30 絶望的な戦い
「うっ、ここは……」
目が覚めると先程までの記憶が蘇ってきた。横に目を向けるとアルトが横たわっている。だが、アルトもすぐに起き上がってきた。改めてこの場を見渡すと、地下の筈なのに妙に明るい。照明の魔道具があるのだろうか。
「ここは……?」
「俺達、確か穴の中に落ちた筈じゃ……」
そして、自分の下に妙な違和感を覚え、視線を降ろすと、そこには血に塗れた人の死体と思われる物があった。
「うおっ!!」
俺達は、慌てて離れる。そして上を覗くと俺達が落ちてきた穴があった。あそこから死体の上まで落ちてきたのだろう。助かったのはこの死体が衝撃を吸収してくれたおかげかもしれない。
「……それにしても、地下にこんな場所があるなんて」
「おや、こんな所に本日二度目の客人とは」
その声の方を慌てて向くと、そこに一人の男がいた。黒い髪に紫色の瞳、容姿は非常に整っており美丈夫と呼んでも差し支えない。普通の女性がこの男を見れば、一目で恋に落ちる。そう断言できるほどその容姿は整っていた。
だが、その男が放つ威圧感は、異常だった。災害級の魔物であるオークキングに匹敵、或いは上回ってもおかしくは無い。
そして、何よりも異彩を放つのは、男が持った黒い剣だ。あの剣から放たれている魔力は、オークキングなど比にならない。
アルトもそれを感じ取っている様で、冷や汗が流れ出ている。
「カイン……」
「分かってる」
俺達はいつでも剣を抜ける様に、柄に手を添える。目の前にいる男は、間違いなく魔人と呼ばれる存在。
「それで、君達は何者かね?」
「……そっちから名乗るのが礼儀じゃないのか?」
この男を見る限り、礼儀は弁えている様に思われる。だからこそ、礼儀、という点を突けば少しでも時間が稼げる可能性があった。
「おっと、これは失礼。私はガイウス・グラトニア、魔人と呼ばれる者だ」
そして、ガイウスと名乗る男は一礼をした。俺達も少しでも時間を稼ぐために名乗る。
「……俺はアルト」
「……カインだ」
「では、アルト君にカイン君。君達はどうしてここにいるのかね。私は君達を招いた覚えなど無いのだが?」
「……俺達はあの穴から落ちてきただけだ」
そして、俺はあの時開いた上の穴を指さした。
「なるほど」
「ここまで落ちてきたのは事故みたいなものだ。俺達を見逃してほしい」
「ふむ。私にしてみれば君達は招かざる客だからな。そう簡単に逃がすつもりはないのだが……。そうだ、丁度私は暇を持て余していた所だ。私を楽しませる事が出来れば見逃してもいい」
「……楽しませる? どうやって?」
「無論、決まっているだろう? 君達との殺し合いさ」
そして、その言葉と共にガイウスが俺達に敵意を向けてきた。そして、先程から感じていたガイウスからの威圧感も更に増している。
「さて。カイン君、アルト君。もう一度言っておこう、君達には私の暇つぶしの相手を務めてもらう。勿論、君達に拒否権は無い」
「くっ!!」
「こんなのっ、化け物だろっ!!」
俺達に敵意を向けていない状態ですら、オークキングに匹敵する程だったのだ。敵意をこちらに向ければどうなるかは言うまでもないだろう。ガイウスがこちらに敵意を向けてきた瞬間、卒倒しそうになったが、気合で何とか堪える事には成功した。
「では、行くぞ?」
その言葉と共に、ガイウスの姿が消える。そして、次の瞬間、アルトの脇腹には剣で斬られたかの様な、傷が出来ていた。
「がはっ!!」
だが、それで終わりではなかった。今度は、俺の右足に激痛が走った。
「あぐっ!!」
慌てて右足を抑えるがそこには剣で突きを食らったかのような跡が出来ていた。
「ふむ、しっかりと手加減はしているはずだが。君達には私の動きに反応出来ないかね?」
気が付けば先程と同じ位置に現れていたガイウスがそんな事を言う。恐らくこの攻撃はあの男が放ったものなのだろう。何とか辛うじて目では追えたが、反応が出来なかった。
「……やばいな。分かってはいたけど、想像以上だ。本当にやばい」
アルトのその言葉に俺も同意する。手加減という言葉から分かる通り、この戦いはあの男にとっては遊びでしかないのだろう。俺達は急いでポーションを取り出し飲んだ。ポーションを飲んだ事で、あの男に刺された傷はすぐに塞がっていく。だが、どうすればこの場を切り抜けられるかが一切分からない。
「ふむ。では、これではどうか」
すると、ガイウスが持つ剣から、黒い影が漏れ出す。あの影は恐らく可視化された魔力で出来ているのだろう。そして、影は剣から離れると一つの形を取った。
「何だ、それは……」
思わず呟いてしまう。影が、四足歩行をする獣の様な形を取ったのだ。そのサイズも人間の半分ぐらいはある。
「面白いだろう? この技の名は『喰らう影』、かつて【暴食】の魔王と呼ばれた存在が使った御業、その模倣だよ。さぁ、影獣よ、行け」
そして、ガイウスが影獣と呼んだ影で出来た獣がアルトの方に向かって行った。だが、その影獣の動きは一直線だったため、アルトは剣を振りその影を切り裂こうとした。
「え!?」
なんとその影は、アルトの剣で斬られたというのに、すぐに元に戻り、アルトの懐に入ってしまった。あの影獣の本質は、実体を持たない影だからこそ、あんなふうに簡単に元に戻ったのだろう。
「アルト!!」
俺のそんな叫び声も既に遅く、影獣は剣を振った後の硬直で無防備になったアルトの右腕に噛みついていた。
「ガアアアアアアアアアア!!」
噛みつかれた痛みでアルトが大声を上げる。その痛みに耐えきれなかったのか、持っていた剣も手放してしまった。
「……ふむ、アレには殆ど魔力を込めていなかったのだが、この程度でもダメなのかね」
ガイウスの表情が落胆したように曇る。そして、ガイウスが手を振るうと影獣は一瞬にして消えてしまった。
「くそがっ!!」
アルトは、影獣に噛みつかれて、今も血が流れている右腕を、左腕で必死に押さえている。あの傷ではもう右腕は使い物にならないだろう。
「はぁ、君達はつまらないな。聖騎士共は随分と楽しませてくれたから、君達にも少々期待していたのだが、全くこの程度で苦戦するなんて、期待外れもいいところだよ。やはりただの人間に期待した自分が間違いだった様だ」
ガイウスのそんな言葉が溜め息の後に聞こえてくる。
「もういい、君達には飽きた。まずは、カイン君。君からだ。死にたまえ」
「カインっ!!」
ガイウスがそんな言葉と共に俺の方に向かってくるのと、アルトが俺の目の前に飛び込んでくるのは同時だった。
――――ザシュ!!
「ア、ルト……?」
「カイン、無事か……」
俺を庇う様に飛び込んできたアルトの胸からは、血が流れ出ていた。心臓を一撃で刺されたのだろう。一目で分かる、致命傷だ。即死していないだけでも奇跡だ。
「アルト!! アルト!!」
「ゴホッ!! その様子だと間に合ったみたいだな……」
アルトが咳き込むと、口からも血を零していた。このまま放っておけばすぐに死んでしまう。
「アルト!! そ、そうだ。あれなら」
俺は慌てて道具袋からある物を取り出す。奈落で手に入れた部位欠損すら治すエリクサーだ。その殆どは奈落で使ってしまったが、まだ、ほんの数本程度なら残っている。これを使えばアルトの傷だって治るはず。
「アルト、エリクサーだ。これを飲めば治るはず……」
そして、アルトの口にエリクサーを運ぶ。アルトはそのエリクサーを飲み込んでいくが、傷が治る気配は一向に無い。俺が奈落で使った時は、すぐに効果が表れたというのに、だ。
「どうしてだ!? これがあれば……」
「ふむ、それはエリクサーの様だが無駄だよ」
「どういう、事だ……?」
「彼の体には既に魂は残っていないからね」
「たま、しい……?」
「この魔剣の力の一つだ。この剣は魂を喰らう事が出来るのだよ。その力で彼の魂を喰らった。そして、魂が消えた肉体はその役目を終える。だからこそ、彼の傷が癒える事は無い。彼の体に残っているのは、ただの残滓、私が喰らった魂の食べカスだ。それもいずれ消えるだろう」
は? 魂を喰らった? 一体何を言っているんだ?
「諦めたまえ。彼の魂が殆ど残っていない以上彼の死はもはや避ける事は出来ない」
アルトが、死ぬ? え? 嘘だろ?
「アルト!! アルト!!」
「カイン……。俺、もう駄目みたいだ……」
「生き残るんじゃなかったのか!? 俺に奢ってくれるんだろ!?」
「すまん、その約束。果たせそうもないや」
「アルト!! 死ぬな!!」
「カイン、お前と出会って、まだ一月程度だったけど、楽しかったぜ。俺は、先に行ってるから……。お前は、生きろ、よ……」
「アルト!! アルト!!」
だが、アルトの体をいくら揺らしても、目が覚める事は無かった。そして、その時、理解してしまったのだ。アルトがもうこの世にいない事を。
「あ、ああ、あああ、あああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」




