第七話
レストアが放った斬撃は瘴気を斬り刻み浄化する。
その様子を見て怯んだ瘴気たちに、容赦なく《四属性剣》を叩きつけ、これも浄化し消滅させる。
浄化魔法の発動まで、残り一分半。
徐々に神殿の魔力が高まっているのに気がついているのだろう、瘴気たちの動きには焦りが見て取れ、浮足立っているのがわかった。
レストアはこれを好機と攻め込み、瘴気の頭数をどんどん減らしていく。
しかし、彼は違和感を覚えていた。
瘴気を浄化するたびに、他の瘴気がもつ力が高まっている気がするのだ。
レストアはあえて深く考えることはせず、ただ目の前の瘴気を消すことに専念する。しかし――
「ちっ……!」
〈月詠の霊器〉の一撃は、瘴気を完全に浄化するには至らなかった。舌打ちしたのは、悪い予感が当たったせいだ。
焦ることなく二撃目の斬撃を食らわせ消滅させたが、レストアは一手遅れてしまう。
続く瘴気の攻撃をギリギリで躱し、《四属性剣》と〈月詠の霊器〉の攻撃で斬り捨てるが、これも二撃必要だった。
そこから状況は加速度的に悪くなっていく。
完全浄化まで必要な攻撃回数はどんどん増え、レストアの手数が増えてしまう。その分、フリーになる瘴気は多くなり、彼に生じた隙を虎視眈々と狙ってくる。
結果、レストアはどんどん苦しい状況に追い込まれていった。
そうして、神殿の浄化魔法の発動まで30秒を切ったところで、それは起こってしまった。
厳しくなる戦局にレストアの視野は狭まっていく。やがて彼の注意が完全に瘴気だけに絞られ、エリスの状況が把握できなくなったときである。
「あっ……」
わずかにこぼれた声を聞きレストアが彼女の方へと視線を向けると、そこにはエリスを狙う瘴気の棘が三本。
「くっ……!」
床を全力で蹴り飛ばし、エリスのもとへと向かう。
その勢いのままエリスを後方へと突き飛ばし、彼女と瘴気との間に割り込む。
「あうっ!」
突き飛ばされた衝撃でエリスが声を上げるが、気にしている余裕はない。
目の前にまで迫った瘴気の棘は、もはや〈月詠の霊器〉でも《四属性剣》でも防ぐことはできない。
レストアは魔装に自分が制御できる限界の魔力を込める。また右眼の力の一つである未来視を使い、瘴気に貫かれるであろう部位に纏った聖気を〈月詠の霊器〉の能力で集中させる。
そして、瘴気の棘がレストアを貫く――
「ぐああああああああああああああっ!!」
神殿にレストアの絶叫が木霊した。
「兄さん、入っていい?」
エスパーダ家、レストアの部屋。そこを訪ねてきたのは妹のルティアだ。
訪ねてきた理由は大したことはなく、なんとなく風呂上がりに兄と雑談がしたかったからだ。
親しき仲にも礼儀あり。彼女はノックと入室の許可を求めるが、しかし中からは何の返答もない。
「兄さん? 入るよ?」
普段のレストアなら自室にいる時間。にも関わらず、返答が無い。
不審に思ったルティアは、レストアの部屋に入ることにした。
ドアを開け中の様子を確認してみると、そこには誰もいなかった。
「……?」
しかし、ルティアは何者かの魔力を感じた。
すでに姿は無いが、その残留魔力からはっきりとわかる。
何者かがここにいた――兄でもセリファでもない、何者かが。
レストアが何者かに襲われた可能性が真っ先に頭をよぎるが、すぐにその可能性を排除する。
部屋には、争った際にできるであろう乱れが無かったからだ。
わからないことは考えても仕方がないとすぐに諦め、手っ取り早く兄の現状を知れる方法を使うことにするルティア。
部屋着のポケットから通信結晶を取り出し、兄との通信を試みた。
「あ……ぐ……!」
瘴気の棘に貫かれたレストアは即座に左眼の力で《亜空結界》を発動し、瘴気から自分とエリスを隔離した。
「聖光治癒!」
すぐさまエリスが浄化魔法を使う。レストアを貫いていた棘は浄化され、彼を蝕もうとする瘴気の痣もきれいに消え去る。
しかし、レストアの変化は劇的だった――もちろん、悪い意味で。
「ぐ……あ……」
彼の魔力は荒ぶり、禍々しさを伴って放出されている。
それは、彼の抑えきれない破壊衝動の表れであった。
先程の一撃でレストアの体内に瘴気を打ち込まれ、彼の持つ負の力を活性化させられたのだ。
「レストアさ……」
思わず駆け寄ろうとしたエリスをレストアは止める。
「来るな……エリス……」
言葉とともに放たれた殺気に気圧され、エリスは思わず足を止める。
レストアはどうにか理性を保っている状況だ。
そんなときに下手な刺激を与えられれば理性は瓦解し、一瞬で破壊衝動に呑まれるだろう。
結果、衝動的に彼女を殺してしまいかねない。
彼はそれを危惧し、エリスを止めたのだ。
しかしエリスは、再びレストアのもとへ足を進めた。
「く……るな……!」
再び止めるレストア。エリスに近づかれたことで彼は破壊衝動に呑まれつつあり、右手に龍の爪を顕現させた。
さらに激しく荒れ狂う魔力の奔流。
それに怯まず、彼女はレストアに歩み寄る。
エリスが手を伸ばせば届く距離まで近づいたそのとき、ついにレストアの理性が崩壊したか、彼女に龍爪を振り抜く。
「っ……!」
エリスの左肩から入り、右脇腹へ抜ける龍爪。
しかし、エリスは無傷だった。
龍爪は時空を超えて切り裂く。
どうやら、かろうじて残っていたレストアの理性が、彼女を傷つけぬよう龍爪の一撃を制御したようだ。
とはいえ、死の恐怖にさらされたエリスが平然としていられるわけもなく、彼女は足をもつれさせてレストアに向かって倒れ込んでしまった。
「ッ!?」
彼女はレストアに抱きつく形になり、彼の身体がビクリと震える。
とっさに右腕が動き、彼女を今度こそ引き裂こうとする。
だが、その寸前で龍爪が消失する。
ふわりとレストアの鼻孔をくすぐったのは、女性特有の甘い香り。
そして不可抗力的に押し付けられた、エリスの華奢で柔らかな身体。
その二つが嫌でもエリスのことを女性として認識させ、レストアの男としての本能に訴えかける。
その結果破壊衝動が一瞬弱まり、彼の理性を取り戻させた。
「エリ……ス」
「……やっぱり。レストアさんは、私を傷つけられないと思っていました」
エリスが見透かしていたようなことを言い、レストアは驚く。
「なんで、そう思った?」
「だって、私のことを守るって言ってくれたじゃないですか。だから、信じていました」
レストアが彼女を宥めるために発した、彼にとっては何でもないような言葉。
ただそれだけで、彼女はレストアを信じていたようだ。
(強いな……)
レストアはそう思わずにはいられなかった。
冷静になって今のエリスの状態を見てみると、足はガクガク震えているし、押し付けられた彼女の胸からは激しい鼓動が伝わってくる。
レストアを信じていたとは言ったが、殺されるかもしれないという考えが頭をよぎらなかったわけではないのだ。
それでも彼を信じ、己の恐怖をねじ伏せた。
だからレストアは、エリスは強いと思ったのだ。
「ありがとう、エリス。おかげで少し落ち着いた」
「なら、良かったです」
そう言って、彼女はぎゅっと強く抱きついてくる。
だが、無理な態勢だったせいで互いにバランスを崩してしまう。
「あっ」
「おわっ!」
レストアが下敷きになり、エリスがその上にかぶさる形。
先程よりも密着度が増し、エリスの女性としての特徴をより一層強く感じてしまいドキリとする。
瘴気の一撃で精神が不安定だったこともあり、先程とは別の意味で理性が壊れかけたとき、キィィィン、キィィィンッ、っと甲高い音が鳴り響く。
それはレストアのズボンの左ポケット中からだった。
「ん? 通信結晶?」
ポケットの中にあったのは通信結晶。どうやら、誰かからの着信を知らせているようだ。
「もしもし?」
『あ、リア?』
通信の相手はルティア。彼女のどこか安堵した声が響く。
しかし、次の言葉は心配そうな声音だった。
『……リア、大丈夫?』
レストアは苦笑した。たった一言、それだけで自分の今の状況を読まれたからだ。
「そんなにわかりやすいかね……?」
『うぅん。むしろわかりにくくて困るくらい』
「じゃあ何でわかったんだ?」
『このくらいできないと、リアのメンタルケアはできないから』
「……そいつはどうも」
どうやら、妹には相当迷惑をかけていたらしい。レストアは心の中で深く感謝する。
『それで、そこまで弱ってるのはなんで?』
ルティアが核心に迫る。
レストアは隠さずにすべて答えた。
「――っていう状況なんだ」
ルティアは思案しているのか、しばらく黙っていた。
やがて口を開く。
『つまり今のリアだと、私たちのアレが使えない……』
「ああ、そうだ。片方は瘴気に呑まれるだろうし、もう片方は人間としての俺の人格が消えかねない」
『リスクが大きすぎるね』
「だから、手が欲しかったんだが……」
『そのまま結界に籠もって、っていうのは?』
「奴らがもう神殿の術式に干渉し始めてる。これじゃあ厳しい」
レストアにもその考えはあった。
しかし、結界内から外へ魔力を流そうとすれば、そこに綻びが生じる。そこから瘴気が入って来ることも考えられたため、その案は却下になったのだ。
『私がそっちに行くのは?』
「お前を転移魔法で連れてくる案もあったが、エリスによるとこの先の件に関しては部外者がいてはならないと」
『その理由は?』
「どうやら、今神殿にいる人間にパスが繋がっているらしい。そこに部外者が入ると、パスが乱れて取り返しがつかないことになりかねないらしい」
エリスによれば、本来なら数人程度なら許容範囲だったらしいが、瘴気という圧倒的なイレギュラーが混じったせいでパスが非常に不安定になっているとのこと。
それがルティアを連れてこられない理由だった。
『……そこに私がいなくても、リアの力になれればいいんだね?』
「そうだが……何か方法があるのか?」
正直、そんなに都合のいいことがあるとは思っていないが、聞くだけ聞くことにするレストア。
『私の剣を――私たちの剣を、一時的にリアに貸す』
ルティアの言う私たちの剣というのは、彼女が現在使用している剣のことだ。
自分を扱うに相応しいと認めた相手にしか抜くことのできない剣。
レストアには不可能としか思えなかった。
「……そんなことができるのか?」
『リアには信念――心の剣がある。きっとこの子も認めてくれるよ』
「そんなことでか?」
『さらに言えば、私の信念は、いつどんなときもリアと共にあること。今私がリアのそばにいない以上、この子が私の代わりだから』
「…………」
『リアの信念を認めれば抜けるし、認められなくても私の信念ゆえにリアにも抜ける。だから、大丈夫。そこにいなくても、私はリアのそばにいるから』
「ああ。俺も覚悟が決まったよ」
いずれにせよ、今の状況を打開するには何か変化が必要なのだ。
ならば、ここは覚悟を決めるべきである。
『この子の座標はわかる? 今、リアの部屋にいるけど』
「大丈夫、見えてる。……来てくれ」
左手を虚空にかざし、左眼の力を使う。直後、その手には鞘に入ったルティアの愛剣が。
(頼む、応えてくれ……)
レストアはそう懇願しながら剣の鞘を右手で持つ。
そして覚悟を決め、一気に引き抜いた。
「あっ……」
あまりにあっさりと抜けてしまい、少し間の抜けた声を上げてしまうレストア。
その様子が伝わったのか、通信結晶からはクスクスという笑い声が漏れる。
『これなら、大丈夫そうかな』
「意外と、な。ははっ」
思わずレストアも笑みを浮かべてしまう。
『じゃあ、後は頑張ってね、リア』
「ああ。無事に帰るよ」
『うん、その心意気だよ。帰ってきたら、キツイお説教をしてあげるから』
「ああ、わかっ……て、え? 今なんて言った?」
『そろそろ切るね、バイバイ』
「ちょっ……待てオイ! ……くそ、切りやがった」
最後にとんでもない爆弾を投下した妹は、逃げるように通信を切ってしまった。
レストアがしばらく絶句していると、隣からふふっ、という優しげな笑い声が響く。
隣に顔を向けると、そこには聖母のような笑みを浮かべたエリスが。
「二人はとても仲が良いのですね」
「……まあな」
エリスの言葉に、レストアは苦笑しながら返す。
だが、二人とも次の瞬間には真剣な表情になる。
「さて、そろそろ神殿の術式が危険だし、戻らねぇと」
「そうですね」
「覚悟は?」
「できています」
「なら、今行く」
「はい」
相手の準備を確認すると、レストアは《亜空結界》を解く。
二人の姿は、再び神殿に戻ってきた。
二人の姿を確認し、瘴気の一部が二人を警戒する。
レストアは凄まじい魔力を放出しながら、剣の切っ先を瘴気へ向ける。
瘴気粛清戦の幕引きは、近い。