Summer 大脱走
いかにして脱走するか…それが問題だった。
俺はアップのランニング中、いかにして部活を抜け出して野球場に行くかだけを考えていた。
あと数分で野球部の甲子園をかけた予選第1試合が始まる。
勘違いして欲しくないのだが、俺は野球部なんて毛ほどの興味もない。高校球児とは爽やかな青春の象徴のように語られることが多いが、奴ら、粗暴で内輪ノリが激しく、人を見下してきやがる。あのいがぐり頭を見るだけで嫌気がしてくる。
特に、キャプテンの田中の事は大嫌いだった。挨拶がわりに肩パンチしてくる様な知性のかけらもないテストステロン多めのゴリラ野郎だ。そんな田中率いる野球部になんの思い入れもない。
では、なぜ、俺が野球部の試合なんぞ見たいかと言うと、俺の思い人である、チアリーディング部の美咲ちゃんが野球部の応援の為、スタンドで踊るからに他ならない。
美咲ちゃん。2年の頃同じクラスだった彼女。優しくて可愛くて、笑ったときの八重歯がとても素敵だ。
結局、同じクラスの頃はちゃんと話せなかったけど、俺の想いは募るばかり…ひとめでいい、彼女が踊り汗を流す姿を見たい。
そんな折に、甲子園地区予選である。これに行かずしてどうする。
俺は所属している卓球部の練習をサボって球場に行こうと思っていた。その旨、ダブルスペアの間口に相談したところ、『最後の試合前に女の為に練習を休むとはなんたる腑抜け!!!』と一喝され、泣く泣く練習に行くこととなった。
間口の言うこともわかる。俺たちは3年間一生懸命練習してきて、その集大成が間近に迫っているのである。しかし、俺たちは公式戦で勝ったことねえだろ。何をそんなに必死になるのだ。
そう言うわけで、俺は練習に来たものの、やはり、青春の恋は一大事。なんとか練習を抜け出すタイミングを見計らっていた。
グラウンドをアップの為、俺たちは走っていた。
俺は、今しかないと思い、足をくじいた様に見せかけ、もんどりうって倒れ込んだ。
「おい、大丈夫か?」
後ろを走っていた間口が駆け寄ってくる。
「すまん、足を挫いた。ちょっと、これは、痛むぞ…痛い痛い…今日の練習は無理そうだから帰るわ」
俺はそう言って、足を引きずりながら自転車小屋に歩き出した。
「おい、ちょっと待てよ、そんなに痛むのなら、自転車なんて乗るなよ。悪化するぞ。練習終わってから俺が後ろに乗せてってやるよ」
間口がそう言う。
「悪いよ」
「何言ってんだよ。俺たちペアだろ?足使う練習が無理そうなら、フォーム確認とか激しくない練習すればいいしさ」
間口はあくまで俺を引き止めようとしてくる。
俺は無言で間口を見つめる。間口もまた無言で俺を見つめる。
「お前、嘘ついてるだろ」
間口がボソリとそう言うと、俺は自転車小屋まで走った。急いでチャリンコに乗る。
「馬鹿野郎!!!お前!!!逃げんじゃねえ」
後ろで間口の声が聞こえる。俺は構わず、チャリンコで走り出した。
俺は風の様に街を走る。急げ!!!急げ!!!野球場まで走るのだ。美咲ちゃん!!!美咲ちゃん!!!
俺は頭の中でそう呟きながらペダルを回し続ける。
交差点を渡ろうとしたとき、信号無視してきた軽自動車が、なんと俺にぶつかってきた。
あわや大惨事となるところだったが、俺の奇跡的な身のこなしと、体育の柔道で習った受け身のお陰で俺は大の字に倒れるだけで済んだ。
それでも痛いもんは痛い。なんとか首だけ持ち上げて見てみれば、自転車はペチャンコに潰れて使い物にならなくなっていた。
車から妙齢の女性が出てくる。明らかに慌てふためいている。
「ゴメンなさいゴメンなさい!!!怪我はないかしら!?」
女性はパニックになりながらも俺に駆け寄ってくる。
「大丈夫です…俺は…行かなくては…ならんのです…」
俺はそれだけ言い残し、走り始めた。まずい、自転車がないなんて大幅なタイムロスだ。タクシー使うか?いや、俺金持ってねえし…間に合うか?
待てよ…よしんば間に合わなくても、野球部が勝てば2回戦がある。2回戦で美咲ちゃんの勇姿を見ればいいじゃないか。
間に合え…俺…。間に合わなかった場合に備えて頑張れ野球部…。
俺は走った。
奇跡的な健脚により、なんとか野球場にたどり着いた。時間的にもまだ5回くらいだろう。間に合ったッッッ!!!
俺は階段を駆け上がり、スタンドに出る。
スコアボードには10対0と書いてあった。つまり、我が校のコールド負けである。
野球部は早々に片付けをしているし、観客もパラパラと帰り始めている。
もちろんチアリーディング部も踊ってなどおらず、エナメルバッグ片手に帰る準備を始めている。
俺は呆然とした。なんだよ…普段偉そうにしててクソ雑魚じゃねえか…
俺はチアリーディング部の部員の中から美咲ちゃんを探す。美咲ちゃんは!?美咲ちゃん…。美咲ちゃんはいた。彼女はスタンドの片隅でユニフォームを着た高校球児と抱き合って泣いていた。高校球児は田中だった。
え…なに…。2人はどこからどう見ても恋人同士に見えた。
俺はスタンドを出て、球場近くのベンチで1人ぽつねんと座った。
唖然。のひとことである。
「おい、このクソ野郎」
声がする方を見れば、間口がいる。
「間口…」
間口は俺の頭をゲンコツでぶつ。
「戻って練習すっぞ」
間口はそう言って歩き出した。
俺は間口に向かって頷き、立ち上がり、彼の後ろについて歩いた。
空を見上げる。ジリジリと太陽が俺たちを焦がしている。夏はまだ始まったばかりだった。