<7> 業界分析よりも職種分析を(と言いつつ企業を列挙する)
<7> 業界分析よりも職種分析を(と言いつつ企業を列挙する)
そろそろ業界分析もいい段階にまで煮詰まってきた、と感じたオケアナは、ここでふとそれが本当に正しいのかどうかと考え直した。自分の悪い癖は、楽観しているところが多々あって、それで思わぬ見落としを何度もするところである。業界分析も、もしかしたら自分の考え違いなのかもしれない、と。
「……で、誰だこの毛むくじゃらは。お前の友だちか?」
「あ、う、えっと、ぼ、ボクは、カザランって名前で、その、オケアナさんに連れてこられただけで……」
いつにも増して怪訝さに目を細めるイケメンエルフと、それに睨まれて恐縮しているライカンスロープがそれぞれ一人ずつ。肉体的な強さで言うのならきっとカザランが一番強いと思うのだが(そしておそらくオケアナのほうがこの細身のひょろひょろエルフよりも強いと思うが)、表情の圧はどうにもこのサヴァンが一番強い。有体に言えば怖いのだ。
だが、オケアナは躊躇することもなく切り出した。
「サヴァン。業界分析の方法について教えて。それもホワイト企業の」
「……。オケアナ、お前なあ……」
「ホワイト企業に就職して、まったりスローライフを送ることが私の夢なの。分かるでしょ?」
「女騎士になって、王子様と結婚じゃなかったのかよ」
「うるさい」
とりあえずそんなことはどうでもいい、とばかりにオケアナは話を進めた。今は就職活動の時期である。無駄な時間は惜しい。効率厨で結構、今大事なのは業界分析の方法である――とオケアナは考えていた。
「とりあえず、私はXちゃんねるでまったり高給の情報を集めて、それを軸に動いているけど――」
「待て待て待て」
「ちょ、オケアナさん、それは」
二人から同時に静止がかかって、オケアナは出鼻をくじかれた形となった。これが普通じゃないのか、と思っていた彼女にとっては思わぬ反応である。今はネット社会である。情報を集めるならそういうところから広く浅くが一番なのでは、と感じているところにこの反応なので、少しだけオケアナも狼狽えた。
「え、違うの? インフラはまったり高給で安泰、政府系金融はホワイト、社内SEと化学メーカーはカツカツしなくてすむって」
「違う! インフラは不慮の事故に備えて24時間対応が必要だし体育会な空気のところが多い! 政府系金融は地方転勤が多くて体質が古くてノルマも結構厳しい! 社内SEは採算の合わない部門は外部に売り飛ばされてブラック化したり、あるいは社内システムがスパゲッティみたいになってるやつを任されたりする! 化学メーカーの下流とかは最終ベンダーとして、自動車の完成車メーカーなどのユーザー企業にボロックソに締め上げられたりで厳しい! お前はもっと業界を勉強しろ!」
「まったりホワイトな環境なんて中々ないですよ……。強いて言えば、競争が激しい業界は忙しくなる傾向がありますけどネ」
Xちゃんねるの情報と全然違うではないか、とオケアナは違和感を覚えた。もちろん掲示板の情報がすべて正しいとは思っていないが、それでも50:50の割合で正しいことが書かれているのではないか、ぐらいには思っている。だがこの反応を見るに、もう少し割合が低いと見たほうがよさそうだ、とオケアナは感じた。
「まず業界分析だが、これはもうゴミ箱に捨てろ。お前のようにやりたい仕事が特にないタイプの人間なら、業界を絞るなんていう行為そのものがそもそも無意味だ。お前はホワイト企業に行きたいだけの人間だからな」
「え」「え」
珍しくカザランと声が被ったオケアナだが、サヴァンは過激な発言をそのまま押し通して続ける。
「北証一部に上場していて、転職サイトの口コミを見る限りは自分に合っている環境なら、そこを志望する――という作戦のほうがいいだろう。もうお前は、有給消化率とかじゃなくて年休の日数やみなし残業の方に注目したり、転職口コミサイトで企業の内情をある程度把握したり、有価証券報告書を読み解いて退職金を見積もったりできる側の人間だ。目は十分に育っているはずだ」
「じゃあ、つまり」
「業界全体がホワイト、なんてことがそもそもないんだ。そこに技術的な参入障壁か、法律的な保護によって寡占事業になっているというものがない限りはホワイトは生まれない。だからお前のやってる、『ホワイトな業界を探す』という謎業界分析をやめろって話だ」
「……」
――正論。
オケアナはそう感じた。業界分析という名のもと、実際やっていたのは『ホワイトな業界を探す』という謎の行為でしかなかった。ホワイトな業界はない、というのが現実である。
否、正しくは『存在していても、それを探すのに費やす労力とリターンが見合わない』ものであったり、『その業界に入るのに相応の能力やコネが必要で、門が狭い』ものであったりする。
そのことをサヴァンに指摘されたような気がして、オケアナは思わず黙り込んでしまった。
「業界分析より、職種分析のほうがはるかに重要だ。どんな業界で仕事をするのかより、どんな仕事をするのか。そこが見えていない就活生が多すぎる」
「職種分析、ですか? それはどういう……」
「あ?」
黙っているオケアナの代わりにカザランが答える。サヴァンは相変わらず険を隠すことなくぶつけてくるので、受け答えているカザランのほうが可哀想になるぐらいであったが、カザランはしどろもどろになりながらもこくりと頷いていた。
「……。例えば、金融業界というくくりがある。そのうち資産運用業の十字架UFY信託銀行もその中に入るだろう。金融系は忙しい、と皆は言ってるが、見るべきはそこではなくて職種だ。資産運用業界は運用系と営業系に分かれていて、運用系は『ファンドマネージャー/運用の責任者として投資判断を行う』、『アナリスト/個別企業の分析を詳しく行う』、『エコノミスト/地域ごとにマクロ的な経済分析を行う』、『クオンツアナリスト/高度な数的手法や数理モデルを用いて投資戦略や金融商品の分析を行う』の四つの業務、営業系は『投資信託/小口営業を行う』、『投資顧問/年金基金(GPIF)などを取り扱う機関投資家として、運用コンサルを行う』の二つの業務がある」
「……詳しいですネ、サヴァンさん」
「この内、運用部門のバイサイドアナリストは農民と言われてて、それほどカリカリと切り詰めた職場でないことがほとんどだが、マーケット部門のセルサイドアナリストは狩人と言われていて、社外の投資家のためにアナリストレポートを書いたり、プロ相手の勝負を任されたりと業務が重い。……つまり」
「なるほど。金融業界とひとくくりにするんじゃなくて、内情を調べて判断しろ、ということですネ、サヴァンさん」
「そうなる」
狼人間のカザランは相変わらず落ち着かないようでもじもじとしていたが、そんなことはお構いないに、不機嫌エルフのサヴァンは説明を続けていた。このおどおどしている仕草が可愛いとオケアナは思っているのだが、そんなのはサヴァンには全く通用しないらしい。
「ずるい話だが、ホワイトな仕事を探したかったら、業界分析よりも職種分析だ。どんな仕事をするのかを突き詰めていけ。そうすることで副次的にだが、業界に詳しくなったり仕事のビジョンがしっかりしてきて、面接での受け答えでも頓珍漢なことを言ったりする確率がぐんと減る」
「例えばメーカーの品質管理部門はどうなんでしょう? 仕事内容は厳しくない、という評判をよく聞きますけど」
「嘘だ。工場が定時で終わることが多いから残業は確かに少ないが、他の企業に卸した製品に問題があったらキッツいクレームに対応しなきゃいけなかったりする。他にも、厳しい製品品質をクリアしようと思ったら、速く多く生産させたい生産技術の人や、製品要項を満たすよう設計したい設計の人とケンカをしないといけない。これが結構精神的にきつくて、胃に来ると評判だ」
「なるほど……勉強になりますネ。じゃあメーカーの研究、開発、設計部門はどうなんでしょう?」
「製品にもよるが、設計が大体しんどい。耐久性と機能性の勝負をするのはここだ。複数の部品を組み合わせるような製品メーカーの場合は、各種調整のために業務量も多い。研究開発は、納期付きの仕事――いわゆるお客様がいるタイプの研究はしんどいが、お客様がいないタイプの研究――基礎研究とかはまだきつくないかもな。自分のペースでゆったり研究できる。その代わり納期がない基礎研究は、裁量労働になっているところが多く、慢性的に残業が多い。そして研究能力がないと駄目だ」
二人の受け答えを聞いて、オケアナはふとある言葉を思い出した。
メーカー系の就職を検討している場合は、裁量労働への移行がいつぐらいなのかを調べておけ。――サヴァンの言葉である。
もしかしてこのことを言っているのだろうか、とオケアナは思った。
「じゃあ、営業職はどうなんでしょうネ?」
「有名企業と無名企業、ルート営業と新規開拓、BtoBとBtoCで全然違う。有名企業なら新規開拓でも比較的楽だ。ちなみに、一回営業を経験しておくことが出世の条件になっている企業も多い。マーケティング、営業、人事、どこが花形部門として出世コースになっているのかを調べておくのは面白いかもな」
「企画職はどうですか。新しい商品を考えたり、一番面白いと思いますが」
「普通、企画職は勤めて10年ぐらいのベテランがなる仕事だ。普通は経験者じゃないと企画は許されない。理系メーカーの企画職は繁忙であることもしばしばあった。新卒でそこを希望する人間は確かに多いが、面接のときには『最初に企画職に就きたいです』じゃなくて『経験を積んでからそれを活かしてゆくゆくは企画に携わりたいです』という表現の方が好ましいことも多い」
「……サヴァンさんは色んなことをご存じのようですネ?」
「無論、俺も実際にそこで働いた訳じゃないし、実情なんか企業によってまちまちだ。だが、就職活動をして聞く限り、大まかな傾向としてはこの通りだった」
品質管理職、研究開発職、営業職、企画職――さまざまな職種の説明がなされる中、オケアナは話に聞き入るばかりであった。就職活動をしているくせに、仕事内容を知らないことを今更になって実感する。仕事とは何なのか、どういう仕事をするのか、という細部を全くつかめていなかったのだ。
業界を分析するよりも、どのような仕事があるのかを知るべきだ――というサヴァンの意見は尤もであると思われた。
「――強いて業界分析をするならば」
サヴァンは意味深な前置きをしてから口を開いた。
「特定の狭い分野で独占的なシェアを保持してる企業で、なおかつ継続的な収益を誇る企業を探し出せ」
「……それができたら苦労しないよ、サヴァン」
思わずオケアナは口を出してしまった。特定の狭い分野で独占的なシェアを保持してる企業で、なおかつ継続的な収益を誇る企業。どの企業も広報に力を入れているこのご時世、そんな企業を探し出すのは困難である、とオケアナは思っている。
「それはお前の探し方が悪いんじゃないか? いくつか例を挙げるから、それを参考にしてお前のいうホワイト企業とやらを探すことだな」
まるでホワイト企業は存在しない――と言わんばかりの口調に、一瞬オケアナは怯みながらも、その続きの言葉を待った。
「まずはフロド電気。漁業船舶事業の世界シェアを40%以上握っている。注目は二つ、船舶レーダーという名目ではなくて船舶機器という名目でくくるので独占禁止法に引っ掛からないというところと、法律で『ある規模の大きさを越える大型船は必ずレーダーを設置しなくてはならない』という規定があるので船が作られる度にレーダーが買われる、という安定したニーズがあるというところだ」
「……! それがサヴァンの言ってた、法律で守られているケースのホワイト企業なのね」
「船舶による輸出入は9割。やはり積載量を運べるのは飛行機ではなく船舶だ。今後ともその分野がなくなることはないだろう。とはいえそのパイを他の企業が狙ってくることは十分にあるが」
「次はタイタン工業。空調機のシェアは世界トップだ。重要なのは、業務用エアコンなどは一度ビルに設置されたら、以降の冷却ガスの充填などの更新作業はずっとそのタイタン工業が担うことになる点。つまり、一度ビルに備え付けられたら、今後はビルのインフラとして定期的な収入が見込める」
「……競合が多い業界だと思ったら、安定した固定収入も見込めるんだ。実態はインフラ企業ってことなのね」
「半分はな。家電として個人向けエアコンを作ってはいるが、これは宣伝の意味合いも含んでいて、メイン市場は業務用空調機だ」
「YSK……ユグドラシル精工もいいだろう。ベアリングは産業のコメと言われているぐらいだ。自動車機器としてのパワーステアリングのシェアも伸ばしていて、多角的な事業を狙っている。とはいえ最近は華国にシェアを奪われつつあるから、そこは注意しておきたいところだが」
「……何らかの産業のベースになってる大型BtoB企業は強いってことね」
「素材化学など、上流化学メーカーが強いと言われる由縁もそこにある。まあ、上流化学メーカーなんて石油化学……つまりエチレン化学メーカー六社に絞られるんだがな」
「総合楽器メーカーのMAHARAJAも楽器のシェアが世界トップだ。楽器は娯楽品だから安定したニーズがあるようには見えないが、小中学校の義務教育の音楽では教科書や楽器を定期的に購入してもらっているし、意外と固定シェアが根強くあったりする」
「……ちょっと意外だったけど、考えてみたらそういう分野もあるわけね」
「大企業を調べるときは、その企業の安定した収益ベースがどこにあるのかを調べると面白いかもな」
「化学メーカーについては、例えば塩ビ樹脂はコスト面と性能面で、今後も建築やインフラに必要な樹脂として購入される。半導体用シリコンウェハーは集積回路やメモリの基盤に使われる材料で今後も伸びが期待できる。どちらもシンゲツ化学工業が強い」
「そうなの?」
「シンゲツ化学工業の場合は、塩ビの材料が安い帝国の工場でつくって、帝国の保護経済のおかげで安定した内需がある……という経済構造的な面であったり、自前でシリコンの鉱山を保有してるからかなり安価でシリコンを採掘できるという点が面白い」
「化学メーカーでは他にも接着剤業界。接着剤など液モノはどうしても輸入コストがかさむから輸入品との競争になりにくく、競争が少なくて余裕がある」
「……!」
「海外の輸入品との競争はメーカー企業の宿命だが、輸入コストがかさむ業種に限っては競争になりにくい。覚えておけ」
「たばこ産業、酒造などは免許制で新規参入が難しい。YRAなど競馬業界は農林水産省に保護された準国営法人。JTX……ヨトゥン取引所グループも、北証がなくならない限りは仕事がなくなることはない。YHKも多額の受信料で成り立っている国営放送局だ」
「うわあ……」
「既得権益をどうみるかは置いておくとして、まあ、法律で保護された先にはこういう世界もあるということだ」
「法律が守っている、固定シェアや継続的な収益が見込める、輸入品との競争が少ない――これが原則だ。というよりも、業界分析というのはそもそも、これらを見抜くことに他ならない」
「……何か、一気に目が覚めた気がする」
「さっさと目を覚ますことが出来てよかったな。世界の見方が変わっただろう」
サヴァンはいつもと変わることなくニヒルなままであった。どこか皮肉めいた口調。しかしそれは、サヴァンが嘘つきではなく真摯だからということの裏返しでもあり――そんなサヴァンのことを、オケアナは頼りにしている。
「……サヴァンさんは、すごい人ですネ。何だか呑まれそうになりました」
「ね。分かるよ、カザランさん。こいつ知ったかぶりの癖に説得力だけは半端じゃないし」
「おい、聞こえてるぞ」
カザランは素直にサヴァンのことを尊敬している。先程までのおどおどした様子がなくなっていて、ただただサヴァンの具体的な説明を聞き入るばかりである。
そしてオケアナも、そんな一人である。サヴァンの明瞭な説明に呑まれる側の一人。
(本当に知ったかぶりだったらどうしよう。ちゃんと見抜けるだろうか)
そんな心配をしてしまうほどには、オケアナは自分の判断に自信がない。
そして、彼女の不安をよそにして、サヴァンの業界分析はまだ続いた。
サヴァンが解説する。カザランが質問する。オケアナはそれを傍で聞く。その繰り返しが、オケアナにとって心地がよく――オケアナにとって、何となく不安であった。