40歳OL、告白される
「眠れませんか?」
ぼんやりと流れる景色を見ていたら、そっと吉田くんが聞いてきた。
「……うん。寝るまではいかないみたい」
でも頭痛は治まった。
「じゃあ、俺が明さんを好きになったきっかけでも話しましょうか」
近年、こんなに開いたことはないくらい目が丸くなった。チラッとこちらを見た吉田くんがちょっと噴いた。
「えーと、まず、俺が就職した企業は副業OKだったんです。働き方改革の模索中で勤務時間は短くし、月の給料は例年通り据え置きで代わりにボーナスが減額されてる年でした。もちろんそれは求人情報にも載ってましたし、それを狙って志望しました」
実家の手伝いはしたかったので、と吉田くんは続けた。
「新人研修セミナーで、仕事以外にも生きがいを持つようにと言われました。仕事が辛く感じる時に趣味があれば乗り越えられるからと。そこで、俺の生きがいって何だろうって。家に負担をかけずに生活することは俺には当然で、友人や彼女と遊ぶのは楽しかったんですけど、その中でコレだっていうのがなかったんです。かと言って勉強を続けたいとも思わないし。で、改めて愕然としました。無趣味って、自覚すると呆然としますね〜」
それはわかるかも……母については心の準備はしていた。一人は寂しいだろうけど、これからは自分の時間だから何かしようと。母がホームに入所し、誰もいない家に帰って、漠然と何かしなきゃと思ったまま。
―――あ、私、40歳になっても何もない。
「そんで、ちょっと焦りました。急に自分の足場が崩れた気がしたんです。今思えばなんで急に不安になったか不思議なんですけど、やっと社会人になったけど環境に慣れてなかったストレスだったのかもしれないです」
私は高卒で入社して、それはもう毎日必死で、休日は寝てばかりで、連休になってやっと友達と遊びに出かけたような。新生活に馴染むまでどれくらいかかったっけ。
「とにかく副業には、今までやってきたアルバイトの中で楽しかったレジのバイトをもう一回やってみようって、丁度募集していた今のスーパーに面接に行ったんです。面接担当者には金額はそれ以上は出せないよと何度も心配されました」
仕事の後にアルバイト。それだけでも吉田くんのバイタリティーに驚く。
「で、なんとか採用してもらえて研修も一日で済んで、一人でレジに入って三日目です。週末で日曜の早番に入った時で。明さんは覚えてるかな」
吉田くんはもっと長くやってると思ってたのに、二年未満だった事実に時間を計れない己の感覚が不安になる。覚えてない自信しかない。
「俺の隣のレジで、婆ちゃんが小銭で精算してたんです」
んん?小銭を出すお婆ちゃんなんてよく見るよ?
「その婆ちゃんの後ろに並んでた若い兄ちゃんが『このババア!小銭なんかちんたら出してんじゃねぇよ!』って」
……あ。
「その時は俺のところにはお客さんが一人だったんで、急いで終わらせてその兄ちゃんをこっちに誘導しようとしたんです。そしたら『あら!お急ぎなのね!じゃあ今私のところが空いてるからお先にどうぞ!』って、さらに向こうのレジからお客さんが言ってくれました」
…………うん。
「そのレジ担当のベテランパートさんもすぐに兄ちゃんの商品カゴを持って誘導して、すぐに会計が終わった兄ちゃんが何も言わずにそのまま行こうとした時に『オシッコ我慢するとイライラするわよね〜、急いでね!トイレはあっちよ!』って、そのお客さんがすっごいいい笑顔で……」
………………うん……言った……
「いやぁ、兄ちゃんは逆上するんじゃないかとハラハラしましたけど、真っ赤になって逃げて行きました」
「……だって、その小銭だって大事なお金だわ……」
「おかげで平和なスーパーになりました。あの兄ちゃん、前から大声を出すだけのちょっと要注意な客だったそうです」
「……お恥ずかしい」
実はあの時もめちゃくちゃ恥ずかしかった。介護で日常的に使っていたとはいえ、公衆の面前でオシッコなんて言ってしまったし。
でもそれで、もしかしたら待ち伏せられているかもとベテランレジさんが車までついて来てくれた。母くらいの年齢だろうレジさんに守られるのも悪いと断ったけど、結局言い合ってるうちに何事もなく車についてしまって二人で笑ったっけ。
「かっこよかったですよ。それが明さんを認識したきっかけ」
もっとこうドラマチックな、いや、ある意味ドラマチックではあるけど……いや、コントだわ。
「次の週に、明さんが俺のとこに初めて並んでくれたんです」
さすがにそこは覚えてない。
「その日はカゴいっぱいに商品が入ってて、スキャンし終わったカゴの中が綺麗に平らになったのを見て、『おー』って」
「え!?言ってた!?」
「はい、小声でしたけど。それにびっくりして明さんをがっつり見つめましたもん。そしたらカゴを見る目がキラキラしてて……ふっ……その時に可愛い人だなって……ふふっ」
私の家の近くまで来たので速度はゆっくりになったけど、吉田くんの肩が震えている。
「……笑ったら……?」
ここで家の前に着き、吉田くんはすぐにギアをパーキングにいれた。
「はははっ!そしたらもう駄目でした。好きになっちゃった。俺ってチョロかったみたいです」
送ってくれたお礼を言って車を降りなきゃと思うのに、まだドアを触れない。
好き、って言われる破壊力がもの凄い。
ハンドルにもたれて、吉田くんが微笑む。
「チョロい上に二人で出かけるまで二年近くかかったヘタレですけど、気は長い方みたいなんで、俺のこと好きになったら名前で呼んでくださいね」
あぁ……オバサンは不整脈をおこしそうよ……