62 あの人の行方
後を執事長に任せ、執務室から抜け出した俺達は、現在俺が使用している客間に戻ってきていた。
「お兄様、そう言えばお部屋はどうなさいますか?」
「部屋?」
「ええ、この屋敷でこれからも暮らすならお兄様のお部屋が必要になりますから」
そう言えばそうだ。今は客間を借りている様な状態だが、今後もそうとは行かない。
「一つ聞きたいんだが、昔俺が使っていた部屋はどうなっているんだ?」
「それは……」
アリシア曰く、俺がこの屋敷で暮らしていた時に使っていた部屋は、今は物置状態となっているらしい。実際あの部屋はこの屋敷でも一番小さかった、この客間の方が広いだろう。
更には部屋の中もかなり荒れており、使える様にするには数日は掃除しないといけない様だ。
「そうか……」
元々あの部屋には少数の自分の私物しかなかった。それもあの時すべて持ち出している。あの部屋には何も残っていない、あるのは思い出だけだった。
「お兄様、どうなさいますか? あの部屋を再び使いたいなら、用意させますが」
「…………いや、大丈夫だ」
中が荒れているのなら、無理に片付けて使おうとは思わなかった。辛い思い出の方が多いが、それでも思い出は思い出のままで残しておきたかった。
「では、お父様が起きられたら許可を取って代わりの部屋を用意させますね」
「分かった」
そして、許可を取り代わりの部屋が用意できるまではこの客間で過ごし、用意出来次第部屋を移る事が決まったのだった。
因みに、使う部屋は丁度アリシアの部屋の右隣の部屋が開いているという事で、アリシアの強い要望からその部屋に決まった。
俺はこの屋敷に到着してからずっと気になっていた事があった。いい機会なので、それをアリシアに聞いてみる事にした。
「アリシア、あの人を見かけないんだが、どうしてるんだ?」
「あの人、ですか?」
「ああ、あの俺の母に恩があるって言ってたあのメイドの人だ」
俺はこの屋敷を出ていく事になったあの時、俺に食料を分けてくれたメイドの人がずっと気になっていた。だが、この屋敷に戻って来てからも一度も見かけることは無かったのだ。
「あっ、それは、ですね……」
アリシアも俺の言っている人物が誰かを思い出した様だ。だがその直後、彼女は気まずそうな表情を浮かべる。
アリシアが言うには、あの人は父上によって既に解雇されたとの事だ。あの時、彼女が俺に食料を分けてくれた事を父上が知った直後、「追放処分にした者に食料を分け与えるなど、何を考えている!!」と父上が怒り、その勢いで彼女を解雇した様なのだ。
「そう、か……」
「お兄様……」
正直言うとそんな気はしていた。この屋敷に働いているなら昨日か今日、見かける筈だ。だが、今に至るまでこの屋敷であの人を見かける事が無いという事はそういう事なのだろうとは薄々思っていた。薄々思ってはいたが、やはりそれが真実だと教えられると心にくるものがある。
又、その後のあの人の行方はアリシアも把握していないとの事だ。俺がこの屋敷から追放されたのが数年前だ。俺と同じ時期に解雇されたとなれば俺と同じく数年が経過している。
あの人は数年前に解雇した、ただの使用人だ。公爵家といえどもその行方は把握できていないのも当然だろう。
屋敷に戻ってきた今、あの人ともう一度会えると期待していた。再会したらあの時のお礼を言いたかったのだが、どうやらそれも叶わない様だ。
あの人は今どうしているのだろうか?
この屋敷での経験を活かし別の屋敷で使用人を続けているのだろうか?
それとも、この王都を既に去った後なのだろうか?
ただ一つはっきりしているのは、行方知れずとなったあの人と会うのはもう不可能に近いだろうという事だけだった。
そして翌日の早朝、俺はアリシアを見送る為に屋敷の外まで出ていた。アリシアはこれから教会の本部へと出向く事になっている。
「ではお兄様、お父様とお母様の事をお願いします」
「ああ」
結局昨日は父上と義母上が目を覚ますことは無かった。なので、新しい部屋の許可も取れずにいる。暫くはあの客間を引き続き使用する事になりそうだ。
自分があんなことをしておいてどの口が言うのだと思われそうだが、このまま二人が起きないとなるとさすがに心配になる。それにこのまま目を覚まさない状態が続くと、様々な事に支障をきたしそうだ。
だが、アリシアは一刻も早く教会の本部に行かなければならない。本当なら昨日の内に王都を出発しておかなければならない所を無理に引き伸ばした様なのだ。これ以上引き伸ばすのは無理だろうとの事だ。
「それでは行って参ります」
そして、アリシアは王都の教会支部が用意した馬車に乗り込み旅立って行った。俺はアリシアの乗る馬車が見えなくなるまで見送った。アリシアが帰ってくるまでは俺は一人だ。
「これからどうしようか……」
アリシアは旅立ったばかりだ。戻ってくるまで、まだかなりの時間がある。それまでどう時間を使うのかを俺はこの時考えていたのだった。




