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和平協定3(スルターンとオグル、そしてニザーム)

登場人物紹介

ホラズム側

テルケン・カトン:先代スルターンであるテキッシュの正妻。カンクリの王女。


スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。

   先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。


イマド・アル・ムルク:スルターンの重臣


ニザーム・アル・ムルク:スルターンの家臣。位は文官筆頭。

(これは名ではなく、称号である)


オグル・ハージブ:ブハーラーの守将。カンクリ勢。


登場人物紹介終了

 とはいえその帰還は全てが沈鬱(ちんうつ)な気分の中でなされた訳ではなかった。

 一つの喜びはあった。

 それはブハーラーの都城の外にまでオグル・ハージブが迎えに来たことにより、もたらされたものであった。

 オグルは凱旋軍より己が目立ってはならぬとの配慮のゆえか、住民と見紛(みまご)う白の上下に身を包んでおった。

 ただ異なるは、様々なものをその革のベルトに吊り下げておるところである。

 こればかりは、遊牧の民の(なら)いとして止められぬらしかった。


 そして数名の護衛のみを引き連れて、下馬して待っておった。

 スルターンが()()()馬を止めるのを見てであろう、歩み寄って来た。

 それから、ひざまずかんとするのを見て、スルターンは急ぎ止めた。

 更にはうれしさのあまり、(こま)を並べてしばし進むのを許したほどであった。

 挙句(あげく)


「そなたを連れて行くべきであった。

 そうしておれば、今回の如き結果とはならなかったであろう。」


とまで述べるほどの上機嫌となった。


 理由のない訳ではなかった。

 オグルはカンクリ勢ではあったが、スルターンに対してもまた忠誠を示した。

 スルターンはそうした者たちを敏感に()ぎ分け、重用して来た。

 この者はブハーラーの守将にと。


 他にもイナルチュクは北辺の要たるオトラルの城主にと。

 アミーンに至っては、ヘラートの城主に任ずるとともに、グール・ガズナ()()を託するに至っておった。


 オグルは、凱旋軍の先頭をわたくしが進んでは、従軍した将兵に申し訳ないとして、都城に入る前に離れるを請うた。

 ゆえにスルターンはそれを許した。


 ただその喜びまでも()()()立ち去った訳ではなかった。

 それに包まれて、西南の大門より入って外城を進みながら、スルターンは自らの負の感情に一つのケリをつけた。

 ニザームのことであった。

 ここまでどうにかして殺せぬものかと、イマドの忠言を得てなお執心しておったのだが。

 とはいえ、単に喜びのゆえという訳ではなかった。

 スルターンが重用する者たちを、母上が追い落とすことはなかった。

 そのことに、あらためて想い及んだのだ。

「母后は公平な方です。」

「テルケン・カトンほど寛容な方はおらぬでしょう。」

 母上の公平さと寛容さは世に鳴り響いておった。

 更にはそれを(たた)えるのは、カンクリの者ばかりでなかった。スルターンの直臣やマムルークの将でさえ、そうであった。

 オグルらが我を慕い、我に忠誠を尽くすならば、我もまたそれに見合う君主たらねば。

 ようやくそこに想い至るを得たのであった。



 ブハーラー、ここの本丸(注1)と城壁は、スルターンが再建したものであった。

 これより明らかな如く、スルターンは自らの御座所たるサマルカンドに次いで、この都を愛し、また重んじておった。


 ところで、自らのおるところに呼び出すのもまた権力者の特権である。

 スルターンもまたそうしておった。

 自らの到着前にここに至っておれと。

 一方はサマルカンドにて待っておったモンゴル使節団を。

 他方はスルターンが軍征に連れて行くのを望まず、またその者も願い出なかったので、サマルカンドに留めておったニザームを。


 そしてスルターンが軍装を解き先に謁見したのは、モンゴルの使者ではなくニザームであった。

 本来なら恋人たちの睦言(むつごと)の伴奏にこそふさわしい、ナイチンゲールが美しくさえずる夜のこと。

 スルターンは呼び出した。


 先の会議には、例えその多くがスルターンに従う、あるいは協力的な人物とはいえ、まだ他に人がおった。

 今回は本丸にある軍議のための()()()()()部屋に、二人きりであった。


 更には入室するなりひざまずいて己の足下の絨毯(じゅうたん)に何度も接吻しておるのを、スルターンは利き腕の左腕で、いかにも高価そうな幾何学模様の金刺繍(ししゅう)入りの上着をつかむと、それが破れるのも構わずに強引に引き起こして、あらかじめ用意させておった席に座らせた。


「ニザーム・アル・ムルクの称号を持つ者には、()が玉座の隣こそがふさわしかろう」と告げながら。

 

 スルターンはニザームに対して、


「そなたは何の進言もせぬ。

 その官位にあるならば、最良と考える策を示すべきであろう。

 何らの責任も果たしておらぬではないか。

 よもや今回の結果を予見して、なお我を止めなかったのか。」


とあくまでその罪を問うた。


 更には「死刑に処すこともできるのだぞ」と脅した。


 ただ声は、ささやく如くに留めた。

 その低き声は、ナイチンゲールの高音に邪魔されることはなかった。あるいはそうであったとしても、息が吹きかかるほどに近くから耳元でささやくならば、問題とはならぬ。

 それから、


「あるいはこういうのはどうか。

 そなたも知る如く、母上は罪人や仇人(あだびと)をアムダリヤ川に投げ入れなさる。

 それに(なら)い、そなたを城壁から放り投げようか。

 その下の(ほり)は浅い。

 アムダリヤの如く川の流れに引き込まれて溺れるのではなく、頭を割って死ぬことになろうが。」


 そこでスルターンは一呼吸置き、ニザームの反応をうかがう。


「あるいは遠征失敗の責任をその一身に背負うて、自ら身を投げるという道もあるぞ。

 さすれば、そなたの名誉も守られようというもの。

 我も言葉を尽くして、そなたの死を(いた)むであろう。」


 スルターン自身は玉座には座さず、自ら手に持つランプをかざして、ニザームの顔をのぞきこんでおった。

 この地には、罪人の目に灼熱(しゃくねつ)の棒を当て視力を失わせるという、残酷な刑罰がある。

 ニザームは、まさに今スルターンよりその処罰が下されんとしておる如くに、大きく首をよじってランプの灯りを避けておった。


 そのランプはスルターンが居室から持って来たものであった。細密に(つる)草を透かし彫りした黄金製のシェードを備えておった。

 あくまで炎は、そのシェード越しに灯りをゆらめかせるだけであったが。

 それに照らされた横顔においては、ランプの橙色に染まるせいで、青白く血の気の引いた様こそ確認できなかった。

 しかしニザームの顔といわず体といわず震えておった。

 スルターンはそれを十分に楽しんだ後に、次の如くに告げた。


「そなたは知っておるのか。

 我がホラズム・シャー家は、その主筋たる大セルジュークのマリク・シャー大帝にこそ大恩あるを。

 我が祖は、そもそもその重臣によりガルチスターン(注2)にて買われた奴隷に過ぎなかった。

 その後マリク・シャー大帝に引き立てられ、その側らに仕えるに及んで初めて、今のホラズム・シャー家の栄えに至るを得たことを。

 そしてそなたの有するニザーム・アル・ムルクの称号こそマリク・シャー大帝に仕えた大宰相のものであったを。

 そなたは、果たしてその称号にふさわしき者か。」


「わたくし自身は、決してふさわしいとは想っておりませぬ。」


 ニザームは震え声で答える。


「ならば返上すべきではないか。」


 ニザームは黙した。

 スルターンは続ける。


「我が兄はマリク・シャー大帝と同じ名を授けられた。

 しかし余りに名が重すぎたのか、兄は短命に終わった。

 他方で我が祖父は、アルスラーン大帝と同名となるを忌んで、あくまで臣下であることを明らかにせんとして、イル(臣下を意味する)の語を頭に置き、イル・アルスラーンとしか名乗らず、大セルジュークに対する礼節を守り通した。

 いずれが賢明であるか。

 名や称号はその身にふさわしくあってこそ、喜ばしきもの。

 そうは想われぬか。

 ナースィル・ウッディーンよ。

 そなたはこの称号も有しておる。

 そして奇しくも兄マリク・シャーもまたナースィル・ウッディーンの称号を帯びた。

 そなたも知らぬ訳ではあるまい。

 どこに不足がある。」


 ニザームは黙したままである。


「母上は何ゆえにあのような方なのであろうか。」


 スルターンがそう問うも、ニザームはやはり黙したままであった。


「父上は兄にマリク・シャーの名を与え、母上はそなたにニザーム・アル・ムルクの称号を与えた。

 その願いは、我にも、否、誰にであれ明らか。

 兄をスルターンとして、そなたを補佐として、大セルジュークに劣らぬ繁栄と栄光を。

 しかし兄は亡くなっておるのだ。

 母上は何の夢を見続けておるのだ。

 我に何を望んで、そなたを付けるのだ。

 我は兄ではないぞ。」


 スルターンの父親譲りの端正な顔は、歪んでおった。

 それは決して芝居ではありえなかった。

 人はまさに心中の何かを吐き出す時に、そのような顔をするものである。

 そしてその引き歪んだ顔のまま続けた。


「我はそなたの称号を聞く度に、父の兄に賭けた期待を、母の兄に託した願いを想い出さざるを得ぬ。

 そなたはその称号を帯びておるだけで、我に苦しみを与えておることに想い至るべきではないのか。」


 ただスルターンがこの者、さげすみ忌み嫌うこの者に自らの心中を吐露(とろ)したのは、()()()であった。

 この時のスルターンは、公平であり寛容であろうと確かに努めておったのである。

 それがそもそもの性格に歪められるゆえに、そう想われがたく、それゆえ恐らくはニザームにその意が全く伝わっておらぬであろうとしても。


「そなたは母上の信頼厚き臣。

 例え大罪明らかとはいえ、死刑に処すには忍びない。

 何より母上に申し訳ない。」


 としてスルターンは、謁見(えっけん)前から心中にて決めておったこと、十分に熟慮を重ねた上での結論をようやく告げた。


「そなた自身が自らにとって望ましき罪を選べ。

 我がその罪状にてそなたを解任するゆえ、戻って自らを罰するよう母上に請え」と。

 ニザームは、まさにそれに飛びついた




 翌日スルターンは、ようやく使節団と謁見した。

 使者がまず誇らしげに伝えるところでは、

――カンよりの贈り物として、

――金国からの戦利品である大量の黄金と絹織物を、

――更には臣従する西夏の貢納する極上のラクダの毛織物を

――携えましたとのことであった


 その後にスルターンはチンギスの言葉を伝え聞いた。

 その内容は全く対等な立場での交易の申し出であった。



 次の日の夜に使者との二度目の謁見を行った。

 やはり公平かつ寛容たらんとするスルターンは、和平と交易の協定締結に合意した。

 そして、そうあろうとする自らへの対価として、その贈り物を受け取った。


注1本丸:これらの地の城には通常「城塞」「城砦」の訳語が当てられるが、その軍事機能の点から、あえてここは「本丸」の語を当てています。少し書き進んだ後に(その方が理解を得られやすいと想いますので)、もう少し詳しく述べたいと想います。


注2 ガルチスターン:アムダリヤ川南岸のホラーサーンの四大都城の一つにメルヴがある。メルヴはセルジューク朝の中心の一つとして栄えた。ガルチスターンは、そのメルヴの南にある山がちの地である。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

次回より第4章「カンの隊商」となります。

引き続きよろしくお願い致します。

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