友達
「もう、茜ったらやるじゃない!え、いつの間にそんな仲になってたの?」
今私の目の前にいるのは、同期で友人の磯村咲菜だ。
かなりの美人で、社内では由希子と由希子と同じく秘書課の川内花含めた三大美女の一人として君臨している。
由希子は寿退社していったため、現在では磯村派と川内派の二大勢力と化している。
そんな彼女と仲良くなったのは、同期で同じ課であったことと、彼女が大手動画サイトで動画を配信する仕事を副業にしていることをひょんなこから知り、その手伝いをするようになったからだ。
その美貌や溌溂とした明るい笑顔、聡明な物言いで彼女の動画チャンネルは評判を呼び、何百万という視聴者登録数を誇っている。
会社もそれを了承しているというから面白い。
私の一番の友人で、信頼できる人の一人だ。彼が由希子に本当のこと言うのだからと、私は唯一本当のことを彼女に教えてもいいか了承を貰うほどに信頼している。
そんな彼女が、動画撮影の準備をしながら興味津々といった風情で聞いてきた。
「実はね、これウソの関係なんだわ。」
ボトリと手にしていた洗面器を落とした咲菜が、目を瞬く。
それから私をじっと見て、数分間の沈黙が流れた後、彼女は床に座布団二組敷き、無言で私を座らせ、対するように自分も座った。
「どういうことか、しかと教えてもらおうか。」
目に剣を込めて、にっこりと笑んだ咲菜に、背筋の凍るような心地を覚えた。
それから私は、これまでの事情を掻い摘んで話した。
それまで話したことのなかった涼との友人関係や、その涼の由希子へ想い、そしてその関係がこじれ涼が解雇寸前に至った経緯、そしてそれを回避するために偽の婚約者になったことを。
「うん、それでなんであなたがそんな損でアホな役回りを負わされなくちゃいけないわけ?」
「…そ、それは、その。」
「友達だからって言ったって、あなた適齢期の妙齢の女性なのよ!?それをどうして、好きでもない相手のために犠牲にならなきゃ……あ、もしかして、好きなの?山本君のこと。だから、ほっとけないんでしょ!」
私は、否定も肯定もできず、口を噤んで俯いた。
「あのね、そうやって黙っていたら肯定と取るからね。」
そう言って、咲菜ははあと大きく溜息を吐き、正座していた足を崩し胡坐をかいた。
美人の胡坐はどこまでも美人だ。なんてことを頭の片隅で考えながら、私は咲菜の次の言葉を待ち受けた。
どんどん眉間にシワを寄せていく咲菜の横顔をちらちらと盗み見る。
「…それってさ、辛くないの?相手からは、絶対に好きになることはないし、好きにもなるなって言われてるんだよね。すっごい自分勝手な男だよ?そんな男のどこがいいのよ…。」
「…でも、残酷な提案をしたのは私自身で、彼じゃないわ。自分で自分の首を絞めたようなものなの。」
「例え言い出しっぺがあなたでも、誠意や誠実さがあって、あなたを大切に想うなら感謝しつつ丁重に断るはずよ。私、友達がね、心や権利を無視をされて自分勝手な男に振り回されて辛い想いばかりさせられるなんて考えると、すんごい腹立つし、不愉快だわ。」
「咲菜ちゃん…。」
そっぽ向きながら、酷く悩まし気な顔で発した言葉は、とても温かいものだった。
そして、私が見て見ぬふりをしていた涼への疑問符を、サックリと切り捨てられて私はようやく、もやもやの正体に気づくことができた。
それでも、悲しいかな恋心を捨て去ることができないことも気づいてしまったのだけれど。
「ねえ、今からでもやめられないの?」
真っ直ぐ見つめてくる咲菜に、私は頭を振って否定した。
「もう上司にも報告を済ませてしまっているから」
「そんなこと言ったら結婚までしなくちゃいけないじゃない!」
パシン―と床を手で叩いて、咲菜は憤りをぶつけた。
その剣幕に、私は契約の一部である『結婚した場合、涼と由希子の関係は継続で、私は自由にどうぞ』だということを言えなくなった。
そこまで言ってしまったら、咲菜がいよいよ怒りの頂点に達することは目に見えていた。
「大丈夫だよ。切りの良いところで解消しようって話しだから。」
「何それ!どの道気に入らないわ!!良いように利用しているだけじゃない!!」
いかに、山本涼という男が自己中で不誠実であるかを説いたあと、私への説教を延々とつづける友人の真剣な瞳におされ、私はうんうんとひたすら聞き役に徹していた。
「いつか好きになってくれるかもしれないなんて思って、時間を無駄にしてきた女性を散々見てきた。自分を大事に想うならやめなさい。諦めることが次の幸せに繋がることだってあるんだ」ということを咲菜は話していた。
一方で私は不謹慎にも、怒る友人に安心感を覚えていた。
私にはこれほど大事に想ってくれる人がいる――それが涼からの冷たい態度で負った小さな傷を癒してくれたのだ。
女性として大切に想ってもらえる日が来ないとしても。
友人として大切に想ってくれていたなら、私の提案だって呑みはしなかったはずだ。
そんな言葉が、新しい傷を作ったとしても。
けれど結局はこのように動き出したのだ。結果も未来も今は分からない。
進むしかないのだ。彼を想って先走った提案だとしても、少なくとも私は彼への気持ちのために起きた衝動だった。そして、彼への想いも健在なのだ。
その日、私たちは動画を撮り終えると、終電を逃してしまったため、次の日は休日だということを良い事にに咲菜の家に泊まることになった。
布団に横になりなりながら、咲菜が家族にはこの事を言ったのかと問われ、言っていないことと、咲菜以外の人間には絶対秘密であることを告げた。
すると咲菜は、小さく溜息を吐いて言った。
「何があっても友達だと私は自負してる。…そんなに頑固になるほど好きなら、行けるところまで行ってみればいい。でも、私の気持ちは変わらない。茜はもっと大切にされて、愛されるべきだと思ってるから。山本君の態度が目に余ったり、茜の様子があまりにも…だったら、絶対に引きはがすからね。憎まれても良いもん。」
――憎まれてもいいもん。
その言葉がやけに耳につく。
「ありがとう。咲菜ちゃん。」
学生時代、あまりこれといって信頼できる友人に恵まれなかった私が、社会人になってからこれほど信頼できて心から大好きだと思える友人に出逢えたのは、人生において奇跡ともいえるほどの喜びではないだろうか。
学生時代にできた友人だけが、長く続いて行くもので、社会人になって出会った友人とは学生時代組に比べて浅い付き合いになるのだと誰かが言っていたが、私はそんなことはないと想っているし、願っている。
「私、…咲菜ちゃんと出会えて、本当に嬉しい。」
――憎まれてもいいもん。
そう言って、涼と由希子の仲を壊せたらどれほどいいだろう。
そんなイメージを抱いて、同時に涼から痛いほど憎まれたら、と頭を過る。
ふと着信メールに気づいて、スマホに目を向ける。
表示されていたのは涼の名前だった。
『明日、会えないか。』
短い文面。でもいつも通り。
「いいけど、何の用?」
すぐに返事が来る。これはいつも通りじゃない。
『由希子が会いたいって言うんだ。お礼がしたいんだって。』
どきりと心臓が跳ねた後、痛いほどに動悸した。
できれば会いたくない。このままずっと。涼が人生を投げ打って、好きでもない人と婚約するふりをするまでに愛している人に、どうして会いたいものか。
「そんな必要ないよ。」
『自分のせいでお前が犠牲になってるって気に病んでるだ。会ってやってほしい。頼む。』
しばらく逡巡した後、私は返信した。
「分かった。」
『ありがとう。場所は…』
つらつらと場所と時刻、そしてどれほど由希子は私に対して申し訳なく想っているのか書き連なっていた。
その文章には好きだとか愛してるなんて書かれていないのに、その想いが溢れているようだった。
場所も時刻もどうでもいいほどに、頭が真っ白になる。
「茜、どうかした?」
「ううん。なんでもない。」
そう?と疑問を残して、咲菜は「ならまあいいけど」と、眠りに就いた。
私は、さっきまでの穏やかな気持ちが嘘のように解けて消え、どう抗っても眠りには就けそうになかった。
隣で咲菜の寝息を聞きながら、私は来る明日へ不安と恐怖に苛まれていた。