にほんふかしばなし 第1巻
年末の寒い夜になると昔、祖父に聴いた話を思い出す。
祖父は瀬戸内海の海沿いの小さな港町の出身だった。
昭和30年代当時、人口は2千人程度と寒村というには人はそこそこいたそうだ。
終戦から時間もたち田舎故にそもそも被害が少なく、経済復興に伴い
増えていく人口とそれを支えるための食料としての漁業と関連した地場産業が
あったんだそうだ。
祖父の同級生に大人しい少年がいた。この話はその子の家庭の話だった。
祖父が小学4年生の頃の話だ。
学校にいるときはいつもひとりで読書ばかりしているその同級生がかわいそうに
なり声をかけてみた。その後少し仲良くなり学校帰りにその子のうちに遊びに行く
ことになった。
当時は今のようにゲームはなく、漫画もテレビよりも外で遊ぶしかない時代だった。
家で遊ぶと言うのはペットでもいるのかと思ったそうだ。
家にいたのは二歳年下の彼の弟と三歳になるまだ小さい末っ子だった。
そして何をして遊ぶのか不思議に思っていると彼とその次男は末っ子をかまい始めた。
ただその姿はペットを可愛がるというものではなく、ヌイグルミのような扱いだった。
嫌がって泣き叫ぶ末っ子を兄弟二人して布団で押さえ込んで喜んだり
手足を持って振り回して壁にぶつけて喜んだりしていた。
慌てて祖父は止めに入ったが一緒に遊ぼうと楽しげに笑う同級生を見て怖くなって
逃げ帰ったそうだ。
それから祖父はその同級生には近づかないようにしたそうだ。
数ヶ月後の寒くなった年末。事件が起きた。
虐められていた末っ子が行方不明になった。
同級生の家は他の家から離れた処に立つ一軒家で、周囲には神社があるだけで
後は海と山だけだった。
警察や地元の消防団で山も海も捜索されたが終ぞその子が見つかることは
なかったそうだ。
事件からひと月が過ぎた頃、港町から駅に向かう旧道の峠近くの崖の下で
その子の靴が見つかった。
駅までは峠を3つ超えて20kmの距離があったが三歳の子供にその遠さはわかりは
しなかっただろう。
ただ怖い兄たちから逃げたくて一心に道を歩き続けていただけなのだろう。
その旧道は峠が多いので自動車が普及し始めたその頃には使う人も少なかった。
結果、誰にも出会うことなく峠まで辿りつき街灯もない田舎故に足を滑らせて
落下したのだろうと警察は結論つけた。
あとでわかったことだがその同級生はお腹が空くとその子を数キロ先の店まで
よくお使いに走らせていたらしい。またその子は兄たちから逃げるため、
パートに出ている母親が帰ってくる夜遅くまで家の近くの神社や山の中に
隠れてたりしていたらしい。
当時は今のようなちゃんとした防寒着などある時代ではなく、
兄のお下がりの目の荒い母親が編んだセーターだけ着ていたようで体は冷え切って
いたことだろう。母親は兄達を叱りはしていたがその場で怒らないと子供は
納得しなかったようで止めなかった。逆に夜遅くまで家から出ている末っ子にも
平等に怒ったので、その末っ子は逃げ場をなくし遠くに逃げようと偶に連れて行って
くれる楽しい都市部へと無意識に向かったのかも知れない。
その後、しばらくしてその子の母親は同級生と次男を連れて町を出て行ったそうだ。
父親とは離婚してのことだったらしい。父親は今でいう精神薄弱児だったようで、
その当時だからこそやっていけたような男だった。意思が弱く、
ひとりでは何も決められず、仕事にはついていたが周囲から
上手いこと公私ともに使われては奥さんに泣きついているような男だった。
そしてその港町からは不安で出ていけないような男だったらしい。
そして業を煮やしての離婚となったらしい。
まあ、その父親もしばらくは実家に転がり込んでいたが、狭い町の中のこと、
風評を気にした勤め先から解雇された結果、街を出て行ったらしい。
そうして当事者が誰もいなくなり、事件のこともその子のことも
直ぐに忘れさられてしまった。
目まぐるしい時代だったからだろう。
ここまで祖父の話を聞いてはいたが所詮他人の不幸、遠く離れた場所と時代。
なんでこんな話をしてるのだろうと思っていたところ、おまけが付いていた。
その子がいなくなった次の冬。
たまたまその峠を夜に自転車で通った女性が泣きながら歩く小さな子供を
見かけたらしい。
夜こんなところになんでこんな小さな子供がいるんだろうと心配になり近づくと
ふっと消えたそうだ。
道の横は崖である。その子が下に落ちたのかと思い、駆け寄ったが街灯もなく
明かりは自転車のライトだけ。しかも昔の自転車は発電式なので止まると消える。
崖の下は暗くて見えない。
携帯電話などもない昔、その女性は急いで峠を降り、近くの民家に駆け込み警察に
連絡した。直ぐに警察と救急車が駆けつけて周囲を探したが、結局何も見つからず、
その女性の見間違いということになった。
その後、こんな噂がされるようになった。
その場所は前冬、行方不明の子供の靴が発見された崖であり、同じ年頃の男の子で
あること。その子の母親ぐらいの年齢の女性がひとりでいるときだけ現れること。
悪さをするでもなく、ただ泣いていて近づくと隠れるように消えてしまうこと。
当然、そんな噂が立つと今も昔も面白がって訪れる者が出る。
だが、見たというデマはあっても本当らしい話は無かった。
大概そういう話に出てくるのは小学生の男の子なっていたからだ。
大人の男は怖い、兄たちのような子供はもっと怖い。
結局助けてくれなかった母親も怖い。
だから優しそうな母親には寄っては来るが、やはり怖くて逃げてしまう。
ただそれだけの小さな怪異だった。
「その子は今でも……?」
「もう50年以上の前の話しじゃからのお、母親の影を追っても
逃げてしまうような小さな子供で気の弱い霊じゃったからのう。
もう冬の冷たい風に削られて消えてしまったじゃろう」
「なんで今更そんな話し教えてくれたの?」
「この前、その同級生に偶然会ってのお、ちょっと飲んだ。
あやつは今は孫に囲まれて幸せにやっているとぬかしおった。
腹が立って弟の話しを聞いたら、同じように幸せにやっている
と言いおった。いなくなった末っ子の話しじゃと言ってやったら
不機嫌な顔になっての。
『あの屑のおかげで両親が離婚して苦労した。
まあ、母さんは死ぬまで一度も口に出さなかったのが幸いだったな』
と言いおったんで、店をでたわい。
まあ、祟るでも夢枕に立つでもないし、遠く離れた処に居る赤の他人で
あろうとも、たとえもう消え去っていようとも知って同情してくれるものが
いるなら嬉しいだろうよ」
そう言って酒を飲みながら祖父は泣きながら笑った。