40歳OL、懐かしむ
照れる吉田くんの姿に内心激しく悶えていると、障子戸の向こうから巌さんに声をかけられた。
「よう明ちゃん、風呂は入っていくかい?」
途端に吉田くんの目が鋭くなる。
「ぜってー入れさせねえから!」
「はあ?オメェがいつも煙臭えって風呂に入っていくから、女の子の方が気にするかと聞いたんだよ、ったく器が小せえな」
お ん な の こ!?
巌さんの飛び道具に翻弄されまくりである。が、吉田家の受け入れ体制もゆる過ぎではなかろうか。独身四十路彼氏なし20年には初の男所帯訪問で風呂入浴は無理。確かにバーベキューで燻されたけれど、吉田くんもそんなに噛みつかなくていいよ。
「お気遣いありがとうございます。でも着替えもないですし、このまま帰りますね」
「あぁ着替え……婆さんの服じゃ小さいか」
「いや入れさせねぇから」
「え〜、明さん一緒に入ろうよ〜、背中流すのうまいよ俺」
「テツーーッ!!」
また吉田くんと哲哉くんの追いかけっこが。それを煽って追いかけられる中学生組に、なぜか一緒に走り出す小学生組。
「かっかっか。うるさくてすまんね」
「うふふ、いつも賑やかそうですね」
「いつもはそうでもねぇが、佳や誰かが来るとやたらにやかましくなる。兄貴どもは甘やかすからなあ、かっかっか」
走る子たちを見る巌さんの表情に父を思い出した。直接のことはあまり覚えていないが、アルバムの中の小さい私と一緒に写った父。私を見つめる柔らかい表情の父。そして、その写真を見つめる母。
ふいに涙がこぼれた。
「25にもなろうってのにまだ小僧だが、悪くはないだろう?」
父親とは息子に対してこんな感じなのだろうか。それとも、吉田家がこうなんだろうか。
気にしながらも、口にしなかったことをとうとう言ってしまった。
「私が年上過ぎです」
涙を拭うふりをして、巌さんを見なかった。すると、頭に何かが乗せられた。
「まあ、年の近い方が価値観的に楽だろうが、俺としては佳が好いたんならそれでいいし、佳を好いてくれてるならそれでいいんだ明ちゃん。出会う時期っちゅうんはままならんもんよ。あんな小僧じゃ多少恥ずかしく思うかもしれんが、夫婦なんぞ、一緒にいてこそ釣り合ってくるもんだ、かっかっか」
頭を撫でられて、さらに涙が出た。『お父さんの手』に触れるのは何年ぶりだろうか。
「うわ!明さん!?」
追いかけっこが終わったのか、吉田くんが戻ってきた。やばい!オバサンの泣き顔なんて見せられない、止まれ涙!
「不甲斐ねぇなあ、佳?」
「え、や、いやそれはこれからだよ!」
「やれやれ。明ちゃんをちゃんと家に送り届けろよ」
「わかってるよ。つーかその手を明さんから離せよクソジジイ」
「羨ましがってんじゃねぇ、クソガキが。じゃあな明ちゃん。佳がいなくても遊びにおいで」
「俺の前で堂々と誘ってんじゃねぇ!」
「そういうのは結婚の約束を取り付けてから言え」
そこからは慌てた吉田くんとバタバタとお家を出た。お邪魔しましたと言ったつもりだが、ちゃんと言葉になっていたか不安が残る。
よそ様のお家で泣き出すとか幼児かよ……と大きなため息を吐いてしまった。
「すみません……俺が考えなしでした……」
運転中なので前を見たままだが、吉田くんの声は初めて聞く小ささだった。
「あ!違うよ、吉田くん家は楽しかったよ。私こそごめん、大げさに息を吐いちゃって」
「……疲れました?」
「ふふ、正直少し。歳ね〜」
「着いたら起こすので寝てていいですよ」
「……ありがとう」
そこから吉田くんは無言になったので、私も特に喋らなかった。
久しぶりに泣いて少し頭痛がしたけれど、眠れなかった。