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ウソとホントは紙一重  作者: 有本月子
2/5

ウソの婚約

そうと決まれば、話しは早くに展開していった。

これはほんの一時的な婚約で、ある程度の時期が来たら解消するということと、最悪結婚まで行かざるを得なくても自分は由希子との逢瀬を続け、私に対しても自由にしてくれて良いと涼は言った。

自由とは、詰まる所、他の男性との恋を楽しんでくれて良いということだ。

私は、頷くことはできなかった。

それには二つの理由があった。


一つは、世間一般的に、婚約者あるいは既婚者である人物がパートナー以外の人と逢瀬やそれ以上の関係に至るのは不義密通であり、男性よりも女性のほうがより重い罪という認識が強いことから、愛のない結婚をしたうえに自分の人としての常識や良識を疑われるような行為はしたくないから。


そしてもう一つは、私が、涼を好きで、他の男性のことを好きになる想像すらできないからだ。


そのような情勢の中、他の男性と浮名を流すような醜聞は、女性として人として避けたい。

いずれ来る婚約解消というレッテルだけでも、十分に大きな代償なのだ。

それを分かっていても、私は「やっぱりやめよう」とは言えなかった。

彼のことを、守れるなら良いと思ったのだ。


彼はもう一つ、私に約束を求めた。


「俺は、お前に恋愛感情を抱くことはない。だからこの先、俺に対してそういったものを求められても困るし、お前が苦しむだけだ。だから、約束して。俺に対して恋愛感情は抱かないと。」


私は、小さく笑ってみせて「大丈夫だよ。」と言った。

「これから先、涼のことを友達だと思って見続ければいいんでしょう?」


「できれば。」


「それじゃ、私のほうからも約束してほしいことがあるの。」


「ああ、何?」


「アニメは一緒に見よう。」


「それだけ?」


私がうん、と頷くと、涼は変な顔をしてから噴出した。

私は涼を見ながら、ニヤッとしてみせると、涼も笑った。

ふたりで笑い転げたあと、私が小指を差し出すと、涼も小指を絡ませる。


そうして私たちは、互いの約束を交わして婚約者を名乗る関係になった。

ある程度の設定を考えて、親兄弟を騙すための演技の練習を重ねた後、私たちは互いの両親に挨拶をして回った。

涼の両親は、最初は目を丸くして私を値踏みするように見つめてきたけれど、次第に柔和な笑みを覗かせて歓迎してくれた。

「あの冷たくて気難しい上にオタクな涼に、こんなお嬢さんがそばにいてくれたら安心ね。」

一見冷たそうな顔つきも、笑うとどこまでも柔和になるのも母親譲りのようだった。

涼のお母さんは、白髪交じりの髪を上品にまとめ上げ、ほっそりとした体形のどこまでも上品そうな女性だった。

そしてお父さんは、穏やかな笑みを浮かべて、涼の肩を叩いた。

「女の見る目に関して、心配していたんだ。だが、見る目はあるようだな。」

そう言って、笑いながらお母さんの肩を抱き、私たちを優しい目で見つめた。


「茜さん、この子は本当に気難しくて冷たいように見えるけど、優しい子なの。どうか、見捨てないで支えてあげてね。」


ちくり、と胸に刺さるのは良心の呵責だ。

こんなに素敵で心優しいご両親のことを、裏切っているのだと。

けれど、もう引くに引けない。

せめて、本心を告げたなら、この呵責の念も晴れるだろうか。


「お母様、お父様。私は見てのとおり平凡で、なんの取り柄もありません。けれど、そんな私を涼さんは支えてくれています。そんな大切な人を私も心から支えたいと思っています。至らないことが多いことと思いますが、一歩ずつ彼のお役に立てるように頑張りたいと思います。どうぞこれからも、よろしくお願い申し上げます。」


そう言って、深々と頭を下げると、隣に座っていた涼も一緒に頭を下げた。

頭を上げると、ご両親が柔和な笑みで顔を見合わせていた。

これが「本当」だったら、どれほど幸せだろう。

そんな気持ちを微塵も出さず、私はただ幸せそうに微笑んだ。

これから、好きな人と一緒に生きていく準備をする花嫁の気持ちを作り出すのは簡単だった。

相手が、涼だから。


一方で、私の両親はというと、それはもう祭りのようにはしゃいで喜んだ。

今まで彼氏の一人も連れてこなかった末娘が、突然男前な婚約者を連れてきたのだ。それはもう、クリスマスと正月と夏休みと遠足が同時にやってきた小学生のように騒ぎ立てた。

「うちの干物がついに!」

「やったな!!母さん!!」

「お父さん!!」

ついにはひしと抱きしめあって、泣いて喜び出した。

ああ、心配させていたんだなとつくづく思ったが、再度降りかかった良心の呵責に私は息を止めて耐えた。

姉とは時間の都合がつかず、電話で婚約したことを告げると、両親とはうってかわって心配している様子だった。

「どんな人なの?今まで、付き合ってたのに内緒にしてるなんて、水臭いじゃない!え、その人、茜のことを心から愛してくれてるのよね?」


「…うん、そうだと想うよ。」


「なによ、その煮え切らない返事は。心配だわ。今度、会わせて頂戴ね。」


後ろから子供の泣き声が聞こえてきた。これは好機と、電話を早々に切り上げる。

大事な人達を騙すことが、これほど辛いことだとは思わなかった。

そうして、家族同士でも顔合わせの段階まで踏み、私たちは満を持して婚約者カップルになったのだ。


愛のない、婚約者という契約者同士に。


そうして私は、彼と一緒に上司に挨拶とお詫びを兼ねた面談に赴いた。

最初は、目を見開き、「君は何者?」と戸惑いを隠せない上司も、事態を飲み込むとやっと私が彼にとって「結婚したいと思っていた女性で婚約者になった人」という認識を持ったようだった。

いかせん、納得はしていなようだったが。


「それで、君はプロポーズをして、彼女から了承してもらえたと。ということは、鷺山常務のところの嫁とは…」


「はい、先日申しましたとおり、誤解です。私にとって、女性として愛しているのは中原茜、彼女だけです。」


「ほッ、ほほぅ」


上司は私をちらっと見ると、咳払いを一つ零し目を泳がせた。

益々戸惑いが増したようだったが、私のほうは事前にシミュレーションを重ね、練習をしていたお陰で顔色一つ変わらず、幸せそうに微笑み続けた。

時折、頬を紅くさせ照れているフリすらやってのけたのである。中々の女優っぷりに、隠された才能を見た気がする。


「ま、まあ鷺山常務ところの嫁も『相談に乗っていただけ』と言っていたそうだ。今回のことは、ただの誤解で流すことにするがね、また同じようなことがあったら、自分の婚約者に対しても不誠実で軽率な行動になるわけだからね、二度目はないようにしてくれよ。既婚女性と二人で会うなんてことは、誰だって不愉快だろう。今回の件で、鷺山の倅がどれほど心を痛めたか!」


「はい。お騒がせ、ご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。」


最後、部屋を後にしようとした私に上司が、「これ本当の話し?」と囁いた。

だから、私は「お気持ちは察しております。でもウソのようなホントの話しですよ。」と同じように囁いて返した。

件の流儀に則って、私たちの婚約が会社中に知れ渡ったのは、部屋を後にした数秒後だった。

女性社員の憎しみを込めた痛い視線と、下卑た好奇心に顔を歪ませた男性社員の視線が突き刺さるようだ。

その中で、平然としているのは主役であるはずの涼だ。

「それじゃ、また後で」


そう一言残すと、クールな表情のまま自分の部署に戻って行った。

私はその颯爽とした背中を目で追いかけた。


怒涛の展開が続く中で、自分の身にふりかかっている火の粉も変化も、考えている余裕がなかった。

彼は、変わらず優しさを向けてくれてはいたが、友達だったころよりも幾分冷たさが勝るようになった。

それは多分、私が変に勘違いして、愛情を求めることのないように。という事と、由希子への忠誠だろう。

契約を交わした時に、由希子にもこの関係がなんたるかを伝えると言っていた。

もう既に彼女も知っていることだろう。

私たちの婚約が、なんたるかを。

私は、当初の目的通り、彼の心が以前のように――前向きで力強く、好きな事で目が爛々と輝くような――無邪気で子供のような笑顔を取り戻せるのだろうか。

好きになってほしいなんて高望みはしない。

ふと、それは私ではなく、由希子だけができることなのではないかと、そう思ったら悲しくなった。

少なくとも、彼の…彼らの恋路は不倫関係であることに間違いはない。

もし、由希子のいうことが本当であるなら気の毒な話しではあるのだが、だからといって未婚男性である涼を愛しているからと縛っている状況は、私にとっては切り裂いてしまいたいほどに腹が立ってもいた。

彼からは憎まれるだろう。彼にとって幸せだと言うのなら、私の考えは迷惑でしかないだろう。

でも、彼は不倫で身を落としたり、気持ちはどうであれ二番手に甘んじるべき男性ではない。

一人の男性として、幸せになるべきだ。姉のように。


その時、隣にいるのが私じゃなくても。

愛し愛されて、幸せになりたいじゃない。…誰だって。


彼の心には彼女の存在が必要不可欠だ。

私と婚約し、解雇を免れたとしても、その関係を破棄することはないだろうと予想はしていた。

だが、こうもはっきりと隠れ蓑役でしかないと付きつけられるとは、思っていなかった。

後悔しても、遅い。


けれど、夢を見ることは…悪い事だろうか。


今は、彼女しかいない心に、ほんの少し私が入り込める日が来ないかと。


夢を見てしまいそうになる。







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