58 公爵邸
王都への入り口の門でアクシデントがあったが、何とか無事に王都に入る事が出来た。進む馬車から外を眺める。そこには数年前とほとんど変わらない王都の姿があった。
「……変わってないな」
「あれから数年しかたっていないのです。そんな簡単には変わりませんよ」
変わらない王都だったが、俺の中には感慨深いものがあった。そして、馬車は市街地を越えて貴族街へと入っていた。
エレイン公爵家の王都での屋敷は王城のすぐそば、最高の立地の場所に存在する。この国では爵位が高いほど王城の近くに居を構える事を許される。緊急事態があった時、すぐに王城に集まることが出来るからだ。
そして俺達の乗った馬車は貴族街と呼ばれる貴族達が屋敷を構える一帯を進む。そして、所々に見覚えがある屋敷があったりもした。
そう言った光景を見る度、心臓が高鳴り、治まっていた腕の震えが再び表われる。数年ぶりに帰ってきたのだ。だが、それが興奮によるものか、緊張によるものか、今の俺には判断が付かなかった。
「お兄様、また震えていますよ?」
「あ、ああ、だ、大丈夫」
そう言いながらも腕の震えは治まらない。先程の様に手を握り締めてくれるが、腕の震えは少しだけ治まっただけだった。アリシアもそれが分かったのだろう。今度は、俺の腕を引き、自分の胸元まで寄せて、抱きしめてくれていた。
「お兄様、大丈夫ですから」
これも、先程と同じ言葉であったが、その言葉に不思議と震えが治まる。だが、流石に、この状態は恥ずかしい。離れる様に促しても前回と違い今度は「屋敷に着くまで離しません」と頑なに離れることを拒否し続けていたのだった。
エレイン公爵家の屋敷前、そこに、馬車が到着すると、使用人たちがアリシアを出迎える様に整列して待機していた。恐らくは何処からか連絡があったのだろう。見慣れた人もいれば見慣れない人もいる。まずは、警戒されないためにアリシアが馬車から出ていった。
「「「おかえりなさいませ、お嬢様」」」
アリシアが馬車から出ると、屋敷の前に並んだ使用人たちが一斉にそんな言葉を発する。その後、俺が馬車から出ると、使用人達は訝しげな表情を浮かべるが、そんな使用人達を横目にアリシアは、俺の手を掴んで、「一緒に屋敷まで入りましょう」と言ってきた。
そしてアリシアに引っ張られるまま、俺達は揃って屋敷の中に入っていった。
屋敷の玄関の扉を開けると、初老の男性が俺達を出迎えた。この男性は俺が屋敷にいた頃からここにいた、この屋敷の執事長だ。
「お嬢様、おかえりなさいませ。して、そちらの方はどなたですかな? どこかで見覚えがある気がするのですが……」
「この人は……、私の客人です」
「そう、ですか……」
「それよりも、お父様にお話ししたいことがあります。今何処にいるのですか?」
「旦那様なら、本日は予定が入っており明日までは戻ってこられないとの事です」
「そうですか。分かりました、ならこの方を客間まで案内して差し上げて。後でそこへ私も向かいます」
「かしこまりました」
執事長にそれだけを告げてアリシアは屋敷の奥へと入っていった。あの時から部屋が変わっていないとすれば、アリシアの行った方向から考えて、自室に戻ったのだろう。
「ではお客様、こちらへどうぞ」
そう言って先導する執事長に俺はついていくのだった。
屋敷を進んでいると、先導している執事長から突如として声を掛けられた。
「そう言えばお客様、私は貴方と何処かでお会いした気がするのですが……」
「い、いや、俺にはそんな覚えは……」
そう言いながらも俺の内心は焦っていた。一応、この屋敷に来ることは初めてという体になっているのだ。しかし、この屋敷にいたのは数年前の事だ。しかも俺のあの当時の扱いを考えれば、断片的にでもこの屋敷で働いている人間の記憶に残っているとは思ってもみなかった。
「そうですか……」
執事長はそれで納得したのか、それ以上この件について聞いてくることは無かった。その事を幸運に思いながらも、俺は執事長の案内に従いながらもこの屋敷を進むのだった。
「ここが御部屋になります」
執事長に案内されたのは、この屋敷の一角にある部屋だった。
「ここが……」
当時の俺は屋敷を自由に歩き回ることが出来る立場では無かった。その為、ここに部屋があること自体は記憶に残っていたが、この部屋の中を見る事は今迄無かった。だから、ここが客間だと今の今まで知る事すらなかったのだ。
「では、どうぞ」
執事長が扉を開けると俺に室内に入るように促してくる。そうして中に入ると、あの時使った教会の貴賓室、あれに匹敵、或いはそれ以上の部屋がそこにはあった。
「この部屋はお客様のご自由にお使いください。では失礼します」
そう言うと執事長は一礼し、扉を閉め、この部屋から退出していった。そして、俺は一人この部屋に取り残される事になった。
「そうか、俺は帰ってきたんだな……。ここに……」
一人になった事で思わず呟いてしまう。ここを追放された時より数年、あの時はもうここに戻って来る事は二度と無いと思っていた。だが何の因果か、この屋敷に再び戻って来る事になった。
何か一つでも違えばこうなることは無かったかもしれない。いや、間違いなくこうはならなかっただろう。その事に妙な感慨を抱きながら、俺はこの部屋を見て回る。
アリシアはあの時、この部屋に来ると言っていた。なら、俺がこの部屋から動くわけにはいかないだろう。結局俺はアリシアがこの部屋に来るまで、この部屋を見て回りながら待つ事にしたのだった。