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第10話『決意の夜』

 "--ボクは ずっとキミを愛してる--"








      ◇ ◆ ◇








「…………っ、ぐ……」


 首に鈍い痛みが走る。妙な体勢で眠ってしまった罰か、全身が鉛のように重い。

 暖かな光が頭上から感じられ、薄暗い洞窟の天井が視界を覆っている。


「あ、やっと起きた。二人して土砂降りの中で寝るって、どういう根性してんのよ」


 聞き慣れた声。拭かれてはいるらしいが、未だ湿り気の残る体を持ち上げ、声の主の方向を見る。


「……メイリー」


「そ、わたしよ。ここにいると思った……っていうか、ここしかないのよね。冷静に考えると」


 苦笑してメイリアが焚き木の前から立ち上がり、洞窟の端に備えられたベッドの方を見る。そこにはスィーラが眠っており、垂れる白髪から覗く左眼の端は未だ赤く腫れていた。きっと、ジークも同じような状態になっているのだろう。まぶたの重い目元を拭い、立ち上がる。

 流石に下は乾かしきれなかったのか、存分に水を吸ったズボンが重い。布が肌に張り付いて多少の気持ち悪さがあるが、それは無視してスィーラの隣に立つ。

 小さく意味をなさない寝言を繰り返す少女は、もぞもぞと寝苦しそうに寝返りをうった。


 未だ湿り気の残っていたその白髪から水滴が滴り、それを手で拭ってやると小さな白い手がジークの手を掴む。起きてはいないのだろうが、彼女は無意識にジークの手をぎゅっと握りしめると、安心したように寝息を立てた。


「すごい懐かれてるのね。子供みたいに寝てる」


「……だな」


 ジークは薄く笑みを浮かべて、ジークの手を握るスィーラの小さな手を包み込む。心なしか彼女の頬が緩んだ気がして、彼の心も穏やかになっていく。

 けれど、その穏やかな寝顔の奥に眠っている悲しみを知っている。

 その真っ白な笑顔に隠されてしまった絶望の残滓を、知っている。


 知って、しまったのだ。


 胸に燻っていた人間への怒りは、既に打ち砕かれた。そんなもの、彼女は決して望まないのだろう。

 グチャグチャに掻き乱されたこの心に唯一残っているのは、その彼女への拭い切れない罪悪感のみ。


 もう、ここ(ヴァリアゾード)にはこれ以上居られない。


 ──俺は、人間を裏切った。全てを捨てて、彼女(スィーラ)を選んだ。


 頭を垂れ、両手に握り込むしなやかな指先を額に押し付ける。やはりジークの体は雨のせいでかなり冷えているのか、額に触れる指先が微かな暖かさを持っている。

 人間という心ない種族が彼女に押し付けてしまった、無情な拒絶。不条理な悲しみ。理不尽な暴言。その全ては絶対に、その人間の内の誰かが精算しなければならない。


 せめてちっぽけでも、彼女の努力が報われなければならない。でなければ、あんなドス黒い悲劇が起こっていい筈がないのだ。


 歯車がガタガタに歪み、何もかもが噛み合わず空廻るこの現状のなんと不快な事か。スィーラという一人の無垢な少女に突き刺さる世界の残酷性の、なんと惨たらしい事か。

 せめて、彼女をここから連れ出す。きっと人間(かれら)は、自分たちを追って兵を挙げるだろう。

 人間を裏切って魔族に手を貸した愚かな罪人と、街を壊滅に陥れたと一方的に決めつけた少女を追って。


 ふと、メイリアの視線に気付く。


 その紅の双眸が表す視線は、ベッドの横の簡易イスに腰掛けてスィーラを見下ろすジークの、その横顔を見つめていた。

 ――彼女を巻き込む訳にはいかない。


 彼女は、スィーラを排斥などしなかった。彼女は最後まで死徒ではなく、スィーラという一人の少女と友人であろうとした。

 彼女には、この先の長い人生を賭してまで償うべき罪など存在しない。

 この自分勝手な贖罪に、付き合わせる必要は──


「――ジーク」


「……なんだよ」


「私も付いてくからね」


「……っ」


 そんな浅はかな考えも、既に見通されていた。

 さも当然の事を言っているかのように、呆気らかんとジークに宣言する。そのスィーラとはまた違った健康的な色の右手に握り締められたボロボロの杖が、ギシリと音を立てて小さく軋んだ。


「……駄目だ。家はどうする、家族もいるだろ、これまで育ててもらった恩を全部捨てる気か」


「街から出る前に手紙は置いてきた。今頃、『また裏切り者が出た』とか騒いでるんじゃない?」


「なっ……!お前、何して……っ!」


 ジークが動揺し、思わずと言った風に声を荒げる。が、それを遮るようにメイリアが杖の柄を硬質の石床に叩きつけた。カァンッ!と、乾いたような大きな音が響き、驚いて喉に出かかっていた言葉が詰まる。

 その杖を持つ手はプルプルと震え、口元を歪めて僅かに歯を食いしばっている。よくよく注視してみれば、彼女がいつの間にか纏っていた朱と黄を交えた『魔法使い(ウィザード)』の証明たる法衣は、街の中央に設置された三天教の教会に飾られていた物だ。確か教会に居た宣教師は、『それがどんなものであれ、為すべき事のためへの覚悟を示した者に贈る』と言っていた。

 その覚悟の果てにここに立つメイリアの鮮やかな赤い目には、静かな怒りが宿っていたのだ。


「知らなかった?私、スィーラと友達になったの」


「……それは、知ってるけど」


「大事な友達が散々言われて、怒らない方がどうかしてるわ」


 その怒りは、ジークに対してのものではない。

 友達を泣かせた街の人々へと向けて。

 友達を絶望の底にへと突き落とした、憎むべき人々に向けて。


 ジークの歪な思考から生まれたような『復讐心(ソレ)』とは違う、一人の人間として『友達を悲しませた最低な人々』への純真な怒り。


 メイリアはその怒りを胸の奥へと追いやり、平常心を取り戻す。仕切り直すように咳払いしてジークを真正面から見据えて、改めて問いを投げる。

 その姿には何時ものような気楽なオーラは一切在らず、この瞳には、たった一人の友人の為に心を決めた一人の強い人間の姿が映る。


「街を、出る気なんでしょ?スィーラと一緒に」


「……ああ。きっと、行く先々でも良い顔はされないだろうな」


 自嘲するように笑みを浮かべる。眠りの底に居るスィーラによって無意識に握られていた左手を、しっかりと握り返す。メイリアもまたベッドの反対側に回り、その真っ白で艶やかな髪を撫でた。

 穏やかな顔で幸せそうに眠りこけるスィーラを見つめて、しかし反対に暗い声音でメイリアはジークの予想を肯定する。


「でしょうね。でも、これ以上ここ(ヴァリアゾード)に居るよりはマシだわ」


 兎に角今は、誰もが彼女を苦しめるこの近辺にこれ以上、心を蝕まれて衰弱してしまっているスィーラを居させたくなかったのだ。

 それに、魔族の目的も未だ分からない。奴らは確実にスィーラを探していた。ジークの脳裏には、あの時の黄金の魔公が言っていた言葉がしっかりと焼き付けられている。


 "──あやつの予言通りという訳か……ハッ、踊らされているというのも不快だが、仕方あるまい。あの死徒は何処にいる?──"


 "──上の命令でな、あの娘にはこの街に居って貰わねば困るのだよ。──"


 予言。上の命令。この街に居て貰わなければ困る。


 三つのキーワード。予言通りという事は、この結末を奴らは既に知っていたという事。そして上の命令という事は、あの魔公が上下関係のある社会に属している――つまりは、魔王軍の一員である事を証明している。

 そして最後、『この街に居て貰わなければ困る』という発言。


 "──全く、上も悪趣味な事を考える──"


 もしアレが──あの残酷な光景が奴らの目的なのだとしたら。

 もしもあの地獄へ彼女を陥れる為に奴らが侵攻をしたのだというのなら。


 その意図は全く以って理解出来ない、その意図は全く以って把握出来ない。けれども、胸の内に次々と沸く無尽蔵な殺意だけは感じられた。


 しかし、今の自分の力では魔族全体と戦うなど到底不可能なのだ。

 実力が足りない。

 経験が足りない。

 魔力が足りない。

 才能も足りない。

 オマケに一部の人間だって敵に回した。


 だから、逃げる。彼女がこれ以上不幸の底へと貶められないように、その小さな手を引いて逃げ続ける。

 このちっぽけな人間にできるのはたったその程度の事で、それすらも無事に完遂出来るかなど怪しい。


 彼女(メイリア)が居るとはいえ、その事実は覆らない。何もかも足りない未熟者の自分と同じく、彼女もまたその腕は未熟だ。


 けれど、それで良い。

 完璧な人間でなくたって構わない。

 ただ、スィーラの崩れかけた心を支えてやれるのならば。


 今思えば、生まれてこの方誰かにここまで固執するというのは初めてだっただろうか。

 この胸の内に宿る形容し難い何かに名を与えるとすれば、何と呼べばいいのだろう。

 今、この心は、この魂は、その隅々、奥底から彼女の未来永劫の幸福を願っている。

 少なくとも自身の記憶には、この感情に当てはまる『名』はたった一つしか知らない。

 確信している。自身が抱くこの今の願いも、絶対に未来永劫変わる事はないのだろうと。


 きっとこの身は、彼女が救われるその遥かな刻まで。



「──愛してる、スィーラ」



 ──彼女と共に、生き続ける。












      ◇ ◇ ◇













「──……。」


 パチリと。

 先程から絶えず襲ってきていた眠気を押し返して、重い目蓋を開ける。


 横を向いて寝転がっていたこの目の前には、自身の手をしっかりと握ってベッドに上体を投げ出し、静かに眠る少年が居た。その湿った手はとても冷たくて、冷え切ってしまったらしいその唇は少し青紫色に染まっていた。その顔は少しやつれていて、それが自身が原因であると知っている故に、見ていると心が痛む。

 背後に目を向ける。そこにはあの街で会ったきりだった金髪の少女が居て、その体に纏う見た事もない黄金の法衣は、彼女にとても良く似合っていた。

 薄いピンクの髪飾りは少し湿気っていて、法衣の肩口に留められた裾の短いマントは上部が僅かに黒っぽく染まっている。その殆どは乾いているのだろうが、彼女の法衣もまたジーク程ではないが濡れていた。

 外の豪雨の中、泣き疲れて眠ってしまったジークと自分を運んで来てくれたのだろうから濡れているのは当たり前なのだが、やはりそれを見ると「ごめんなさい」と謝りたい気持ちも出てきてしまう。彼女はきっとそんな言葉を求めないだろうし、困ったように笑うだけだろう。


 二人には悪いとは思ったけれど、話は途中から聞いていた。


 きっと彼が知れば、恥ずかしがっていただろうから。

 未だスィーラの心の奥にはこれからずっと色褪せないだろう、深く、冷たい傷跡が残っている。

 けれど、その傷が広がっていく事は無く、少しずつ──ほんの少しずつではあるが、傷は暖かく包まれていく。

 人の事が好きだという気持ちは未だ変わらない。

 アレは決して、悪意から始まった事ではないのだ。


 その心情は分かっていた。

 その気持ちは理解していた。


 だから、それを責めるのはお門違いなのだ。


 けれどそれでもやっぱり悲しくて、とっても辛くて、泣きたくなって――。


        ──眠気が再び襲ってくる。目蓋が重くなっていき、体が重い。


 彼は、一緒に泣いてくれたのだ。

 私のために怒って、私のワガママを聞いてその怒りを鎮めて、恐怖に震えて、縋ってしまった私を抱きしめて、心から辛そうに泣いてくれた。

 その時に彼が言っていた『ごめん』の意味は分からなかったけれど、ジークは自分の為に泣いてくれたのだ。


 いつからか、スィーラはジークに依存を始めてしまっていた。

 けれど、それを悪い事とは思わない。


        ──こくり、こくりと眠りに落ちていく。意識が混濁していき、手足の感覚も遠い。


 昔の事は覚えていないけれど、私はどうにもワガママだったみたいで、今も好き勝手に周りを振り回している。


 きっと、彼はずっと一緒に居てくれる。


 そんな彼の優しさに甘えて、その優しさに縋って。


 こんな勝手な、自分勝手な気持ちでも、あなたに伝えられるのなら。


 この喉では満足に言葉も紡げないけれど──。





 ――だいすきだよ、じーく。





 ──そうして今度こそ、彼女は深い眠りに落ちた。





















 第1章『――彼女が人に何をした?』 END

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