――
通信アプリで社長に直帰の報告を行って、電車で帰る事にした。
欲望鬼騒ぎのせいもあって、一斉に帰路につく人々で電車の中はかなり混雑している。
「ああ、七原さん」
高田川とは、人混みの中で逸れた。
降りる駅で再会できるとは思うが、帰りながらちょっと相談もしたかったから、残念でもある。
「はうっん!」
これだけのラッシュに巻き込まれたのは久しぶりで、周囲の人々と完全に密着。痴漢に間違われないように荷物を上の方で持つ男性らに、ご苦労様。
ごめんなさい、女性専用には入れませんでした。
目の前に男の子。中学生くらいか。
胸を押し付けてしまう。
真っ赤になっている。可愛い。アッスの気持ちが解かる。
こういう時に痴漢に遭わないコツは、声出しますよオーラを全開にしておく事。それでも手を出してくる輩を過去五人は突き出している。
――危ないな。こういう、ちょっと気持ちが落ちている時は……。
何故、落ちているか。
勿論、欲望鬼の事だ。
最近、ピンポイントでフェチ・ティッツに関する欲望を膨らませた奴ばかりなのだ。
高田川曰く、局地的な欲求程、歪んで膨らみやすいから、だそうだが、
――このまま、私、魔法少女をやっていて、いいのかな?
欲望鬼に対抗できるのは魔法少女のみ。だけど、その魔法少女が人々の欲望を駆り立てているのなら、マッチポンプが過ぎる。
――ま、まだ、決まったわけじゃ……。フェチ・ティッツ好きだけが、欲望鬼になるわけじゃないし。ん?
もぞっとお尻に感じるものが。
そう、こうやって落ち込んでいる時は、声出しますよオーラ、も漲られる事ができなくて、被害に遭いやすい。
しかし、ここは一瞬で、切り替える。
手を取ってやり、叫んでやるのだ。よし、今!
「フェチ・ティッツの耳垢が欲しい……」
え?
ぶつぶつと呟く声が聞こえた。お尻が完全に掴まれてきたけど、もうそっちは気にしていられない。
どす黒いものが膨れ上がってくるのが、感じられる。
――不味い。不味い不味い。こんな満員電車の中で、顕現しないで!
呟いているのが、誰だか、そこからは見えない。痴漢がスカートを捲ってきたけど、それどころではない。
進行方向、一メートルくらい離れた所から、真っ黒な瘴気のような物が噴き出してきた。
きゃああああああ!
途端に、悲鳴が聞こえ、更に押されてくる。逃げ場がない。
次の停車駅までは、あと少し。って、いい加減、尻から手を離せ、痴漢。
駅に着いた。
ドアが開くと同時に、人々が飛び出していく。
――落ち着かなきゃ。ぐ……。
慌てる人々に押され、足が絡みそう。って、そろそろ、尻を揉むのやめない?
「うわ――」
誰かが倒れた。
声を聞いて、咄嗟にドアの横隅で、留まった。痴漢も留まった。
様子のおかしさに、乗ってくる人はいない。駅員も気付いたか。
その車両に残ったのは、自分と痴漢と――。
人型の欲望鬼がいる。ただ、腕が左右に五本ずつあった。
そして、倒れて、足を押さえている男の子がいる。倒れて、逃げ遅れたのだ。
「あの子、さっきの――」
欲望鬼が少年に迫っている。
「危ない!」
雪花は、痴漢を投げた。頭の禿げた中年男性だったが、欲望鬼にヒットする。
その間に、少年に駆け寄って、手を握る。
「こっちよ」
電車のドアの前までいって、少年も投げた。イチロー並のレーザービームで、少年は駅員にキャッチされる。
雪花は、逃げる訳にはいかなかった。
バッグの中から、ステッキを取り出す。それを上に掲げ、魔法少女へと変身するのだ。
そして、決めた。
この戦いが終わったら引退する、と。