40歳OL、膝をうつ
幸せを掴む。
若い時にはそこまで切羽詰まってはいなかった。なるようになると思っていたし、実際、両親の事故までは無難に世間の波に乗った生活をしていた。元彼とだって、一緒にいればドキドキしていた。でも。
「いらっしゃいませ。こんばんは」
明さん、と声にせずに微笑む吉田くんへのドキドキは、この歳になると命にかかわってきそうである。
そして、パートさんの何人かが私たちを見ているのかと思うと挙動不審にならざるをえない。
「ふふっ、なんでそんなにぎこちないんですか」
「昨日色々と聞いてしまったので」
「ぶふっ!」
「……もう」
会計中にこそりと会話するのも慣れたなぁ。
おつりをもらう時に微かに手が触れるのも、吉田くんだからこそドキドキする。
「ありがとうございました。……帰り、気をつけて」
「うん。頑張ってね」
エコバッグに詰めて、いつもの速度で歩き、駐車場の車に乗り込む。
「うはあ!緊張したー!動悸がえげつないー!どのタイミングで好きって言えばいいの~!」
両手で顔を覆い地団駄をふんだら、ハンドルに膝をぶつけた。痛い。けど今はそれどころではない。
「次に出かけた時……でいいよね……?」
よく考えなくても焦らなくてもそれしかないのだが、よほどに舞い上がっているようだ。好いてくれてる人に好きと言うだけなのに、やたらと緊張するし、本人を目の前にすると冷静でいられない。
そうなると仕事中には言えない。吉田くんはしれっと仕事をこなしそうだが、私は仕事が手につかなくなる。いい大人がそんなの駄目、絶対。同じ職場じゃなくて良かった。そうか私、社内恋愛無理タイプか。元彼は高校からの付き合いで職場は別だったから気づかなかった。お互い仕事中にメールや電話をしないタイプだったし、早くに車の免許をとっていたから、すぐに会えていたし。……懐かしいなぁ。
吉田くんにあっさりとぎこちないと言われ、今はそれが嬉しいなんて。若返る気がするわぁ。
ほんと、恋ってエネルギーを使う。この歳になって実感する。
でも楽しい。
ふと思い立って、写メっていた吉田くんの画像を出す。最初のデートでパフェを撮っている吉田くんの姿。
「……け、けい、くん……うはあっ!痛あっ!」
またハンドルに膝をぶつけた。
『すみません、週末に田植えの手伝いが入ったので、ランチ延期してください』
そんなメールが入った時、残念としつつもホッとしたのは仕方ない。はい、チキンな四十路です。
田植えの時期は吉田家総出でご近所さんのお手伝いをするそうだ。巌さんが若い頃は平日にしていたが、地区の高齢化に伴いほとんどが兼業農家の今、若い人手は週末の方が集まるらしい。
『いつも食料もらったり、買う時も安くしてもらってるんで、農作業でポイント還元してます』
ふふふ、ポイント還元!
『夜もレジに入るんでしょ?若いなぁ』
『若くても疲れるものは疲れますって。キリの良いところで先に上がりますよ。夕飯を食べないとバイト中に腹が鳴りまくりますからね〜』
それは大変だ。笑ってしまうけれど、ふふふ。
『じゃあ、スーパーまで少し遠回りになるけど夕飯はうちで食べる?』
『いいんですか?』
『久しぶりに煮物もいいかなと思うのですが、どうでしょうか』
『いただきます!』
『承りました。あ、スイーツは無しでね!』
『えぇ〜、手ぶらか〜。じゃあ、ランチで還元しますね』
『ありがとう。じゃあ、おやすみなさい』
『おやすみなさーい』
……メールですら「佳くん」と書けないとは……私の方がヘタレではなかろうか。
まあ、とにかく金曜日は煮物用の食材を買わないとね。吉田くんはどれくらい食べるかな?……いや!佳くんはどれくらい食べるかな!
「佳くん、佳くん」
家にいる時に練習しておかないと、いつまでも呼べる気がしない。
でもやっぱり恥ずかしい。




