遠慮せずに休憩していくことにする
僕が歩いた先には、緑に輝く草原が広がっていた。その中に1つだけ西洋風の木の家がある。
吹く風も僕の髪と草原全体を少しだけ揺らすくらい柔らかくて、その風の音が、僕の耳を優しく包む。緑の清々しい香りが鼻にかすかに佇んだ。
僕は深呼吸をして、空気の美味しさを確かめた。そのすぐ後、電源が切れたように脱力し、その場で座ってしまった。
すると、木の家のバルコニーから、白いシフォンブラウスを着た少女が現れた。足取りは軽いが歩くスピードは遅い。右手にラッパを持って、それをどこかわからない虚空に向ける。風の音の中から、少しずつラッパの音が浮き立って聞こえてくる。
僕は全身を耳にしてそれを聴く。
彼女の奏でるメロディーは水を流すように滑らかだ。音色は輝きや光沢があり、それでいてどこか優しげで、どこか寂しげだ。1つ1つの音が役割を持って出されていて、大きな抑揚の流れを忘れない。表現力は素晴らしいものだ。
だが逆に、時々音が裏返ることがもったいないとも思える。表現力はずば抜けているのだが、その分技術面の能力が追いついていない。
僕がここまでわかる理由は、僕自身が音楽科の高校に通っているからだと言える。ラッパを専攻している人もいるため、楽器の実力については音楽をしていない一般人よりよくわかると言える。また、知っている曲数も一般人と比べて多いはず、なのだが、彼女が奏でている曲を、僕は聞いたことがなかった。
そうしているうちに、少女は演奏を終える。
僕がいることに気づいているかどうかは知らないが、僕も深く息を吸って、歌を歌った。
「君も音楽をしているの?」
先ほどラッパを吹いていた少女が僕に尋ねる。
僕が歌を歌い終えた後、彼女から手招きをされた。僕が木の家まで来た時、彼女はラッパを持って家のドアの前で待機していた。
肩まで伸びた藍色の髪には深い艶があり、それが肌の純白さを引き立てる。裸足で寒くないのだろうかという疑問は声には出さないようにするが、彼女から出る雰囲気は、神秘的な色気がある。しかも不思議とラッパを持った姿が似合う。
「高校で声楽をやっているんだ」
僕は彼女の質問に対しこう答えた。
「なんか、迷いのある言い方だけど、何かあったの?」
僕の口調から、ばれてしまっていたらしい。
「まぁ、僕は高校では声楽をやっている……んだけど、将来の夢はポップスの歌手なんだ。多分、迷いのある言い方だったのは、僕が今やっている音楽に一貫性を感じられないからだと思う」
「まぁ確かに、さっきの歌は声楽って感じじゃなかったかもね」
彼女はすっぱり切るような口調で言う。そして、「あ!そういえば君の名前は?」と訊いてきた。
僕は唐突な質問だと思いながらも、自分の名前を名乗ることにした。
「葉山新一です」
「……え、それだけ?」
「うん、それだけ」
「な、なんかもうちょっとあるでしょ?趣味はゲーセンとか、毎日学校の窓割ってますとか、盗んだバイクで走ってる15歳ですとか」
「なんで僕が不良設定なんだよ。ゲーセンなんて言ったことないし、窓は掃除の時以外触らないし、免許持ってないからバイクも使えないよ」
「つまり善良な高校生ってことね?」
「これが善良なら大体の人間が善良な市民だと僕は思うけど」
この掛け合いでわかったのだが、この女の人は人をからかうことが好きならしい。
彼女の言い方になぞらえるならば、趣味はいろんたところに行くことで、毎日歌の練習をしていて、歌手になるための発掘オーディションを受けている高校三年生です、といったところだろう。
「それで、君の名前を教えて?」
今度は逆に、僕が訊いた。いや、別に彼女が誰でも構わないのだが。
「私の名前は日笠舞よ。山の中に住むおかしな17歳かな。ちなみに高校を中退した不良です」
おどけた口調で話す彼女に対して、僕は「ふーん」と言った。声を出すために息を吸うのは人間として当たり前だが、その度にこの場所の空気の美味しさがわかる。また、ほのかに空気を流す風が心地いいと、今のような会話中でも感じてしまう。
「ふーんって、何か質問とかないの?どんな形で世界を救ってきたんですか?とか、今まで魔王を何人倒してきましたか?とか、覚えている攻撃呪文はなんですか?とか」
「いやなんでRPGの世界観になってるんだよラッパ吹きが魔王を何人も倒してたらびっくりだよ」
「とりあえず、何か質問考えて」
「じゃあ、なんで高校を中退したんですか、下の名前の由来はなんですか、あなたは何なんですか?」
「なんか、最後の質問に悪意を感じるんだけど、まぁいいわ。高校を中退した理由は、私がこの別荘に住みたくなったから」
「ふーん」
「いや、ふーんって、なんかあるでしょ?それは身勝手だとか、ここは別荘だったのか、とか、山奥に住む舞さんかっこいいですとか」
「何も思ってないよ、特に最後」
そう。僕はこう見えて人にあまり興味を持たない。別に仲良くしている人とだけ話すタイプだ。
「下の名前、舞の由来はこの世を舞うように生きて欲しいかららしいよ」
「ふーん」
「はい、何か質問3つ考えて」
呆れたような口調で彼女は言う。いや、質問3つは無茶ぶりだろ。
「この世を舞うってのは何?あの世じゃなくてこの世である理由は?踊る、とかじゃなくて、舞う、にした理由は?」
「うーん、そんな難しいことわからないわ」
「僕が質問を考えるために使った3秒を返してくれ」
「いやいや、3秒くらいいいじゃない。っていうか、1つの質問に1秒しか使ってないとか、適当に質問しすぎ」
「はいはい申し訳ありませんでした。はいはい。それで、最後の質問に答えてください」
と言った僕は、最後の質問を忘れていた。最後の質問を考えるのにかかった時間は、1秒未満だった気がする。つまり、忘れていても仕方がない。というより、いろいろ質問しすぎて頭がこんがらがっている。確か、日笠の自己紹介についての最後の質問だった気がする。
「私は一体何なのか、っていう質問だけど、答えるのは難しいわね。うーん、まぁ、謎の少女って感じでいい?」
「いいですよー」
「即答ね。ていうか少し食い気味に答えたわね?」
「まぁ、僕にとっては解決したんで大丈夫だ」
「何が解決したのよ?」
僕が彼女にした最後の質問が何なのか思い出したので解決した。
「まぁ、いろいろと」
多分、こう話した僕の頭の中は空っぽだっただろう。
「そう、まぁならいいや。そういえば、山を登ってきたんだよね?」
「そうだよ、足がもうパンパンだよ」
「とりあえず、ここで休憩していく?」
「あ、じゃあ頼む」
こんな適当な流れで、僕は初めて女の人の家に上がった。まぁお互いにやましい気持ちなんてないだろうけど。