カンの隊商7(謀略3)
サブタイトルを変更しました。内容に変更はありません(2021.10.12)
人物紹介
ホラズム側
スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。
先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。
ニザーム・アル・ムルク:スルターンの家臣。位は文官筆頭。
(これは名ではなく、称号である)
マジド・ウッディーン・マスウード:スルターンお気に入りのイマーム。ニザームと兄弟。
長老:ブハーラーの商人たちの指導者。
〈何の身体特徴もなき者〉:長老に仕える者
人物紹介終了
スルターンに関しては、ブハーラーの商人たちはもう少し慎重に動いた。
本人が締結したゆえである。
少し時を置いて、締結への想いが薄れるのを待つことにした。
いかなる想いを抱いておるのか定かならぬが、
――短時日の間にそれをくつがえすよう進言されては、
――さすがにスルターンも気分が悪かろうと考えたのだ。
そしてその時間稼ぎのために、副長老たちがオトラルのイナルチュク・カンの下に赴いておった。
あのチンギスとやらは手際の良いことに、既に隊商をこの地に向けて発しておると聞く。
それをホラズム国内に入れては、一層相手の想う壺である。
他方で説得の鍵となり得る人物を既に商人たちは見定めておった。
イマームたるマジド・ウッディーン・マスウードであった。
この者はスルターンによりブハーラーのサドルに任命され、その大モスクにても説教を託されておった。
サドルとは高名なムスリムの称号だが、この都においてはそれに留まらなかった。
ホラズムに降伏するまで長らくここは
――カラ・ハン朝やカラ・キタイの干渉はあれ
――歴代のサドルの統治下にあった。
無論このイマームに政治権力が与えられた訳ではない。
しかしその称号は、かつての栄名の響きを未だ帯びておった。
スルターンの特別待遇振りは、あからさまであった。
更に時折ホラズム・シャー家専用のモスクにて、スルターン個人に対する説教を頼まれるとの噂が伝わってくれば、
――よほどのお気に入りと商人たちが考え、接近を図ったはむしろ当然とさえ言えたろう。
スルターンは締結後もブハーラーに滞在しており、その点も都合が良かった。
唯一の懸念は、勘気を被ったニザームとイマームが兄弟であることであった。
ただ二人が不仲であることは知れ渡っており、それが幸いしてか、スルターンの御贔屓振りに変わりはないようであった。
それを見定めてから、商人たちはイマームの下を訪ね、頼み込んだのであった。
そのイマームが後日の差し向かいの説教の後に、おもむろに切り出す。
「是非スルターンにお話したいと願い出ておる者がおります。
もしお許し頂けるならば、わたくしも同席の上お会いして頂ければと想います。
よろしければ、この場にお呼びしたいのですが。」
「イマームのお頼みとなれば、我に断ることなどできませぬのは、よくご存知でしょう。お呼び下さい。」
スルターンの敬愛は、先のカリフ非難の会議にこのイマームを呼ぶのを控えるほどに深かった。
己の謀略に巻き込んではなるまいと考えたのである。
イマームは至急、召使いを所定のところで待つ商人の下に走らせた。
前もって人数はできるだけ少ない方が良いとの助言を与えておった。
スルターンはいざ知らず、多人数での謁見となれば近侍の者が警戒しようと。
ゆえに長老のみが加わることになっておった。
スルターンお気に入りランプの灯りが、その透かし彫りシェードを通して揺らめく中、三人目の人物が姿を現わす。
「このブハーラーにて商人をしております。
こたびは是非ともスルターンに直接お会いしてお話したきことがありまして、
イマームに頼み事をしてこの機会を設けていただきました。」
「そうか。ただイマームはお帰りになりたいのではないか。そなた一人でも謁見には応じるぞ。」
「いえ。是非にもイマームのご助言も承りたく想いまして。」
スルターンはイマームをちらとうかがい、立ち上がろうとせぬのを確認してから、
「分かった。聞こう。何の話だ。」
「実はあの裏切り者のマフムードのことです。」
「マフムード・・・。あのチンギス・カンの使者のことか。」
「ああ。やはりスルターンも、あの者を裏切り者と考えておりましたか。」
「あの者自身が、我が王家勃興の地たるホラズムの出だと申しておったからな。」
「まさにその通りであります。
本来ならば、スルターンに忠義を尽くし仕えるべき者。
しかしあの者の裏切りはそればかりではありませぬ。
更により重大なことが。」
「何のことだ。」
スルターンはありありと不審な表情を浮かべる。
それから「もったいをつけずに述べよ。」とうながすと、
「あの者はわたくしたちムスリムにとっても重大な裏切り者。
何せあの者が仕えるチンギスなる者は異教徒と聞きます。」
「それは知っておるが。しかし異教徒の王に仕えることがそれほどの裏切りとなるのでしょうか。」
スルターンは再びイマームの顔をうかがう。
「はい。あのカラ・キタイに苦しめられたわたくしたちの同胞のことを想えば、それは明らかでしょう。」
というのがイマームの返答であった。
「そう言われれば、確かに。
待って下さい。
とすれば、我があの裏切り者を介してなした協定は誤りであったということか。」
とのスルターンの言葉に長老もイマームも答えない。
ただ二人の意はいわずもがなで十分に伝わったようで、
「なんたること。なんたることか。
我はただ寛容であろうと、ただ公平であろうと努めたのであったが。
何たることか。
我自身が神の下僕として誤りをなしておったとは。」
とそうひとりごつ。
スルターンにすれば、そもそもモンゴル軍などまともに戦うこともせぬ臆病な者どもに過ぎなかった。
ただ恨みは余りに遠きこと。
遊牧勢ではないホラズム軍であれば、その間の糧食を保つを得ぬ。
到底、征討は無理であった。
弱い相手が、交易して下さいと願い出た。
チンギスの申し出はスルターンにはそう映った。
だからお慈悲をかけて許した。
ただ何かの時のために、使者を脅し上げて我が間諜に仕立て上げた。
落度はないはずであったが。
「チンギスなる者の派遣した隊商がホラズムに向かっておると聞きます。」
すかさず長老は口を開いた。
「おお。そうだ。あの使者、否、裏切り者めもそう言っておったな。
どうするか。どうすれば良い。」
「一つご提案があります。
もし隊商の者がムスリムならば、もしホラズム国の者ならば、捕らえて殺すことです。」
「殺せと言うか。」
スルターンはしばし驚いておった。
「しかし相手はチンギス・カンの派遣した隊商ぞ。
それでは我の協定破りとならぬか。」
「いえいえ。
それは相手が異教徒ならば、モンゴル人ならばのこと。
その場合は入国も交易もお許しになるべきでしょう。
しかし先ほども申しました通り、もしムスリムならば、そしてこの国のいずれかの地の出身ならば、その者が仕えるべきはスルターンであり、あの異教徒ではありません。
そのことを死を以て裏切り者たちの魂に分からせるのです。」
「イマームはどう想われますか。」
スルターンが問うと
「常々申しておる如く、わたくしたちの主アラー・ウッディーン・ムハンマドはダール・アル・イスラーム(全イスラーム)のスルターンであり、ゆえに全てのムスリムはスルターンの臣民です。」
スルターンは早くも、しかも簡単に心変わりした。
それに対し、この『ダール・アル・イスラームのスルターン』との呼称は、はっきりとした魅惑を伴ってこれまで通り、そしてこの後もその心に響き続けることになる。
そしてスルターンがその語の余韻に浸っておると、
「一言、ご助言をよろしいですか。」
とイマームが口を開く。
「ああ。何なりと。」
「若い者から一人お選びなさり、今回のことを異教徒の主に伝えさせてはいかがでしょうか。
両人ともに改心の機会を与えることも、また神の御心に従うことかと存じます。」
「おお。そう、まさにそれこそ神の下僕のなすべきこと。
我は先ほどイマームを退席させようとしました。
このご助言を得る機会を自ら捨てるに等しき行い。
何と浅はかなことを。お許し下さい。」
「神の恩寵は常に慈悲深き君主にこそ、あられます。」
とイマームは応じた。
その会談に参加することも許されず、ゆえにそこにて何が話されたかを知ることもなく、一人の若い男がホラズム・シャー家専用のモスクの門外にて主人を待っておった。
やはりここにても未だ〈何の身体特徴もなき者〉と呼ぶことにしよう。
その者はそれに何度目かの目を通しておった。
人づてに渡された〈唇薄き者〉からの手紙であった。
そこにはオトラルに向かった一行の顛末が書かれてあった。
更には、あいつはこの謀りから抜けると告げて来ておった。
そして己にも抜けることを勧めておった。
『その謀りを神は望んでおられぬ』として、更には『それをなせば、神に呪われよう』とまで明言しておった。
ただその手紙は随分とくしゃくしゃになっておった。
最初に読み終えた後、ついつい感情のままに握りつぶしたのだった。
(抜けられるなら、とうに抜けておる。
誰が好き好んであんな者に仕えるか。
あんないけ好かない者に。
己が奴隷だとは知っていように。)
ただあいつが将来交易を一緒にやろうと言っておったのを、
――更には己を対等な存在として扱い、友人付き合いしてくれておるのを想い出し、
――再び引き伸ばしたのであった。
常日頃から、奴隷から解放されることを願っておった。
ただ奴隷解放の美徳に主人が憑かれる、そのいつになるか分からぬ気まぐれを待つのは現実的ではなかった。
その心中にあるのは、あいつから金を借りて、それで己が身を買い上げる方法だった。
ただそのためには、まず己が商売人として、もっと力を付ける必要があった。
金を借りたは良いが、結局返せぬではあいつに悪かろう。
あいつは己にとって数少ない友人の一人ゆえにこそ、不義理をなしたくはなかったのだ。
そのためには、あいつの誘いを断ることになるし、如何に忌み嫌おうと、今しばらくは仕えねばならぬ。
熟慮したうえでの、それが最善であった。
扉が開き、そちらを見ると、己が仕える長老も含め三人が出て来た。
各々が持つランプに下から照らされて、三人のこの上もなく上機嫌な笑顔が闇に浮かび上がっておった。




