シンデレラのかぼちゃ鍋
うなされて目が覚めた。
スマホのアラームが休日だというのにやかましい。
あたしは画面の日付を見て愕然とする。12月24日――ちくしょう、なんて日だ。
指は習慣通りに動いて、LiNEのアイコンをタップする。克樹からの連絡はない。おそらく、未来永劫。
「あーあ……」
朝からため息をついてしまった。
本当に、なんというクリスマスなのだろう。
付き合っていた男性から、振られた。ぽっかりと空いてしまった予定が、朝9時という出かける化粧をしていたはずの時間が、あたしを苦しめた。
体を引きずって鏡に行く。
泣きはらした目にクマがうかび、頬もげっそりしてみえる。ショートボブの茶髪は寝癖でガサガサだ。
小山杉江23才、あたしは名前からして木と山ばかりありそうな田舎者である。ブラックめな会社に就職して1年目、若さというものがだんだんとすり減ったように感じた。
おまけに昨日は恋人さえも失ってしまったのだ。
――今日は快晴。絶好のおでかけ日和です。
テレビから遅めの天気予報がいう。
――クリスマス、誰もがシンデレラになれる素敵な日。
――皆さん、いっぱい楽しみましょうね♪
配慮のかけたキャスターにむかっときて、テレビをオフに。
部屋が静かになると、マンションの壁の向こうからドアを閉める音が聞こえた。誰かが出かけていったのだろう。
その誰かは恋人と楽しいクリスマスを過ごすのかも知れない。レストランでお食事して、いっぱいおしゃべりして、ドレスを着て――はないか。まるで本物のシンデレラだ。
静かだった。
じんわりと浮かんでくる涙を、薄ピンクのパジャマのそでで拭う。
「あんなやつ」
他に好きな人が出来た?
それがクリスマス前に振る理由になるのか。交際して1年と少し。急な破局は未来を打ち砕いた。
「ていうか、実際は、浮気じゃない……!」
恋人の克樹とは友達の紹介で知り合ったから、連絡がない間、ちょっと噂が入った。
克樹が他のひとと会ってるって。
不安になって真正面から聞いて――思えばそれが悪かったのかな。
「ちくしょう!」
ベッドに突っ伏した。
――ぴんぽ~ん。
間の抜けたチャイム。
来客だろうか。
「もしかして」
克樹の顔が思い浮かんだけれど、インターホンに応じたのは、宅急便の人だった。
「お届け物です」
クリスマスなのにご苦労様です。
玄関を開けると、宅急便のお兄さんが一抱えくらいの段ボールを持って立っていた。
冷蔵指定。山梨の実家からのお歳暮だった。
「……なんだろう」
部屋で開封してみると、中には袋に入った真っ白い麺が入っていた。
「『ほうとう』だ」
実家山梨の郷土料理――と言っても、今はかなりメジャー化してる。給食で食べた味が今は全国区とは、感慨深い気分だ。
柔らかめのうどんみたいなもので、あたしには食べ慣れた味。
そういえば『懐かしい』ってお彼岸で帰った時にあたし言ってたものね。お母さん、覚えていてくれてありがとう。
くすりと笑みがこぼれる。
段ボールの下に、さらに贈り物があった。
「かぼちゃ」
でん、というほどの立派な大きさだった。うちの畑でとれたものを、おばあちゃんが送ってくれたらしい。
しげしげと眺める。
緑の皮のツヤ。堂々とした大きさ。
うちの畑ではどでかい野菜にボスとか殿様とかあだ名をつけたりしたが、こいつもいずれ名のあるカボチャ界のドンに違いない。
このカボチャがシンデレラの馬車になって王子さまのところへ連れて行ってくれるのを想像し、頭を振る。テレビに毒されすぎだ。
現実には、シンデレラなんてありえない。
「かぼちゃ、かぼちゃ……か」
何かを思い出しそうな気がする。
ぐぅう、とお腹が鳴って手を打った。
「かぼちゃ鍋……!」
あたしの故郷では、『ほうとう鍋』とも言われていた。
かぼちゃ、白菜、大根、にんじん、そんな冬の野菜をみそ味で煮込んで、最後に山梨の名物麺『ほうとう』を放り込んだものだ。
野菜もとれて体もあったまる。何よりかぼちゃの甘さとみそ味が相性最高。鍋料理は何日かに分けて食べられるから独り暮らし向きなのだ。
「作っちゃうか!」
あたしは懐かしいお鍋を作り出した。
温かい家族の思い出が、消える前に。
早速スーパーで足りない材料を買ってきた。
ニンジン、大根、白菜を切って、パックのダシと味噌を使って煮込む。カボチャは電子レンジで加熱してからお鍋にイン。
完成する頃、テレビをつけるとお昼番組の時間だった。
ほうとうを投入する前にはたと気づく。
「多すぎる……よね?」
一抱えほどある土鍋に具材がぎっちり詰まっている。
自分の要領の悪さが嫌になった。
「……お裾分け、しようかな」
実際のところ、そう思うのは都会ではかなりレアな方ではないだろうか。
あたしが思ったのは実際に何度かそうしてお裾分けをしてあげた人がいるからだった。
スマホからメッセージを送る。
『久しぶり。植村くん、いますか?』
そうしてしばらく待つ。
いらいらしてきた。返信が来る。
『います』
彼は1つ上の階に住んでいる大学時代の後輩だ。
サークルが一緒で昔はよく飲んだりしたけれど、こちらが就職してからは少し疎遠になっていた。
それでも声をかけたのは――昔に戻りたい、なんてちょっと思ったからだろうか。
『かぼちゃ鍋作ったの』
『クリスマスになんてもの練成してるんですか』
『食べますか』
しばらくの間。
山登り系のサークルだったから、料理の貸し借りは珍しいことではなかった。
『食べます』
よし、釣れた釣れた。
きちんと着替えをしてからほどなく、玄関のチャイムが鳴る。
飾り気のない緑のジャンパーに、ぼさっとした黒髪。きりっとした目元と結んだ口元がいかにも真面目そうだ。
背中はピンとして今日も姿勢がすごくいい。体力は健在みたいだ。
植村君は眼鏡を直し一礼した。
「先輩、助かります」
「うん。他の人と食べる?」
マンションの上階は一部屋が広くなっていて、植村君には部屋をシェアするルームメイトがいた。2人分なら渡す量も多目にしなければ。
「いえ、あいつ――彼は空けてます」
彼とわざわざ言い直したのが、いかにも植村君らしい。
2歳年下なので、あたしも彼の前ではついついお姉さんぶってしまう。
「ふふ、そっか。クリスマスだからね」
ぐっさり、とその言葉が胸を刺した。
いったたたたた!
その時、さっきつけたテレビがクリスマスソングを奏でた。ぴゅうぴゅう寒い廊下で、なぜかあたし達はその曲を一小節だけ聞いた。
「……先輩」
植村君は言った。
「よければ、ウチで食べますか? 今日中に食べたいおかずもあるんで、おあいこです」
その時どうしてオーケーしたのか、あたしのことながら不思議だった。
植村君の部屋でかぼちゃ鍋を食べていると、彼は言う。
「もしかして泣いてました?」
ぎょっとした。目元に手をやるとひりっとする。
「な、なんで」
「目が真っ赤だったので」
「い、いいやぁ……その、ね……」
ぽつりとこぼした。
「それがさ。振られちゃったんだよねぇ」
気まずい沈黙が落ちた。
「なんか、すみません」
あたしは手を振る。
「気にしないで」
「先輩はちゃんと会社入れて、すごいと思います」
出し抜けに植村君は言った。
「今、どこも厳しいし。俺の友達も苦労してます」
「あ~、でも植村君は院で研究職に行くんでしょ?」
「目標は。まぁそれでも当分は教授について、スタッフしたり雑用したり、ですけど……半人前です。英語の文献ももっと読めるようにならないとダメですね」
当たり前だけど、時間は流れている。
あたし達は途切れていた情報をつなぎ合わせるように、色々な話をした。
「……ありがとう、ちょっと楽になった」
かぼちゃ鍋は大分減っていた。
「ご馳走様です」
植村君は手を合わせて頭を下げる。
「先輩のこういう優しいところ、俺は素敵だと思います」
胸がちょっと熱くなった。彼としては勇気を振り絞って言ってくれたのだろう。だって顔がちょっと赤いから。
「はは、ありがとう」
「また連絡してもいいですか?」
きょとんとして肯く。
まだ温かいほうとう鍋がふわりと湯気を漂わせて、一瞬、その向こう側の植村君がとても格好よく見えた。
クリスマスの――それともシンデレラの魔法だろうか?
「まさか、ね」
ごくんと飲み込んだかぼちゃは、お味噌の甘い味がした。
秋月忍様の、『冬のシンデレラ』企画参加作品です。