三人目②
ロッカーから飛び出すと、欲望鬼は慄いたように、後ろへと後退した。
――僕を恐れている?
まだ自分に何が起きたのか、分かっていない。
「ホントに上手くいった! やばい。てか、うける」
スマホのシャッター音が聞こえ、振り返る。
「おい、これは――」
「はい、先生」
寧々亜の見せていた画像に、首を傾げた。
女性が映っている。
横広がりのミニスカートのピンクを基調にしたフリルがふんだんに使われているコスチュームは、昭和のアイドルを彷彿させる。
派手な縦ロールの金髪をして、なかなかの美人であった。眼鏡美女だ。
「これが……なんだ?」
「先生だよ」
「は?」
自分の全身を見てみる。同じだった。
「な、何だ、これはぁ!?」
――僕が、女になっている!?
「魔法少女だよ。先生、魔法少女に変身したんだって」
「…………」
「どしたの?」
「美しい……」
「は?」
「美しいと思わないか、立浪? そうか、僕はこんなに美しかったのか」
「…………キモ。ちょっと、待って」
寧々亜がスカートを捲ってきた。
「こ、こら。いくら女子同士といってもだな――」
「モッコリしてる」
「え?」
自分で股間を触ってみた。可愛い女性用の下着に包まれた逸物と睾丸があったのだ。
「まさか……」
膨らんで見える胸元も触ってみた。
モミュ……。感触は伝わってこない。偽乳だった。
「先生、これ……、ただの女装……」
そう、TSしたわけではなく、完璧に装われた、だけだったのだ。
「だ、だが、美しいのに、変わりはないだろ。なあ、立浪?」
「あ、うん。必死になるとこ、そこ?」
ズルっと音がした。
「無視……、しないで」
そう、まだ何も解決していない。
だが、先程までとは違う。
――力が漲っている感じがする。僕は、本当に魔法少女になったのか。これなら、生徒を……、立浪を守れる。
動画サイトで見た、魔法少女フェチ・ティッツの戦う姿を思い出した。
持っている魔法のステッキ――やや、卑猥な形が気になるが――欲望鬼に突っ込んで、それを思い切り叩き付けた。
バシ――ッ、と派手な衝撃音が響いて、欲望鬼の真っ黒な体の一部が飛び散りながら、吹き飛んでいく。
ドカンと響き、教室の扉を破壊して、欲望鬼の体は廊下へ。
「おお、やったぞ」
「いや、いいけどさ。扉……」
「え、後で、魔法の力で、元に戻るとか……」
「ないって。そんな都合のいい事、あるわけないじゃい」
損害賠償請求とか、こないよな。
「マジか……」
「そ、それより、アイツ、まだ……。ここじゃ、被害が大きいから、先生、こっち」
寧々亜の駆けていく方に、付いていく。
今度は上に上っていく。
――そうか、まだ残っている他の生徒が巻き込まれないように。屋上か。
冷静な彼女に感心する。
しかし、前を駆け、階段を上がっていく寧々亜を見ると、短いスカートから下着が覗けそうで、真っ赤になった。
屋上に至る。
幸いに、他に誰もいなかった。
欲望鬼はしつこく追いかけてきて、狙い通り、ここが決戦の場となる。
「結婚……、結婚してぇえええ」
蛞蝓のような見た目や、動きも気持ち悪いが、この固執がもっと悪寒を覚えさせる。
一度、深呼吸をした。
――さっきは、やれた。奴は動きも遅い。やれる。
正面からまた飛び込んで、ステッキを叩き付けようとする。
すると、
「え?」
叩き付けようとした部分が割れて、続いてステッキと腕が挟み込まれた。
欲望鬼の体に肘の先までが飲み込まれ、引き出す事ができない。
「ぐ、この……」
頭の部分が傾けられて、こちらを見詰めてくる。
「さあ、このまま……一つに」
更に、吸い込まれていく。肘までは完全に欲望鬼の中に取り込まれ、両足で踏ん張って、堪えるが、そこまでが限界だ。
「先生!」
寧々亜が突っ込んできて、欲望鬼を叩く。
「この、このぉっ、先生を離せ!」
「立浪……」
生徒が自分の為に、必死になってくれている。
――ちくしょーっ、守るべき生徒が、こんなに頑張っているのに、僕は……。
叫んだ。
「うおおぉおおおお――――ッ!」
佳弥の体が光り、魔法のステッキが熱を発していく。
ジューと焼ける音がして、欲望鬼が苦悶を見せた。
「ぐわぁああっ!」
吐き出されるように、佳弥の体が離される。
だが――。
「お前、邪魔」
欲望鬼の尻尾の部分が、寧々亜を叩き、彼女の体が宙に飛ぶ。
浮き上がった寧々亜が、屋上のフェンスを越えて、外へ。
「寧々亜っ!」
走りながら、佳弥は手を伸ばす。とても届かない。
寧々亜の顔が見え、彼女もこちらに手を伸ばしていた。
追いつかない。
落ちる。寧々亜の体が、このまま地に叩き付けられたら――。
疾風が、校庭を吹き抜ける。
その影は、校舎に向けて、跳躍し、落ちてくる寧々亜を受け止めながら、屋上へと下り立った。
お姫様抱っこされて、キョトンとしている寧々亜に彼女は言った。
「大丈夫?」
魔法少女フェチ・ティッツだ。
「う、うん」
微笑んだ、フェチ・ティッツが、寧々亜を下ろし、欲望鬼へと対峙していく。
「ね……、立浪!」
「先生っ!」
駆け寄ってきた寧々亜が胸に飛び込んできた。
ゆっくりとフェチ・ティッツが、欲望鬼へと近付いていく。
チラッと彼女の視線が、佳弥に向けられ、
「貴方、まだ魔法少女になったばかり?」
「あ、ああ……」
「なら、ここは私に任せて。貴方は、その子を守っていて」
滲み出る強者感。歴戦の経験が彼女には見える。
――あれ? 彼女、何処かで見た事があるぞ。
それは、動画や報道で見た時の感覚と違う。ぼんやりとしたイメージと違って、今はフェチ・ティッツの顔がはっきりと分かった。
どう戦うのか?
情けないが、ここは彼女に任せて、見学とさせてもらう。
力み感がまるでなく、立ち姿に余裕が見えた。
それにしても――。
――エ、エロいな、フェチ・ティッツ。オッパイでか! 立浪より大きいんじゃないか。
半端ない大人の色気が、全身から溢れている。
フェチ・ティッツが欲望鬼に向かって、飛び込んでいく。
「む……、直進するように、見せて、フェイントか? 上に飛ぶとか?」
フェチ・ティッツは真っ直ぐに突進していく。
そのまま、真っ直ぐに。
欲望鬼の女性の股間にあるような形状の口が大きく開いて、フェチ・ティッツを丸呑みにした。
「え? ええええっ!」
魔法少女の体を完全に呑み込んだ欲望鬼がもぐもぐと咀嚼しているような動きをしている。
「フェチ・ティッツが食われたぁ!?」
唖然とする。
が、次の瞬間、
「マジカル安全カミソリ!」
ズバッ、スパスパ――ッ! 欲望鬼の中から、光の刃が飛び出して、その全身を切り刻んでいく。
弾ける欲望鬼。漆黒の肉片が飛び散って、ヒイっと佳弥は小さく悲鳴を発した。
欲望鬼のいた場所に、フェチ・ティッツが現われる。
容赦なく、内側から欲望鬼を細切れにしたのだ。
「そ、そうか、わざと取り込まれて……」
でも、参考にしたくない戦い方だ。
お礼を言おうと、立ちあがったその時、フェチ・ティッツは奇声を発し、奇妙な踊りを始めるのだった。
それは、何というか、盆踊りのような、原住民のダンスのような、とにかく、見ている方が恥ずかしくなるような、見てはいけないものを見た気がした。
「へえ、あれが、封印の儀ね」
寧々亜がボソッと言った。
「封印の儀?」
「うん。欲望鬼は、あんな状態でもほっておくとまた復活するから、一定のダメージを与えたら、ああやって、封印の儀で舞うの。先生が倒していたら、アレ、やってもらっていた」
ありがとう、フェチ・ティッツ。自分では、絶対に踊れなかった。
天から差し込んだ光の柱に飲まれ、欲望鬼だったものが昇っていく。
どうやらこれで、戦いは終わったようだ。
佳弥はフェチ・ティッツへと近付いていく。
「ありがとう。僕、一人では生徒一人も守れなかった」
近くで見れば、やはりかなりの美人だ。
そして、揺れる乳が凄い迫力だった。
「仕方ないわ。欲望鬼はだんだん強力になってきていて、そいつといきなり戦うとか、大変だったわね」
「ああ……、あっ!」
「ん?」
近くで見て、確信した。彼女の声もそのままだ。
「な、七原さん?」
ビクッとフェチ・ティッツの体が痙攣した。
「え、えーと、誰でしょうか? は、はは……」
「僕だ。ああ、高校時代、クラスメイトだった、田所佳弥」
「え? 田所君?」
七原雪花に恋して、憧れた男子は多かった。
明るい笑顔を振り撒いて、分け隔てなく、誰に対しても態度を変えない。女子慣れしていない男子なんかは、よく勘違いをしたものだ。
田所佳弥も彼女を意識したものだった。
「ああ、そうだ」
「え、でも、その姿……。やば、めっちゃ綺麗」
「うっ、これは……」
完全女装状態を思い出し、急に恥ずかしくなる。
――くっ、七原さんに、こ、こんな姿を見られたら……。
「そ、そういう趣味じゃないから!」
「分かってるって。あっ、私だって、こんな格好嫌なんだから」
「じゃあ、その……、腋のアレも変身のせいで……」
「そ、そうよ。変身の副作用みたいな。は、はは……。それより、よく見せて。へえ、男性でもこんな風に変身するのね」
周囲を回って、ジロジロ見られてしまう。
昔と同じ、遠慮のない笑みを浮かべ。
「ねえ、下着も女性物なの?」
「え、そこは、うわ!」
スカートが捲られた。
佳弥は両手で顔を隠す。
「…………」
雪花の頬がポッと赤くなった。そっと、スカートが下ろされる。
「ごめん」
「い、いや……」
走ってきた、寧々亜が、二人の間に強引に割り込んだ。むすっとした顔をフェチ・ティッツへと向ける。
「もう終わったんで、帰ってもらえますか」
「え、ええと……」
「先生のマスコットです」
「ああ、貴女が……。そうか、じゃあ、田所君の事、宜しくね。じゃあ、田所君、また、会うだろうから」
フェチ・ティッツは去っていった。
その背中を少し寂しく見詰め、だが、再会の嬉しさも噛み締めている。
「ふん、貴女に言われたくても、先生の事は私がしっかり面倒を見るんだから」
振り返った寧々亜が迫ってくる。
「ねえ、フェチ・ティッツって、先生のなに? 元カノなの?」
「い、いや、僕なんて、とても……」
じとっとした目で見られて、タジタジになってします。よく考えれば、生徒に詰め寄られるような事ではないはずだが。
「オッパイ……」
「なに?」
「オッパイ、私よりデカかった。くっ……。先生、私のオッパイ、揉んで」
「はあ!? おま、何を言って……」
「揉まれたら、大きくなるんでしょ。さあ、童貞らしくがっついてよ」
「ちょ……、何を怒って……」
「怒ってねえっつの」
生徒との付き合いは難しいと感じる佳弥だった。
――――
その頃、恵は困惑していた。
玄関で、大きな荷物を持っている綺羅を見詰めている。
「え、ええと、今、なんて?」
「ん? だから、マスコットは、魔法少女と常に一緒にいるものなんだ。だから、今日から、僕、ここに住むよ」
「えぇええ! ちょ、ちょっと待って。んー、甥っ子だし、大丈夫なのかな? あっ、姉さんには了解を取ったの」
「メグ叔母さん、学生時代に考古学を勉強していたんでしょ?」
「まあ、昔の話だけど」
「母さんには、将来、そっちの勉強をするから、メグ叔母さんのところで、暫く教えてもらうのに、泊まるから、って言ってある」
物凄く、強引な理由づけだ。
「それなら、自宅から通っても……」
「それ、母さんからも言われたけど、僕の情熱を伝えたら、分かってもらえた」
「嘘……」
教育ママ故に、勉強に関する事には寛容なの?
というか、それが本当の目的ではないはず。
――綺羅ちゃんと、一緒に暮らす。ま、待って……、私、ドキドキしてるの?
常識的に考えて、歳の差もあれば、叔母と甥の関係だ。間違いなど、あろうはずがない。
「う、うん。えーと、旦那にも聞いてみないと……」
電話が鳴った。
ちょっと、待って――と、携帯を取った。
「あ、うん。なに? え、転勤? 何処に? ドバイ? 三年間? ちょっと、いきなりは無理よ。え、一人で行くって。まあ、いいけど……」
溜息をつく。
これは、ネオ魔法ランドの陰謀なの?
綺羅に振り返った。
「えと……、旦那が、三年間、ドバイに単身赴任します」
「そうなんだ? じゃあ、二人きりだね」
――ああん、やめてぇ。そんな可愛い美少年の笑みを見せないで。
爛れた叔母と甥の生活しか、頭に思い浮かばない恵だった。