79 招待
「はぁ……」
店を出た俺は思わず溜め息をつく。結局大した成果も無く奴隷商の店を出る事になったからだ。唯一分かったのはこの奴隷を買ったのがクレイモン侯爵という貴族だという事。
だが、侯爵家が絡んでいるとなると今の俺では手の出しようがない。しかし、侯爵が奴隷買い占めに絡んでいるとなると、調べない訳にはいかないだろう。
「アリシアに頼んでみるか……」
だが、俺はそんな事を考えながらも、アリシアに頼る事に対し思わず自嘲した。この件は元を辿ればアリシアの手伝いをしようと思った所から始まっているのにこんな肝心な所でアリシアに頼る事になるのだ。そんな自分に呆れそうになりながら俺は奴隷商の店の入り口前からスラムを歩き出す。
だが、それを感じたのはスラムを歩き始めて、すぐの事だった。
「…………っ」
何処から、こちらに向けられている視線を感じたのだ。勘違いではないだろう、その視線は間違いなく俺に向けられている。だが殺気を感じるわけではないので、視線の主は俺を殺そうという目的で視線を向けている訳ではない様だ。どちらかと言えば監視と言う言葉の方が近いだろう。
俺は突然走ったり、急に走るのを止めたりする事で、相手の反応を伺っていたがそれでも俺に向けられている視線の主は俺に対して一定の距離の間隔を開けている。
だが、俺がどれだけ移動しようとも俺に近づいて来る事も離れようともしないのは不気味さがあった。
そして、俺はスラムの中でも更に人が居なさそうな一角に自ら入った。俺が見える範囲に人はいない。そこで俺は意を決し、行動に移す事にした。
「そこにいるのは誰だ?」
視線を感じる方を向きながら俺はそう言う。視線を向けている者へのメッセージだ。俺がそう言うと、その視線の先から成人している燕尾服を着た男と小柄なボロ外套を着た少年が現れた。
「……っ」
思わず息を飲む。小柄な少年には見覚えがあった。間違いない、あの小柄な少年は、あの時奴隷商を殺していた魔人だ。
殺害現場を見られて逃走した筈なのに、どうして急に俺の目の前に現れたのか。だが、今はそんな事を考えている場合ではない。あの少年は魔人だった。という事は少年と一緒にいるあの男も魔人と想定してもいいだろう。
二人に対し最大限の警戒を向ける。ここで戦闘になるかもしれない。その可能性を考慮し、腰に挿した護身用の剣の柄に手を掛ける。
だが、二人の内、燕尾服を着た男が一歩前に出て来て、口を開いた。
「監視をする様な真似をして申し訳ありません。私の名はクライスと申します」
クライスと名乗る燕尾服を着た男はそう言うと俺に対して一礼をした。
「我々は主の命により貴方の事をずっと探していたのです」
「探していた?」
「ええ。そう警戒しないでいただきたい、我々は貴方と同類の者ですから」
クライスの声色からは俺に対する敵意を持っているようには思えなかった。その事から二人に対する警戒心をほんの少しだけ下げる。そして、その直後クライスは一瞬だけ魔力を解放した。
「魔人、か……」
「ええ。ですがあなたも同じはずなのでは? 我々の主より話は少しだけ伺っております、貴方も我々と同類なのでしょう?」
「……くそっ……」
クライスのその言葉を聞いた俺は顔を歪める。間違いない、俺の事を知られている。その答えに至った瞬間、迂闊にも魔力を使ってしまった過去の自分を思わず呪ってしまいそうになった。
だが、逆に考えれば向こうから来てくれたのだ。これは好機と捉える事も出来るだろう。少しでも情報を引き出すべく会話の姿勢を取った。
「……それで、その魔人が俺に何の用だ?」
「我々の主があなたの事を招待したいと申しております。ぜひ、ご同行を」
クライスの口から出たのは、なんと俺を主の元へ招待したいという言葉だった。だが、その意図が全く分からない。しかし、向こうから出向いてくれたのだ。そして更に向こうが俺の事を招待したいと言っている。相手の懐に飛び込む絶好の機会だろう。
だが、それでも一応聞いておかなければならない事がある。
「一つ聞きたい。もし同行を拒否したらどうなる?」
「今はどうも致しません。ですが、それは貴方が我々と敵対しかねない相手であると、捉える事になりかねませんが……」
「……そうか」
だが、どうやら会ってすぐ殺し合いという訳ではなさそうだ。なら、ここでこの男の話に乗るのもいいかもしれない。
この話に乗るかどうか。もしかしたら、罠と言う可能性も十分に考えられる。だが、これが相手の懐に一気に飛び込めるチャンスであるのも間違いない。どうするかを俺は悩み始めた。
だが、そんな俺の様子を見たクライスが声を掛けてくる。
「どうやら、突然こんな話をした我々に同行するか、お悩みの様ですね」
「急に現れたかと思えばこんな話をするんだ。罠を警戒して当然だろう?」
「それを言われれば我々としても何も反論できない所できませんね。ですが、誓ってこれは貴方を貶めようという罠などではない事だけは確かです」
「それをどう信じろと?」
「どう信じろと言われましても、我々としては信じてもらうとしか言えませんね……。ですが、主の名に誓って罠などではありません。主はただ貴方との話し合いを求めているだけなのです。そこにそれ以外の意図は御座いません」
「…………」
俺は、この話に乗り相手の懐に飛び込むか、それとも拒否するか。そのどちらを選択するのかを考え始めた。どちらにも、メリットデメリットがある。即決するには難しい。
そして、俺は長考した結果一つの答えを出した。
「分かった。同行しよう」
今ある手がかりは奴隷買い占めにクレイモン侯爵家が絡んでいるという事だけだが、アリシアならともかく今の俺では侯爵家に対してアプローチを掛けるのは難しい。実際、アリシアにクレイモン侯爵家を調べてほしいと頼もうと思っていた所だったのだ。だが、この話に乗れば相手の懐に時間を掛けずに飛び込める。この好機を逃してはならないと判断したからだ。
それに俺を罠に嵌めようとするなら、態々同行を求めるという回りくどい方法を選ぶとは思えなかった。
「我々の話に同意していただきありがとうございます。では僭越ながら私が主の元までご案内いたします」
だが、可能性は小さいとはいえまだ罠の可能性もある。それを警戒していて損は無い。
そして、俺はクライスに先導されながらスラムを進み、彼の主とやらの元まで向かう事になったのだった。
今日で一応10連休は終わりですが、更新できなかった日があるので、それを考慮し連続更新を10日まで延期する予定になっております。




