天才弓兵と狂犬ウルフ
関東地方。
木々が生い茂る山奥に那須岳(※現在の栃木県)は位置している。
緑豊かな山の一部が開墾され、人里が顔をのぞかせる。
ー カツン!カツン!
平和そのものの山に何かが刺さる音が響いていた。
それは、弓矢が的に刺さる音であった。
「いい腕前だ、与一」
和服を着た老人が腕組みながら口を開いた。
与一と呼ばれたのは二十歳ほどの弓をもった女性だった。
「ありがとうございます、父上」
先ほど口を開いた和服の男はどうやら父親のようだ。
与一は誉めてもらったことに対してお礼を言った。
父親は与一の元へ近づき、なにやらアドバイスをし始めた。
「……チッ」
二人が仲が良いように話していると、後ろの放で弓を持った男が舌打ちをしていた。
男は近くにいた他の男達と陰口を言い始めた。
「妹の癖に生意気なやつだ…」
「女が弓術をならってどうするんだか…」
陰口を言う男達は与一の兄妹のようだ。
与一はそんな陰口をされているとは知らず、また弓矢の練習を始めた。
与一の兄達は嫉妬するように、その練習風景を眺めていた…。
ー 那須岳 ふもと ー
前回に伊勢三郎義盛を仲間に加え、三人になった牛若丸一行は現在那須岳の山中を進んでいた。
鞍馬山を出てから4ケ月の月日が流れていた。
静かな山中の中で甲高い男の声が響いている。
「キャハハハハ!」
どうやら義盛の人格が三郎に変わっているらしい。
三郎が刀を引き抜こうとした瞬間 ー
ガスッ!
慣れた手つきで、弁慶は薙鉈の刃のない方で小突いた。
「ゴフッ…、す…すみません。お手数かけます…」
小突かれたところを押さえながら、三郎から元にもどったであろう義盛が立ち上った。
もはや、暴走した三郎を弁慶が止めるのがお約束になっていた。
牛若丸と弁慶は心配する素振りどころか、半分ほど無視した感じに歩みをすすめる。
もう慣れているのだ。
結構、義盛は頻繁に三郎になり暴れる。
弁慶が小突くと、なぜかすぐ義盛にもどる。
コツでもあるのだろうか…。
「主様、この山の頂上に山里があるみたいですよ!そこで今日は休みにしましょう!」
弁慶は上機嫌に口を開く。
「そうだね。ひとまずそこを目指そうか」
牛若丸もその提案に頷く。
頂上を目指し一向は歩き続けた。
ー クゥン…
なにやら犬のような声がきこえる。
牛若丸は声のする方へ歩みを変えた。
草木を分け入り奥へすすんでいくと ー
目の前に足を挟み捕らえるタイプの罠に掴まった仔犬が写った。
いや、仔犬ではなくどうやら子狼のようだ。
「かわいそうに…捕まっちゃったのね」
弁慶が後ろから顔をのぞかせて口を開く。
狼は食用にはならない。
牛若丸はどうせ獲物にはならないのだからいいだろうと思い、子狼を逃がしてやることにした。
罠をはずしてみると、子狼は怪我をしている。
「主様、そろそろ頂上です。そこへ連れていき見てもらいましょう」
弁慶がつれていくことを提案すると、牛若丸もそれに賛成した。
昼間の3時ほどになった頃、牛若丸一向が頂上に辿り着いた。
「やっと着いた~」
弁慶が満足気に言うと、牛若丸も笑顔を作った。
後ろから義盛が横腹を押さえ歩いてくる。
どうやら、またしても三郎になったらしく弁慶に小突かれたようだ。
ー クゥン…
「大丈夫だよ、ガジ狼」
いつの間にか弁慶は子狼にガジ狼と名付けていた。
どうやら罠にガジッとやられた狼だからガジ狼らしい。
牛若丸が山里へ入ると、大きな宿屋が目に入った。
「ここにしようか」
牛若丸が言うと二人もそれに承認した。
牛若丸一行は宿屋に入り、宿泊の準備に取りかかった。
ー カツン!
外から音が聞こえる。
牛若丸はその音を探るべく廊下へ行こうとすると、弁慶はガジ狼を見せるため宿屋の女将の元へ向かった。
牛若丸が廊下へ出て外を見てみると、一人の女性が弓で的を射ぬいていた。
「上手いものでしょう?」
和服の老人が話かけてきた。
「そうですね。凄い腕前です」
牛若丸が返すと、老人も満足そうに頷く。
「あれは、私の一番下の娘なんですよ」
老人は少し自慢したように言うと続けて話し始めた。
「申し遅れました。私こちらの宿屋の店主をしております那須資隆と申します」
「こちらこそ今晩はお世話になります。牛若丸と申します」
牛若丸も礼儀正しく返した。
老人はニコッと笑い質問を投げ掛けた。
「あなたはどういったご用件でこんなへんぴな所へ来たのですかな?」
「僕は今家来達と平泉へ向けて旅をしている最中なのです」
「…なるほど。その歳で家来を引き連れ旅をするとは凄いものですな」
「いえ、そんな…」
牛若丸が遠慮するように返した。
老人は話を聞きたくなったようで、牛若丸を客間へ招いた。
牛若丸は一旦、部屋へ戻った。
部屋にもどると弁慶がいた。
客間へ呼ばれたことを伝え、弁慶に義盛とガジ狼を任せて部屋を後にした。
「失礼します」
牛若丸は招待された客間に入り、老人の前に炉を挟むように座った。
「どうぞゆっくりしてください」
老人は丁寧に言うので、牛若丸も軽く会釈を返した。
老人は牛若丸を見つめ、先ほどの会話の続きを始めた。
「して、何ようで平泉へ行かれるのですか?」
「…知人がおりまして。その人に会い力をお借りしたくてですね…」
「もしかすると、平家打倒のためですかな?」
「!?」
牛若丸は驚いた。
まさにその通りである。
牛若丸の驚きをよそに老人は話を進める。
「そんな驚くことではない。平泉は源氏軍が集う場所ですからな」
驚くべきことはそこではない。
もし、この老人が平家のものだった場合牛若丸は命を狙われるだろう。
「安心してください、私は平家の者ではありません。むしろ源氏軍の者ですよ」
老人の言葉に牛若丸は更に驚く。
「…あなたが源氏の?」
牛若丸は焦った口調で聞き返した。
老人はお茶を一杯のむと口を開いた。
「といっても昔の話になりますがね。平家が政治を統べる前の争いで私も源氏軍として戦っていました。私の一番上の息子も参加しておりましてね」
「……」
牛若丸は何も言わず聞いていた。
「今の平家は昔よりたちがわるい。私の息子も何人か平泉へ行き平家打倒を図っております」
「そう…なのですか」
牛若丸はようやく口を開いた。
老人は再びお茶を飲み、一息ついた。
「それで、実はあなたにお願いしたいことがありまして…」
老人がなにやら真剣な眼差しで話す。
牛若丸もその言葉に耳を傾ける。
「私の息子を一緒に平泉へ同行させてもらいたいのですが…」
牛若丸はこの言葉を聞き内心思った。
(この人、何人息子がいるんだろうか…)
思っただけで口には出さず、さきほどの理由を尋ねた。
「はぁ…どうしてです?」
「本来は私も今頃息子達と平泉へ向かう予定だったのですが、急用ができてしまい当分出発できないのですよ。息子は道を知っているので多少はお役にたてると思いますので、どうか…」
「そういうことでしたらおまかせください。道に詳しい人がついてきてくれるなら心強いですし」
牛若丸は快く承諾した。
「ありがとうごさいます。明日は1日留守にしてしまいますのでお見送りはできないのですが、息子をどうかよろしくおねがいします」
老人は深々と頭を下げた。
牛若丸が客間を後にしようとすると、また老人は深く頭をさげた。
本当に息子が大切なのだろう。
牛若丸が自分の泊まる部屋の前に来た時 ー
「ぎゃああああ!」
部屋の中から悲鳴が聞こえる!
声からしておそらく義盛だ。
牛若丸は急いで戸をあけ部屋を見渡すと ー
義盛の足にガジ狼がかぶりついている。
どうやらガジ狼は少し元気になったようだ。
「いってぇぇぇぇえ!すぐ噛みついてきやがってこのバカ犬」
義盛が急いでガジ狼を引き剥がして、噛まれたところをさすっている。
「なんだ…ビックリしたよ…」
「あ…お帰りなさい、主様」
安堵の表情を見せる牛若丸に弁慶が言った。
義盛の扱いがひどい。
弁慶に至っては完全にスルーしている。
牛若丸は部屋の真ん中へ座り込むと、客間で老人に言われたことを二人に伝えた。
「また、一人増えるのですね。まぁ、この義盛さんを下回る人なんかいないだろうから構いませんけど…」
「そりゃ、酷ぇぜ弁慶さんよ~」
義盛にはもはや完全に山賊の長だった貫禄はなくっている。
三人が楽しく話していると襖の反対側に誰かやって来た。
「牛若丸様、失礼してもよろしいでしょうか?」
女性の声だ。
牛若丸は考えることなく、どうぞと言うと弁慶は少しムスッとした。
「失礼します」
襖が開いて、相手が見える。
彼女だ。
外で的を射ぬいていた女性だ。
「此度は参入の許しをしていただきありがとうございます」
彼女は部屋の中へは入らず、襖のところからお辞儀をした。
「父・資隆の娘の与一と申します。よろしくおねがいいたします。」
良くできた女性だ。
老人は息子と言っていたのだが…
牛若丸はすこし気になったのだが、隣で弁慶が話だした。
「主様から話は聞いていますよ」
そう言うと、弁慶は常時顔に巻いている布を取り去り続けた。
「私も女一人で少し不安だったんです。仲良くしましょうね」
弁慶が女であることを一瞬驚いたが、与一も嬉しそうな顔をした。
与一は弁慶よりも3~4ほど歳上だが、すぐに打ち解けた。
与一の家計が代々源氏軍に入っていたこと。
牛若丸と弁慶が出会った時のことなどを話あった。
ワイワイと話合っていると、与一が牛若丸に疑問を投げ掛けた。
「そういえば、どうして牛若丸様は平家を倒そうとしているのですか?」
部屋は明るい雰囲気だったが、牛若丸は深刻そうな顔をすると空気が変わった。
「…そうだね。だいぶ平泉に近づいてきたことだし、この際皆に話しておこうか」
牛若丸はいつになく真剣な口調で話す。
弁慶、与一、義経も真剣な眼差しで牛若丸を見た。
ただ、ガジ狼は炉の近くでスヤスヤ寝始めた。
「実は僕はね、先の戦乱で敗死した源義朝の息子なんだ」
…ッ!?
牛若丸の言葉に三人とも言葉をなくした。
敗戦した長の家族は大抵殺される。
争いとはそういうものだ。
ー だが生きている…、源氏の生き残りがッ!
「赤ん坊だった僕は本来、平家に殺されるはずだった。だが平家の長は母を気に入り、僕を見逃す約束としてその身を差し出すことを要求した…。僕が生きているのはそのためなんだ…」
牛若丸の母・常盤御膳は大層な美人だった。
そして…本当に子供思いの良き母親であった。
「でもね、僕が平家を倒す理由は源氏の者だからじゃない。母の誇りを守るためなんだ。僕自身が平家を滅ぼし、母が僕を助けた行為が正しいことだということを証明したいんだ」
ー 自分が平家を打ち負かすことこそが母の誇りッ!
ー 誇りこそ自分の生きる道ッ!
牛若丸は心にいつも抱いていた。
「最初は自分のことだから一人で倒そうとしていた…。でも、できれば君たちにも手伝ってもらいたい。君たちがいると…心強いんだ」
重い空気の中、炉のパチパチという音だけが聞こえる。
ー 長い沈黙。
弁慶は何かを思い出したように、頭をうつむかせている。
義盛は腕をくみ、少し目に涙を浮かべうなずいている。
与一は元々源氏軍のためか、何か決心したような目で牛若丸を見ている。
「さ、さすが主様!ただ者じゃないと最初から思ってました!元よりあなたの家来、どこまでも付いていきますとも!」
弁慶が作り笑顔で口を開く。
「あぁ、いいねぇ頭!やっぱあんたについてきて良かったぜ!」
弁慶の気配りなど意にかえさず、義盛が上機嫌に話した。
牛若丸も義盛の言葉を聞き、心が和む。
すると、義盛の隣にいた与一がクスッと笑った。
「私も、平泉へ行くためではなくあなたのためについて行きたくなりました」
与一は牛若丸の目をみる。
なんて、まっすぐな目なのだろうか…。
与一の父も兄も源氏軍についている…。
自分も ー
牛若丸についていくことが自分の道なのだと、与一は本能で悟る。
(この人に仕えるのが、自分の役割なのだろう ー)
弁慶は自分のために牛若丸に仕え、義盛は牛若丸の先を見たいという好奇心、与一は源氏への忠誠心のため付いていくと決心した。
(僕は、なんていい人達と出会えたのだろう…)
牛若丸は目に涙を浮かべ、三人をみる。
「ありがとう、みんな」
「主様、まだまだこれからですよ!」
「あぁ、まだ戦ってすらいねぇんだ。」
「みんなで倒しましょうとも…平家を!」
ー 三人もまた牛若丸を最高の将だと理解している。
弁慶は元より、山賊だった義盛も…今日であったばかりの与一も。
「実はもう1つお願いがあるんだ」
牛若丸は笑みを浮かべ口を開いた。
三人も気を取り直し聞く体制になった。
「今から、僕の元服をみて欲しいんだ」
元服ー 大人への大一歩。
本来なら親戚や家族にしてもらう。
だが、周りは家臣といえど他人である。
それでも牛若丸は見ていて欲しいと言ったのだ。
「今日で僕は牛若丸という幼名を捨てるよ」
「主様…」
「父の義朝からもじり、今日から僕は義経を名乗る。源義経だ」
源義経…源氏を自ら名乗る。
三人は牛若丸…いや、義経を見つめ口を揃えていった。
「わかりましたとも、義経様」
義経が名前を変えた後、手軽にではあるが全員で元服を祝った。
ー 翌日
「では、行きましょうか!」
義経が朝一番に屋敷を飛び出す。
その後を弁慶、義盛、与一の三人が追いかけるように外へでる。
「はい、次はいよいよ平泉ですね!」
弁慶が上機嫌で口を開く。
与一の父は用事で留守にしており、見送る人はいなかった。
義経一向が先へ進もうと足を上げると ー
『ウォン!』
すっかりガジ狼のことを忘れてた。
弁慶があわてて近より頭を撫でる。
「そんなバカ犬置いていっちまおうぜ」
ー ガブ
ガジ狼は伊勢義盛の一言に怒ったように足元にかぶりつく。
「いってぇぇぇぇえ!」
仔狼といえどさすがは狼。
義経達は暖かい目で見守っている。
「何でもかんでもかぶりつきやがって!この、すぐガジ狼」
「フフッすぐガジ狼なんて、なんかそんな名前の人いそうですね」
弁慶がガジ狼を引き剥がしながら言った。
「いっそのこと人の名前ぽくしましょうよ。この狼も義経様の家来といえば家来なのですから!」
与一が上機嫌に提案をする。
一同はいい提案だと思い、ガジ狼をベースに名前を考え始めた。
一番始めに義盛が口を開く。
「すぐガジ狼なんだからよ、そのままでいいだろ」
「だから、人名っぽくですよ」
「だから少し変えてよ、するがじ狼でいいだろ」
スルガジ狼。
一同はいい名前だとうなずいた。
「駿河二郎。それでいいかもね」
義経も気に入ったようにうなずく。
「じゃぁ、行きましょう駿河二郎」
弁慶がガジ狼についてくるようにいうと尻尾を振りながら歩いてくる。
これで、ガジ狼もれっきとした義経の家来扱いだ。
新しく与一とガジ狼を加えた義経一向は平泉へ向かうべく那須岳を後にした ー
ー 1週間後
那須岳に与一の父が帰ってきた。
「ただいま」
父の帰りを息子達が出迎える。
「おかえり~」
「!?」
驚いた表情をし、息子達に問いただす。
「なぜ、お前らがおる?平泉へついていったはずでは…」
「え~、あれは与一に言ったんじゃなかったんですか~」
息子の一人がとぼけたように返す。
本来、義経についていくはずだったのはこの息子達なのだ。
「き、貴様ら…」
父は怒りを止められない。
「早く与一をつれ返してこい!」
「無理ですよ。もう1週間前ですよ?間に合いませんよ~」
「平泉まで行ってつれかえしてこい!」
「まじすか~?」
父の怒りを気にしないように息子はとぼけた口調で話す。
息子達はお互いに顔を見て、不気味な笑顔を作った。
「分かりましたよ~、全員で向かえにいってきますわ~」
与一はまだ自分が間違いで…いや兄達に騙されたことを知らない。
兄達は何を企んでいるのか ー